第七十五節:遭遇

 

 『『『AAAAAAAaaaaあああああァァァァ!!!』』』

 「やっかましい!?」

 

 石の広間全体を反響する不協和音。

 部屋の中心でのたうつ汚泥、それが発する絶叫の合唱にビッケは思わず叫び返した。

 叫ぶ。嘆く。怒る。吼える。笑う。

 それは叫ぶ混沌ケイオス・スクリーマーと呼ばれる怪物。

 発祥不明の異形の怪物であり、無数の哀れな犠牲者を取り込みながら肥大化を続ける。

 その脅威度は喰った餌の数に比例するが。

 

 「また随分とデカブツだな……!」

 

 それなりの広さを持つ石室の三分の一以上を占める汚泥。

 のたうつ触手を大金棒で打ち据えながら、ガルは戦の声を上げる。

 

 「イアッ!!」

 

 打つ。払う。叩き付ける。

 手応えはあるが、流動体に近い肉体は武器による打撃には耐性があるようだ。

 それでも構わず、道を作るようにガルは挑みかかる。

 

 「ビッケ、間違いはないのね?」

 「ちょっとあの障害物片付けないと断言しかねるけどね!」

 

 クロエは迫る触手を斬り払いつつ、ビッケに問いかける。

 ルージュが連れ去られてから此処まで、通路に残る足跡などの僅かな痕跡を追って此処まで来た。

 嘆きながら暴れる汚泥、その向こう側。

 其処に見える階段に、その痕跡は続いている。

 既に上の階層へと、ルージュは連れてかれている可能性は高いようだった。

 

 「この泥の怪物に襲われている、という可能性は考えたくないが!」

 「縁起でもないこと言わないで……!」

 

 とはいえ、この部屋には真新しい血痕などは見当たらない。

 この悪食な汚泥が血の一滴も残さず平らげた――という可能性も捨て切れないのが怖いが。

 クロエは小さく頭を振って、嫌な想像を脳内から追い出す。

 それから改めて魔剣を握ると、行く手を塞ぐ汚泥を正面から睨み据えた。

 

 「邪魔をしないで……!」

 

 その叫びを呪いに変えて、指先から怪しげな閃光を放つ。

 《邪なる閃光エビルブラスト》の呪文は、物理的な打撃は効果の薄い泥の一部を抉り飛ばす。

 痛みを感じているかは分からない。

 分からないが、身体の一部を削がれた事に汚泥のあちこちに大小無数の口が開く。

 叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。

 幾つもの口がそれぞれ異なる声で絶叫し、それは部屋中に反響する。

 頭を直接揺さぶるようなその音に、クロエやビッケは強い眩暈に襲われた。

 

 「きっついな音波攻撃……!」

 「しっかりして、来るわよ!」

 

 音の嵐にふらつく二人に、汚泥は太い触手を振り回す。

 石の壁や床も拉げさせる一撃を、ビッケは床を転がって、クロエは疾風となって避ける。

 更に獲物を追おうとする汚泥だったが、大きな衝撃が横から殴りつけて来た。

 ガルだ。此方も無数の触手に群がられていたが、その全てを武器の打撃と腕力だけで振り払っている。

 ギョロリと、汚泥の表面に生えた無数の眼を、ガルは正面から見返して。

 

 「お前の遊び相手は此方だぞ」

 

 殴り飛ばした。

 その眼は見た者を恐怖で縛る麻痺の視線を放っていたが、蜥蜴人には通じなかったようだ。

 叩く感触も曖昧な泥の部分ではなく、生えて来た目や口に対して大金棒を何度も叩き付けた。

 そういう形に集まっているからかは分からないが、殴った手応えは確かなものだ。

 故にガルは「殴り続ける」という単純作業を黙々と続ける。

 

 「無茶して、頭から食べられたりしないでねっ?」

 「問題ない。丸のみにされても自力で出られる」

 「そういうことじゃなくって……!」

 

 今や汚泥を掻き分けるように殴りつけるガルに、クロエは一応心配して言ったのだが。

 とはいえ、そう言って雄々しく戦う姿は頼りになるし、焦って逸りそうになる気持ちも落ち着かせてくれる。

 「帳」を纏って走るクロエは、前へ前へと進むガルとは逆に、汚泥を周囲から削るように切り裂いた。

 

 『『『AaAAAaaaaァァアアアああああああぁ!?』』』

 

 叫ぶ汚泥。

 音や視線による行動阻害も通じず、力に関しても避けられるか真っ向から弾き返されている。

 汚泥にまともな知能の類はないが、捕食者としての本能は備わっていた。

 その本能が告げている。

 このまま戦い続ければ、狩られるのは此方の方だ、と。

 ならばどうするか。汚泥に策を練ったり戦い方を変えるような知能はない。

 だからそれが取り得る手段は一つきりしかなかった。

 

 「んんっ!?」

 

 汚泥の変化に最初に気が付いたのは、やや離れた場所で見ていたビッケだった。

 余り相性が良くないのと、他に何か来た場合に備えて汚泥とは直接戦わずに警戒に徹していたが。

 

 「ちょっと、そいつ逃げるつもりだ!」

 

 ビッケが叫ぶのと、大金棒と魔剣の一撃を避けるように汚泥が渦巻いたのはほぼ同時だった。

 それはさながら引き潮の波の如く。

 あっという間に汚泥の姿が上層へと続く階段へと消えていった。

 逃げ出す瞬間に、ガルとクロエも阻止するべくそれぞれ武器で一撃を打ち込んではいた。

 しかし半ば流動体である汚泥の動きを止める程ではなく、その一部を削るだけ。

 

