第一章:最下層

第六十四節:ある日、森の中

 

 大樹海――それは大陸で最も広大な森林地帯。

 その場所を知る者達からは「緑の地獄」などとも称される危険な場所だ。

 遡れば遥か神話の出来事、この森には一柱の神格が支配していた。

 その神の名は既に失われて久しい。

 何故ならば、神代の戦いである《剣の大戦》。

 その大いなる戦いの最中、彼の神は魔王の一柱に討ち果たされてしまったからだ。

 神の魂は不滅だが、物理的に死なないわけではない。

 肉体が死ねば物質世界との接点を失い、偉大なる神々とて地上に留まる事は不可能となってしまう。

 それ故に、《剣の大戦》が終わる頃には全ての神々は姿を消す事になった――が。

 その死したる神は、それでも現世に固執したという。

 「混沌」に属していたその神は、自らを殺した魔王を呪い、そしてこの世界そのものを呪った。

 余りにも強烈な想念は、神の魂を地上に繋ぎ止める楔となり――。

 やがてそれは、生と死に満ち溢れた巨大な森へと姿を変えた。

 来る者も去る者も許さない、呪われた緑色の地獄。

 人々はこの地を「大樹海」、或いは「死せる神の樹海」と呼び習わすようになった。

 果たして、その神話的事象が何処まで事実なのかは誰にも分からない。

 少なくとも、大樹海には他では見られない凶暴な魔物が生息しているのは事実。

 同時に不明の神を崇める蛮族達は、不用意に森に入った者を己の神の供物にしようと付け狙う。

 《帝国》すらもこの緑の地獄を避けるのは、神に呪われた魔王とは薔薇帝当人なのではないかとも噂されていた。

 全ては不確かな話で、何処までが事実なのかは誰にも分からない。

 少なくとも、今この樹海を訪れた者達に言える事は一つだけ。

 

 「此処が地獄である事は、間違いないわね……!」

 

 木々の隙間を駆けながら、そうクロエは叫ぶ

 《帝国》入りを目指して大樹海へと侵入を果たし、現在三日目。

 可能な限り浅い部分を通って、大体数日程で抜ける予定を立てていた。

 仮に浅い場所でも危険はあるが、馬鹿正直に《帝国》の関所を通るよりかは良いという判断だ。

 その考えは、少なくともその日までは正しかった。

 獣の類に襲われはしたものの、それらは大した脅威ではなく簡単に撃退する事が出来た。

 このまま何事も無く、《帝国》に入る事が出来るのではないか――。

 誰もがそう考え出したところで、不運をもたらす骰子が転がった。

 

 『※※※※!!』

 『※※※!』

 『※※※※※……!』

 

 何かの叫び声。いや、人の声。

 半裸に近い恰好で、晒した肌には複雑で奇妙な入れ墨を施した蛮族達。

 顔は奇怪な仮面で隠した彼らは、手に武器を持って森の侵入者達を追い回す。

 口にしている言葉は、この地の蛮族だけに通じる未知の言語か。

 獣の雄叫びにも似た声を発しながら、蛮族達は森の中を己の庭のように走る。

 

 「イアッ!!」

 

 それに対抗するように、戦の声ウォークライを上げるのは蜥蜴の蛮族。

 ガルは走りつつ、時折大金棒を振り回す事で追いついた蛮族を跳ね飛ばしていた。

 何度目になるか分からない大振りフルスイングが、また数人ほど地面に転がす。

 腰を据えての一撃ではない為、どうしても威力は落ちる。

 それでも、常人がまともに喰らえば即死する一撃だ。

 これをまともに受けたにも関わらず、転がった蛮族らは直ぐにその場に立ち上がって追跡を続ける。

 尋常な耐久力タフネスではない。何かしら仕掛けがあるのか。

 流石に頭蓋を砕けば死ぬだろうが……。

 

 「……旦那、こりゃちょっと逃げるのに専念した方が良いと思うね。あたしは」

 「うむ、異論はない」

 

 他より体力も足の速さも劣るルージュは、ガルの背に負ぶさっていた。

 必要な荷物だけは抱えて、馬車は既に放棄してある。

 馬も含めて一つの財産だったが、この状況では仕方がない。

 先頭を行くクロエからやや遅れる形で、ビッケも鞄だけはしっかり抱えながら走っている。

 

