第八十二節:竜の石像

 

 光が注ぐ。

 どれだけぶりになるかも分からない、太陽の光。

 古びた神殿の頂点。

 かつては供物を担いだ信奉者達が足繁く通った石段も、今は誰の姿もない。

 或るのはただ一つ、石造りの棺。

 そして寝所であった祭壇から、その石櫃ごと地上へと姿を現した樹海の神。

 人柱の肉体を動かし、暫し降り注ぐ陽光を見上げる。

 

 『…………嗚呼』

 

 混濁する意識、辻褄の合わない記憶。

 信仰を失ったが故に己の存在定義を見失った神格は、人柱の精神や自我と混じり過ぎていた。

 それも、今肉体として使っている人柱の少女に限った話ではない。

 これまでも何度か、眷属らが捧げた生贄を自らの依代として使ってきた。

 何度も。樹海の神は数える事をしなかったが、決して少なくない回数。

 その度に、人柱の記憶と精神が混じり。

 その度に、己の魂に他者の魂を継ぎ足して希釈してしまった。

 最早、自分が如何なる神威であったかも樹海の神の中には殆ど残っていない。

 あるのはただ、始まりから残り続ける衝動。

 薔薇の魔王への報復と、己が再び神として地上に君臨する事。

 新たな人柱を得られれば、再びそれも叶う。

 少なくとも、樹海の神自身はそう信じていた。

 ――幾ら人柱を得ようとも、その力はこの狭く朽ち果てた神殿の内でしか振るえぬのだが。

 そんな事は樹海の神には分からない。

 そんな簡単な事も分からぬ程に、その神格は狂ってしまったから。

 

 『間もなく、間もなくだ』

 

 狂気のままに言葉を紡ぐ。

 狂い果て、地に落ちようとも神は神。

 この神殿の内しか力を行使出来ないが、逆に言えばその内側なら未だにその存在は強大であるという事。

 既に形を成しているはずの神殿内部の構造を、自由に組み替えてしまう事も容易い。

 そうして神の知覚は、地下第二層まで上がって来た冒険者達へと向けられる。

 正確には、その中の一人。

 神意の代行者となる事を拒絶した、けれど神の寵愛厚き一人の女。

 一度は拒絶され、無粋な横槍のせいで癇癪を起こして地に叩き落してしまったが、どうやら生きていたようだ。

 いや生きていたのは、それこそ運命なのだろう。

 あの者なら、あの信仰心がこの身に向けられたなら。

 再びこの神威は、あの中天に輝く太陽の如き光を取り戻すだろうと。

 

 『試練を超えて、再び我が元へ来るがいい』

 

 笑う。樹海の神は笑う。

 神に相応しい傲慢さで笑い、死線を渡る人間達を見下ろす。

 内部の構造は書き換えられて、彼らが目指すべき道は一つだけとなった。

 この神殿の内から、外へ出る為の出口。

 その前に己が石櫃を置いて、樹海の神はその時を待つ。

 全ての試練を超えた時こそ、その魂は神の依代となるに相応しいモノとなるだろう、と。

 歪んだ狂気のままに、樹海の神は笑った。

 

 

 

 それは動く竜の石像リビング・ドラゴンスタチューとでも呼べば良いのだろうか。

 広い通路を完全に塞ぐ形で現れたそれは、無機質な敵意を冒険者達に向ける。

 石像は鳴き声のように岩が軋む音を響かせて、その口を大きく開いた。

 明らかに竜の吐息ドラゴンブレスの構えであるが……。

 

 「っ!?」

 

 噴出されたのは、炎ではなく油だった。

 しかもただの油ではなく、それこそ炎のように高温の油だ。

 煙と音を立てる油の飛沫が、石像の正面を扇状に広がって撒き散らされる。

 

 「あっつぅい!」

 

 咄嗟に前に出たのはクロエだった。

 焼けた油の噴射スプレーなど、まともに防ぐのは難しい。

 けれど魔剣の力により、周囲を「帳」で守られたクロエならば正面から受け止められる。

 それでも完全には防ぎ切れず、油を軽く引っ被ったビッケが熱さの余りに飛び跳ねた。

 

 「大丈夫っ!?」

 「あんま大丈夫じゃないけど何とかー!」

 「いやぁもう、次から次へと色々出てくるねェホントに」

 

 火傷したビッケに軽い治療の奇跡を飛ばし、次いでルージュは耐火の奇跡も展開する。

 本来は炎を避ける為のものだが、焼けた油の熱もある程度は防げるだろうと。

 

 「イアッ!!」

 

 その奇跡の援護を受けてから、真っ先にガルが踏み込んだ。

 未だに高温の油が通路全体に広がっているが、それも構わず突撃する。

 多少の熱ぐらいは我慢すれば問題ない。

 それよりも、今の油の噴射を何度もやられては堪らないと。

 即座にそう判断し、ガルは大金棒の一撃を竜の石像へと振り下ろす。

 狙うは顔面から首の辺り。

 これ以上の油の噴射をさせない事が第一の目的だ。

 

 「ふっ……!」

 

 クロエもまた、己を疾風に変えて走る。

 岩ぐらい軽く打ち砕くガルの大金棒だが、直撃した石像は僅かに亀裂を受けただけ。

 ――当たり前だけど、見た目通りの単なる石像じゃない。

 何らかの加護、恐らくは樹海の神によるものだろう。

 振るわれた魔剣の切っ先も、石像の表面に小さな刀傷を刻むに留まった。

 単純に見積もっても、鋼かそれ以上の強度だろうか。

 

 「硬いわね……!」

 「問題ない。幾ら硬くとも、傷が入るならばいずれ壊せる」

 

