第八十四節:炎の地獄

 

 結局、騒霊自体は大した脅威にはならず蹴散らされた。

 後には拉げて潰れた財宝――財宝のように見えた物の残骸と。

 それらとは異なり、一つだけ本当に黄金の輝きを宿す物があった。

 華美過ぎない程度の装飾が施された、一本の錫杖。

 見たまま金で造られただろうそれは、恐らく保護の魔法によって守られており。

 騒霊本体の「核」として憑依されていたが、ガルの大金棒で叩き落されても錫杖自体の傷は殆ど無い。

 

 「ふむ」

 

 足元に転がったその杖を、ガルは無造作に拾い上げた。

 

 「あれ、お宝?? マジであったの??」

 「ちょっと、ガル。どんな代物かも分からないんだし、迂闊に触るのは……」

 「うむ、とりあえず問題なさそうだが」

 

 傍に来たビッケとクロエにも見えるよう、ガルは手の中で杖を何度か回す。

 武器の類ではなく、何らかの儀式に用いる物だろう。

 如何なる由来があり、こんな場所で騒霊の宿として使われていたのか。

 それは樹海の神にしか分からぬだろうし、或いは樹海の神すら分かっていないかもしれない。

 何にせよ、それはこの神殿でようやく見つけたまともな宝物だった。

 

 「一応、呪いか何か掛かってないか確認した方がいいかい?」

 「そうね……無いなら無いで、それでいいんだけど」

 

 遅れてやって来たルージュ。

 ガルは彼女にも見えるよう、黄金の杖を差し出した。

 

 「……何かぱっと見、魔法が掛かってるようには感じられるけども。

  それが保護の為に施された魔法なのか、杖に由来するものなのかはよく分からないねぇ」

 

 念のため、直接は触れないままにルージュは杖を確認する。

 少なくとも、触れた瞬間に持ち主を呪い殺すような剣呑さは感じられない。

 

 「まー旦那が触っても平気だったって事は、そんな大きい害はないと見ていいと思うけど」

 「仮に魔道具だとして、どういう魔力を持ってるかはどっかで鑑定しないと分かんないかなー」

 「魔力が宿ってるなら、それと同調して見れば使い方は分かると思うけどねぇ?」

 

 未知の魔道具を見つけた場合、その力を紐解くには鑑定を行える術者の手に委ねるのが一番だ。

 そういった術者は魔道具の取り扱いには慣れているし、何か不利益を持った品でも危険を最小限に抑える事が出来る。

 仮に鑑定の出来ない状況である場合は、魔道具と自らの魔力を同調させるという手段もある。

 魔力を扱える者に限られるが、この手段であるなら鑑定の必要なく魔道具の使用法を理解可能だ。

 が、もし「使う者を呪う」類の魔道具だった時は大惨事である。

 その為、未鑑定の魔道具に対して迂闊に自身の魔力と同調させる行為はなるべく避けるべきだと言われていた。

 

 「流石にそんな自殺行為はやりませんわー。……しゃーない、いつ鑑定できるか分かんないけど。

  とりあえず鞄の中にしまっておきますか」

 

 そう言って、ビッケは大鞄の口を開いてガルに示す。

 ガルもそれに頷いて、魔法の鞄の中へと手にした黄金の杖を放り込んだ。

 中にちゃんと入っているかを確認してから、その口を閉じる。

 

 「これでヨシと。さー、また宝があるかも分からない不毛な探索を再開しよっかー」

 「とりあえず一つは手に入ったんだから、贅沢言わずに行きましょう?」

 「魔道具って、売るにしても取り扱ってくれるような場所に行かないといけないんで、意外と金にし難いんだよなぁ……」

 

 それが何か冒険に役立つような魔力を持っているなら話は変わるが。

 そうでない場合、換金しにくい貴重な魔道具よりも単純な金貨などのほうが好ましい。

 とはいえ全く収穫無しよりマシだろうと、ビッケは切り替える事にした。

 先に進む扉の前に立ち、決まった確認作業を手早く済ませる。

 そして石の扉をガルに開けて貰ったら、また長く伸びる石の通路を歩き出した。

 