 「もうヤダー! 何なんアイツら!? 幾ら何でも沸きすぎじゃない!?」

 

 数々の困難危難を潜り抜けて来た、歴戦の冒険者。

 そんなビッケが叫ぶ通り、相手の数は尋常ではなかった。

 数十人か、下手をすると百を超えるかもしれない。

 いちいち数えるのも馬鹿らしく、数えている暇を与えぬとばかりに現れる蛮族の群れ。群れ。群れ。

 口々に叫ぶのは獲物への威嚇か、それとも不明の神に捧げる祈りか。

 どちらにせよ、冒険者達に向ける敵意に変わりはない。

 

 「……そもそも私達、何処に向かって走ってるのかしら」

 「分からん。予定していたルートは大分外れてしまったからな」

 

 《宵闇の王》の力により、不可思議な「帳」を纏うクロエ。

 その力によって素早く駆け抜けながら、剣を振るって邪魔な木々の枝などを切り払う。

 ガルが応じたように、既に何処をどう移動したのかも分からなくなってしまった。

 森の外へ向かっているのか、それともより深い場所へと踏み込んでしまったか。

 疲れを知らぬ蛮族達が追いかけ続ける限り、それを確かめている余裕すらない状態だ。

 走る。走る。走る。

 地の利は蛮族達の側にあるが、追い付かれてもガルのパワーがそれを容易く蹴散らしてしまう。

 逃げて、追い掛けられ、追い付かれては吹き飛ばす。

 果たしてそんな不毛なやり取りを、どれだけ繰り返しただろう。

 

 「……あれは……?」

 

 木々の隙間から見えてくるモノがあった。

 クロエは走りながら目を凝らし、その姿を確認する。

 それは古びた建造物だった。

 まだ目測でしかないが、かなり大きい。

 高さは樹海の木々を超える程で、恐らくは石を積み上げた巨大な遺跡ジグラットだ。

 後に続く面々も同じモノを見たようで、各々樹海に突如現れた威容を見上げる。

 

 「あれは何だ? 遺跡のように見えるが」

 「大樹海にあんなもんあるって話、聞いた事ある?」

 「さて、噂じゃどっかに蛮族連中が崇めてる神様の神殿がある、なんて話はあったけどねぇ」

 

 正直、嫌な予感はあった。

 蛮族に追われている先に現れた不明な巨大遺跡。

 本来なら近付かずに避けたいところだったが、追跡してくる蛮族の群れがそれを赦さない。

 兎に角、今は真っ直ぐ走り続ける。

 そうしていると、やがて視界が開けた。

 緑色の地獄に、爪痕のように刻まれた空白地帯。

 見上げる程に巨大な石造りの神殿が、其処に聳え立っていた。

 漂う空気の異様さが、それがただの古びた遺跡でない事を伝えてくる。

 それこそ、地上に横たわった神の亡骸にすら思えて……。

 

 『※※※※※!!』

 

 背を圧すような雄叫び。

 冒険者達が謎の神殿を見上げている間に、蛮族らも追い付いていた。

 わらわらと出てくる数は異常の一言。

 目に見える範囲でも百人近く、森の中に潜む数は未知数だ。

 まともに戦うには危険過ぎる数であり、極めて深刻な状況だった。

 

 「……本当にどうしましょうか、これ」

 「どうにかして突破する他ないだろうな」

 

 数多の敵に対し、クロエはやや緊張した面持ちで魔剣を構える。

 ガルは大金棒を担ぎ、既に包囲の薄い場所を視線で探し始めていた。

 例え敵が百人以上だとしても、常に百人を一度に相手にする状況はあり得ない。

 少数には少数の利がある。

 全滅させるのは不可能でも、包囲を突破する事は難しくないはずだ。

 そうガルは判断していた。

 

 「……んんー?」

 

 それはビッケも同様で、やはり包囲を抜け出す隙がないかを確認していた。

 が、その時にふと何かに気付いたようで。

 

 「どうかしたのかい?」

 「いや、何かあいつら……急に襲って来なくなった?」

 「……言われてみれば、そうね」

 