 クロエの言葉に、ガルは淡々と応えた。

 それに対し、石像の方もただやられたままというわけではない。

 石の身体を軋ませて、その爪や牙で相対する者達へと攻撃を仕掛ける。

 それもまた見た目とは裏腹に、磨き抜かれた刃のように硬く鋭い。

 肉や骨も容易く切断する攻撃だが、まともに当たるほどガルやクロエも鈍くはなかった。

 そもそも身体が石で出来ている為か、石像の動き自体が余り早くはない。

 疾風と化しているクロエは当然、ガルも大金棒を構えて真正面から防ぎ切る。

 

 「厄介なのは、あの油の噴射ぐらいか」

 

 鈍い石像の動きとは違い、前面の空間を潰すような油の噴射は避けるのも防ぐのも難しい。

 しかし、殴り合う最中にもそれを撃つ動作が見られない辺り、立て続けに放てるものではないようだ。

 

 「……油だから、何処からか充填してるのかしら?」

 

 小さく、クロエは自身の予測を呟く。

 炎であれば、火種さえ起こせれば後は空気を吸って燃え上がる。

 けれど油となれば、攻撃するに十分な量を何処からか引っ張って来なければならないはず。

 一応魔法の中に油を出す呪文もあるにはあるが、それは時間が経てば消えてしまう疑似的なモノだ。

 ――ならばその油を供給する何かを断ってしまえば、この石像は殆ど脅威ではなくなる。

 

 「んじゃ、それはこっちで何とかしてみましょーか」

 

 そう言ったのは、後方で控えていたビッケだった。

 竜の石像のサイズは、通路を殆どいっぱいに塞いでしまう程の大きさだ。

 少なくともガルがその脇を通り抜けるのは不可能。

 クロエなら細いし出来なくはないが、それでもかなり狭い中を通り抜けるのは戦いながらでは難しい。

 であれば、メンバーで最も小柄で身軽な自分が適任だろうと、ビッケは即座に判断した。

 

 「一応、奇跡で補助は掛けとくけど気を付けていきなよ」

 「はーい、姐さんあんがと! じゃあちょいと行ってきますわ」

 

 するりと。

 文字通り狭い隙間を縫うように、ビッケは暴れる石像の脇をすり抜けた。

 石像の方もそれに気付いてはいるが、そちらに手を出す事は戦士の二人が赦さない。

 悠々と背後に回ったビッケは、改めて手元に魔法の明かりを呼び出した。

 

 「……これかな?」

 

 見たのは、石像の尻尾の部分。

 それは当然石で出来ているが、先端部分は黒い皮に似た材質の管と繋がっている。

 その管は長く伸びて、床の一部と接続していた。

 こういう仕掛けも、先ほどの「嵐」で組み替えた時にわざわざ件の神様が作っているのだろうか。

 そんな事を考えながら、ビッケは管を細剣の先端で軽くつつく。

 石像本体と違って、そこまでの強度はない。

 切断しようと思えば切断出来るだろうが、触れた感触からして今も中を油が通っている。

 下手に切り裂いて焼けた油が撒き散らされました――となっては近くにいる自分が危ない。

 そう判断し、ビッケは少し考え込む。

 危険ではあるが、この油さえ何とかすれば石像の脅威度は格段に下がる。

 管を切断する以外に、何か良い方法は無いだろうか。

 

 「……よし」

 

 一つ思い付き、ビッケは更に通路の奥へと進んで石像との距離を開ける。

 ある程度離れたら、大鞄から弓矢にランタン用の油、それにいらない布の切れ端を取り出した。

 手早く作業を進めながら、ビッケは未だに石像とやり合っている仲間達に向けて声を張り上げる。

 

 「ちょっと危ない事するんで、炎注意ー!」

 

 石像に知能らしきものは確認出来ず、仲間達はこれで何が起こるか大体伝わるだろう。

 それからビッケは即座に弓を構えた。

 普段と違い、矢には簡単な細工が施してある。

 矢じりの辺りに油を染み込ませた布を巻きつけて、それに火を点けたもの。

 所謂「火矢」と呼ばれるものだ。

 狙う先は当然、ただ一つ。

 

 「よっ!」

 

 軽い掛け声を上げ、ビッケは真っ直ぐに矢を放つ。

 障害物も無く、目標も殆ど動かない。

 そんな状況で外れる道理もなく、矢は黒い管の真ん中に突き刺さった。

 そうすると必然的に、矢じりで燃えている炎が管の中を通る油に引火する。

 正に一瞬の出来事だった。

 

 「むっ」

 

 死角となっている石像の背後で、何が起こったか。

 正面から向き合うガルの目に、それを見る事は出来なかったが。

 突然、石像の各所から火が噴き出した事と、先ほどのビッケの言葉で大体の事態は察する。

 ボウッ、と。不意に石像の口から炎の塊が爆ぜた。

 さっきのように焼けた油を吐こうとして失敗したのだろう。

 内部を通っていた油が燃え出した影響で、元々鈍い石像の動くが更に重くなる。

 

 「ちょっと、これはこれで危なくないかしら」

 「あぁ、さっさと壊すべきだな」

 

 全身が焚き火のようになってもまだ動く石像に、クロエは流石に一歩退く。

 逆にガルは、ルージュに施して貰った耐火の奇跡があれば問題ないと、敢えて大きく踏み込んだ。

 石像の動きは鈍重で、最早燃えるだけの的に等しい。

 

 「――次はもっと、マシな障害物を用意する事だ」

 

 その一言を手向けの言葉として、ガルは全力で大金棒を振り抜く。

 内部を炎で焼かれ続ける石像には、もうそれを受け止めるだけの強度もない。

 一撃。石の砕ける音と、炎が散る音が重なった。

 

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