第五十二節:鋼の玉座にて

 

 「……はいよ、こんなところかねぇ」

 「ありがとう、ルージュ」

 

 奇跡による治癒、それが完了した事を確認したルージュはそっと手を離す。

 治療を受けていたクロエは、改めて自分の胴の辺りを確認する。

 肌にうっすらと残った傷痕。

 もう殆ど痛みはないが、まだ塞がったばかりの皮膚には僅かな違和感があった。

 

 「無茶は程ほどに、って言いたいけど。そう言ってられる相手ばかりでもないからねぇ」

 「……ええ、心配かけてごめんなさい」

 

 一歩間違えれば死んでいた。

 その自覚はある為、クロエは素直に謝罪の言葉を口にする。

 それから、少し離れた床に倒れている白い甲冑の方に目を向けた。

 傍らには、砕け散った魔剣の残骸が散らばっている。

 あの恐るべき白騎士を討ち果たした。

 戦いが終わった今も、なかなか信じ難い事ではあったが。

 横たわり、もう身動き一つ取らない白い鎧だけが、それを事実だと物語っている。

 

 「それはあたしよりも、旦那の方に言ってやりなって」

 

 明後日の方を見始めたクロエの肩を、ルージュはぽんと軽く叩いた。

 もう一人、奇跡治療の終わりを待っていたガル。

 彼もまた動かない白騎士の方を見ていた。

 

 「……ガル?」

 「む」

 「その……貴方は、大丈夫?」

 「うむ、問題ない」

 

 今回も今回で問題ないはずはないレベルの重傷だったはずだが、ガルの答えはいつもと変わらない。

 何度も鱗を肉ごと抉られても、蜥蜴人の生命力は揺るぎないようだ。

 言いたい事がないではなかったが、無茶の仕方としてはクロエも大概なものだった。

 なのでそれについては突っ込まず、そっと傍へと近寄って。

 

 「……何とか勝てたわね」

 「あぁ、未だに勝利が信じ難い程度には難敵だった」

 「本当にね。……貴方のおかげよ」

 「俺一人では勝てなかった。助けがあってこそだ」

 

 そう言って、ガルは大きな手で軽くクロエの頭を撫でた。

 乱暴にならないよう、何処か慎重さを感じさせる動作でそっと黒い髪を梳く。

 

 「ただ、今回のような事は、出来ればあまりして欲しくはないが」

 「それは、私も毎回思っているのだけどね?」

 「どっちもどっちじゃないかねぇ。治療する身にもなって欲しいもんだ」

 

 やれやれと肩を竦めるルージュ。

 一行の中で、傷などの治療を行える唯一の人間でもある彼女の気苦労は大きい。

 それについては感謝しつつも、藪蛇にならぬようクロエは話題を変える事にした。

 

 「……それで、これからどうしましょう? とりあえず、一番の脅威だったあの白い騎士は倒したけど」

 「ま、先ずは何よりビッケ達との合流かね。何処にいるか分かったもんじゃないけど」

 「俺達が合流出来た以上、あちらも同じ場所に飛ばされているとは思うが」

 

 恐らくは、あの荒れ果てた山の頂上に聳え立っていた黒い塔。

 その中の何処かに強制的に転移された――と、推測はしていたが。

 魔剣を持つ白騎士の存在で、ようやくそれが正しかったとクロエ達は確信する。

 しかし、それが分かったところで、その塔の中での自分達の位置が不明な事に変わりはない。

 ビッケ達は、果たして何処にいるのか。

 

 「……もし、何事もなければ、此方に向かって来ていてもおかしくはないと思うけど……」

 「確かに、旦那が随分派手に殴り合ってたしねぇ」

 

 塔全体を微かに揺らす程の激戦。

 実際、クロエとルージュはその戦いの余波を頼りに合流を果たしていた。

 一行で一番感覚の鋭いビッケなら、同じように辿り着ける可能性は十分あるはずだ。

 それでも未だに小人の姿は現れておらず。

 

