第七十三節:再点火

 

 光を通さぬ闇の中で、鈍く輝く光がある。

 それは恐るべき獣の眼光。

 赤く、暗闇の底で燃え盛る熾り火が如く。

 自ら死地へと飛び込んで来た、愚かな獲物達に向けて殺意と敵意を叩き付ける。

 無論、彼らは無力に狩られるだけの弱者ではない。

 

 「イアッ!!」

 

 闇を裂くような雄叫びと共に、ガルの大金棒が唸りを上げる。

 魔法の明かりは少しだけこの闇を照らし出すが、本来より遥かに短い時間で消えてしまう。

 今もビッケが小さな光を幾つも撒いているが、精々が燃え尽きる寸前の蝋燭程度。

 故に視界は殆ど効かず、敵の姿は燃える瞳以外は闇に溶けている。

 だがそんな事は知らぬとばかりに、ガルの一撃は黒豹の戦士を吹き飛ばした。

 

 「おわっ!?」

 

 微かな光だけで視界を確保していたビッケ。

 突然真横に獣人が転がって来た事に驚き、軽くその場で飛び跳ねた。

 

 「すまんな、良く見えていなかった」

 「見えてないのに攻撃はブンブン当ててますね!?」

 「獣の臭いは鼻に付く」

 

 如何に目を潰されようが、鼻まで利かなくなったわけではない。

 その野生児っぷりにビッケは感心しながら頷き、黒豹の攻撃に晒されぬよう細かく動き回る。

 祭壇に宝石を戻せないかと試みたが、それは失敗に終わった。

 周囲を包む闇が魔法的なものである以上、何かしら解除条件があるはずだが。

 

 「ふっ……!」

 

 一方、クロエもまた黒豹の戦士らと刃を交えていた。

 敵の数は恐らく二、三体。

 動き出す前に数えた時、総数は確か五か六体ほどだったはずなので、凡そ半数。

 目が見えていないに等しい状況だが、その数の攻撃をクロエは見事に捌き切っていた。

 闇に視界を奪われた最初こそ驚きはした。

 が、落ち着けば対処出来ないわけでは決して無い。

 役に立たない視覚の事は一度置いて、クロエは自身の周りに意識を集中する。

 正確には、魔剣《宵闇の王》の力である「帳」に。

 契約により自らの一部も同然のそれは、第二の皮膚であるかのように触れたモノの存在を知らせてくれる。

 黒豹の獣人の身体か、或いは武器か。

 それが「帳」と接触した瞬間、クロエは鋭く剣を振るった。

 あくまで「触れた」事しか分からない為、そこからどう動くかは戦士としての経験に身を任せる。

 相手の姿自体は直接確認出来ないせいで、呪文は殆ど使えないのが痛手ではあった。

 

 「そっちは大丈夫……!?」

 「あぁ、問題ない。少々面倒だが、大した数でもないからな」

 

 ガルの返答は、大金棒が風を裂く音と共に響く。

 自分が戦えているのだから、ガルの方も問題はない。

 その点については、クロエは一つも不安に思う事はなかった。

 気になる事があるとするなら、この状況が一体いつまで続くかという事ぐらいだ。

 先ほどから、魔剣の切っ先は相手を斬る感触を幾度も伝えてきている。

 恐らく深手になり得る傷も刻み込んでいるはずだが、獣人達の敵意は衰えを知らない。

 痛みを感じず、死の瞬間まで戦い続ける狂戦士。

 ガルのように、「死んでいないから死なない」ような理不尽な耐久性を備えていると思いたくはないが。

 暗闇の中で壮絶な戦いが演じられる中、ビッケは頭を悩ませていた。

 幸いと言うべきか、獣人達の意識は殆どガルやクロエの方に注がれている。

 ビッケは祭壇の影に隠れるようにしながら、手にした宝石を弄り回していた。

 

 「やっぱこの宝石自体に仕掛けは無しか……」

 

 元々嵌っていた祭壇の頂点に一度戻したが、それで変化は起こらなかった。

 恐らく、あの獣人達は宝石の放っていた光を浴びている間は石像となっているのだろう。

 この魔法的な闇に関しても、元々展開されていたものを宝石の光が打ち消していたと推測出来る。

 ならばもう一度、この宝石に光を灯せれば状況は改善されるはずだが……。

 

 「姐さん、ちょっと姐さん!」

 

 暗闇の中、居所が分からないルージュに対して声を上げる。

 しかし答えは返って来ず、武器がぶつかる音と肉を打ち据える鈍い音だけが響く。

 確か一番最初に獣人に襲われてから、特にこれといった反応を見せていない。

 その時の獣人は、ガルが雑に大金棒で吹っ飛ばしたはずなのだが。

 

 「もしかしてヤバいか……?」

 

 或いは、襲われないように身を潜めているだけかもしれない。

 少なくとも死んだりなどはしていないはずだ。

 その図太さというか、生き汚さというか、悪運の強さに関してはこの場の誰よりも信頼していた。

 だからこそ、この状況をどうにか打開しなければならない。

 ビッケは再度、この仕掛けを解く為に思考を早める。

 

 「まったくしぶといな」

 

