第六十八節:成長の証明

 

 影の戦士は正確に言えば不死者ではないが、同時にこの世のものでもない。

 それは文字通りの「影」だ。

 かつて生者としてあり、けれど何かしらの想念を残して消えた者達。

 その強い意識が、残滓となって物質世界に焼き付いた。

 本来はならば文字通り、生前の行動を繰り返すだけの影法師に過ぎないが……。

 

 「っ……!」

 

 弾く。弾く。弾く。

 剣や斧などを手に、向かってくるのは合わせて四体。

 弓や槍で間合いを離して狙ってくるのは二体ほど。

 合わせて六体の影の戦士達の攻撃に、クロエは晒されていた。

 個々の強さを考えるならば、前回に戦った死の騎士の方が上だろう。

 あちらは強力な魔剣も携えており、文字通りの難敵だった。

 影の戦士らも、単体としての戦力も低くはない。

 手にした武器はボロボロだが、神の加護を受けているのか業物並の切れ味を示している。

 それでも一体一体なら、クロエはあっさり討ち取る事が出来ただろう。

 揺らめく影の如き相手が、それを理解しているかどうかは分からないが――。

 

 「数が多くて連携してくる相手は、ホントに厄介ね……!」

 

 ただ、徒に攻撃を仕掛けてくるだけの木偶ではない。

 クロエの魔剣の特性を把握しているのかは定かではないが、その動きは明らかに熟達した戦士のそれだ。

 近接距離に踏み込む四体は、クロエ本人を狙う者と的を散らして「帳」を削る者とに分かれて動く。

 間合いの外から狙う二体もまた、仲間の隙を埋めるよう牽制に近い攻撃を繰り返す。

 追い詰められている――というほど不利ではないが、厄介な事に変わりはない。

 何より完全に手が塞がれてしまった事で、もう二つの戦場に干渉する余裕がないのが問題だった。

 

 「だから正面からガチンコで戦うのは辛いんだって!」

 

 影の戦士の内、残り四体。

 それらは当然、クロエの脇を抜けて後方に立つビッケとルージュの二人に襲い掛かっていた。

 その四体が手にするのも、槍など間合いの広い武器。

 身軽なビッケに向かって一歩引いた距離から回避し難い刺突を繰り返す。

 その手慣れた動きに顔を顰めながら、ビッケは転がるようにして影の攻撃を回避し続ける。

 捕まればそのまま袋叩きにされかねず、そうなったら矛先はルージュにも向かうだろう。

 反撃の隙を探りつつ、ビッケは大袈裟なぐらいのアクションで飛び跳ねた。

 

 「さて、弱ったね。この状況じゃロクな攻撃手段もないし」

 

 余り離れても逆に狙われかねない為、ルージュは戦いの場から遠すぎず近すぎない距離を維持する。

 幸いというべきか、数少ない弓持ちはクロエの方を狙っている。

 念のため、クロエとビッケそれぞれの乱戦地帯を遮蔽にもしているが。

 殴られたり撃たれたりですぐ倒れるほど虚弱ではないが、傷を癒すべき自分が積極的に負傷する状況は避けたい。

 密閉された空間で、近い距離で仲間が戦っている以上は《火球》の杖も使えない。

 故にルージュは、自身の生存と回復・防御に徹する事を選ぶ。

 影の戦士達は手練れだが、クロエやビッケも数の利に屈する程甘くはない。

 今のところ大した負傷もないし、そういう意味では安心して見ていられるのだが……。

 

 「イアッ!!」

 

 危険という意味では、蛮族の吼える最前線が最も地獄だ。

 

 『『『GAAAAAAAA!!!』』』

 

 咆哮に応じるのも三つ首の魔剣の雄叫びで。

 その度に炎が吹き荒れ、鋼が弾ける。

 そう、それは正に地獄そのものの光景だった。

 全身の鱗を魔犬が吐き出す炎に焼かれながらも、ガルは僅かも怯まず大金棒を振り回す。

 恐るべき魔獣たるケルベロス、その毛皮は当然の如く鉄の鎧よりも頑丈だ。

 しかし叩き込まれる一撃は、そんな防御は紙であるかのように衝撃を徹していく。

 肉が潰れる湿った感触と、骨が砕ける硬い感触。

 その手応えを武器を握る手に感じながら、更にガルは吼えた。

 

