第四章:支配者の白

第四十五節:天から降り注ぐものが


 道行は驚くほどに順調だった。

 日が昇り始める辺りから野営地を出発し、冒険者達は迅速に動き出した。

 幸いと言うべきか、黒騎士を呑んだ肉巨人に大きな変化はない。

 相変わらず重い巨体を揺らしながら、山を枯らしながらゆっくりと歩み続けている。

 不死者の姿もあるにはあったが、どれも統率されたものではなかった。

 目に付く端から蹴散らしつつ、魔剣が枯らした不毛の道を逆に辿って行き……。

 

 「……アレが……」

 

 見えて来た異様な姿に、クロエは小さく呟きを漏らす。

 それは確かに塔だった。

 半ば死んだ荒れ山の天辺に、突き立つ槍のように聳える塔。

 黒く、夜の闇を固めたようなその姿は、見る者の心を妙に掻き乱す。

 不安。恐怖。畏怖。ただこれだ。

 恐らくは、その塔の頂上。

 其処に座しているはずの魔王は、一体どれ程の存在だというのか。

 

 「雰囲気たっぷり出してるなぁチクショウ」

 「ビビっちまったかね?」

 「そんなんいつもの事っちゃいつもの事でしょ」

 

 わざとらしく身震いするビッケに、ルージュは愉快げに笑う。

 恐れはある。恐れを持たずに未知に挑めば、そのまま命を落とす事になる。

 恐れを知りながら、恐れなど知らぬと挑むからこその冒険者だ。

 今回はとびっきりではあるが、危険に飛び込む事自体は慣れたもの。

 そして最も恐れを捻じ伏せて来たガルが、進む一行の先頭で小さく鼻を動かす。

 

 「死臭がするな」

 「何処もかしこも似たようなものだと思うけど」

 「距離が近い。いやむしろ、近づいてきているな」

 

 果たして、その言葉に応じたのかどうかは分からないが。

 重い音を立てて、唐突に空から「何か」が飛来した。

 地を揺るがす衝撃に、一行は思わず足を止める。

 見れば、荒れ山への道を塞ぐように二つの大きな肉塊が蠢いていた。

 

 「塔に向かう者を阻む、守護者ガーディアンというわけか。

  むしろ此処まで簡単過ぎるぐらいだったが」

 

 剣を抜き、やや緊張した面持ちでクウェルは呟いた。

 それはまったく醜悪な存在だった。

 一言で言い表すならば、無数の死体を捏ねて造った肉団子。

 恐らく、材料として使った数にして数十体。

 それだけの人体を潰して混ぜ合わせ、長さも大きさも不揃いな幾つもの手足を生やした異形。

 見ようによっては蜘蛛にも似たソレは、屍群レギオンと呼ばれる不死の怪物であった。

 大量の死体と、大量の悪霊を固めて作った死の合成生物キメラ

 時に凄惨な戦場など、大量死が起こった場所で自然発生する災害的な存在ではあるが。

 この場に現れた二対の屍群がそうであるとは、その場の誰も考えなかった。

 

 『『※※※※※※――――!!!』』

 

 吼える。何人分かも分からない口から、屍群は金切声を発した。

 聞く者の精神を磨り潰す恐怖の声テラーボイス

 それに対し、クウェルとビッケは戦慄に襲われ思わず怯んでしまう。

 常人ならば気絶するか、混乱してその場から逃げ去ろうとするだろうが、それはギリギリ踏み止まる。

 僅かに動きを止めた二人に対し、恐怖を振り払った者は躊躇わずに前に出た。

 

 「イアッ!!」

 

 戦いの叫びウォークライ

 大金棒を振り上げて、先ずはガルが走る。

 黒騎士ほどではないにしろ、巨大な肉塊である屍群の動きは鈍く、的を外す道理もない。

 一撃。強烈な打撃は、本体に比べて細い手足を束で圧し折る。

 

 『※※※※ッ!?』

 「何を言ってるか分からんな」

 

 凄まじい苦痛に狂った様子で叫ぶ屍群。

 それを意にも介さず、ガルは金棒による肉の解体作業を続行した。

 屍群の本質は、数多の屍に憑依した悪霊群である為、本来は物理的攻撃は効果が薄い。

 しかしガルが振るうのは大業物。

 地妖精の名匠が鍛え、その後に黒妖精の名工が手を加えた魔剣にも劣らぬ逸品だ。

 故に相手が肉を纏った霊体であろうと、構わず打撃はその芯を捉える。

 

 「相手からしたら、堪らないわね」

 

