第七十四節:幻惑の森

 

 「少し気を抜きすぎたな」

 

 大金棒を肩に担ぎ、ガルはそう言葉を口しながら先へと進む。

 場所は石の通路。豹頭達の広間にて、開かれていた扉の向こう。

 変わらず罠や奇襲の警戒は続けているが、ペースはそれなりに足早だ。

 急いている、という程ではない――少なくとも、先頭に立っているガルは、だが。

 

 「…………」

 

 言葉は殆ど語らず、ガルのすぐ後をクロエが付いて行く。

 その表情は硬く、隠しようもない焦りの色が浮かび上がっていた。

 魔剣を強く握り締め、何か飛び出して来たら即座に斬りかかりそうな雰囲気だ。

 そのすぐ後ろに続くビッケも、余りの剣呑な空気に思わず身震いをした。

 

 「ちょいとクロエさんや、先ずは落ち着こう」

 「……落ち着いてるわ。大丈夫」

 「大丈夫、とは言い難いだろう」

 

 否定するクロエに対し、ガルはいつもと変わらぬ調子で言葉を重ねた。

 責めているわけでも、咎めているわけでもない。

 ただゆっくりと言い聞かせるように。

 

 「この場は未知の領域で、そういった場所を冒険している以上は、不測の事態は起こり得る」

 「……そんなのは」

 「分かっているだろう。分かっているからこそ焦っている」

 

 うむ、と。ガルは一つ頷く。

 

 「連れ去られたルージュの身に万一があったら、と。容易に想像出来るから、焦っている。そうだな」

 「……ガル」

 「俺も急いではいる。だが、急いて焦って冷静さを欠いては、いずれ判断を誤る。

  それは先に何が待つかも分からない未知の領域では、特に危険だ」

 「…………」

 

 冷静な。極めて冷静なガルの言葉に、クロエは反論を口に出来ない。

 進む。妙に複雑に入り組んだ道は、進む者の感覚をわざと幻惑するように捻じれているようだ。

 まだまだ先は見えず、暫しの沈黙が流れてから。

 小さく、クロエは息を吐いて。

 

 「……ごめんなさい」

 「良い。先ほども言ったが、俺も少し気を抜き過ぎた」

 「こっちもねー、ちょっと罠とかに気を取られ過ぎてたわ」

 

 ビッケの方も頭を掻きながらため息を一つ。

 言葉を交わす間も足は止めずに、警戒もまた緩める事はない。

 静かだった。

 先ほどの豹頭達のように襲ってくる者もなければ、例の神も未だに沈黙を保っている。

 ふと、神とやらの方にも何か状況の変化が起こったのではないか、と。

 そんな考えが、クロエの脳裏を過る。

 とはいえ、それを確かめる術はないわけだが。

 

 「……ルージュは無事かしら」

 「無事だろう」

 「無事じゃね?」

 

 連れ去られてしまった仲間を案じる気持ちを、自然とクロエは呟く。

 その呟きに、ガルとビッケは迷いなく同じ言葉を返した。

 

 「凄くあっさり言い切るのね……?」

 「うむ」

 「だってなぁ、姐さんだよ?」

 

 そう言われると、確かにルージュが簡単に死ぬビジョンなんて見えないわけだが。

 いやいや、そうは言ってもルージュは人間であるし、それを差し引いても直接戦う術は持たない女性だ。

 やはり危険に放り込まれた状況では心配ではある……心配ではある、が。

 

 「……まぁ、心配なのは間違いないけど、ルージュだものね……」

 「そうそう。絶対に酒呑んでるか、呑み過ぎて吐きそうになってるかのどっちかだと思うわ」

 

 沈みそうな空気を和ませる為の冗談だとは思うが、相手が相手なので本気で言ってる可能性もあった。

 あのルージュが、幸運の女神に愛されている司祭が。

 そう簡単に死ぬような事などないと。

 少なくともガルとビッケは本気で考えていたし、クロエもまたそれに倣う事にした。

 そうだ、彼女ならば絶対に大丈夫だ――と。

 それを信じた上で、可能な限り素早く助けに向かわなければ。

 

 「それにしても、何で相手は姐さんの事を殺さず連れ去ったりしたんだろうかね」

 「さて、そればかりは浚った相手に確かめねば何とも言えんが」

 

 ビッケの口にした疑問に、ガルは小さく首を横に振る。

 戦いの最中、奇跡による治療や支援を行う司祭から狙うのは定石だ。

 が、その場で殺さず何処かへ連れて行ったのなら、何かしら別の意図があるはず。

 

 「……アレでもルージュは、徳の高い司祭だものね」

 「そうだね、俄かに信じ難い事だけどね」

 「ふむ、生贄にでもするつもりか?」

 

 信仰が異なるとはいえ、神からの庇護厚き司祭は供物としては最上だろう。

 ガルの言葉に怖い想像を掻き立てられ、クロエの胸の内にさっきとは別種の焦りが浮かびそうになる。

 

 「ま、まぁもし生贄目的の誘拐だとしても、即ザックリとかはないでしょ。ないよね?」

 「……そう、ね。仮に供物として捧げるつもりだったら、それなりの儀式を行う必要があるでしょうし……」

 

 これが適当な邪教カルト集団なら分からないが。

 少なくとも樹海の神は、自ら「神」を名乗って実際に不可思議な力も振るっている。

 そう迂闊な真似はしないだろう――そう信じたい。

 何にせよ、此方は急ぐ他ない状況だ。

 

