第四十六節:闇の中の真実

 

 強大な魔力が大気を揺らす。

 当然、それは鋼の玉座に在る魔王にも伝わっていた。

 容赦のない、けれど何処か稚気を感じさせる攻撃。

 その感触に、カリュブディスは低く笑う。

 

 『借りた玩具ではしゃいでおるか』

 

 魔剣《勝利の王冠》。

 その力は、一歩間違えればこの塔さえも容易く砕きかねない。

 それが無秩序に振り回されている事実を、しかし魔王は咎める気はなかった。

 これもまた余興の一つと、そう言わんばかりに笑うのみ。

 意識をほんの少し離脱させ、五感を塔の外へと向ける。

 視界をやや上空に移せば、広がる地獄の様子をよく見る事が出来た。

 光。触れれば砕ける死の輝き。

 それが幾つも空に撃ち上げられ、同じだけ地へと降り注ぐ。

 塔の中ほど、開け放たれた窓辺から白騎士がその剣を掲げていた。

 放つ。放つ。魔剣の力は強大だが、その分だけ支払うべき対価がある。

 本来、《勝利の王冠》が要求する対価は「持ち手の生命力」。

 魔王が操る死の騎士達は、その特殊性で本来の対価無しに魔剣の力を行使していた。

 しかしそれ故の欠点もあり、また使える能力もあくまで一定までのはずだった。

 けれど、白騎士はその道理を打ち破る。

 例え対価を支払ったとて、あり得ぬ勢いで死の光を放ち続けていた。

 

 『ふむ』

 

 カリュブディスは、その有様を遠く眺める。

 光の放たれた先を見れば、荒れた大地が更に無惨に引き裂かれている。

 その死地にて、幾人かが死の光から逃げ回っている様もはっきりと見えていた。

 赤き騎士と蒼褪めた騎士、その二騎を打ち破った例の冒険者達。

 此処まで辿り着いたかと、声には出さず魔王は笑う。

 どうやら黒騎士は無視されてしまったらしい。

 まぁ仕方あるまいと、カリュブディスは思念だけで頷く。

 調子に乗って巨大化させ過ぎたせいで、動きがまったく鈍間になってしまった。

 呼び戻そうにも動きが鈍く、真っ直ぐ進ませても街に辿り着くのは何時となるか。

 一つ戦力を無駄にしてしまった形だが、仕方あるまい。

 カリュブディスは再度そう頷き、それから黒騎士の事は頭から切り離す。

 今重要なのは、目の前の事だ。

 

 『さて、これは厳しかろうな』

 

 落ちる光を見ながら、カリュブディスは笑った。

 当たれば終わりの魔剣の光。

 逃げ回る事は出来ても、防ぐ事は難しい。

 距離がある為に正確に「狙撃」する事は不可能だが、その分だけ白騎士は弾を散らしていた。

 下手に狙いを付けず広範囲にばら撒いている分、更に回避を困難にさせる。

 まぐれ当たりの一つが命に関わる以上、冒険者達は無心で逃げ続ける他ない。

 これでは恐らく、塔に近付く事すらままならないだろう。

 

 『これはこれで愉快ではある、が』

 

 小ネズミを甚振る様には、それはそれで趣きがある。

 カリュブディスは不快に感じてはいなかった。

 そもそも、好きにさせているのは自分なのだから、文句を言う道理はない。

 それは間違いない――が。

 

 『こればかりでは、我が退屈するではないか』

 

 笑う。カリュブディスは肉の無い喉で笑う。

 それから意識を骨の身体に戻すと、片手に髑髏の錫杖を掲げた。

 呟く。呪文は人の耳では聞き取れない、奇妙な響きを帯びている。

 本来、長期の詠唱が必要な儀式呪文を、僅かな時間で発動させる圧縮詠唱。

 極めて高度な大魔術を、カリュブディスは一瞬で行使する。

 

 『さて、折角此処まで来たのだ』

 

 詠唱の完成と共に、髑髏の先に赤い魔法陣が浮かび上がる。

 それは立体的な形状を取り、不規則な回転を始めた。

 

 『我も少し、遊ばせて貰おうか』

 

 当然、他の者の都合など考える必要もなく。

 魔王カリュブディスの大魔術は、遠慮容赦なしに発動した。

 

 

 

     *   *   *

 

 

 

 ――その異変もまた、光が降り注いだ時と同じように唐突に起こった。

 感知する暇もなく、気付いた時にはどうしようもない。

 足元から立ち上る強い魔力に、先ずはビッケが気付いた。

 

 「今度は何ー!?」

 