 「オオオオォォッ!!」

 『『『GAAAAAAAA!!!』』』

 

 傍から見ても、それはもう人の戦いとは言い難かった。

 獣と獣が喰らい合う修羅の地獄。

 炎を蹴散らしながら戦い続けるガルの姿は、確かに雄々しくもあるが。

 

 「っ……!」

 

 僅かに焦りを感じながら、クロエは影の振るう剣を弾き落とす。

 ガルは強い。其処は信頼している。

 だがあの状況、強大な魔犬を相手に実質一人で戦うのは流石に無謀だ。

 ルージュの方は耐火の奇跡の維持と、状態に合わせて治癒の奇跡を飛ばすので手一杯だろう。

 ビッケはそんなルージュの壁役に徹している。

 ――ならば彼に対する援護は、自分がしなければ。

 六体もの敵の攻撃を正面から捌き、その最中にもクロエは呼吸を落ち着ける。

 焦るな。確かに危険な状態ではあるだろうが、ガルが強い事はよく知っているのだ。

 逆に此方がミスをすれば、向こうに迷惑をかける事になる。

 それは絶対に避け、その上で最適な補助を選択する必要があった。

 

 『『『GAAAAAAAA!!!』』』

 

 吼える。魔犬も相応に負傷ダメージを受けているはずだが、怯むどころか狂乱は強まるばかりだ。

 生半可な攻撃の呪文では大した被害は与えられまい。

 何か、ガルの行動を助ける一手を見つけねば。

 

 「イアッ!!」

 

 一方、ガルはそんな心配を余所に、ただ猛る戦意のままに魔犬に挑む。

 其処には強大な敵と矛を交える歓喜と、これまでの戦いが自身を鍛え上げた事への確信に満ちていた。

 魔剣持ちや巨大な成竜、はては復活した伝説の魔王と。

 この短い期間で、死闘と呼ぶに相応しい戦いを数多く乗り越えて来た。

 それは戦士という鋼を鍛え直すには十分過ぎる強烈な炎だった。

 果たして少し前の自分は、この魔犬相手にたった一人で戦える程強かっただろうか。

 間違いなく否だ。しかし今は、一歩も劣る事無く打ち合えている。

 それは喜びだ。戦士として、昨日は勝てなかったろう相手と戦えるようになる事は。

 しかし、状況はそう喜んでばかりもいられない。

 

 『『GAAAAAAAA!!!』』』

 

 吼える魔犬が打ち下ろす爪を、大金棒で真正面から受け止める。

 確実にダメージは刻んでいる。戦況は互角と見て良い。

 だが互角では駄目だ。戦士に求められる役割とは、目の前の敵を打ち倒しての勝利だ。

 後ろを見ている余裕はないが、クロエ達も今まさに厳しい戦いの中だろう。

 彼らが容易く負けるなどとは思っていないが、自分が手間取っていては危うい状況にもなりかねない。

 ――勝つ。勝たねばならない。

 何より、たかが犬一匹に苦戦する姿を、余り惚れた女に見せていたくもなかった。

 

 「――――」

 

 爪と牙連撃。それと打ち合いながら、ガルは戦いの思考を巡らせる。

 一人ではこの魔犬と互角ではあるが、これを速やかに討ち取るのは難しい。

 そもそも現状、敵意ヘイトを自身に向けさせているから良いが、後方にまで炎を撒き散らされればどうなるか。

 あの影が炎に焼かれるのかは分からないが、どちらにせよ魔犬が巻き添えを恐れるとは思えない。

 恐らく後方は、どうにかして此方の状況に手助けを入れたいと考えている。

 逆に此方も、それを行える隙をこの場に差し込む必要があった。

 ならばどうするか。

 

 「……うむ」

 

 一つの思い付きがあった。策などと言う、上等なものではない。

 だがやれるだろう。やれる確信だけはある。

 仮に困難だとしても、後方に控える仲間達が何とかしてくれるはずだ。

 ならば勝機は十分だと、ガルは魔犬に向かって大きく踏み込む。

 

