第五章:地上階

第八十八節:暴風の螺旋階段

 

 やがて、炎の原は終わりを迎える。

 クロエ達が辿り着いたのは大きな螺旋階段だった。

 真ん中が吹き抜けになっており、それがかなり長く続いている。

 下から見上げても、天辺までは肉眼で確認する事は出来なかった。

 それを確認してから、ルージュは一つ息を吐き。

 

 「これ、素直に上らせてくれると思うかい?」

 

 絶対に何かしらの妨害が入ってくるんじゃないか、と。

 そう確信を込めた言葉に、その場の誰も否定する事はなかった。

 とはいえ現状、この螺旋階段を上がる以外に道はない。

 先ほどの炎の中に放り込まれたように、そうと分かっていても進むしかなかった。

 

 「……隊列は、同じで良い?」

 「構わん。シリウスも異論はなかろう」

 「ないよー、さっきみたいに炎か何か襲って来ても私の魔剣なら何とでもなるしね」

 

 クロエの確認に対し、ガイストが頷く。

 相棒であるシリウスの方は、相変わらず何も考えていないような態度だが。

 

 「決まったな。ビッケ、一応上る前に確認を頼めるか?」

 「はーい、まぁ流石に罠なんてそうそう……」

 

 ガルに促されて、先ずはビッケが階段の方へと近付き罠が無いかの確認を始めた。

 先ずは階段の手前辺りから。

 それを手早く終わらせたら、階段そのものを調べる。

 特に罠を仕掛けられている様子はない。

 確かめ終わって、ビッケは試しに階段を数歩上って見せた。

 そうしてから、階段下の仲間達の方を向いて。

 

 「罠無し。とりあえずこれでえええええ!?」

 

 振り向いて、声を上げたと同時にビッケは階段の上から転げ落ちた。

 幸い、少ししか上っていなかった為に軽く転んだ程度で済んだが。

 それを見て、クロエは慌てて傍に駆け寄る。

 

 「ちょ、大丈夫っ?」

 「だ、大丈夫……っ、けど今のは……」

 

 顔面から落ちたせいで、思い切り強打した鼻をさするビッケ。

 何故いきなり、何もないはずの場所で転がり落ちたのか。

 ガルは一つ頷き、自らも階段に足を掛ける。

 それを数歩上がったところで。

 

 「……成る程、こういう仕掛けか」

 

 足を止め、一人納得した様子で呟く。

 その様に見ていたクロエは、首を傾げながら問いかける。

 

 「ガル? 一体どうしたの?」

 「うむ、どうやら階段に上った者しか感じんようだが」

 

 ゆっくりと、言葉を返しながらガルはその手を前に突き出す。

 それは何か、重い物を押し退けているような動作だった。

 

 「

 「……風?」

 「あぁ、前方から強く吹き付ける風を感じる。恐らく、階段を上る者を転げ落とす為の仕掛けだろうな」

 「……それで」

 

 罠はないと油断していたビッケは、背中を押されて落ちてしまったのか。

 

 「何と言うか、性格の悪さがにじみ出てる仕掛けだねぇ」

 「普通に魔物とかぶつけてくれた方が分かりやすいね」

 

 呆れ顔でため息を吐くルージュ。

 シリウスはややずれた事を言いつつ、さてどうしたものかと階段を見上げた。

 

 「……ふむ」

 

 ガルは何事かを考えた様子で、自分の顎の下を爪で掻く。

 それから、その場に留まったままクロエの方を見て。

 

 「クロエ、すまんが試しに階段を上って貰えるか?」

 「? それは構わないけど……」

 「ただ、俺の後ろ、俺を影にする形で上ってみてくれ」

 「……ん、分かったわ」

 

 クロエは頷き、言われた通りに階段を上る。

 確かに足を掛けた瞬間、強い風が前から吹き付けてくるのを感じた。

 まるで強烈な嵐の中に身を投じたかのような、何かもを根こそぎ吹き飛ばそうとするかのような強風。

 

 「っ……」

 

