第六十九節:神の謎

 

 数の利が逆転すれば、状況もまた当然逆転した。

 先の攻防で大きな負傷を受けた魔犬も激しい抵抗を見せはしたが。

 たった一人でも押し切れなかったガルに、他の三人も加わってしまえばどうなるか。

 答えは実に単純なものだった。

 

 『GAAAA………ッ!!』

 

 断末魔の声を上げて、最後の首が沈黙する。

 頭蓋を砕かれ、首を切り裂かれ、更に頭部を断ち割られた地獄の魔犬はとうとう崩れ落ちた。

 クロエは魔剣の刃をもう一度強く押し込む。

 《宵闇の王》――対価として斬り殺した者の魂を喰らう剣は、そのまま魔犬の魂を貪り喰らう。

 滅多に味わえぬ質の魂を得たからか、刃が歓喜に震えているようにも感じられた。

 一息。既に動かぬ屍から剣を抜いて、クロエはようやく力を緩める。

 

 「……とりあえずは、これで片付いたかしら」

 「あぁ、そのようだな」

 「くっそしんどかった」

 「はいはい、全員お疲れさん」

 

 大金棒を下ろしつつも、警戒は怠らないガル。

 ビッケはその鋭い五感で周囲に最早何もない事を確信しており、土の上に座り込んだ。

 ルージュは相変わらず酒を舐めつつ、爪先で地に落ちた影の武器を軽く突いた。

 

 「何とも、珍しいものを見たって言えば良いのかね。

  この先の試練とやらも、こんなビックリショーを拝ませて貰えるのかい?」

 

 その言葉は、特に答えを期待したものではなかった。

 恐らくは今も聞いているだろう相手、その反応を見るつもりではあったが。

 しかし予想に反して、応じる声は直ぐに広間に響き渡る。

 

 『……この試練を突破したことは、先ず見事と褒めてやろう』

 

 大人にも子供にも、男にも女にも聞こえる不可思議な神の声。

 変わらず威圧的な響きを伴っているが、今は其処に別の感情の色を帯びている。

 即ち、怒り。死せる樹海の神は、確かに怒りに震えていた。

 

 『だが、試練はまだまだ幾らでも続くぞ。お前達が生きて私の元に辿り着くなどあり得ぬ』

 「……随分と、強く言い切るのね」

 『今言葉を語るべきは私だ。不敬だぞ人間』

 

 隠す気もない怒気を感じて、クロエは少し身震いをした。

 得体の知れないモノの、大元の分からない怒り。

 向こうが望む通りに試練とやらを超えた。

 それはこの神を名乗る者にとって、都合の悪い事だったのか。

 分からない。判断する材料はまだ少ない。

 ただ衝動的な怒りのままに、樹海の神の言葉は続く。

 

 『まだだ、まだ試練は終わらない。この地の底から、黄泉路の果てから抜け出すまでは。

  しかしそれは不可能だ。お前達は私の元には辿り着けない。誰も。誰も』

 

 最早語り掛けるというよりは、自分の中だけで言葉を繰り返しているような状態だ。

 それは聞く者に、怒りとは別種の狂気の介在も感じさせて。

 

 『……そうだ、それが私の役目だ。私の義務だ。お前達はただ、この光差さぬ闇の底で朽ち果てれば良い』

 

 全ての者が、いずれそうなる運命さだめなのだから。

 ――それを最後に、その場にいる全員の知覚は大きな気配が去った事を感じ取った。

 暫しの沈黙が流れてから、ビッケは大きく息を吐き出す。

 

 「もーホント、ろくでもないのに目ェ付けられるの勘弁して欲しいわぁ」

 「同感だが、嘆いても仕方がないのも事実か」

 「そうね……」

 

 もう一度周辺を観察するが、他にこれといった気配もない。

 或るのは壊された武器の数々と、死した魔犬の亡骸。

 後は未だ閉ざされている、先に続くだろう石の扉が一つだけ。

 

 「じゃ、先に進む?」

 「そうだねぇ。流石にこんなでっかい死体が転がってる場所に長居はしたかないね」

 

 横たわる魔犬から距離を置きつつ、ルージュも小さくため息を漏らす。

 ビッケはそのまま扉に近付くと、鍵や罠の確認など定番の作業を手早くこなしていく。

 それを少し眺めながら、クロエは生じた疑問を言葉にする。

 

 「……結局、あの相手はどういう神様なのかしらね」

 「? どういうとは?」

 「神様って、それぞれ何かを司ったりしているでしょう?