 「追いましょう。あんなの野放しにしたら、おちおち探索もしてられないわ」

 「違いない」

 

 クロエの言葉に、ガルも頷いて同意する。

 不定形で、何処の隙間に入り込むかも分からない怪物が遺跡を破壊するなど面倒極まりない。

 弱っている今ならば、確実にトドメも刺せる。

 ガル、クロエ、ビッケの順に躊躇う事無く石段を駆け上がっていく。

 普通なら階段でも罠の警戒はしたいところだが、今は先頭を大量の汚泥が這いずっている状態だ。

 故に三人とも、速度優先で走る――が。

 

 「追いつけない……!」

 

 今のクロエは、魔剣による加速も最低限で普通に走っていた。

 階段のような閉所で過度に加速するのは事故の元。

 それでも獣の速度で奔るガルや、すばしっこいビッケに劣らぬ速さなのだが。

 這いずる汚泥の速さは、それを上回る。

 恐らく、走る(?)速さ自体に大きな差はないだろうが、其処は二足歩行と流動体の差。

 逆流する滝のように、汚泥は一切速度を落とす事無く階段を上へ上へと遡る。

 長い石段を走るお互いの距離は、ジリジリと離されつつあった。

 

 「しんっどい! 心臓バクバク言ってる!」

 「頑張って、もう少しだから……!」

 

 死にそうな顔のビッケに、そう言うクロエも体力的にはかなりキツい状態だ。

 魔剣の補助がなければとっくにへたり込んでいただろう。

 ガルだけは呼吸も乱さずペースも落とさずに、延々と階段を走り続ける。

 しかし。

 

 「振り切られるか、これは」

 

 緩いカーブを描く階段は、距離が離れれば先を行く相手の姿が見えなくなる。

 這いずる汚泥の姿も、足下に痕跡だけを残して遠ざかってしまった。

 ――逃げられてしまうか。

 放置してまた襲って来られても面倒だから、出来れば仕留めたいのが本音だが。

 それでもこれ以上深追いする程優先順位も高くないと、そうガルは結論を出して……。

 

 『『『GAあああaaaaaaaぁああああ!!?』』』

 

 不意に、前方から凄まじい断末魔が響き渡った。

 一体何が起こったのか。

 それを確かめる為に、冒険者達は走る。

 走って、走って、走って……やがて、視界が開けた。

 階段を上がり切った次の階層。

 其処は正に、地獄の窯をひっくり返したかのような状況だった。

 構造自体は、階段を上がる前の広間と殆ど変わらない部屋。

 その石の空間一面に、黒ずんだ血肉にも似た汚泥が盛大に飛び散っている。

 まるで何か、巨大なモノに踏み潰されたかのように。

 そしてその花開いた血肉の真ん中に、一人の男が立っていた。

 大きな男だった。

 恐らく背の高さはガルと殆ど変わらないだろう。

 顔と身体をボロ布に等しい黒い外套だけで覆い、鎧らしい鎧は身に付けていない。

 ただ外套から覗く両腕には、やはり黒色をした腕甲で覆っており。

 その手には、男の身長と変わらないぐらいの恐ろしく巨大な大戦斧グレートアックスが握られていた。

 

 「……貴方は……」

 

 男の纏う気配もまた尋常ではなく、クロエは自然と戦闘態勢に移行する。

 それはガルも同様らしく、無言で大金棒を構えた。

 対して、黒い大男は。

 

 「……すまんな」

 

 一言、何故か謝罪の言葉を口にして。

 

 「いきなり、泥のような化け物が現れてな。反射的に叩き潰したら、まぁ酷く散らかってしまった」

 「……ええと」

 「そうか。まぁそういう事もあるだろうな」

 

 どう答えるべきか迷ってる間に、何故かガルの方が普通に受け答えをしていた。

 ビッケは様子を見るように後ずさり、階段ギリギリまで下がる。

 いざとなればそちらに飛び込んで、身を隠せる状態だ。

 

 「それで」

 「あぁ」

 「何処の誰かは知らんが、狙いは俺達か」

 「如何にも。話が早くて助かる」

 

 余りにも早すぎる為、横で聞いているはずのクロエが完全に置き去りを喰らってしまったが。

 淡々と高速で会話を進めるガルと大男、その両方を思わず見比べてしまう。

 そんな様子を気にした風もなく、男は大戦斧を軽々と片手で担ぐ。

 

 「すまんが、身分は軽々しくは明かせん。用件は一つ」

 「とりあえず聞こうか」

 「其処の魔剣持ちの娘。彼女一人、此方に」

 「断る」

 

 文字通り迅速に、言葉は其処で終わりを告げた。

 最後まで言い終わらせる事無く、これが返答だとばかりにガルが大金棒を振り下ろす。

 男もそうする事を予測していたのか、真っ向からその一撃を受け止めた。

 大金棒と大戦斧、二つの武器が耳障りな音を響かせる。

 

 「出来れば、平和的に問題を解決したかったのだがな」

 「よく言う」

 

 互いに、常軌を逸した腕力で武器を押し込みながら声を交わす。

 

 「此方の返答がどうあれ、最初からこうするつもりだっただろう」

 「……さて」

 

 ガルの問いに、男は応えない。

 応えないが、外套に隠された口元が笑みの形になっている事が、何よりの答えだった。

 そう、男は笑っていた。

 出くわした相手が、期待以上の敵手である事に歓喜して。

 

 「どうあれ、此処から先に言葉は無粋だろう。蜥蜴人の戦士」

 「……あぁ、そうだな。そうだろうな」

 

 より強く、鬩ぎ合う武器同士が硬い音を響かせる。

 それが不意に出くわした彼らの、戦いの始まりを告げる合図だった。

 

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