 思わず息を詰めながらも、クロエは一歩ずつ階段を上っていく。

 丁度、ガルの大きな身体が風除けの役目を果たし、階段から落ちる程の圧力はなかった為だ。

 言われた通り、その背中に触れる程度の距離まで上ったら足を止める。

 

 「……ガル」

 「うむ。どうやら、前に立てば風を防ぐ役にはなるようだな」

 「大丈夫なの?」

 「駆け上がるのは難しいかもしれんが、普通に上る分には問題ない」

 

 巨木すら根っこから引っこ抜いてしまいそうな強風だが、ガルの力はそれにも屈しない。

 そしてガルは一度振り向くと、すぐ後ろにいるクロエの身体を抱き上げた。

 突然の事に、クロエは目を見開いて一瞬固まってしまう。

 それから直ぐに、顔を真っ赤にして。

 

 「ちょっ、ガル……!?」

 「うむ、一先ず下りるか」

 「下りるのは良いけど下ろして……!」

 

 この程度の風、自分の力なら何とでもなると。

 そうアピールするように、背中に強風を受けつつガルはゆっくりと階段を下りていく。

 決して風に触れさせぬよう、クロエの細い身体はしっかり抱いたまま。

 

 「お疲れー」

 

 程なく下りて来たガルとクロエに対し、ビッケはいつもの事だと特に気にせず声をかける。

 ガルはそれに一つ頷きを返してから、そっとクロエを自分の傍らに下ろした。

 何故か激しく尻尾で足の脛辺りを殴打されているが、恐らく照れ隠しか何かだろう。

 

 「……今の行動は置いて、何をするつもりなのかは大体分かった」

 

 そう言ったのは、様子を見ていたガイストだった。

 胸の前で腕を組んだままの姿勢で、小さく肩を竦める。

 

 「デカくて力持ちな奴が、先頭に立って後ろの風除けになる。そんなところか」

 「あぁ。別に自信がないなら無理にとは言わん」

 「問題ない。まぁ、解決法としては力技過ぎる気はするが」

 

 ガルと遜色のない巨体に、同じく引けを取らない力。

 その両方を持ち合わせたガイストは、示された案に同意した。

 

 「大男二人を壁にして、風の中をちょっとずつ進んでいく感じ? 何か面白い絵面ね」

 「面白がるな馬鹿め」

 

 ケラケラと笑うシリウスに、ガイストはあきれ顔でため息を吐く。

 かなり強引ではあるが、この強風の螺旋階段も突破する方針は定まった。

 先ずはガルとガイスト、二人が階段に足を掛ける。

 数歩上れば、両者ともに身体の正面から打ち付ける風の存在を感じ取った。

 吹き荒れる嵐を押し退けるように、ゆっくりと階段を上がっていく。

 

 「なるべく距離を詰めて、風に巻き込まれないよう注意を」

 「そっちこそ、気を付けてね」

 

 ガルの言葉に応じつつ、クロエとそれ以外の者達も階段を上がる。

 やはり荒れ狂う風の存在を感じるが、その大半を先頭の二人が受け止めていた。

 轟々と風が唸る。それこそ耳が痛くなる程に。

 万が一でもバランスを崩し、階段を転げ落ちるような事になれば大惨事だ。

 ガルもガイストも、重心を低く保ちながら足を上げてまた下ろす。

 一歩、また一歩。どれだけ続くかも分からない螺旋階段を、少しずつ上っていく。

 

 「……風が強くなっているな」

 「やはり、気のせいではないか」

 

 ガルも、ガイストも。

 一段ごとに、少しずつだが風が強くなっている事を確信する。

 それは一つ一つなら微細な変化だが、積み重なれば大きな変化だ。

 風が強まっていると気付かずに上った者を、奈落の底へと叩き落す為の仕掛けか。

 確かに強風は、並みの相手なら成す術もなく薙ぎ倒した事だろう。

 しかし二人の戦士は、まだその力の底を見せたわけではない。

 進む。その歩みは遅々としたものだが、決して止まる事もなかった。

 今や押し寄せるのは壁にも等しい突風。

 だが戦士達は、それを己の力だけで押し退けていく。

 

 「っ……ホントに、大丈夫……!?」

 「うむ、問題ない」

 