 「……何かあったか」

 

 言いながら、ガルは大金棒を担ぐ。

 それから視線を巡らせて。

 

 「行くぞ」

 「行くのは良いけど、何処へ行くの?」

 「分からん。分からんが、此処で大人しくしているのは拙い」

 

 言葉を交わしつつ、ガルは構造も分からない迷宮ダンジョンをのしのしと進む。

 クロエとルージュもその後に続く。

 

 「罠の類はどうすんだい、旦那」

 「危険なものは何となく分かる。が、分からんものは俺が踏む」

 「……無茶苦茶だけど、仕方ないわね」

 

 ため息。ビッケがいない以上、罠を避ける事は難しい。

 ならば一番頑丈な者がそれを踏んで突破していくというのは、実際に合理的な解答だ。

 進む。暗闇と静寂に満たされた通路を、ルージュが骰子に宿した微かな明かりで照らしながら。

 

 「……それで、行くアテはあるの?」

 「無いでは無い。正直、半分以上は勘なんだが」

 

 歩調は緩めず、分かれ道の類もガルは迷わず進み続ける。

 余りに迷いが無さ過ぎて、これが正しいようにも感じてしまうが多分錯覚だろう。

 先頭を歩くガルも、単に足を止めない為に適当に進んでいるだけだ。

 

 「ビッケなら間違いなく、合流を優先して動くだろう」

 「ま、そりゃそうだろうねぇ」

 「だが、未だに合流出来ていないとなると、何かあったのは間違いない」

 「……何か」

 

 それこそ、この塔の何処かで罠に掛かったのか。

 それとも、白騎士とはまったく別の脅威に出くわしてしまったのか。

 

 「ビッケは強い。何より、危険から脱する手管には俺達の中で最も優れているだろう」

 

 淡々と。足は止めず、ガルは自分の推測を言葉にする。

 

 「俺達が知る限りだが、この塔で遭遇して危険な相手は二つだけのはずだ。

  その一つは当然、俺達が戦ったあの白騎士だ」

 

 恐るべき魔剣を振るった、最後の死の騎士。

 それは死闘の末に撃破したが。

 

 「……もう一つって、まさか」

 「あぁ」

 

 遅まきながら最悪の想像に辿り着き、クロエの声が微かに震える。

 ガルはそれを肯定し、改めて言葉として吐き出した。

 

 「魔王だ。ビッケ達は、そちらと出くわしたのかもしれん」

 

 それは文字通り、最悪の想像に他ならなかった。

 

 

 

 ――予想していた中では、間違いなく最悪の展開だった。

 思えば違和感らしきものはあった。

 奇妙に曲がりくねった通路に、上がっているのか下がっているかも定かでない階段。

 空間そのものがねじれたような迷宮の中を、ビッケは細心の注意を払って進み続けた。

 目標にしていた揺れも、気付けば遠くなっていて。

 それでも勘に従い、時折顔を出す罠も避けつつ進んでいたのだが……。

 

 『――さて、歓迎しよう。来訪者よ』

 

 辿り着いた場所で聞こえたのは、まったく嬉しくも無い出迎えの言葉。

 ビッケはかつてない戦慄に身を震わせながらも、反射的に剣を構えていた。

 それがどれほど頼りないものでも、縋る杖程度の役は果たす。

 気にしている余裕もないが、後方に立つクウェルなど意識を保てているだろうか。

 ――細かい理屈は分からないが、間違いなく意図的に此処へと招かれている。

 それを行っただろう相手は、さも愉快そうに笑って。

 

 『大したもてなしも出来ず、心苦しくもあるがな』

 