 大金棒が獣人の顔面を打ち据え、頭蓋を砕く。

 砕いた。砕いたはずだが、それでも黒豹の戦士は僅かに動きを鈍らせるだけ。

 与えたダメージの蓄積は、とうに死に届いておかしくないはず。

 それでも狂戦士は止まらない。

 その五体が千切れ、物理的に動けなくなるまで止まらないのかもしれない。

 厄介だな、と口には出さず、代わりに大金棒の追撃を振るう。

 ガルの方とて無傷ではない。

 此方も負傷の影響は見せていないが、刻まれた傷から確実に血は流れていた。

 

 「ホントに、いい加減にして欲しいわ……!」

 

 暗闇を疾風となって駆け、その度に魔剣が獣の血を浴びる。

 今の一振りで、恐らく何処かしらを切断した。

 それが腕なのか首なのかは分からないが。

 目で見て確認出来ない為、敵の数も正確には分からないままだ。

 

 「祭壇から外すまでは光ってた……何で光ってた? そういう魔法が掛かってる?」

 

 手の中で宝石を回しつつ、ビッケは思考を言葉として呟き続ける。

 物理的な仕掛けがない以上、其処にあるのは魔法の力のはずだ。

 ビッケは思考する。遺跡にあるこの手の罠は、多くの場合は謎かけである。

 ならば不条理に見えても、其処には答えに辿り着く為の明確な理があるはずだ。

 思考する。思考する。

 石になっていた獣の戦士達。

 部屋尾中央、祭壇の最も高い位置で輝いていた宝石。

 その光が消えた事で現れた、深い闇。

 

 「…………」

 

 そこまで思考の欠片を並べたところで、閃くものがあった。

 呪文で手元を照らす為の明かりを灯し、ビッケは急いで大鞄の中を漁る。

 程なくして、目当ての物を見つけ出した。

 思い付きが上手く行くか、兎に角先ずは試してみなければ。

 

 「これでどうだ……!」

 

 鞄から探し出した魔道具。

 それは野営で焚き火を点ける時などに使う、火打ちの指輪だった。

 ビッケは指を弾いて火種を起こし、それを宝石の上へと落とす。

 パチリ、と。小さな音を立てて火花が散り――。

 

 「っ!?」

 

 次の瞬間、宝石に再び眩い光が戻ったのだ。

 危うく目を焼かれそうになりながら、ビッケは輝く宝石をなるべく高い位置に掲げる。

 変化は劇的だった。

 広間を満たしていた暗闇は、文字通り一瞬にして宝石の光に塗り替えられる。

 ガルやクロエと戦っていた黒豹の戦士達も、戦う姿勢のまま光を浴びて石化した。

 飛び掛かろうと宙に跳躍していた獣人など、石像となってそのまま地面に落下し粉々となっている。

 

 「ふむ」

 

 石に戻った戦士達を一瞥してから、今度は躊躇なく大金棒を横薙ぎに振るった。

 硬い音を立てて、残る戦士達もその悉くが石の欠片となって床に飛び散る。

 

 「……ふ……」

 

 クロエは一つ息を吐き、光に満たされた空間を見渡す。

 最早狂戦士の脅威は何処にもない。

 改めてクロエは肩の力を少し抜いて、手にした剣の切っ先を下ろす。

 戦いは――いや、試練は過ぎ去ったのだ。

 

 「お疲れ様。それにしても、ビッケはお手柄ね。どうやったの?」

 「単に火を点けただけ。獣は火を怖がるもんでしょ?」

 

 クロエの問いに、ビッケは肩を竦めながら答えた。

 別段捻ったところもない、実に簡単な謎かけだった。

 太陽とは天に燃える火であり、地の底に潜む獣はその輝きを恐れた。

 陽光とは、燃え盛る星である「太陽」が照らす光。

 それは深い夜闇すらも容易く払う。

 獣にしろ闇にしろ、どちらも炎の光によって祓われた。

 ならば太陽を象徴する宝石に再び火を灯せば、獣も闇も去る他ない。

 

 「うむ、流石だが……」

 

 砕け散った獣の破片を軽く尻尾で寄せながら、ガルは軽く視線を巡らせて。

 

 「ルージュの姿が見えんが」

 「えっ?」

 「あぁ、そうだったそうだった!」

 

 クロエは驚き、ビッケは思い出したように手を打つ。

 敵の対処に集中する余り、仲間の安否にまで気が回っていなかった。

 いや、自分が敵を引き付けていれば何とかなるだろうと。

 そう過信していたクロエは、慌てて周囲の様子を確認するが……。

 

 「……あれ」

 

 見つけた。

 広間の壁それぞれにある、石の扉の一つ。

 それが大きく開け放たれている事に、クロエは今さら気付いた。

 ビッケは素早くその扉の方へと走る。

 それから床に這いつくばるようにして確認を行い……。

 

 「うん、足跡。サイズからして、此処にいた豹頭の一匹で間違いないね」

 「他の足跡は?」

 「無い。あの豹頭一匹分だけ」

 

 つまり、歩いて石扉を通過したのは豹頭の戦士だけになる。

 それが意味するところは一つ。

 

 「攫われたか」

 

 ガルは言い淀む事なく、その事実を口にする。

 開いたままの石の扉は、さながら獲物を求めて待ち伏せる獣の顎にも見えた。

 

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