第八十七節:呉越同舟

 

 哀れな魔獣が絶命した後。

 少しの間、その場には炎が燃え盛る音のみが響いた。

 冒険者四人と、彼らを追って現れた二人。

 それぞれ武器を手にしたまま、崩れ落ちた屍の方に意識を向ける。

 それが最早復活する事叶わない、肉の塊に過ぎないと確信を得るまで暫く。

 

 「……さて、一先ずはこれで良いかしら」

 

 その沈黙を破ったのは、炎の魔剣を手にした女戦士シリウスだった。

 抜き身の剣で自身の肩を軽く叩きながら、その視線を冒険者達の方へと向ける。

 正確には、その中の一人。

 同じく魔剣を持つ少女、クロエに対して。

 

 「……そうね、とりあえず障害は排除したけど」

 

 今一時は共闘したとはいえ、相手は《帝国》の手勢。

 しかも何者かの命により、自分を帝都に連れて行く事を目的としている相手だ。

 自身の魔剣を握る手は緩めずに、クロエは警戒を強める。

 同様に、傍らに立つガルも臨戦態勢のまま。

 少しでも怪しい動きがあれば、即座に大金棒を振り回す構えだ。

 そんなある意味当たり前の反応リアクションにも、シリウスは心底楽しそうに笑ってみせる。

 

 「なになに? あんだけ派手に殺り合った後だってのに随分元気ねぇ。

  いいよ、別に。このまま戦うのも、お互いの都合としては十分ありじゃないかな?」

 

 女戦士は笑う。其処には分かりやすい敵意や殺意は存在しない。

 ただ燃え続ける炎の如く、触れた者は例外なく焼いてしまうような「何か」があった。

 その何処か得体の知れない心の在り様に、クロエは僅かな緊張を覚える。

 ――先ほどの魔犬との戦いぶりを見ても、相当に強い。

 加えて四方を炎に囲まれている現状は、相手の魔剣の能力を考えると極めて危険な状態だ。

 魔犬は炎への耐性を持っていた為に積極的に攻撃には利用されなかったが、自分達に対してなら違う。

 幾らでも炎を操り、それを武器として使う事が出来るはずだ。

 或いは自分の「帳」ならば、炎を防ぎつつ一気に攻め入る事が可能だろうと、クロエは考える。

 ただそれについては、相手も先ほど此方の戦い方を見ている以上、想定はされているだろう。

 ならば刃を交えた結果がどううなるかは、実際に戦ってみるまで分からない。

 

 「…………」

 「……良い目ね、お嬢ちゃん。そんな目で睨まれたら、お姉さん興奮しちゃうわ」

 

 クロエの冷たい敵意の宿った眼差しと、シリウスの燃える情念の灯った視線が絡み合う。

 今にも一戦始まりそうな空気。だが、それを軽い音が突き崩した。

 ルージュだ。流れを打ち消すように、パンパンと両手を軽く打ち合わせて。

 

 「はいはい、ストップストップ。今こんな事やってる場合じゃないだろう?」

 「ルージュ……」

 「まー相手が相手だし、気持ち穏やかじゃないのは分かるけども。

  それはそれとして、今はこのやべー場所からの脱出に専念すべきじゃない?」

 

 ルージュに続いて、ビッケもまた諫めるように声を上げた。

 相手方も、ガイストの方が同じ考えだったようで。

 

 「シリウス、剣を下ろせ」

 「あれ、良いのー?」

 「良いも悪いも無い。向こうの言う通り、今は此処を出るのを優先すべきだろう」

 

 本音を言うならば、ガイストも目標を抑える事を優先したい気持ちはあった。

 何よりも与えられた任務を全うする。

 それが最優先ではあったが、互いの戦力と現状の危険性を考えれば、事はそう単純ではない。

 此方が勝って無事に目標を確保するよりも、敗北や共倒れの可能性が圧倒的に高いとあっては。

 シリウスの方は其処まで考えているか不明だが、異論を挟む事無くあっさりと剣を納めた。

 

 「じゃ、しょうがない。このままもう少し、仲良し続行かしら?」

 「互いに、この神殿を抜けるまでだろう。その後どうなるかはそちら次第だが」

 「あら冷静なご意見」

 

 冗談でからかうようなシリウスの発言に対しても、ガルは調子を崩さず淡々と応える。

 今は戦う必要がなくとも、それは今に限った話でしかない。

 肩に担いだ大金棒はいつでも振り下ろせる状態だ。

 

 「……そうね。今は先ず、この神殿から脱出しましょうか」

 

 クロエもまた、警戒は解いていないがこの場で戦う事の不利益は認めていた。

 正直、相手に問い詰めたい事など山ほどあったが、今は胸の奥に押し込んでおくしかない。

 そんな様子を察したか、大きく硬い手がクロエの頭を軽く撫でる。

 

 「今だけの事だ。直ぐに、お前が望む通りにしよう」

 「……ん。ありがとう、大丈夫だから」

 「そうか」

 

 髪に柔らかく触れるガルの手に、クロエはそっと自分の手を重ねた。

 触れ合いは一瞬。けれど、伝え合った体温が逸る気持ちを少しだけ落ち着かせてくれた。

 そんな両者のやり取りを、部外者であるシリウスはやはり愉快そうに眺めて。

 