 「……そういえば」

 「む?」

 「あの半竜の男は、結局どうなったのかしらね」

 「さて、『嵐』に呑まれて潰れて死んだ、という可能性も無くは無いが」

 

 暗闇に閉ざされた通路を明かりで照らしながら、冒険者達は進む。

 変わらず警戒は続けているが、神殿は沈黙するように静まり返っている。

 そんな中で響くのは、冒険者達の足音と囁くように交わされる言葉だけだ。

 

 「あたしがいない間に出くわした相手だっけ?」

 「ええ、多分ルージュが出会った女戦士の仲間だと思うけど」

 「何か《帝国》から来たような事は言ってたけど、一体どういうつもりなんだろうねー」

 

 半竜の男――ガイストの口ぶりからして、直接用があるのはクロエのみという印象だったが。

 そもそも《帝国》の何処から、どういう風に「クロエを帝都に連れて来い」という命令が下りて来たのか。

 ガイスト自身はそれを口にする事はしなかった。

 しかしそれが、クロエの失われた過去に繋がる事は間違いないだろう。

 

 「……あの男が、まだ死んでないとしたら」

 「恐らく、この神殿の何処かにまだいるだろうな。脱出した可能性も無いでは無いが」

 

 クロエの言葉に、ガルは淡々と応じる。

 そうは言ったが、後者の可能性は恐らく少ないだろう。

 僅かに矛を交えただけだが、あの男は真面目で任務に忠実な質だろう。

 与えられた命令を果たしていない状態で、命惜しさに戦線を離脱するとは考え難い。

 

 「生きているなら、再び何処かで出くわすだろう」

 「……うん」

 「そうなったら、問題ない。今度は叩き潰してしまえば良い」

 

 実に簡単シンプルな結論だと、ガルはあっさりと言ってのけた。

 確かに、ガイストはなかなかの強者だった。

 あのまま殴り合いを続ければ、どちらが敗北するか分からない程度には。

 しかし互いの実力の差は殆どないだろうと認めつつも、ガルは己が勝つ事を疑わなかった。

 何故ならば。

 

 「クロエ、それがお前の為になるならば、俺はどんな相手だろうが勝つまでだ。

  それが《帝国》の強者だろうが、関係はない」

 「…………」

 

 力強く、そして情熱に満ちた言葉だった。

 余りにも真っ直ぐに言われて、クロエは胸や顔が熱くなるのを感じた。

 そんな熱っぽい空気を察してか、ビッケとルージュは本当に少しだけ距離を開ける。

 クロエの方は、向けられた言葉を受け入れるのに手一杯で、そんな仲間の動きには気付く余裕もないが。

 

 「……その、ガル?」

 「うむ」

 「気持ちはとても嬉しいし、私も出来ればあの男の知ってる事は聞き出したいけれど」

 「うむ、当然だろうな」

 「……けど、一人で余り無理はしないでね」

 

 ゆらりと、クロエの足元で細い尾が揺れる。

 それは少し先を歩くガルの尾の先端に軽く触れた。

 

 「相手は、強いのだから。貴方が負けるなんて、少しも思ってないけど。

  それでも、私や皆で戦った方が、危険も少なく勝てるでしょう?」

 「――あぁ、それは勿論だ。例え一人でも負けるつもりはないが、一人だけで勝てると自惚れてもいない」

 

 此方を案ずるクロエの言葉を受け、ガルは大きく頷いた。

 まったく彼女の言う通りである。

 例え敗色濃厚な状況でも、戦いに挑む事を厭わないのは戦士の矜持だ。

 が、それはそれとして仲間と一緒に囲んで棒で叩く事が大正義である事に変わりはない。

 仮にルージュの出会った女戦士があのガイストの仲間だとしても、それでも戦力比はまだ二対一だ。

 向こうが双方共に戦士であるなら前衛の数は同じだが、その分此方は仲間二人分の援護がある。

 深く考えるまでもなく、此方が有利だ。

 