 凄惨な解体現場を横目で見つつ、屍群の恐怖を「帳」で弾いたクロエが走る。

 叫びながら、肉塊のあちこちから生えた手足を出鱈目に振り回す屍群。

 捉えられたら厄介だろうが、そんなものに当たる程に鈍間ではない。

 掠める一撃は「帳」の表面で受け流し、黒い刃で手足を一つ一つ切断していく。

 腐った血肉が撒き散らされ、辺りは更に死臭で埋め尽くされる。

 

 『※※※※!!』

 

 その存在一つで災害にも等しいはずの屍群。

 けれどまるで問題ないと、ガルとクロエはその力によって圧倒する。

 

 「ああいう搦め手以外は単純暴力しかないデカブツは、特に相性良いだろうね。

  ま、簡単に終わるんならこっちは温存出来るかねぇ」

 

 一方的な展開が続く前線を見ながら、ルージュは小さく呟く。

 既に恐怖を振り払った他の二人も、同じようにその戦いぶりを見ていた。

 

 「ホント頼りになるなぁあの二人は」

 「……改めて、凄まじいな。本当に」

 

 ビッケは信頼を込めて軽い言葉で、クウェルは畏怖を込めて重く呟いた。

 此処まで辿り着くまでにも、魔剣を有する二体の死の騎士も冒険者達は葬ってきた。

 その脅威は、どれも都市一つを滅ぼしかけない災厄の具現。

 それに犠牲無く勝利を得た彼らに、今さら屍群程度は障害ですらないのかもしれない。

 しかし。

 

 「……それにしてもまぁ、妙な話だね」

 「? どういうことっすか?」

 「いや、何となくだけどねぇ」

 

 既に観戦モードに入っていたルージュは、何か少し考え込むような仕草を見せる。

 首を傾げるビッケに、ルージュ自身も浮かんだ考えを整理するように。

 

 「妨害に入るタイミングが変じゃないか、と思ってね」

 「姐さん、姐さん。もうちょっと分かりやすく」

 「だってアレが守護者の類だってンなら、目的は当然近付いてくる奴の始末なり妨害だろう?

  魔王とやらの御宅も見えて来ちゃいるし、敵が出てくる事自体はおかしな話じゃないがね」

 「うん、それが何で妙な話になんの?」

 「手緩過ぎるでしょ、コレ」

 

 言いながら、手にした《火球の杖》でルージュは前方を示す。

 戦い――いや、既に「後処理」の状態に近いガルとクロエの方を。

 あれほど恐怖と嫌悪を振り撒いていたはずの二つの肉塊は、ただの血肉の詰め合わせになりつつあった。

 まともな神経ならば参ってしまいそうな酷い光景だが、ルージュは構わずそれを眺める。

 

 「少なくともこっちは、魔剣持ちだのって向こうのボス格を既に倒してるってのに。

  本気で妨害したいんだったら、最低でも同じぐらいの奴を寄こすと思わないかい?」

 「……それは、確かにそうだと思うが」

 

 難しい顔で頷いたのはクウェルだった。

 彼女の方は、血みどろな戦いぶりからやや目線を逸らして。

 

 「偶然、ではないのか? いや、そう言い切れる確証は何もないが。

  或いは、あの黒騎士を巨大な肉巨人に変えるのに、大量に戦力を使い過ぎたか」

 「いやいや。ついデカく作り過ぎちゃたって、流石にそんな間抜けなこと言わないでしょ」

 

 仮にも相手は伝説の魔王でしょ、と。至極真っ当なツッコミを入れるビッケ。

 ルージュは水袋を取り出し、其処に入った果実酒を舐めつつ。

 

 「まー相手が単に考え無しだってンなら、それはそれで構わないんだけどね。

  別にこっちが困る話じゃあない」

 

 単純に、相手に不備があったのならそれはそれで構わない。

 けれどそれを確かにする術は自分達には無く。

 こういう場合に違和感を感じたのであれば、其処から繋がるを想定するべきだろう。

 故にアルコールを軽く脳に入れつつ、ルージュは小さく唸った。

 

 「本気でこっちを妨害するつもりだって言うなら、もっとマシな戦力を送ってくるはず。

  それこそ、あのデカブツをふらふら歩かせてるのもおかしい話さ」

 

 仮に、あの肉巨人が真っ直ぐ都市を目指さず此方を追い回して来たなら。

 それだけで随分と面倒な話になったはずだ。

 けれど実際はそうはならず、黒い塔を視界に収める距離に近付くまで、ロクに敵とも遭遇しなかった。

 其処へ来て、この二体の屍群の出現。

 どうにもこうにも、全てが中途半端に思える。

 

 「……誘い込まれてる? いや……」

 

 その考えは、一面としては正しいのではないか。

 自分達は此処まで誘い込まれているのだろう。あの塔に座する魔王によって。

 ならば此処までスルスルと進む事が出来たのも辻褄が合う。

 だが其処で差し向けられた、二体の障害物。

 それが意味するところは。

 

