第六十六節:死せる神は語る

 

 ソレは微睡みの中から目を覚ました。

 一体、どれほどの時間をそうしていたのか分からない。

 遥か彼方に消え去った過去。

 神代の折に、あの忌々しき「薔薇」に敗れ去って以来、その存在は不安定なままだ。

 揺らめく。意識が、感情が陽炎の如く。

 自身が何者であったかすら定かでないが、確かに理解出来る事もある。

 侵入者だ。神殿の中に入り込んだ者がいる。

 神殿とは、祀られた神にとっては自らの肉体にも等しい。

 体内に入った異物の存在は、これ以上なくハッキリと感じ取れる。

 魂の反応があるのは、地下の最も深い場所。

 哀れな死者を慰める為の墓所の辺りに、合わせて四人。

 魂の形とは個々で大きく違い、一つとして同じモノはない。

 故に先ず、人ならざる超常の感覚によって侵入者達の魂の在り方を捉える事にした。

 一つは、強く勇ましい戦士の魂。

 一つは、黒い茨が絡みついた美しい魂。

 一つは、気紛れに飛ぶ風の如き魂。

 一つは――――。

 

 『…………嗚呼』

 

 祈りが聞こえる。

 歪み、擦れてしまったが、自分に捧げられる祈りが。

 祈る者があるならば、義務を果たさねばならない。

 祈りに応えなければ。

 それがどんな祈りで、その祈りに何をすべきかも不明のままだが。

 それでも、やるべき事は定まっている。

 この神殿の内に、祈りと共に捧げられたもの。

 供物だ。人は神の庇護を求めて、様々な形で生贄を捧げる。

 幾度となく繰り返されて来た事だ。そのはずだ。

 ならば義務を、やるべき事をしなければ。

 

 『…………待て、供物よ。我が寝所を騒がす、愚かな侵入者共め』

 

 意識を伸ばす。物理的な形は関係がない。

 自らの肉体である神殿の内ならば、どんな場所にも声を届ける事が出来る。

 

 「……何、この声……?」

 「この遺跡の主か」

 

 突然、頭の中に語り掛けられた事でクロエは困惑の色を示す。

 ガルは動揺一つ見せる事無く、大金棒を握る手に少しだけ力を込めた。

 いつ、どこから襲われてもいいようにと。

 ――強い、極めて強い戦士の魂だ。

 これほどの戦士、かつての時代にもどれだけいた事だろう。

 

 『然り。私はこの神殿の主。お前達は我が眠りを妨げた。先ずはその罪を知るがいい』

 

 これは儀式だ。

 与える神と、与えられる人間。

 どういう形であれ、それを先ず明確にする必要がある。

 彼らが――侵入者達が、その意図を理解出来るかは分からないが。

 理解しようがしまいが、これから行われる事に変化はない。

 

 「いやちょっとちょっと、何処のどなたか知らないけど、これは事故なんですけど?」

 「そうだねぇ、あたしらも別にこんな辺鄙な場所、入りたくて入ったわけじゃないんだよ」

 

 通じる事は期待していないが、一応形だけでも抗議の声を上げるビッケ。

 ルージュもそれに乗っかるものの、酒を舐めている為余りやる気は感じられない。

 どちらも一応、ガルと同じように警戒だけはしているが。

 ――魂の在り方に、乱れはない。

 掠れて色褪せた記憶の中にも、今回と似た場面はあった。

 その多くは、突然の状況に戸惑い混乱する者ばかり。

 自分がどういう状況に置かれたのかを正しく理解した者は、時に絶望の色すら見せた。

 今回の彼らのように、全く変化を見せないのは逆に珍しい。

 それが勇者の証なのか、単なる無知ゆえかはこれから見定めれば良い。

 

 『罪には罰を。下す裁きに、お前達の事情など関係はない』

 「……せめて、そちらが何者かぐらい教えて欲しいのだけれど」

 『関係はない。これは試練だ』

 

 言葉を繰り返す。

 魂を黒い茨に囚われた少女の声は、敢えて無視する。

 祈りに応える義務として、先ずは必要な事を伝えなければならない。

 

