第七十八節:人柱

 

 「ソレ」を見た瞬間に、ルージュは多くの事を悟った。

 そう、最初から疑問に思うべきだったのだ。

 死んで肉体を失った神が、本当に地上に留まり続ける事が出来るのか。

 そして今回のように、この地下神殿に引き込まれたのが、自分達以外にいなかったのかを。

 石棺に横たわる少女。年の頃は恐らく十代半ば程だろう。

 長い黒髪も、色素の薄い肌も。

 生きているようには見えないが、さりとて死人のように傷んでもいない。

 身に付けた服装も冒険者風の動きやすい軽装だが、此方もあまり汚れているようには見えなかった。

 まるで石棺の中だけが、時間が止まってしまっているかのように。

 

 「……人柱、ってわけかい」

 

 不快そうに顔を歪めて、ルージュは小さく呟く。

 樹海の神が――果たしてそう呼ぶに相応しいかは不明だが、それが求めていたのは契約する司祭ではなかった。

 神々はかつての争いで肉体を失い、魂だけの存在となったが故に地上に直接干渉する術を失った。

 だからこそ殆どの神威は物質世界の外側、幽世とも呼ばれる非物質の領域に退去したという。

 ならばこの神格は、薔薇の女帝に討たれた後、この地にしがみ付き続けた神は何をしたか。

 その答えこそ、この石棺なのだろう。

 己の肉体を失った代わりに、他者の肉体を「依代」として地上に影響力を残そうとした。

 どれほど同じ事が繰り返されたかは分からないが、少なくとも石棺の少女は神話の時代の人間には見えない。

 

 「さて、厄介な事になってきたねぇ……」

 

 呟き、改めて周囲の状況を観察する。

 樹海の神の思念は相変わらず混乱しており、空間には意味をなさない言葉だけが反響している。

 そう、それは自らを神と称したが、それは恐らく半分は正解で半分は間違いだ。

 正確にはこの樹海を漂う神格と、人柱となった少女の記憶や人格が半端に混ざり合ってしまっているのだろう。

 あくまで推測の域は出ない。

 が、そう外れても無いだろうとルージュは考えた。

 こんな人もロクに寄り付かない樹海の片隅で、神への信仰がまともに続いていたとは到底思えない。

 樹海で襲ってきたあの蛮族達も、今思えばこの神殿内部で襲ってきた豹頭の同類だろう。

 元々は樹海の神を信仰していた者達だったのが、神が変異した事でその影響を受けてしまったのか。

 どういう経緯であれ、獣も同然となった彼らに正しい信仰など持ちようもないはず。

 死して肉体を失い、魂だけとなっても他人を人柱として現世に留まり続けて。

 しかし正しい信仰と祈りも失った事で、かつてはあったはずの「神」としての形質も長い年月で喪失してしまった。

 後にはただ、人柱を使って神をこの地に留め続ける為の機構システムだけが残ったのか。

 信仰者の祈りが途絶えた事で神格は自己が希薄となり、人柱となった人間の魂と混じり合っている。

 恐らくそれが、この樹海の神の現状なのだろう。

 

 「推測は出来たけども、さてどうしたもんか……」

 

 今は樹海の神も混乱している為、此方に構っている余裕はないが。

 それもいつまでも続くわけではないだろう。

 正気――正気と言うのが正しいか分からないが、我に返った神が何をしようとするか。

 この石棺に新たな人柱を「補充」し、そうする事でまた正しく神威として力を振るう事が出来る。

 先ほどの話からして、樹海の神はそれを信じているはずだ。

 最早意味の無い、この神殿の仕組み自体が壊れた車輪に等しい事など理解しようともせず。

 

 「……逃げるか? やっぱ逃げた方がいいかねぇ」

 

 一歩、二歩と。

 石棺から離れようと、ゆっくりと後ずさる。

 今さら手遅れな気もするが、なるべく刺激しないように……。

 