 そんな気遣いいらねーよ、と。

 声に出そうとしたが、失敗した。

 喉から出てくるのは掠れた呼吸の音だけ。

 ビッケは何とか落ち着きを取り戻そうと、数回深く呼吸をする。

 それから改めて、辿り着いた場所へと視線を向けた。

 広い、驚くほどに広大な空間。

 暗闇に閉ざされていたが、ビッケ達が足を踏み入れた瞬間に虚空には無数の火が灯っていた。

 その明かりに照らし出され、恐るべき者の姿は闇から浮かび上がる。

 他よりも一段高い場所。

 其処に置かれているのは鋼の玉座。

 その玉座の前にたたずむのは、唯一人の黒衣の影。

 何者であるかなど、今さら問う必要もない。

 その影は片手には髑髏のついた錫杖を持ち、もう片方の手には錆びついた長剣を握っている。

 そのどちらもが、目に見える程にすさまじい魔力を立ち上らせていた。

 

 「魔王、カリュブディス……」

 『然り。《死の大渦》などと呼ぶ者もいるが、まぁ好きに呼べばいい』

 

 茫然としたクウェルの呟きに対して、魔王は律儀に返答する。

 手駒として使っていた彼女の事を、カリュブディスがどう認識しているのか。

 それについては分からないが、少なくとも魔王の方から何も言う事はなかった。

 或いは、路傍の石程度に忘却しているのか。

 

 『さて』

 

 ゆったりとした足取りで、カリュブディスは玉座のある場所から下りてくる。

 一歩ずつ、確実に。

 死の具現たる魔王との距離が狭まる。

 ヤバい、ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい。

 全身が危険信号を発しているのを理解しつつも、ビッケは下手に動けずにいた。

 何ということもない動作の一つ一つが、背筋が凍る程のとんでもない悪意を帯びている。

 迂闊に動けば、その瞬間にどんな魔術や呪いが飛んでくるかも分からない。

 ――その気になれば、唯の一言を死の呪いに出来る魔王カリュブディス。

 幾つも死線を超えたビッケの経験が、理屈無しにその危険性を理解していた。

 

 『……ふむ』

 

 同じ高さの床に並び立つと、カリュブディスは改めて相手の姿を見る。

 震える古妖精の女と、恐怖を押し潰して剣を構える小人の若者。

 魂に刻まれた記憶を、酷くくすぐる光景ではあった。

 無論、彼らとかつての英雄達は似ても似つかない。

 微かな面影ぐらいは探せば見つかるかもしれないが、そんなものは重要ではなかった。

 魔王にとって、大事な事は一つだけ。

 

 『爆ぜよ』

 

 己の疑問に解を出すに相応しい相手か否か。

 それを確かめるべく、先ずは小手調べの術を一つ発動する。

 

 「やばっ……!?」

 

 何が来るかを即座に理解し、ビッケはクウェルの手を掴んで大きく跳ぶ。

 それとほぼ同時に、全身を叩く強い衝撃。

 僅かに遅れて押し寄せた熱に全身が炙られる。

 《火球》。ルージュが魔道具で頻繁に行使する為、それ自体は見慣れた術だ。

 けれど威力に関しては比較にならない。

 完璧にタイミングを合わせて回避したにも関わらず、凄まじい爆発により吹き飛ばされてしまう。

 

 「ぐえっ……!?」

 『素早いではないか。流石と言うべきか?』

 

 囁くような魔王の声。

 嘲りではない笑みを含んだ言葉と同時に、再び魔力が膨れ上がった。

 《見えざる矢》。不可視の力場の矢が、カリュブディスの掲げた杖の先に無数に展開される。

 本来は目には見えないはずの矢だが、今は蜃気楼のように一部の空間が揺らめいて見える。

 集まった矢の密度が高すぎる為に、その莫大な力が大気を歪めているのだ。

 当然、そんなものが降り注いだならば生身の身体など粉々だ。

 死と同義の光景を前に絶句する二人。

 当然、カリュブディスは手を緩める事はない。

 

 『さぁ、凌いでみせろ』

 

 その言葉と共に、髑髏の杖を振り下ろす。

 力場の矢は豪雨の如く、ビッケとクウェルの頭上に叩き込まれた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る