第三部:秘密の地下神殿

序章:地下から始まる冒険

第六十三節:禍福の天秤

 

 禍福は糾える縄の如し――確か、そんな言葉がある。

 昔の誰か偉い人が言った言葉のような気はするが、それは一体どんな人物なんのか。

 少なくともルージュは知らない。

 知らないが、幸運の女神であるデューオの神殿では、よくその言葉が引用されていた。

 曰く、幸運と不運は常に表裏一体であると。

 幸運に恵まれたと喜ぶ時もあれば、不運に見舞われたと嘆く時もある。

 禍と福は常に等量であり、人生が常に上り調子の人間もいなければ、下り調子の人間もいないと。

 確か、説教としてはそんな内容だった気がする。

 そんな話を聞いた次の日辺りに、ルージュは神殿を出る事になったので細かい事は覚えていない。

 しかし成る程、言っている事としては理解できる。

 生きていて運が良い事ばかりではないし、運が悪い事ばかりでもない――ない、はずだ。

 

 「……けど、どうだかねぇ」

 

 思わず呟く。水袋に入れた酒の量も少なくなってきた。

 これは運が良いのか、悪いのか。

 自分は幸運だった、などと殊更考えた事は殆どないが、運がないと考える事はゴマンとある。

 常に幸運に恵まれた人間などいないだろうが、不運と感じる事の方が多い気もする。

 例えば、禍福に関する説教の翌日に神殿の貴重品を横領していた事がバレて、追放された時などそうだ。

 横領の事実がバレた事は不幸だろうか。その時の元手で賭け事に大きく勝った事は幸運だろうか。

 おかげでいきなり露頭に迷う事はなかったが、神殿以外に行き場もなかったのでなかなかに難儀した。

 それから偶然、変な蜥蜴人と小人の二人組と知り合い、冒険者となった事は幸運なのか不運なのか。

 何とも言い難いが―― 一つだけ確かな事はある。

 

 「今の状況は、まぁどう考えても不運だろうねぇ」

 

 思わずため息交じりにそう言ってしまう。

 暗い通路一杯に淀んだ空気には、どれ程前から積もっていたかも分からない埃が待っている。

 墓地に似た湿っぽい土の香りも余り気分の良いものではない。

 そう呑気に呟くルージュを余所に、状況は実に苛烈なものだった。

 

 「イアッ!!」

 

 蜥蜴人の戦士――ガルが雄叫びを上げ、暗闇の中を走る。

 自慢の大金棒を振り下ろした先に立つのは、一体の異形の姿。

 一見すれば人間にも見えるが、その実体は石の像だ。

 奇妙な装飾の施された戦士の像。恐らくは未開地の蛮人の姿を象ったものだろう。

 生命に非ざるソレが、まるで生きた人間であるかのように動き戦いを演じているのだ。

 今もその手に持った剣で、ガルの一撃を受け止めようとするが――。

 

 「ふんっ!」

 

 破砕音。大金棒は容易く鋼の剣を圧し折って、石像の頭ごと打ち砕いた。

 石像の戦士は力を失って崩れ落ちるが、敵はその一体だけではない。

 

 「この前と良い、相性の悪い相手ばっかりね……!」

 

 生命ではなく、それ故に魂を持たない石の像を、クロエは己の魔剣で斬り倒す。

 尋常でない切れ味の刃は、石の身体も容易く切断する。

 纏った「帳」の魔力で自らを疾風に変えて、一体二体と次々に撃破していく。

 しかし、どうにも数は多い。

 

 「ちょっとこういう何処が急所か分かんない相手は勘弁して欲しいんですけど!」

 

 トレードマークの大鞄を抱えつつ、ビッケはドタドタと暗い空間を走り回っている。

 その後を追いかけるのは、やはり複数の石像の戦士達。

 時折、手にした細剣で別の相手を突くと、どんどん追跡者の数を追加していた。

 飛んだり跳ねたり、時には石像の隙間を掻い潜ったりもして、上手い具合に逃げ回っている。

 しかし相手の数も多く、このままでは囲まれるのでは――というタイミングで。

 

 「アニキ!お願いします!」

 「応っ!!」

 

 そう叫びつつ、ビッケはガルの足元へと滑り込む。

 同時に、身を低くした小人の頭上を掠めるようにして大金棒の大振りフルスイングが炸裂した。

 人並外れた膂力によって繰り出される一撃が、石像の集団を直撃する。

 正に鎧袖一触。石の像という質量も物ともせずに、圧倒的なパワーでこれを蹴散らした。

 砕けた五体が破片となって、バラバラと石の床へと無惨に散らばる。

 

 「よーし、流石流石。マジでアニキのパワー意味わかんないよね」

 「このぐらいは出来て当然の事だ」

 

 ビッケの賞賛に対しても、特段誇るわけでもなくガルは淡々と応じた。

 その横でガシャリと軽い破砕音が響き、クロエの魔剣が石像の頭を断ち割る。

 そしてそれが、この場における最後の一体だったのだろう。

 僅かな静寂が流れた後、細く息を吐く音が響く。

 