 『お前達の罪が赦される、ただ一つの方法。それはこの神殿の何処か、我が元へ辿り着く事のみ』

 「ふむ、辿り着くだけで良いのか」

 『これは試練だ。神たる私が、お前達人間に下す裁きでもある』

 「……神ってマジかい」

 

 死せる神の樹海という、巨大な森林地帯の異名は知っていた。

 しかしまさかその名が真実であるなどと、この場の誰も信じてはいなかった。

 無論、神の名を騙っているだけの別の何かという可能性は十分にある。

 それでも、出所の分からないまま大気を揺らす声に、底知れない不気味さも感じていた。

 

 『我が元へ来い、罪人達よ。されどそれは、口で言うほど容易い事ではない。

  この神殿は我が肉体、我が血肉。その内に呑まれたお前達は、埋葬された死者にも等しい』

 

 生と死の輪廻サイクルは生命の理。

 それを支配するのも神々の業であり、この神殿に囚われた人間は理には逆らえない。

 己の力で生を掴み取るか、無力なままに死に沈むか。

 これは試練だ。神が下す裁きに、人間がどんな結果を出すか。

 

 「ふむ。どういう話にしろ、やる事は変わらんな」

 

 これ以上ないほど揺るぎなく、ガルは話の流れをたった一言で纏めた。

 

 「俺達は、この神殿とやらを脱出しなければならない。

  だがその為に、神とやらのいる場所まで辿り着く必要がある、と」

 『その通りだ、戦士よ』

 「そしてその道中には、障害や妨害の類がある。成る程、単なる遺跡探索だな」

 

 古い迷宮の類に、住み着く魔物や仕掛けられた罠は付き物だ。

 場所が古代の神殿で、潜む者が神を名乗る何者かであろうと関係はない。

 この薄暗い地下から脱出する。それが一番だ。

 むしろやるべき事が明確になったとさえガルは思っていた。

 

 「……この神殿とか、お宝はありますか?」

 「ちょっと??」

 「遺跡探索ならその辺を期待するぐらいいじゃないか……!」

 「欲望が駄々漏れだねぇ」

 

 これまで肩透かしが多かった分、ビッケの欲望は地底に淀んだ溶岩の如し。

 クロエもルージュも、一応形程度には諫めるが。

 

 『財宝の類を求めるか、罪深きことよ。――好きにせよ、それはお前自身の業なれば』

 「あっ、それはつまりあるって事で良いんだな! 期待するぞ、しちゃうからな!?」

 

 余りにも自由過ぎるその言葉は、とりあえず無視する。

 必要な事は口にした。後は試練を始めるだけ。

 

 『さぁ、進むがいい。罪人よ。それが試練の始まりとなるだろう』

 

 その声を一度最後として、思念を向けていた気配は何処かへと消え去った。

 思ったよりも緊張していたのか、クロエは少し深く息を吐く。

 

 「……何だかまた、変な事に巻き込まれた気配ね」

 「いつもの事――って言うのはちょっと悲しいかな、ウン」

 

 復活した魔王の次は、謎めいた神殿に巣食う神を名乗る何者かだ。

 厄介事には恵まれてもお宝に恵まれないのは如何なものかと、思わずビッケは嘆いた。

 

 「しかし、まさか神を名乗るとはな。全てが虚偽とは思わんが、ルージュはどう考える?」

 「そうだねぇ、あたしは司祭であって神学者じゃないからアレだけども」

 

 頭を掻き、ぐびりと酒を一口。

 酒精混じりの息を吐いてから、ルージュは肩を竦めて。

 

 「今旦那が言った通り、あながち嘘って事もないだろうさ。

  あたしも神様の啓示なんてそう受けた事はないけど、何となく似た雰囲気は感じるねぇ」

 「姐さんでも神様から何か言われたりした事あるんだ……」

 

 むしろそちらの方が衝撃だと言わんばかりのビッケ。

 確かに同じような感想は抱いたが、クロエはそれをギリギリで胸に秘めた。

 あんまりと言えばあんまりな仲間達のリアクションに、ルージュは気にした様子もなくケラケラ笑う。

 

