第三章:第三層

第七十六節:黒い薔薇の誘い

 

 嵐が吹く。

 余人では近寄る事さえできない、鋼の嵐が。

 二人の男の間で吹き荒れ、激しい火花を散らし続ける。

 

 「イアッ!!」

 「ふんっ!!」

 

 大金棒と大戦斧。

 武器の種類は異なる両者だが、やっている事に大きな差はない。

 即ち、ただ渾身の力を込めて敵に一撃を叩き込む。

 既に何度それを続けたのか、恐らく当人達も分かるまい。

 二人の男は一歩も退かず、目の前の敵を打ち倒さんと鋼の嵐に挑み続ける。

 

 「……無茶苦茶ね」

 

 それを少し離れた場所で見ながら、クロエは小さく呟いた。

 援護を入れたいところだが、攻防が激しすぎて迂闊に手が出せない状態だ。

 ビッケの方も同じようで、此方は周囲の警戒の方に重きを置いていた。

 

 「正直、人型でアニキと正面から打ち合える奴がいる事に驚きですわ。一体何者なんかね?」

 「……それは分からないけど……」

 

 ガルが打ち切ってしまったが、先ほどの口ぶりからするとあの男の標的はクロエのようだった。

 自分の身柄を狙う何者か。

 その想像は自然と、自らのルーツに関わるだろう存在を想起させる。

 打ち合う鋼と舞い散る火花の隙間から、黒い男の姿をクロエはその視線で捉えた。

 

 「……《帝国》」

 「やっぱそっちの関係者になるのかー……」

 

 ビッケも予想はしていたらしく、わざとらしく嫌な表情を作る。

 一応弓を手にしてみるが、この状態で果たしてまともに当たるかどうか。

 

 「イアッ!!」

 「ぬっ……!?」

 

 激しい大金棒による打ち下ろし。

 男は両手で大戦斧を構え、その柄で受け止める。

 鋼と鋼が激突し、目を焼くような火花が一瞬虚空を彩った。

 同時に、男の脚が強い力で引かれる。

 男は驚き、ほんの僅かにだけそちらに視線を向ければ――。

 

 「器用な……!」

 

 死角から伸びていたガルの尾が、足首に絡みついているのを見た。

 太い尾もまた強靭な筋肉に覆われており、その力は手足と同等かそれ以上。

 今まで何人もの相手の不意を突き、地に転がした常套手段だが。

 

 「むっ……!」

 「あまり舐めてくれるなよ」

 

 動かない。

 絡めた尾を全力で引いているが、男は不動。

 どれだけ力を入れても、まるで地に根が生えたように動かない。

 尾を通して感じ取れる男の力に、ガルは以前戦った大鬼の将の事を思い出した。

 魔剣の力により、尋常ならざる筋力を得た相手だった。

 しかし単純な膂力だけでも、この男はあの大鬼を上回るのではないか。

 

 「おおおおぉぉぉ!!」

 

 男は獣の如く叫び、大戦斧を振り上げた。

 ガルの意識は一瞬の事だが、男のバランスを崩す為に足に絡めた尾の方へ集中している。

 その一瞬、僅かな隙をこじ開けるべく男は動いた。

 大上段から降ってくるだろう一撃に、ガルの方も大金棒を構えるが――遅い。

 呼吸の半分にも満たない程度の遅れだが、それは致命傷になり得る遅れだった。

 半端な防御であれば、それごと両断する気概で男は大戦斧を。

 

 「っ!?」

 

 振り下ろす直前に、鋭い痛みがその腕を切り裂いた。

 クロエだ。魔剣《宵闇の王》の力たる「帳」を纏い、疾風となって駆け抜ける。

 先ほどまでは間断なく続く嵐の攻防で手を出すのが難しかった。

 しかしガルが見せた隙を突かんと攻撃の動作が大きくなった事で、横槍を入れる機会が生じた。

 これを見逃すはずもない。

 

 「イアッ!!」

 

 そしてそう動く事を予想していたかのように、ガルは素早く大金棒を叩き付ける。

 威力よりも速度重視。

 クロエの魔剣を受けて注意が逸れた男の胴を、鋭い一撃が打ち据えた。

 防具は殆ど身に付けているようには見えないのに、伝わってくるのは異様に硬い感触。

 それを訝しむ事はせず、ガルは更に二度三度と男を殴りつける。

 