 反射的に、持ち前の身軽さに回避を試みたが、それは徒労に終わる。

 術式はビッケ自身を直接標的にしていた。

 幾ら移動したとしても、照準ロックオンまでは外せない。

 視線を巡らせる。辺りで空からの攻撃を逃げ回っている、他の仲間達。

 彼らもまた、足元から立ち上った赤い光に驚いているようだった。

 ――この場の全員が対象か。

 抵抗しようと意識を集中させても、全くの無駄だった。

 問答無用で発動した術式。

 今度は白ではなく、赤い光が視界を塗り潰す。

 五感は途切れ、手足の感覚も消え失せる。続いて襲う浮遊感。

 自分の身体が自分の物でなくなる感覚を、ビッケは酷く不快に思う。

 その状態が、一体どれ程続いたか。

 

 「ぐえっ」

 

 術式が発動した時と同様に、消えた五感は唐突に元に戻る。

 それから軽い衝撃を受け、ビッケはゴロゴロと転がった。

 硬い感触を背に受けながら止まる。

 

 「痛たたっ……」

 

 まだぼやけた視界は、酷く暗い。

 視覚は戻っていないのかと危惧したが、そういうわけでも無いと直ぐに気が付く。

 

 「……何処だ、此処?」

 

 地面――正確には、石の床に転がっていたビッケは、目を擦りながら起き上がった。

 暗い。明かりがないせいで、物理的に暗い空間。

 視界が戻り、闇に少しずつ目が慣れて来てもロクに見通す事は出来ない。

 空気の流れはなく、それなりに広い空間のようだが……。

 

 「……光よ、舞い踊れ」

 

 小さく、出来る限り抑えた声で呪文を呟く。

 指先で幾つもの光の粒が踊り、暗闇の中を照らし出す。

 

 「どっかの地下かな、コレ」

 

 光に照らされた空間。

 薄く埃の積もった石造りの広間をビッケは見渡した。

 先ほど、自分を含めた全員を襲った謎の魔術。

 アレが恐らく転移の魔術で、それでこの場所まで飛ばされてしまったのだろう。

 問題は二つ。一つは、此処が一体何処であるのか。

 

 「……まー、十中八九あの塔の中だよなぁ」

 

 うんざりした様子で、ビッケはため息を吐く。

 心底相手の意図が不明だが、あの状況で転移される場所などそれぐらいしか考えられない。

 まったく関係ない場所に飛ばされているなら、それはそれで驚きだが。

 

 「…………」

 

 不明の状況に嫌気も差すが、独り言で愚痴っても仕方がない。

 ビッケは耳を澄ませ、小さく鼻を鳴らす。

 怪しげな音や匂い、それらを一つとして逃さぬよう集中する。

 魔術の明かりはその光量を可能な限り絞った。

 

 「さて、後はオレ以外の皆が何処にいるか、か」

 

 少なくとも、この石の昼間にはそれらしい気配はない。

 完全に分断された形で飛ばされたのか、或いはたまたま一人になってしまったのか。

 前者は宜しくないが、後者は後者でなかなか辛い。

 腰に下げた細剣の位置と、肩から吊るした鞄の位置とを確認する。

 此処が塔の中だとして、具体的な位置は不明のままだ。

 そして何処に、何がいるのかも分からない。

 最悪、例の物質破壊の魔剣を振り回していた騎士と遭遇するかもと、ビッケは警戒を強めた。

 

 「まぁもっと最悪なのは、魔王のいる玉座の間とかに一人で突っ込んじゃう事だけど」

 

 右も左も分からぬ以上、その可能性も否定し切れない。

 だから慎重に、慎重に。それと同じぐらい迅速に。

 そう己に言い聞かせながら、ビッケはゆっくりとその場から動き出す。

 薄暗い石の空間には、生きた気配はロクに感じられない。

 地下墓所そのままの空気が漂うばかりで、何とも辛気臭い。

 

 「誰かー、いませんかー……?」

 

 小声。仲間は早く見つけたいが、違う相手に聞かれても一大事だ。

 そろり、そろりと。

 常の迷宮ダンジョン探索よりも神経を尖らせて、一歩一歩進んでいく。

 石の広間を出て、其処から伸びる通路を行く。

 それほど長くはないのだろうが、歩みが遅い為に酷く長く感じる。

 他の仲間達は無事だろうか。

 ガルやクロエは大きな問題はないだろうが、戦闘力に乏しいルージュ辺りは危険かもしれない。

 逆に、死の騎士とかに会わない限りは、並みの不死者ぐらい奇跡で蹴散らすか。

 

 「やっぱオレが一番危険な気がしてくるなぁ……」

 

