第六十五節:地下から始まる冒険

 

 神様の善悪を、人間の物差しで測る意味はない。

 深い微睡みの中にあって、ルージュは己の過去を思う。

 戦災孤児というのは、この時代では別段珍しいものではない。

 神代の頃より生き続ける魔王、《狂気の薔薇帝》は未だに大陸に戦火を撒き続けている。

 それは文字通り燎原の火となって、過去から現在まで色んなものを焼いてきた。

 国であり、人であり、ルージュもたまたまその火の巻き添えとなった。

 両親の事や、元々自分が何処で暮らしていたかも覚えてはいない。

 その辺りの過去は、全て酒精が頭の中から焼いてしまった。

 一番古い記憶は、何人か同じ境遇を持つ連中と共に、とある神殿に引き取られた事。

 別段、其処の扱いが悪かったわけではない。

 ただ彼らは「神の家」の義務を果たしただけで、加えて後腐れのない労働力を欲していただけ。

 お世辞にも良い環境とは言い難かったが、それでも野晒しの死体になるよりかは随分マシだったと思う。

 ――神様の善悪を、人間の物差しで測る意味はない。

 ルージュは最初、神殿に身を置く者の義務として祈りのやり方を覚えた。

 幸運と偶然、酩酊と天啓を司る女神デューオ。

 運命とは即ちデューオ神が手に持つ壺の事で、其処から吐き出される骰子の目が人々の命運を定めるという。

 多くの「始原」の神々の中で、彼の女神は特に現世利益が強い傾向にある。

 故に司祭や信徒達は、デューオ神に対して熱心に祈りを捧げる。

 女神は特に愛する信徒の骰子の目を、その指で変えてくれる事もあるからだ。

 最初は別に、特別強く祈っていたわけではない。

 ただ神殿の雑事以外に、そういった神事に触れるようになってからは大きな変化があった。

 それは身内同士で行う骰子遊びで、妙に勝ちが続くようになったとか。

 或いは大きな事故に遭うものの、ルージュだけは怪我一つなく済んだとか。

 明らかに「幸運に恵まれている」と、自他含めて感じるようになった頃。

 ルージュは夢の中で、一人の見知らぬ女の姿を幻視した。

 

 『――――――』

 

 その女が自分に何を語ったのかは、詳しく覚えてはいない。

 ただ賭け事ギャンブルに誘われるようなニュアンスで、ルージュは素直にそれを承諾した。

 見知らぬ夢の女との骰子遊びの結果も、今は忘却の彼方だが。

 何度目かの遊戯ゲームを終えると、その女は随分満足した様子に見えた。

 それから手に持っていた骰子を、ルージュの方に差し出して。

 

 『――貴女の運命は、転がり定まらぬ賽の目の如し』

 

 その一言だけは、ルージュの記憶に強く刻まれていた。

 目覚めた時、手には光を宿す骰子が――神との契約の証である「化身」が握られており。

 この時から、ルージュは幸運の女神デューオの司祭となった。

 彼女は熱心な信徒というわけではない。

 同じ神殿の中を見渡しても、もっと信仰心の篤い者は幾らでもいただろう。

 けれどデューオ神は、その中からルージュを選んだ。

 神の善悪を、人間の物差しで測る意味はない。

 多くの時間を祈りに費やした者よりも、たまたま神の目に留まった人間が選ばれる。

 それが神々から「奇跡」を与えられる基準に他ならず。

 だからルージュは、司祭となった後も別に品行方正に振る舞ったりはしなかった。

 そもそもがデューオ神の性質上、選ばれた者はまともな神職とは言い難い人間も多い。

 女神の思慮に触れんが為と酒を呑み、己の運命を試すと言って骰子を振る。

 そういう意味では、ルージュもまた「敬虔な女神デューオの信徒」と言えたかもしれない。

 彼女は夢から目覚めた日から、良く酒を呑み良く賭け事に興じた。

 それを悪い事とは思わなかったし、むしろ神殿が語る女神の信徒としての義務とさえ思っていた。

 いやそもそも、そんな女神がどうのとも本心では考えていなかったのかもしれない。

 ルージュはただ自分がしたい事をして、たまたまそれをデューオ神が気に入っただけで。

 だからその日、神殿の金に手を付けたのも別段悪心があっての事ではない。

 ただ賭け事に興じる為、たまたま手元にお金がなかったので手近な所から持ってきたに過ぎない。

 其処に悪意はなかったし、デューオ神も咎めはしなかった。

 けれど神殿を運営する、酩酊していない理性的な人間達はそれを許さなかった。

 仮にも女神に仕える神聖なる信徒が盗みを働くなどと。

 デューオから「奇跡」を賜った司祭を、まさか盗っ人として街の司法に委ねるわけにはいかない。

 理性的な人々は、その後の判断についても極めて理性的だった。

 結果として、ルージュの処分は神殿から追放されるだけに留まった。

 貴重なデューオ神縁の祭器を、質屋に売り払った事への処分と考えれば綿毛のように軽い話だ。

 ルージュ自身、その扱いを不服とは思わなかった。

 ただ自分を疎んで「事故死」をさせようと仕掛けて来た輩はいたので、さっさと逃げ出す事にした。

 ――偉い神様の司祭っていうより、ただのケチな泥棒だねぇ。

 我が身の過去を振り返り、ルージュは今さらながらそんな事を考えた。

 神様の善悪を、人間の物差しで測る意味はない。

 こんな酒精と賭け事に溺れた人間も、神から奇跡を賜っているなら選ばれた司祭様だ。

 まったく、この世で善悪がどれだけ無意味なものか分かるというもの。

 ルージュはそんな自分を改める気は欠片もないが、何とも諸行無常な話ではある。

 結局のところ、盗みがバレて追い出されたのは、単にだけで。

 其処に人の法としての善悪とか、神様の物差しで測れば何の意味もないのだ。

 その後、成り行きでおかしな冒険者二人と出会う事になったのは、運が良いのか悪いのか。

 神ならぬ身では、その賽の目は判断が付かない。

 デューオ神でさえ、自分の振った壺の中までは見通せないのだ。

 何にせよ、良くも悪くも出目の転がる人生ではあり――。

 