 「……一応終わり、かしら」

 「一先ずこの場では、って感じだけどねぇ。お疲れさん」

 

 敵の数こそ多かったが、特に危なげもない戦いだった為、ルージュは殆ど見物だけで終わった。

 実際に戦っていた三人に負傷もないのを見てから、水袋の酒を一口呷る。

 

 「ま、当然これで終わりじゃあないだろうけどねぇ」

 『……当然、その通りだ』

 

 ルージュの呟きに、応じる声があった。

 それはこの場にいる仲間の誰の声でもない。

 重々しく、けれど出所も分からないまま淀んだ空気を震わす声。

 大人にも子供にも、男にも女にも聞こえる、何処か不思議な響きを伴っていた。

 声は笑う。其処には嘲笑と賞賛を込めて。

 

 『よくぞ我が従僕共を蹴散らして見せたが、こんなものはまだ序の口に過ぎん』

 「いやもう十分満足したんで、大人しく帰して欲しいんだけどねぇ」

 『そんなことをイマサラ許すはずがないだろう』

 

 ルージュの軽口に律儀に答えつつ、不明の声は続ける。

 

 『我が寝所を荒らした愚か者共め。その罪、命で以て贖う他ない。

  もしそれを望まぬのであれば、我が試練の悉くを突破する他道は無いと知れ』

 「……だから、それは偶然でこっちはそんなつもりは……」

 『事実は事実。今この場にお前達がいる事こそが罪の証に他ならぬ』

 

 クロエの抗議を、声の主はあっさりと切って捨てる。

 それから人の耳では聞き取れない、奇妙な言葉を囁いた。

 すると何処かで岩と岩が擦れ合うような音が響く。

 

 『さぁ、お前達は一つの試練を突破した。ならば次の試練へと挑め。

  道は開いた。お前達に許されるのは、前に進むか諦めて死ぬかの二つのみよ』

 

 それだけ言うと、再び暗闇には沈黙が戻る。

 どうやら気配は去ったようだ。

 後に残るのは四人の冒険者の息遣いと、ルージュが手にした奇跡の光だけ。

 その輝きで闇を照らせば、確かに石壁の一部が口を開けているのを確認出来た。

 

 「……どうやら、選択肢は最初っから無いみたいね」

 

 そう言って、クロエはため息一つ吐く。

 ビッケはややうんざりした様子で肩を竦めて。

 

 「何かさー、この前も似たような事なかったっけ?

  どいつもこいつも人を玩具か何かと勘違いしてない??」

 「まぁ前回は、此方から自発的に首を突っ込んだと言えなくもないが」

 

 今回はどちらかと言えば、貰い事故に近い。

 そう言いながら、ガルは爪で軽く自分の顎を掻く。

 状況は余り芳しくはないが、その様子は普段と何も変わらない。

 即ち、道はただ前に進んで切り開くのみと、そう言い切るような戦士の顔だ。

 

 「では、進むか。クロエの言う通り、他に取れる選択肢もない」

 「まったく面倒な話だねぇ」

 

 そんな風に言いつつ、ルージュは自分達が来た道の方を確認した。

 先ほどまでは其処には通路があったはずだが、今は冷たい石壁が遮るだけ。

 この遺跡内部の構造は、あの声の主が好きに改変出来るようだ。

 さっさと生き埋めにして来ないのは当人(?)が語っている通り、侵入者に対する試練のつもりだからか。

 どちらにせよ、やられる側にしてみれば迷惑な話だが。

 

 「あーもう畜生、これでまたお宝ありませんでした展開やられたら流石にオレもキレそう」

 「そればかりは何とも言えないわね……」

 

 不機嫌そうなビッケに、クロエは苦笑いを浮かべた。

 ルージュもわざとらしく肩を竦めて見せつつ。

 

 「蓋を開けてみないと――ってね。

  まぁ見た感じ大分年代も古い遺跡のようだから、お宝ぐらいはありそうだけどねぇ」

 「今までの流れからしてあんまり期待はしていない……!」

 

 山の一部が崩落したり、塔が丸ごと崩落したり、まぁ色々あった。

 そうは言っても、ビッケ自身もこの地下遺跡の何処かに金銀財宝があると想像はしているのだろう。

 微妙に顔がニヤケているのをルージュは見逃さなかった。

 それについてはツッコミは入れずに、ただ幸運の女神に祈りを捧げて置く。

 

 「……禍福は糾える縄の如し、ってね」

 

 幸運の信徒の決まり文句。

 既に大分不運に見舞われているのだから、それぐらいの幸運には恵まれたいものだ。

 そうでなければ禍福の帳尻が合わないだろう。

 だが幸運の女神たるデューオは気紛れで、骰子の目はそれ以上だ。

 そもそも自分達の置かれた今の状況が本当に「幸運」なのか「不運」なのか、それすらも判じ難い。

 淀んだ空気に埃が舞う、暗闇に閉ざされた地下遺跡。

 改めてその様子を見ながら、ルージュは今回の事の発端を思い出していた。

 

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