 「ねぇ、何かあっちの二人、良い関係じゃない?」

 「知らん。そんな事は任務には関係あるまい」

 「いやぁ任務じゃなくてさぁ、一応人間と蜥蜴人の番いカップルなんて珍しいなって」

 「……任務と無関係なら、猶更そんな事を口にするのは野暮だろう」

 

 声を抑えるでもなく、何故かキャッキャとはしゃぐシリウス。

 ガイストは大きくため息を吐き、思わず天を仰いだ。

 

 「…………」

 「? どうした、クロエ」

 「いえ、何でもない。何でもないから、大丈夫」

 

 ガルの方はまったく気にした様子もなかったが、クロエは思わず耳まで赤くしてしまった。

 普段は気にならないが、改めて言葉にされると無駄に意識してしまう。

 このままでは話が進まないと、気分と話の流れを切り替える為に、一つ咳払い。

 

 「兎に角、脱出するなら動きましょう。障害物が、この魔犬だけとは限らないし」

 

 そう言って、物言わぬ肉塊と化した魔犬の死骸を一瞥する。

 この神殿内で、あの魔犬と戦ったのはこれで二度。

 これと同じ魔獣が他にいない保証も、それ以上の怪物がいないという確証もない。

 樹海の神自身は、魔犬が討たれた辺りから沈黙している。

 大きく力を与えた眷属を倒した事が、少しでも痛手となっていればいいが。

 怒りが過ぎて言葉を発する事が出来なくなっているだけ……という可能性も十分考えられる。

 

 「さて。そういう事なら、っと」

 

 脱出するという話の流れを受けて、シリウスは軽い調子で自らの魔剣を振るう。

 それに応えて、周囲を塞ぐ炎の一部が開いて道を作った。

 魔剣《炎獣》の力。それを見たクロエは、小さく感嘆の吐息を漏らす。

 炎を発する魔法の剣はあるし、ある程度火を操作する魔術も存在する。

 しかしこの規模の火炎を、文字通り自由自在に操るのは強力な魔剣ゆえの特性だろう。

 一体この力の為に、この女戦士は何を対価として支払っているのか。

 

 「……知りたい?」

 「っ」

 

 心を読んだかのようなシリウスの囁きに、クロエの心臓が一瞬跳ねた。

 その分かりやすい反応が気に入ったのか、シリウスは愉快そうにケラケラと笑って。

 

 「私個人としては教えてあげても良いんだけど、それするとこっちのデカブツが煩くてねー」

 「当然だろうが馬鹿め。魔剣使い自分の弱みを自発的に晒すな」

 「……別に、聞きたいわけではないから」

 

 ガイストの言葉に頷くような形で、クロエは一歩下がる。

 どうにも、あのシリウスという女は調子が狂う。

 《帝国》の人間だとか、そういう部分を抜きにしてもどうにも合わない感じが強い。

 性格的な軽さ、という意味ではルージュと近い印象なのだが……。

 

 「はいはい、折角道を開いてくれたんだし、とっとと行こうじゃないか」

 

 そのルージュが、また軽く手を叩きながら行動を促す。

 

 「行くのは良いけど、隊列どーする?」

 「異論がなきゃ、そっちの《帝国》のお二人さんに先に行って貰いたいんだけど、どうかねぇ?」

 「……まぁ良いだろう。そちらの戦士二人はまだしも、残りのお前達は敵に後ろを歩かれたくはあるまい」

 

 ビッケとルージュをそれぞれ一瞥してから、仕方がないとガイストは頷く。

 シリウスは細かい事は気にしていないようで、既に炎に開いた道へと踏み出していた。

 

 「決まったんなら早く行こーよ。私もこんな穴蔵いつまでもいたくないしさぁ」

 「……お前は、本当に」

 

 まだ幾つか言いたいことがあった様子だが、ガイストは諸々を呑み込んで相棒の後を追う。

 それから少し遅れて、冒険者達も炎に出来た道へと足を踏み入れた。

 未だに熱気は強いが、直に炎に捲かれていた時と比べれば正に天国だ。

 

 「実際、助かったのは間違いないんだよねー。出来れば脱出したらそのまま平和的にバイバイしたいけど」

 「向こうの目的を考えれば、難しいだろうな」

 

 ビッケが口にした淡い希望を、ガルは至極冷静な意見で粉砕する。

 やっぱりそうなるよなーと肩を落とす小人を、クロエはちらりと見た。

 そう、《帝国》の戦士であり、如何なる目的か自分の身柄を狙う彼らとは決着を付ける必要がある。

 それが戦いの上でなのか、それとも別の形なのかは分からない。

 少なくとも、この地下神殿に巣食う樹海の神を何とかしない事には何も始まらない。

 改めてその道程の困難さに、クロエは小さくため息を溢した。

 

 「……本当に、前途多難ね」

 

 炎に出来た道の先、恐らく地上への出口は近い。

 けれど未だ横たわり続ける幾つもの問題に、頭痛を感じずにはいられなかった。

 

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