 「……ルージュ、ルージュ?」

 「んあっ」

 

 夢に落ちる時と同様、意識が浮かび上がるのもまた唐突だった。

 ルージュは間抜けな声を漏らしながら、背中に感じる痛みに顔を顰めた。

 

 「痛たた……っ」

 「何処か痛むの?」

 「あぁ、ちょいと背中がねぇ」

 

 傍らに膝を付き、気遣いの声を掛けて来たのはクロエだった。

 痛む背中を細い指でさすって貰いながら、ルージュは何とか身を起こす。

 幸いにも特に目立った外傷はなく、落下の時に背中を打って軽く痛めただけのようだ。

 そう、落下。ルージュは今さらながら、魔法の明かりで照らされただけの空間に目を向ける。

 砂や埃の混じった、重く湿った空気。

 風の流れは殆ど無く、淀んだ大気が石造りの広間に蟠っている。

 

 「目が覚めたか」

 

 照らし出す明かりの外側。

 暗闇の向こうからぬっと姿を見せたのは、蜥蜴人のガルだった。

 なかなか夢に出そうな光景ではある。

 それに少し遅れてビッケも続き、不快そうに身体についた土埃を払い落とす。

 

 「姐さんおはよ。しかし目覚めて良かったと言うには、あんまり状況が良くありません」

 「何だか最近似たようなシチュエーションがあった気がするねぇ」

 

 魔王の強引な招待を受けた時を思い出しながら、ルージュは苦笑いを浮かべる。

 あの時と今は、どちらがマシとも言い難いが。

 

 「辺りの様子はどうだった?」

 「とりあえず、此処はあの古い神殿の地下部分と考えて間違いないだろう。

  この広間をぐるりと見て回って来たが、妙な壁画とよく分からん小物類が目に付いたな」

 

 何かしら意味のある代物なのかもしれないが、と。

 其処からそれを読み取る知識の無いガルは、ただ「よく分からん」とだけ口にするしかない。

 言われたクロエも、ゆるりと首を傾げて。

 

 「他に何か、通路やそれに続く扉は?」

 「一つだけ扉があったな。見つけただけで、まだ開けた先は確認していないが」

 

 尻尾をパタリと揺らしてガルは頷く。

 

 「何にせよ、遺跡探索ダンジョンアタックの時間だな。

  地上に脱出する道は、自力で見つける他ないだろう」

 

 そう言いながら、ガルは視線を上へと向ける。

 釣られて、他の三人も天井の辺りをそれぞれ見上げた。

 かなりの高さ、丁度クロエ達の真上辺りに大きな裂け目が見て取れる。

 この裂け目から、今いる地下の一室まで落下したのだろう。

 光は見えないが、予想通りならば地上まで繋がっている可能性は高い。

 実際のところ、どのぐらいの深さを落ちて来たのか。

 もし這い上がる事が可能なら、真っ直ぐこの地下空間から抜け出せるのだが……。

 

 「アニキ、これ上がれると思う?」

 「やってみなければ分からんが、まぁ難しいだろうな」

 

 ビッケの問いに、ガルは小さく喉の奥で唸る。

 

 「崩落した場所でもある。俺が下手に力を加えれば、更に崩れ出すかもしれん」

 「それで瓦礫と土砂に生き埋め……なんていうのは避けたいわね」

 

 容易に想像できる未来に、クロエはため息を漏らした。

 選択の余地が最初からないのも、いつもの事と言うべきか。

 

 「水と食料は?」

 「長旅だろうから、最初から必要以上に用意してあります」

 

 ガルの確認に対して、ビッケは自信たっぷりに自分の大鞄を叩いて見せた。

 その手の用意に関しては、この場の誰より信用が高い。

 

 「なら嵩張らない程度に、各自手持ちに詰めておきましょうか。

  纏まって動くつもりではあるけど、どんな事態で分断されるかも分からないし」

 「分断された経験が記憶に新しいだけに身に染みる言葉だねぇ」

 

 現状も空気も重く暗いが、交わす言葉は努めて明るく。

 手慣れた様子で最低限の準備を整えると、クロエ達は改めて隊列を組む。

 先頭にはガルとクロエが立ち、後ろにはルージュと背中を警戒するビッケが並ぶ。

 

 「大丈夫?」

 「うむ、問題ない。いつでも動ける」

 「よーし、じゃあ出発しますかー。今回こそお宝と縁がありますように……!」

 「デューオ神の壺にいっぱいお祈りしときなね」

 

 そんな軽口を叩きながら、冒険者達は謎の地下遺跡の探索に一歩踏み出す。

 踏み出した、その矢先に。

 

 『…………待て、供物よ。我が寝所を騒がす、愚かな侵入者共め』

 

 何処からか、不明の声が響き渡った。

 

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