 『――待て』

 「あっ」

 

 やはり手遅れだったようだ。

 気配が強まる。石棺を中心に、莫大な魔力が渦巻いているのをルージュは感じ取った。

 それはさながら小型の台風のように、物理的な影響を伴っていて。

 石棺周りに転がっていた細かい瓦礫を吹き飛ばす。

 動けない。出来れば直ぐにでも走り出したかったが、手足を見えない何かで拘束されている。

 樹海の神の力だろう。金縛りに陥ったルージュは、何とか逃れようと藻掻くが。

 

 『無駄だ。お前には選ぶ権利はない』

 

 頭の中へと直接語り掛けてくる神の思念。

 それを聞きながら、ルージュの眼は石棺の縁に細い指が掛かるのを見た。

 ゆっくりと。棺の底に横たわっていた人柱の少女が、大儀そうな様子で身を起こす。

 その動きはぎこちないと言うか、不自然なもので。

 まるで小さい子供が人形の手足を無理やり動かしているような、そんな印象を覚えた。

 

 『信仰を。祈りを。神として、私に正しき形を』

 

 人柱という生贄を求める邪悪な神は、それが清らかなる願いであるかのように口にする。

 

 『私は、祈りに応えなければ。私は神だ、私は私を信ずる者達を庇護する。

  それが信仰に対する報いであり、正しき救いの形なれば』

 「……狂った人間は狂人と言うけど、狂った神様のことは狂神とでも呼べば良いのかねぇ……?」

 

 ルージュの問いで自己矛盾の繰り返しループに陥ってしまった事で、完全に理性の箍が外れてしまったか。

 身を起こした人柱の少女――今や狂った神の依代である彼女は、閉じた眼を大きく開く。

 その眼球は全体が赤黒く染まっており、まるで燃え盛る炎のようだ。

 或いはその炎こそが、この樹海で死した神の持つ魂の本質か。

 ざわりと、周囲で何か複数の気配が動くのをルージュは感じ取った。

 首から下は殆ど動かないので、視線だけを動く範囲で巡らす。

 先ほどまでは何もいなかった祭壇の周りに、影から立ち上がるようにして豹頭の蛮族が現れた。

 

 『痛みはない。苦しみもない。身を委ねよ、お前には神威を繋ぐ資格がある』

 「いやいやいや、やめなってマジで。こんな酔っ払いの身体なんて、入っても酒臭いだけだから」

 

 豹頭達は逃げ道を塞ぐようにルージュを囲い、狂った神は少女の身体でゆっくりと近付いてくる。

 止める者もいなければ、阻む術もありはしない。

 今や狂気を隠す事もなく、樹海の神はルージュの眼前まで迫る。

 目を逸らす事は許さないと言うように、万力のような力によって顔は固定されてしまう。

 赤く燃える眼差しが、正面から覗き込んできて。

 

 『――受け入れよ。神意に報いる事を、無上の喜びとせよ』

 「生憎と押し売りはお断りだね……!」

 

 少しでも弱さを見せれば、其処で終わる。

 ルージュはそう直感し、虚勢に近い態度を崩さない。

 内心は幸運の女神に向けた祈りでいっぱいだが、それが樹海の神を不快にさせた。

 

 『神は私だ。私に祈り、信仰を捧げよ』

 「だから先ず御利益言ってみなってんだよっ」

 

 暴れたいが、暴れようにも身体の自由が利かない。

 身動き出来ないままに足掻くルージュの顔を、人柱の少女の手が掴んだ。

 その手のひらから伝わる温度は、ぞっとする程に冷たい。

 

 『諦めよ。受け入れよ。わたしと契約を交わせ。一つとなり、神の威光を地上に示す時だ』

 