 「……ルージュ」

 

 絶対に無事だと、そう信じている。

 だから必ず、自分達が辿り着くまで無事でいて欲しいと。

 今はそう願いながら、迷路の如き通路を進み続ける。

 闇は深く、手にした明かりではその先まで照らす事は不可能だった。

 

 

 

 「……あー……」

 

 意識が霞む。水面に揺れる木の葉のように。

 それは気分が良いとは言い難く、けれど不快という程でもない。

 吐くものを吐き終わった二日酔いのような感覚だと、ルージュは自身の経験と照らし合わせる。

 視界は定まらないが、どうやら暗闇の中ではないようだった。

 何かしらの光が見えるが、焦点が定まらずハッキリとは見えない状態だ。

 一先ず、ルージュは開けた目を閉じる事にした。

 それから、自身に起こった事を思い返す。

 そう、自分は確か他の仲間達と共に石室の中にいたはずだ。

 豹頭の石像が立ち並び、光り輝く宝石に照らされた広間。

 仲間が――ビッケがその宝石を弄った事で、辺りは闇に包まれて。

 そして豹頭の石像達が案の定動き出して……。

 

 「…………」

 

 ガバッと、慌ててルージュはその場から身を起こした。

 何処か硬い床に寝かされていたようで、妙に背中が痛む。

 が、そんな事は気にしてはいられない。

 そうだ。自分は確か、暗闇から現れた豹頭に身体を担がれた。

 そこから声を上げたり抵抗する暇もなく、あっという間に何処かへと連れ去られたのだ。

 意識がどの辺りから飛んだかは分からないが、前後の記憶はどうにも曖昧だ。

 

 「痛っ……」

 

 本当に悪い酒でも呑んだ痛みに、軽く頭を振る。

 視界は少しずつだが定まりつつあった。

 何度か目を擦り、ルージュは改めて周囲の様子を伺うが。

 

 「……何だい、こりゃ?」

 

 先ず見えて来たのは、一面に広がる緑。

 何の冗談かとは思ったが、クリアになった視界はその光景を鮮明に捉える。

 森だ。森が広がっている。

 ルージュが横たわっていたのは、高い木々に囲まれた石の寝台のようなものだった。

 周囲は明るく、さっきまでいた闇の中とは大違いだ。

 見上げてみるが、木々の向こうに広がるのは空と呼ぶには天井が低い気がする。

 光は感じるが、太陽らしき光源は見えない。

 どうやら此処は外の樹海ではなく、あくまで古びた神殿の何処かであるようだった。

 正確な位置は当然、知る由もない。

 ただ仲間達の気配は何処にもなく、かなり離れた場所まで連れてこられただろう事は想像出来た。

 

 「さて、あたしを拉致った豹頭は……?」

 

 囲む森に潜んでいるかと思ったが、やはりそれらしい気配はない。

 石の台の上に座ったまま、暫し時間だけが流れる。

 気配と言えば、森に見えて其処には生き物の気配がまったく感じ取れないような。

 そもそもどうして、神殿の中にこんな森に似せた場所があるのか。

 

 「……どうにも臭いね」

 

 視線の類も感じず、襲ってくる気配もないと判断したルージュは、改めて石の台から下りる。

 幸い、身に付けていた物は殆どそのままの状態だった。

 地面が土ではなく、硬い石の床である事を爪先で蹴って確認する。

 見れば、周囲の森の木々は根っこ部分が石の床を貫通しているようにも見えるが。

 

 「ふむ……もしかして、幻かね。こりゃ」

 

 精巧な、どう見ても本物としか認識出来ない幻影。

 そう直感すると、ルージュは早速確かめようとて手近な木に向けて手を伸ばす。

 指先に存在感すら伝わるようなリアリティ。

 だがしかし、神経を集中させて木の幹に触れようとすれば。

 スッ、と。何の手応えも無しに、指先は森の木をすり抜けたのだ。

 やはり、この森は幻の集合体に過ぎないようだ。

 

 「何とも、手が込んでるというか」

 

 罠の仕掛けを疑ったが、既に一度捕らえた相手を自由にし、更に罠を掛ける意味が分からない。

 いや神を名乗る者の行動に、いちいち理由や理屈を求める事の方が間違いかもしれないが。

 

 「さて、とりあえずは何とか無事に合流しないとねぇ」

 

 出来るかどうかまったく不明な状況だが、ルージュの言葉には焦燥も悲壮感もない。

 其処には「なるようになるさ」という楽天的な、けれど同時に根深く達観しているような感情が伺えた。

 ルージュは肩を回してから、慎重に幻の森へと踏み込んだ。

 

 「これでいきなり大ボスとか出なけりゃ良いんだけどねぇ……」

 

 一人呟きながら、幻影である木々の隙間を縫っていく。

 根拠はなく――ただ、何かに導かれるような感覚を覚えながら。

 向かっている場所は、幻の枝葉に遮られて。

 その先に僅かに垣間見る事が出来る、古びた神殿のような構造物。

 ルージュは余り意識していなかったが……その構造物は、今いるこの神殿に似た形をしていた。

 

 『……此処へ来い。お前は、祈る者ならば。私の元へ来るがいい』

 

 囁く。木々のざわめきのような、樹海の神の声。

 それはまだ進むルージュの耳には届かず。

 今はただ、幻の木々から響く枝葉の騒めきだけが響いていた。

 

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