  だったら、あの推定樹海の神様は何を司ってる、どういう神様なのかなって」

 

 クロエも信仰や神格について、そう詳細な知識を持っているわけではない。

 ただ風の神ならば風を、海の神ならば海をそれぞれ己の「領域」として司っている事は常識の範疇だ。

 ルージュが信仰する女神デューオであれば、幸運や偶然を司っているように。

 神である以上は、特定の概念や事象と結びついているはずだが……。

 

 「やっぱ死後とか、そういうんじゃないの?」

 「死の領域――冥府を司っているのは、闇の女王ヘルガよ。前に黒妖精ドヴェルグの鍛冶師に会ったでしょ?」

 

 作業の手は止めないまま、ビッケはあーっと声を上げた。

 死者の国は地の底と繋がっていると、多くの神話伝承に語られている。

 それこそが「冥府」であり、それを支配する者こそが黒妖精達の崇める神格、闇の女王ヘルガだ。

 ヘルガは最も古く強大な神であり、その信仰は今も地に生きる「混沌」の仔らに間で広く行われている。

 この樹海の片隅で、名すら忘れられた死せる神では決して無いはずだ。

 

 「けど、ビッケの言う通り。地の底を領域にしてたり、死者の想念やら地獄の魔犬やらを操ったり。

  現時点の特徴だけ見ると、「そういう神様だ」って考えても不思議じゃあないねぇ」

 「それは確かにそうなのよね……」

 

 ルージュの指摘にクロエも少しばかり首を捻る。

 この地下墓所のような場所。

 明らかに死者と関連した守護者達。

 特に地の底――死者の領域から抜け出そうとする生者が試練に見舞われるのは、冥府伝承にもある事柄だ。

 ならばアレは本当に死後の領域を持つ神格なのか。

 それとも、死したまま地上に留まり続けた神だからそんな属性を帯びてしまったのか。

 推測は出来るが、どれも確信に足る材料がない。

 

 「俺は難しい事はよく分からんが」

 

 そう言いながら、ガルは悩めるクロエの頭を軽く撫でた。

 髪の毛の感触を楽しむように、少しかき混ぜて。

 

 「それが重要な事であれば、この先進めば何かしら分かるだろう。確証はないがな」

 

 肩に大金棒を担いでから、うむと一つ頷いた。

 実に適当な話ではあるが、この死んだ広間に真実が転がっていない事だけは確かだろう。

 クロエは乱れた髪を指先で直しつつ、その事実を認める。

 今は先へと進む。それが正解だろう。

 タイミング良く、ビッケの確認作業も終わったようだった。

 

 「はい、扉には鍵無し罠無し。楽で良いけど、やっぱ重くてアニキじゃないと開かなさそう」

 「心得た。少し下がっていろ」

 

 分厚く、表面の彫刻は長い月日で殆ど風化してしまった石の扉。

 其処に刻まれたモノの意味は何か。

 それを知らぬ者にとって、扉は単なる障害物に過ぎない。

 故にガルは武器を持っていない片手を当てて、渾身の力でこれを押し開ける。

 石と石が擦れる耳障りな音。

 人が抜けられる程度の隙間が開けば、新たな道が其処に現れた。

 やはり明かりの類は無く、暗闇に閉ざされた一本道。

 その奥に潜むモノの息遣いを感じるのは、果たして錯覚だろうか。

 

 「よーし、進みますか。待ってろお宝……!」

 「ホントにあるかどうかも定かじゃないがねぇ」

 

 欲望を恥じる事無く燃え上がらせるビッケを、ルージュはケラケラと笑い飛ばした。

 ガルはそんな後方の様子を確認してから、改めてクロエの方を見て。

 

 「では、行くか」

 「……ええ、行きましょう」

 

 暗い道へと向かう頼もしい背中に、クロエは穏やかに微笑みかけた。

 そうしてガルは、開いた扉の先へと一歩踏み出して――。

 

 「え」

 「むっ」

 

 消えた。

 頼もしい背中がいきなり、一瞬で。

 遅れて、足下から響く壮絶な激突音。

 慌ててそちらを見れば、石の床にぽっかりと穴が開いていた。

 その穴は丁度、ガルぐらいなら引っ掛からずに落ちそうな程度に大きかった。

 

 「ちょっと、ガルっ? 大丈夫!?」

 「扉出て直ぐの足元に落とし穴とか古典的過ぎるやろ……。アニキー、生きてるー?」

 

 落とし穴を覗き込み、其処に明かりをかざす。

 深さもそれなりにあるようで、その一番下にガルの姿が落ちていた。

 その身体は流石の頑丈さで、大して怪我をした様子もない。

 

 「いや、大丈夫だ。しかし油断したな」

 「配置がやらしいねぇ。これで終わりならいいんだけど」

 

 何気なく口にしたルージュの言葉は、完全にフラグを立てていた。

 シュゥゥ……と、奇妙な音が背後から響く。

 振り返れば、何やら薄く緑に色づいた煙のようなものが広間から流れ出していた。

 それは空気よりも重いのか、地を這うようにゆっくりと広がっていく。

 発生源は、三つ首の魔犬が現れた事で出来た中央の穴。

 そういえば其処はまったく調べていなかったと、冒険者達が己の抜けに気付いた時にはもう遅い。

 

 「毒の自己主張が強すぎる! あ、これ油断したところで落とし穴に叩き込んだ上でガスで燻し殺す奴か!」

 「ロープ! 早く、ガルを引き上げましょう!」

 「この面子で旦那持ち上げれるかねぇ?」

 

 他より頭の位置が地面に近いビッケが、一番最初に毒ガスを吸い込みそうになり。

 何とか「帳」でガスの接近を阻みながら、クロエは穴へとロープを投げ込み。

 ルージュが奇跡で毒耐性の結界を展開したりしながら。

 そんなドタバタの修羅場を経て、ガルが自力で穴から這い出して来るのは少し後の事だった。

 

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