 「だから、心配する必要はないぞ。クロエ。次戦う事になっても、勝つのは此方の方だ」

 「うん、うん。そうよね。それは心配してないから」

 

 微妙に自分の言った言葉と異なるニュアンスで相手が受け取っている事に、クロエは気付いていない。

 とはいえ大筋間違いでもないので、特に問題はなかった。

 暗い通路の中、僅かばかりに和やかな空気が流れつつある。

 ――けれど、それを許さぬモノが新たな試練を冒険者達に課す。

 

 『もう此処から逃れた気分になっているのか』

 

 クロエ達の脳髄に、直接響く狂気。

 樹海の神、そう称する残骸の声。

 冒険者達は身構えるが、同時に周囲の構造がまた動き出した。

 それは少し前に起こった「嵐」のような、無秩序な変化とは様相が異なる。

 明確な意図の下に、神殿の構造が一部組み変わっていく。

 

 『試練だ。試練を受けよ。試練を超えぬ者に資格はない』

 「そればっかだなホント! いいから見返り寄こせってば!」

 

 キレ気味なビッケの抗議も、樹海の神は少しに気に留めない。

 先ほどまでは通路だった場所に、瞬く間に広い空間が生まれる。

 端が肉眼では確認できない程の広大さ。

 それは地上に近付いている事も考えると、明らかに物理的にあり得ない広さだった。

 恐らくは空間自体を捻じ曲げているのだろうが、それをこうも容易く行う神の力にクロエは戦慄する。

 

 『祈れ。信仰を捧げよ。されば試練を超えた果てに、その魂を我が元へ迎え入れよう』

 

 相変わらず、狂気じみた樹海の神の声だけが響く。

 拡大した空間は、次の瞬間には燃え上がる炎で埋め尽くされた。

 炎、炎、炎。見渡す限る隙間なく、炎の海が広間を満たす。

 ギリギリ、クロエ達が立つ床の周りだけがポツンと浮かぶ孤島のように無事だった。

 

 「ったく、殺したいのか手駒にしたいのか、もうちょいハッキリして欲しいねぇ」

 

 そう言いながら、ルージュは素早く神の化身たる骰子を振る。

 耐火の奇跡がその場にいる全員に施されるが、それでも炎の熱は完全には遮れない。

 奇跡で防護してこれなら、生身で飛び込んだらそれこそ骨も残らないだろう。

 

 『試練だ。この炎の迷宮を、炎熱地獄の再現を乗り越えてみせよ。

  万一これを踏破したならば、お前達の眼に地上に繋がる光も見えるだろう」

 「……ふむ、真実なら話が分かりやすくなるな」

 

 狂える神の言葉に、ガルは小さく頷く。

 向けた視線の先は炎の海。

 隙間なく空間を埋め尽くしているようで、よく見れば炎と炎の境目を見つける事が出来た。

 

 「よし、あそこだな」

 「……行くのね、ホントに。あの炎の中を」

 「行く以外に道はないからな」

 「あー、ちょい待ち。耐火以外にも守りの奇跡を追加しとくからさ」

 

 手早く、ルージュは他にも幾つかの奇跡を滞りなく発動させる。

 今は無事だが、クロエ達の立っている場所も炎がじわじわと迫りつつあった。

 行く以外にもう道はない。

 それはガルの言葉通りだった。

 

 「……皆、出来るだけ私の傍に寄って。ルージュの奇跡に、私の「帳」があれば。

  多分、それなりには耐えられると思うから」

 

 魔剣《宵闇の王》を掲げるように構えて、クロエもまた覚悟を決める。

 この炎の地獄の中に、他にどんな悪意が潜んでいるのか。

 分からないが、今は前に進む他ない。

 

 「何が来ようと、殴り倒せば済む話だ」

 

 ガルの言葉は頼もしいが、余りにも直接的過ぎてクロエは少し笑ってしまった。

 燃え盛る炎。可能な限り身を寄せながら。

 冒険者達は、狂える神の仕掛けた炎の迷宮へと踏み込んだ。

 

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