 逃げる隠れるは得意だが、腕っぷしが強いとは微塵も思わない。

 せめて他の罠の類には掛からないよう、気を付けながら進んでいくが。

 

 「…………」

 

 ぴくりと、ビッケの肩が小さく跳ねる。

 それから耳に手を当てて、遠くの音まで拾おうと意識を尖らせる。

 聞こえるのは、本当に微かな音。

 石の床を叩く、硬い音。僅かな息遣いに、金属が擦れる音。

 誰かが来る。ビッケは細剣の柄に指を絡める。

 呼吸が聞こえるという事は、恐らく不死者ではない。

 ならば仲間の誰かか――と考えるのは、楽観的に過ぎるか。

 敵の可能性がある以上は、油断する事は出来ない。

 

 「お願いしますよ幸運の女神様……」

 

 ルージュの信仰する神に祈りつつ、ビッケは通路の角に隠れた。

 カツリ、カツリと。靴音はもうハッキリと聞こえてくる。

 敵か、味方か。それはコインの表裏のようで。

 相手が間近まで来る僅かな時間を、ビッケは永遠のように錯覚する。

 けれどそれは錯覚に過ぎず、やがてその時は訪れた。

 

 「――――!?」

 

 ビッケは手のひらに隠していた魔法の光を、パッと弾けさせた。

 一瞬だけ強い光が周囲を照らし、まともに見ればほんの僅かに視界を焼かれるだろう。

 相手が怯んだのを確認すると、ビッケは素早くその背に回り込んだ。

 それからピタリと、抜き放った剣の切っ先を相手に向けて。

 

 「よーし、とりあえず動かない」

 「ま、待て、待ってくれ!」

 

 ビッケが警告を口にするより早く、光を受けた相手は慌てて声を上げた。

 その声は、当然知った相手のもので。

 

 「ビッケかっ? 私だ、クウェルだ!」

 

 焼かれた眼を軽く指で押さえながら、クウェルは自分の名を口にする。

 

 「良かった、無事だったんだな……いきなりこんな場所に飛ばされてしまって、どうなる事かと思ったが……」

 「んー、一人だけ? 他の皆は?」

 「いや、此処にいるのは私だけだ。他の者達も、探しているところだった」

 「そっかー、まぁしょうがないけど困ったもんだね。こりゃ」

 

 クウェルの言葉に応じつつ、ビッケは新たな魔術の明かりを手元に呼び出した。

 暗闇の中、既に見慣れた銀の鎧姿の相手を光で照らす。

 焼かれた視界も戻ってきたか、少々涙目になりつつクウェルは後ろを振り向いて……。

 

 「……ビッケ?」

 「ん?」

 「いや……何故」

 「何かおかしい事でもあった?」

 「おかしい事、と……」

 

 戸惑いの言葉を、ビッケは涼し気な様子で聞き流す。

 その反応も無理はないと、そう思いながらも。

 ビッケは、クウェルに向けた腕を下ろす事はしなかった。

 その手に握られている、細剣の切っ先も。

 

 「……ビッケ。私だ、もしかしたら偽物を疑ってるのかもしれないが……」

 「や、それは大丈夫。《魔法感知》はしたし、変身でも変装でもないのは承知の上」

 「だったら」

 「だったら何故、剣を下ろしてくれないかって?」

 

 明かりは傍らに浮かべて、ビッケは軽く自分の頭を掻く。

 そうしている間も、剣の切っ先は不動。

 いつでも急所を最短距離で刺し貫けると、冷たい刃の輝きが示していた。

 

 「まぁちょっと、タイミングを図りかねてたし、その辺少し困ってはいたんだけど。

  この状況なら逆に都合も良いかなって」

 「……一体、何を言っているんだ?」

 「意味分かんない? ホントに?」

 

 ビッケは笑う。それは悪童の笑みにも似ていたが。

 同時に、敵意を込めた笑みでもあった。

 

 「嘘吐いてたでしょ?」

 「……嘘? 一体何を……」

 「やぁもう、オレもどっから何処まで嘘なのか分かんないし。

  多分、その辺分かってるのはそっちだけだろうけどさ」

 

 何を言っているのか、まったく分からない。

 そんな表情を――いや、それとはまったく別種の、焦りに近い感情を読み取って。

 ビッケはクウェルに向けて、確信を突く言葉の刃を口にした。

 

 「ぶっちゃけ、。クウェルって」

 「――――」

 

 凍り付く。時が、空気が。

 何よりも感情を凍てつかせて、クウェルは沈黙した。

 僅かな明かりが照らす闇の中。

 かつて、仲間同士であった英雄を祖に持つ二人は、凍った時の中で対峙していた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る