 「……なぁ、ビッケ」

 「うん?」

 「何か見えたり、気付いた事はないかい?」

 「? 何かって言われましても」

 

 言われて、ビッケは視線を周囲に巡らせる。

 特に気になるようなものはなく、前線で肉塊の処理が終わったのが見えるぐらいだ。

 そう――周囲に怪しいものは、何もなかった。

 

 「罠だね、こりゃ」

 

 申し訳程度に警戒の意思を見せながら、ルージュは確信と共に告げる。

 アレは、結末の分かり切ったあの哀れな二体の肉塊。

 その役割は、単なるだ。

 恐らくは妨害ですらない。

 ほんの僅かにでも、此方の足を止められさえすればよかった。

 もしその考えが正しいのなら、何処からか必ず本命が来るはず――。

 

 「…………ッ!?」

 

 ぞわりと。

 ルージュの推論の正しさを証明するように、ビッケの第六感が総毛立つ。

 何かが来る。それは間違いない。

 だが、それは何処から?

 

 「アニキ!!」

 

 それは多分、此方ではない。

 勘働きもある。だが根拠は、

 状況は不明のまま、ビッケは大きく声を上げて。

 

 「――――っ!?」

 

 その呼びかけを受けると同時に、ガルが動いた。

 ギリギリまで――そう、本当にギリギリまで秘められ続けた殺意。

 それを一息に浴びせられ、戦士の肉体は思考を挟まず動き出す。

 何が起こるのか、それすら不明。

 ただ殆ど反射的に、傍に立っていたクロエの身体を掴むと、その場から大きく飛び退いた。

 

 「っ、ガル……!?」

 

 いきなりの事に、クロエは驚き。

 けれどその感情は直ぐ、次に来る衝撃によって塗り潰された。

 閃光。一瞬、視界を完全に白い光が焼き潰す。

 

 「何事だい……!?」

 

 まるで太陽が炸裂したかのような閃光を受け、ルージュは思わず叫んだ。

 光が消え、焼かれた視界も少しずつ元に戻っていく。

 涙と光の残滓で滲み、完全に視覚を取り戻したとは言い難いが……。

 

 「……マジかい」

 

 そう呻いたのは、果たして誰だったか。

 目の前。先ほどまで、黒騎士が通った跡に解体された血肉がブチ撒けられていた場所。

 今はそのどちらも消え去り、大きな亀裂だけが刻まれている。

 その亀裂をギリギリ避ける形で、クロエを抱えたガルが地面を転がっていた。

 直ぐに立ち上がり、体勢を立て直す。

 それから光の出所を探る為に、視線を巡らせるが。

 

 「ガルっ!?」

 「むっ……!」

 

 抱えられたままのクロエは、偶然にもそれを目にした。

 空から落ちてくる、太陽とは異なる白い光を。

 それを察知したガルは、また地を蹴ってその脅威から逃れようとする。

 閃光と衝撃。吹き付ける熱量を鱗で感じながら、ガルは唸り声を上げた。

 

 「次から次へと、随分と多芸な連中だな……!」

 

 再び刻まれた、地面を抉るような破壊の痕跡。

 ガルは最初、それを単純な熱線か何かの攻撃だと考えた。

 けれど熱線であるならば、余波で受ける熱が弱いようにも思える。

 直撃こそしていないが、至近距離ならそれだけで焼け焦げそうな威力に見えるが……。

 

 「攻撃は、あの塔の方からだ!」

 

 叫ぶ声。其処には強い焦りと恐怖が滲んでいる。

 ガルの抱いた疑問に、答えを持っていたのはやはりクウェルだった。

 そう、彼女は知っていた。

 今自分達が、一体何に狙われているのかを。

 

 「これは魔剣だ、《勝利の王冠》!

  その魔力は、……!」

 

 告げられる事実は、脅威という言葉では足りない程で。

 

 「ナニソレ。そんなヤバいもんで、まだ距離があるあの塔から狙い撃ちにしてるって事っ?」

 「そ、そうとしか思えないが……だが、そんな遠くまで射程を持っているはずは……」

 

 ビッケの言葉に、クウェルは動揺した様子で呻く。

 しかし幾ら現実を否定したところで、目の前で起こっている事は覆らない。

 空を――黒い塔が見える空に目を向けながら、ルージュは思わず笑ってしまった。

 余りに酷いものを目にすると、人は時に笑う他なくなるのだと示すように。

 

 「とりあえず、逃げるでも何でも良いけど、死にたくなけりゃアレを何とかするしかないようだよ」

 

 空に輝く光。それは決して、太陽から差す光ではない。

 最悪の魔剣《勝利の王冠》から放たれる、滅びの光。

 それは一切の慈悲なく、冒険者達の頭上へと降り注いだ。

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