 直接は風に晒されていなくとも、隙間から吹き込んでくる分だけでも息が詰まる。

 離れまいと身を寄せながら、自らを気遣うクロエの言葉にガルはただ力強く答えた。

 それは音としては風に掻き消されたかもしれない。

 だから届いていない分は、己の行動によって示していく。

 

 「何の事はないな……!」

 

 ガイストも同様に、その巨体で風を引き裂きながら進む。

 此方は単純に、戦士としての対抗心から。

 少なくとも、今は隣に並ぶ男が折れぬ内に自分の方が先に折れるわけにはいかない。

 

 「やぁ、流石流石。頼もしいねぇ我が相棒殿は」

 

 背中の方から聞こえるシリウスの軽口も、今は文句を声に出す余裕もない。

 そうやって、どれだけの高さを上っただろうか。

 螺旋階段の傾斜はかなり緩やかで、それ故に距離も長い。

 歩みこそ止めていないが、上がる程に強まる風は確実に行く手を阻む。

 先頭に立つ二人の戦士は、それでも諦めずに進み続けるが。

 

 「むっ……!」

 

 不意に、ひと際強い風がガルの身体を打った。

 いきなりの事に怯みこそしないが、吹き飛ばされそうなのを踏ん張って耐え切る。

 が、同時に鋭い痛みが二の腕の辺りを走った。

 

 「これは……」

 

 見れば、痛みを感じた部分に剣で斬られたような傷が刻まれていた。

 視線を動かす。が、風の中には何も見当たらない。

 

 「ガル、どうしたの……って、何その傷……!」

 「俺にもよく分からんが、兎に角敵のようだな」

 

 ガルの腕に刻まれた傷に気が付き、クロエは驚きの声を上げる。

 幸いと言うべきか、傷口は大きく派手な割に出血は少ない。

 また深さの方も大した事はなく、切り裂かれたような見た目に反して比較的に軽傷だ。

 

 「ったく、突風だけで難儀してんのに今度はなんだい?」

 「姐さん、下手に戦いになるとオレそのまま宙を飛びそうなんだけど」

 

 文句を口にするルージュの傍ら。

 何とか風を受ける面積を減らそうと、ビッケが階段ギリギリを這いつくばっている。

 だがそんなものは知らぬとばかりに、またも強烈な風が吹き荒れた。

 

 「チッ……確かに、何かいるな」

 

 次に傷を受けたのはガイストの方。

 やはりガルの時と同じように、鋭い刃物で裂いたような傷が刻まれている。

 視線を巡らすが、やはり見えない。

 そうしている間も、一瞬たりとて足は止めていなかったが。

 それを邪魔するように、更に二度三度と。

 同じく切り裂く風が吹き、それを繰り返すごとに赤い血が風に散る。

 

 「ちょいと旦那、マジで大丈夫かい?」

 「あぁ、すまんが奇跡で傷だけ塞いでくれ。このまま進む」

 

 ルージュに対し治癒だけ頼むと、ガルは強引にも進み続ける。

 止まらない。こんなナイフで引っ掻いたような傷では、止まる必要もないと。

 そう言わんばかりに、風の妨害を無視して上を目指す。

 距離はまだ遠い。だが、立ち止まらなければ必ず辿り着く。

 それに対し、風は先ほどよりも倍する程に激しく吹き荒れて――。

 

 「……バカね」

 

 その風を裂いたのは、黒い刃の切っ先だった。

 ただの一太刀でさえ、振り抜くのは困難を極めたが。

 それでも、クロエの振るう魔剣は確かに「形のないモノ」を捉えていた。

 

 「成る程、アレが元凶か」

 

 魔剣に切り裂かれた事で、今まで見えていなかったものが僅かに輪郭を見せる。

 それは風だ。風ではあるが、吹き荒ぶ他の風とは異なる。

 自ら意思を持ち、そして敵意を持って襲い来る者。

 狂える風の精霊エアーエレメンタル。自然現象の一部が強い魔力を帯び、怪物と化した存在。

 それは文字通り、風が唸るような声を上げて敵対の意思を露わにした。

 

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