 「まっ、騙りの可能性も無いでは無し。何よりホントに樹海の神様だったとして、ビビることはないさ」

 「その心は?」

 「伝説の通りなら、イカれた薔薇の魔王様にいっぺんぶっ殺されてるはずだからねぇ」

 

 それもまた、何処から何処までか真実かは分からない話だが。

 樹海に死した神の名前すら、現在まで正確には伝わっていないような有様だ。

 ルージュの言葉に、クロエは少し考え込む。

 

 「……よく、分からないわね」

 「ん? 何がだい?」

 「その、自称神様とやらが何を考えているのかよ。

  この間の魔王に関しては、まだ自分の楽しみの為とか、何となく目的が見えたけど……」

 「今回の神様とやらは、それが見えづらいって感じかい?」

 「ええ、何だか試練がどうとか言っていたぐらいで……」

 

 やろうとしている事に関しては、何となくは理解出来る。

 しかしあの神が語っていた通り、「罪人に対して下す天罰」と考えると余りに迂遠に過ぎるのではないか。

 進む先にどんな危険があるかは分からないが、信徒でない者に救済の機会を与える意味は何だろうかと。

 或いは言葉の全てがまやかしで、此方が苦しみ惑う姿を眺めたいだけなのか……。

 考え込んでしまったクロエの頭を、ガルはその大きな手でわしゃっと撫でる。

 

 「わっ……!? が、ガル?」

 「どの道、此処で考え込んでも答えは出んだろう」

 

 そう言ってから、のしりと暗闇の中へと一歩踏み出す。

 暗がりを見通すその瞳は、この石の広間から出るただ一つの扉を見ていた。

 

 「なら俺達がすべき事は、前に進む事ぐらいだろう。それがどれだけ困難でも、進める道は必ずある」

 

 強く、心の底から力に溢れた言葉だった。

 それを聞くと、どんな試練が降り掛かろうと乗り越えられるという自信が芽生えてくる。

 力強く確信に満ちた言葉は、時にそれだけで他者への助けとなり得る。

 だからクロエは、少し安心したように微笑んで。

 

 「本当に、貴方はいつも通りね」

 「これが性分だからな」

 「分かってる。……頼りにしてるから」

 

 片手でそっと、クロエはガルの腕を撫でる。

 硬く冷たい鱗の並びに、指先の温もりを残そうとするように。

 

 「はいはーい、こんなとこでイチャイチャしないではよ動きません?」

 「べ、別にそんなつもりは……」

 

 軽く手を叩き、ビッケは流れ出した甘い空気をサクっと切り取る。

 クロエは頬を赤く染めて恥じらうが、逆にガルの方は変わらぬ様子で一つ頷き。

 

 「確かに、此処は湿度は程良いが余りにも埃っぽい。地上に出て、何処か良い水場を探した方がいいな」

 「その水場を見つけたらどうするの……? いえ、いいえ、やっぱり答えなくていいわ」

 

 大体予想がついてしまったので、自分で聞いた直後にクロエは返答を拒否した。

 そんな騒がしい仲間達の様子を、ルージュは水袋の酒を舐めながら眺める。

 

 「……何がしたいか分からないか」

 

 誰に聞かせるわけでもなく、一人呟く。

 確かに、まともな考えならば神の行動原理など意味不明だろう。

 自分のような酔っ払いの賭け狂いを好む神とか、大半の人間には理解できまい。

 しかし神とは、往々にしてそういう存在なのだ。

 人間の物差しで、その善悪を測る事に何の意味もない。

 しかし……。

 

 「……名も、多分まともな信仰もされないまま、地上に留まり続けている神なんて。

  はて、一体今はどんな状態になっているやら」

 

 少なくとも、深酒をした次の日よりかは酷い有様だろう。

 試練がどうのという言葉も、最早樹海の神の中にはそれしか残っていないだけかもしれない。

 真実は、死んだ神の棺を開いてみるまでは分からない。

 だから今は先ず、仲間が外に続く扉を開いたのを確認し、その後ろを大人しく付いて行く事にした。

 

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