 有無を言わさぬ圧力が、ルージュの精神を圧し折ろうと押し寄せてくる。

 デューオ神への祈りを絶やさず何とか耐えているが、それも何時まで持つか。

 その眼に燃える炎が、暗い闇の輝きが、少しずつルージュの心を削り取っていく。

 これは流石に厳しいか――と。

 ルージュの頭の片隅に、弱音が一つ浮かんだその時。

 

 「よっと!」

 

 軽い掛け声と共に、紫闇の閃光が走った。

 動けないルージュの眼には影すら映らない。

 ただ起こった事実として、周囲を固めていた豹頭達が一瞬でその首を断たれて崩れ落ちた。

 

 『何者だっ!』

 

 眷属達をあっさり葬り去られた事で、樹海の神は怒りを叫ぶ。

 それに応じるのは、一人の深い藍色の甲冑を帯びた女戦士。

 長い金髪を軽く揺らしながら、その手でクルリと紫闇の剣を回して見せた。

 

 「人の素性を問うんなら、先ずは自分の方から明かしたらどう?」

 『貴様……!』

 

 軽く鼻で笑う女戦士に、樹海の神はますます怒気を強める。

 一方、未だ動けないルージュは突然の展開に少し呆気に取られて。

 

 「あー……とりあえず、助けて貰ったところ悪いんだけど、ちょいと聞いて構わないかい?」

 「ん? 何? 私に答えられる事ならいいけど」

 「アンタ、味方って認識で大丈夫?」

 

 見知らぬ突然の闖入者。

 素性は分からないが、現状では敵味方の確認こそ最重要事項だ。

 その問いに対して、女は軽く笑って。

 

 「いやぁ、生死不問の条件でアンタ達を探しに来た殺し屋だから、味方とはちょっと違うんじゃない?」

 「マジかい……」

 

 冗談みたいな口調だが、恐らく冗談ではないのだろう。

 前門の狂神に後門の殺し屋とは。

 一体何が悪かったのか。多分日ごろの行い辺りな気はしているが。

 余りの不運に、これからはもう少し真面目に生きるべきかと葛藤するルージュ。

 そんな内心など構いもせず、女戦士は軽く首を傾げて。

 

 「ま、それは良いや。とりあえず、さっさと此処離れようよ。動けないんなら担いで行くけど」

 「……殺し屋なんじゃなかったのかい?」

 「殺し屋だし生死不問だけど、まぁ色々あるのよ」

 

 何が色々なのかはルージュには知る由も無いが、少なくともこの場では助けとなってくれるらしい。

 少しだけ安堵を覚えるが――直ぐに、それをかき消すようにドス黒い怒りが燃え上がる。

 炎の発生源は当然、樹海の神だ。

 依代としている人柱の顔を酷く歪めながら、女戦士とルージュの方を睨みつけ。

 

 『待て、邪魔をするな薔薇の走狗め。その者は我が信仰者、我が神意を授けるに相応しき者だ。

  勝手に連れて行く事など許すはずがない』

 「何言ってんだか知らないけど、そっちの事情とか私はどうでもいいから」

 

 神の怒りなど何処吹く風と、女戦士はあっさりとその言葉を拒絶する。

 余りにも不遜な態度に、樹海の神が己の感情を抑制出来ない。

 その激情で神の動きが僅かに停止フリーズしたところに、女戦士は更に言葉の刃を突き立てた。

 

 「大体さぁ、アンタ何よ? こんな場所でグチャグチャと、用無いんでどっか行ってくれない?」

 『――――』

 

 やばい、と。

 ルージュがそう感じた時には、もう何もかもが手遅れだった。

 神の表情からは、一切の色が抜け落ちていた。

 激しすぎる怒りに、全てが押し流されてしまったのだ。

 そしてそれは、樹海の神の感情に限った話ではない。

 

 『――――あ』

 

 声。いや、それは叫び。

 樹海の神の放つ、最も根源的な感情の発露。

 それをルージュや女戦士が音と認識する前に、凄まじい振動が神殿全体を襲った。

 主たる神の怒りに、呼応するように。

 

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