 「ぬぅ……っ!?」

 

 男も最初の一撃こそまともに受けたが、続く追撃は構え直した大戦斧で何とか受け止める。

 それでも一度崩れたバランスは直ぐには立て直せず、その場から何歩か後ずさった。

 ガルとの距離も少し開いて、其処を狙って一条の矢が走る。

 それはビッケの放った矢だ。

 狙うのは男の顔面、まともに当たらずとも注意を逸らしたり体勢を崩させれば上等。

 細く鋭い矢は、狙い通り真っ直ぐに男の顔面へと飛んでいき。

 

 「んんっ!?」

 

 弾かれた。

 一瞬見間違いかとも思ったが、ビッケは確かにそれを見た。

 飛んでくる矢に反応こそしていたが、男はそれを避けようともしなかった。

 矢はそのまま外套に隠れた男の顔に命中し――そして、矢が硬い物に当たったかのように弾かれた。

 顔にだけ兜か何かを付けているのかとビッケは考えたが、違う。

 まともに矢が当たった事で、顔を覆っていた外套の一部が避けていた。

 そして其処から覗いているのは……。

 

 「……鱗?」

 

 クロエの眼も、それを見ていた。

 裂けた布の隙間から覗いているのは、黒い鱗。

 その反応に対し、男は小さく息を吐いて。

 

 「気に入っていたんだがな」

 

 本気とも冗談とも取れない言葉を口にしながら、裂けてしまった外套を剥ぎ取った。

 その下から現れたのは、先ほど見た通りの黒い鱗の並びと。

 人の顔ではなく、爬虫類の顔。

 一見すると蜥蜴に似ている為、クロエは男もまたガルと同じ蜥蜴人かと思った。

 が、違う。

 良く見れば顔の構造が蜥蜴とは僅かに異なるし、頭に生えた二本の角が大きな差異を主張している。

 鱗。爬虫類に似た顔に、鋭い二本の角。

 恐らく身体の方も、同じように黒い鱗に覆われているに違いない。

 これらの特徴を備えた人型種族は、蜥蜴人の他に一つだけ。

 

 「……半竜人ドラッケン

 「正体が知られて珍しがられるのは苦手でな」

 

 本気とも冗談ともとれる曖昧な口調で言いながら、半竜の男は肩を竦めた。

 半竜人とは、文字通り竜と人間の混血ハーフに当たる種族だ。

 多くの場合は人型だが、その身体には竜の血がもたらす特徴が多く見られる。

 この男のように竜の頭を持つ者もいれば、殆どに人間の見た目に鱗だけを要所に持つ者もいる。

 これもまた個人差が大きく、一概には言えないが。

 半竜人全てが竜を親に持つわけではなく、過去に竜の血が混じっている為に先祖帰りを起こす場合が多い。

 なんにせよ、亜人の中でも特に稀少な種族だ。

 

 「竜の血を持つ戦士か。炎竜ならば、暫く前に一頭仕留めたが」

 「知っている。竜殺しなど俄かに信じ難いが、今の戦いぶりを見れば納得する他ないな」

 

 ガルの言葉に淡々と答えながら、半竜の男は片手で斧を構える。

 そして開いた方の手で、先ほどクロエが切り裂いた腕の傷に触れた。

 小さく何事かを唱えれば、傷口を微かな光がなぞりあっという間に塞いでしまう。

 それはクロエ達も見慣れた《治癒》の奇跡だった。

 

 「まぁ、所謂『神官戦士』という奴だな」

 

 見た目だけなら完全に狂戦士バーサーカーである為、かなり意外ではあった。

 傷を癒し、腕を軽く回しながら、半竜の男は視線を改めてクロエ達に向ける。

 

 「名乗ろう。俺はガイスト、薔薇の紋章を抱く者だ」

 「…………」

 

 薔薇。狂気なりし女帝を戴く帝国の紋章。

 表情を硬くするクロエに敢えて構わず、ガイストは言葉を続けた。

 