 『『『GAAAAAAA!!!』』』

 

 大金棒で打ち合っていた間合いよりも、其処は更に深い。

 魔犬にとっては爪と牙が届く最適距離。故に迷わず、魔犬は三つの牙を閃かせる。

 如何にガルの鱗が強固であろうと、その牙は容易く貫くだろう。

 既に何度か裂傷を刻んでもいた。

 まともに受ければ致命傷。そんな無謀な突撃を、クロエは見ていた。

 見て、そして何かやる気だと確信して。

 

 「ふんっ……!!」

 

 振るった大金棒と、魔犬の牙が激突する。

 硬い金属音と、凄まじい衝撃。

 ほんの僅かな時間だけ、顔を叩かれたに等しい魔犬が怯む。

 その怯みこそ、ガルの求めた瞬間だった。

 

 『『『GAAAA!?』』』

 

 眼前から獲物が消えた事で、魔犬は一瞬だけ動揺を示す。

 そして直ぐに、その巨体が物理的に揺れた。

 

 「ぬぅぅぅぅぅ!!!」

 

 ガルだ。自慢の獲物は魔犬の牙を叩いた時に手放して。

 その両の腕は、魔犬の脚を抱え込んでいた。

 メキメキと筋肉が軋みを上げて、渾身の力が魔犬の身体を襲う。

 

 「マジで……!?」

 

 影と鬼ごっこに興じていたビッケも思わず目を剥く。

 その驚愕も無理からぬ事だろう。

 見上げる程に大きな三つ首の魔犬が、床から少しずつ浮き上がりつつあるのだから。

 

 『『『GAAAAAA!!?』』』

 

 意図は分からない。

 意図は分からないが、魔犬は当然激しく抵抗する。

 魔犬の力もまた凄まじいものだ。

 重量こそガルの力で持ち上げられそうだが、其処に魔犬自身の抵抗も加わっては――。

 

 「――呪われよ。その力は萎え、枯れ木の如くに朽ちるのみ」

 

 美しい歌声にも似た呪いの言葉。

 声と視線に呪いを込めて、攻防の一瞬の隙でクロエは魔犬を束縛する。

 効果は劇的だった。

 筋力を呪いで削ぎ落された魔犬の抵抗は、一気に弱まる。

 それを受けて、ガルは己の持てる全ての力を振り絞り――。

 

 「ふんッ!!!」

 

 持ち上げた。

 三つ首の魔犬、冥府の底に住まう恐るべき魔獣を。

 それからガルが何をするつもりなのか。

 言葉にされたわけではないが、その場にいる全員がまったく同時に悟った。

 、やるべき事は一つしかない。

 

 「伏せて!」

 

 クロエは念のためにそう叫びながら、土の上に身を投げ出した。

 勢いよく転がる頭上で風が唸る。

 

 「オオオォォオオオ!!!」

 

 獣の如き咆哮。それを上げたのは三つ首の魔犬ではなく。

 その巨体をさながら振り回す、ガルの口から迸った。

 クロエ以外の二人も、多少敵の攻撃を受けること覚悟でそれぞれ身を伏せているが、影達は違う。

 突然背後から吹き荒れた嵐に、文字通り横殴りに打たれたのだ。

 避ける暇も無く、耐える事も不可能。

 不安定な実体は蹴散らされ、本体とも言うべき朽ちた武器も大きく拉げる。

 

 『『『GA!? GAAAAAA!!』』』

 

 悲鳴じみた――いや、実際に悲鳴だろう叫びを上げながら、魔犬はそのまま石の壁に叩き付けられた。

 未経験の痛みと衝撃を受け、三つある意識の全てが明滅する。

 それは一瞬の事だったか、それとももっと長い時間が経ったか。

 どちらにせよ意識がハッキリした時、三つの視界が等しく捉えたのは大金棒を振り上げる蜥蜴人の姿で――。

 

 「まさか、卑怯とは言わんだろう?」

 

 その言葉と共に振り下ろされた一撃に、魔犬の意識が再度弾けた。

 

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