 古びた神殿の前、森から現れた蛮族の群れはクロエ達を半ば包囲しつつあった。

 しかし、距離を置いて取り囲んだらそれ以上の動きは見せていない。

 投げ槍や投石で狙い撃ちにする気かとも思ったが、どうも違うようだ。

 

 「なんだこれ。一体どういう状況なわけ?」

 「ふむ……相手の出方が分からんのは面倒だな」

 

 やや混乱気味のビッケの横で、ガルは蛮族達の様子を眺める。

 包囲して向かってくるなり、投擲でも仕掛けてくれれば此方もシンプルに対応出来るのだが。

 何か言葉を交わしたり、ジェスチャーのような動きを見せてはいるようだが、詳細な事は分からない。

 

 「ふーん。何か儀式でも始める気かねぇ、アイツら」

 「儀式って……一体何の?」

 「……連中の神様に生贄を捧げる儀式とか?」

 「やめて頂戴、そういう事言うのは……」

 

 秘境に住まう蛮族達の、怪しげな儀式。

 そんな如何にもな話は出来れば関わりたくないし、生贄云々ともなれば猶更だ。

 勿論、全て杞憂という可能性もあるにはあるが――そんな期待を余所に、不気味な音が辺りに流れ出す。

 一瞬何事かとも思ったが、その正体は直ぐに知れる事となる。

 

 『『『※※※※※※』』』

 

 歌か。いいや祈りか。

 クロエ達を取り囲んだ蛮族達が、一様に何かを唱え出したのだ。

 聞く者の心を掻き乱すような奇妙な声。

 暗い情熱を宿す音色。呪いか、或いは何かしらの魔力の込められた呪歌なのかもしれない。

 

 「どうする、突っ込むか?」

 

 少なくとも現状、心身に目だった悪影響はない。

 無いが、それは決して永遠を保証するものではなかった。

 ならば此処は強引に動くべきかとガルは思案する。

 突けば最後、何が飛び出すかも分からない藪ではあるが、まごついていても仕方ない。

 

 「そうね、とりあえず呪文で一当てして、それから――」

 

 ガルの言葉に応じたクロエが、それを言い終えるよりも早く。

 凄まじい衝撃が、足元の地面から突き上げて来た。

 それも一瞬の事では無く、継続的に地面が揺れ動く。

 天変地異もかくやという激しい地震に、クロエ達はその場に立っている事さえ困難だった。

 

 「コイツは……!?」

 『『『※※※※※※』』』

 

 

 危うく地面に転がりそうになるルージュ。

 混乱し、冒険者達が身動き出来なくなっている間にも蛮族達の声は途切れない。

 彼らは不思議とバランスを崩す事なく、また動く事もないまま呪いの言葉を響かせ続けた。

 歌う。祈る。蛮族達が何を言っているのか、クロエ達は分からない。

 それは確かに、祈りのようなものだった。

 捧げるべき供物が用意出来た――と。

 自分達が崇める、忘れられて久しい神へと伝わるように。

 蛮族達は、地面が揺さぶられる中でも変わらずに聖なる言葉を吐き続けた。

 やがて――。

 

 「ッ……!?」

 

 その声は、果たして誰が上げたものだったか。

 獲物を呑み込もうと口を開いた獣の如く。

 冒険者達が転ばぬよう踏ん張っていた地面が、突如として砕けて巨大な亀裂を刻んだのだ。

 自分達の身に何が起こったのか、恐らく誰も分からなかっただろう。

 足元にいきなり開いた黒い穴の底へと、クロエ達は落ちていく。

 

 『※※※※――――!!』

 

 神が自分達の捧げものを受け取ったモノと考えて、蛮族達はひと際強く熱狂した。

 そして歌う。祈る。冒険者達を包囲していた蛮族全員が、そのまま奇妙な踊りに興じる。

 奇跡を神が差し伸べた証である、神殿前に開いた裂け目を囲むように。

 

 ――供物を捧げよ、繋がれたる神に。

 ――忘れられたる者の為、我らは贄の血を捧げよう。

 

 声は響く。祈りであり、呪いを示す者達の声が。

 地面に開いた亀裂の底は暗く、肉眼では暗闇の向こうを見通す事は出来なかった。


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