 「本来は生死不問、そちらの魔剣の娘のみ生かして連れて来いという命令だったが。

  どうやらそれも難しいようだからな」

 「なんだ、竜の血を持つ戦士が怖気づいたか?」

 「そうだな。負ける気はないが、一人では仮に貴様を仕留められたとしても、其処までだろう」

 

 挑発ともとれるガルの発言に対し、ただ軽く肩を竦めるガイスト。

 

 「俺の任務は、そちらの魔剣の娘を連れてくる事。それ以外は、ハッキリ言えばついでだ」

 「……そう。ついで、ね」

 

 その勝手とも言えるガイストの言葉を、クロエは何とか呑み下す。

 突然現れて、突然襲って来て、一体何を言っているのかと。

 声を荒げそうになるのを、深呼吸をして何とか精神を落ち着ける。

 そう、落ち着け。今は決して悪い状況ではない。

 不意な事態ではあるが、帝国に属する者が直接姿を現したのだ。

 この機会を利用しない手はない。

 故にクロエはガルの傍に立ち、ガイストの眼を真っ直ぐに見返した。

 

 「貴方の任務は、私を何処かへ連れて行く事? 命じたのは一体誰?」

 「場所は帝都だ。誰の命令かは、すまんが答えられん」

 

 はぐらかされるかと思ったが、ガイストは意外にもクロエの問いに即答した。

 それについては、クロエも少し驚いてしまい。

 

 「答えてくれるのね」

 「戦って得るつもりであれば、答える必要もなかったがな」

 

 戦って負けるという考えは、ガイストに中にはなかった。

 だが同時に、敵の強さを過小評価するつもりもない。

 ――あの男は強い。

 魔剣を持つ少女も、小人の斥候も、間違いなくどちらも難敵だ。

 しかしこの場で最も厄介な敵は、あの蜥蜴人の蛮族だとガイストは確信していた。

 もし与えられた任務がこの男の抹殺であったなら、躊躇いなく己の命を捨てる覚悟をしただろう。

 その感情は内に秘めたまま、ガイストはあくまで淡々と言葉を続ける。

 

 「お前達――正確には、そちらの娘は帝国を、その中心である帝都を目指しているはずだ」

 「…………」

 「沈黙は肯定と受け取るが、密入国はなんであれリスクが高いな」

 

 だからこそ、冒険者達はこの辺鄙な森の中を彷徨っていたのだろう。

 帝国に秘密裏に侵入する場合、この樹海を経由するのは良くあるパターンだ。

 尤も、こんな地下遺跡にまで潜るハメになるとはガイスト自身も考えていなかったが。

 

 「俺と共に来るならば、安全に帝都まで案内することを誓おう。

  そこから先の保証はし兼ねるが、少なくとも其処までは俺が請け負った仕事の範疇だ」

 「その言い分をこっちが信じる要素はどのへんよ?」

 「それを言われると弱いんだがな」

 

 ビッケのツッコミに、ガイストは苦笑いを溢す。

 

 「ある方が、お前を自分のところへ招き入れようと考えている。俺はその命令を聞いている。

  そちらの目的を考えても、損はないと思うが」

 「……ホントに、勝手な事ばかり」

 

 不愉快さを隠そうともせず、そう呟きながらクロエは傍らのガルを見た。

 ガイストの言葉はクロエに向けられている。

 相手の言い分など構わず殴り掛からないのは、その話がクロエにとって益になる可能性があるからだ。

 そう気遣っているからこそ、ガルはガイストの言葉を黙って聞いている。

 クロエも当然、その事は理解していた。

 

 「……好きにして構わんからな」

 「ええ、分かってる。ありがとう」

 

 改めて言葉にもされて、クロエは少し微笑んだ。

 ガイストは返答の内容を半ば予想はしていながらも、それを直接聞かされるのを待っていた。

 それが予想通りであるならば、後はまた鋼と鋼で語り合う他ない。

 その展開は望む所ではあったが、万が一の可能性も確かめておく必要がある。

 

 「さて、そちらはどうする?」

 「貴方も、分かっているでしょう? そんな都合の良い話、私は――」

 

 お断りだ、と。

 クロエがそう言い切ろうとした、その時。

 遺跡を揺るがす凄まじい衝撃が、石の広間にいる全員を襲った。

 

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