第四十四節:最後に目覚める者

 

 夜が明けて、また日が昇る。

 けれど不死者達にとって、今が昼か夜かなど既にどうでも良い事だった。

 

 「…………」

 

 暗く、捻じれた捻じれた石造りの通路を、一匹の屍人が行く。

 無言のまま歩を進めれば、首から下げた大渦の紋章が小さく揺れる。

 それは魔王復活を成し遂げた司教だった。

 最早眠る必要のない死者の身体は、昼も夜も構わず動き続ける。

 故に彼は、既に数日もの間、不眠不休でこの「塔」の中を歩き回っているのだが。

 

 「……陛下は、一体何をお考えなのか」

 

 呟く。不敬とは知りながらも、司教は口に出さずにはいられなかった。

 偉大なる魔王カリュブディス。

 《死の大渦》、《死者の夜明け》、《冥界の征服者》、《唯一にして真なる不死者》。

 その異名は数知れず、伝説にその名を刻む偉大なる剣の魔王、その一柱。

 司教を始めとした魔王崇拝者達が奉じる「神」そのもの。

 彼の王を目覚めさせる事こそ、彼らが何代にも渡り望み続けた悲願だった。

 この物質世界から神々を追い散らした、その偉大なる御力。

 それを賜り、あわよくば死の軛から解き放たれ、永遠にを謳歌する。

 大半の魔王崇拝者達は、そう言った即物的な現世利益を求めて魔王に服従の意を示す。

 魔王も元々は人間であるが故に、欲望や欲求は人の感性に近い。

 少なくとも、崇拝者の多くはそう考える。

 そして事実、そのような魔王が多いのも確かだった。

 この世の全て、その支配を求める狂った薔薇帝などがその典型だろう。

 故に、魔王カリュブディスもそうであると。

 生者の昼を死者の夜に塗り替える事こそ、あの墓土の主の望みだと司教らは考えた。

 しかし。

 

 「確かに、我々の儀式は不完全であったかもしれないが……」

 

 順調だと思われたのは、魔王復活の儀が成功したその瞬間までだった。

 いざ呼び覚ましたカリュブディスは、多くの力を失ってしまった不完全な状態。

 それでも尚、伝説を想起させる強大な魔力は有しており、司教を含めた崇拝者達に死の祝福を与えもした。

 其処までは良い。その力は正に《死の大渦》と呼ぶに相応しかった。

 それに例え今は不完全だとしても、より多くの死を得れば魔王は伝説と同等の姿を取り戻すだろう。

 司教はそう確信していたし、カリュブディスもその力で多くの死者を操り、直ぐに侵攻の構えを取った。

 動く死体は溢れ出し、群れを成して進軍を開始した。

 地表を覆う程とは行かずとも、雪崩れ込めば近隣の都市を屠るぐらいは容易いはずだった。

 加えて、四本の魔剣を核として呼び出された死の騎士達。

 司教らが魔王の為に集めた強大な魔剣の力、その前には例え一流の冒険者だろうと抗う術はない。

 十分だ。十分過ぎる戦力だ。

 足りない数は、死体が死体を増やせば増やすだけ継ぎ足されていく。

 誰であろうと、死んでしまえば王の支配下。

 生きていない者は魔王カリュブディスに逆らえる道理はない。

 もし仮に、死の騎士を討つ程の英雄が現れたとしても、その抵抗は無意味に過ぎる。

 何故ならば、屍達の頂点に立つのは伝説の魔王その人だからだ。

 如何なる強者とて、《死の大渦》の抱擁を受ければ生きた身ではいられない。

 そうして新たな屍が、魔王の剣となって生者の昼を蹂躙する。

 まるで、生と死が混ざる渦のように全てを呑み込んでいく。

 その渦は、例え神々であろうと止められない。――そのはずだった。

 だが、現実はどうだ。

 狂乱を呼ぶ魔剣《殺戮者》を有する赤い騎士は既に討たれた。

 死毒を撒く魔剣《疫病の風》を携えた蒼褪めた騎士もまた、役目も果たせず海の藻屑となったと聞く。

 命を枯らす魔剣《節制者》を持つ黒騎士は、今まさに進撃をしている最中ではあった。

 だが、その進みは余りにも遅い。

 肉を継いで巨大化し過ぎた身体は、余りに鈍重に過ぎた。

 其処までせずとも、もっと多くの不死者と共に送り込めば、とうに都市一つぐらい落とせているだろうに。

 枯渇の領域を纏う不死の巨人は、確かに厄介ではあるだろう。

 だが時間を与えれば与えただけ、西部諸国が対策を講じる余裕を与えてしまいかねない。

 

 「時間は、死なぬ我らの味方だと、そうお考えなのか?」

 

 実際に、司教は不敬と知りながらも、つい先ほど鋼の玉座にて諫言を述べて来たばかりだった。

 今のままでは余りに危険であると。

 陛下は今だ不完全であり、侮りが過ぎれば思わぬ反撃を食らってしまうやもしれません、と。

 呪いを受け死者となった司教にとって、最早魔王に縋る以外に道はない。

 故に、覚悟を以てその言葉を口にしたのだが。

 

 『確かに、アレは少々大きく造り過ぎてしまったな。

  だがまぁ良かろう。人間共に猶予を与えるその鈍間な姿も、見方によってはなかなか趣がある』

 

 司教の不敬を咎めもせず、それがカリュブディスの返した言葉だった。

 それ以上は何も言わず、そして司教もそれ以上語る言葉を捻り出す事が出来ず。

 今はこうして、『塔』の中を彷徨うように歩いていた。

 カリュブディスの魔力によって造られたこの建造物は、外観よりも遥かに広い空間を有している。

 何処が何処と接続しているのか、司教らとて把握出来ていない。

 その為、無為に時間を費やしながら移動を続けるという、何とも間抜けな事態に陥っていた。

 目指している場所は一つで、目当ての物もまた一つ。

 

 「死者の夜明けを。その為に、私は多くを犠牲にしたのだ。このまま終わるなど認められん」

 

 もう自分でも歯止めの効かぬ欲求を、司教は意識せずに口にする。

 そうだ。終わらない。終わりを拒絶したからこそ、魔王崇拝という魔道に落ちたのだ。

 永遠を夢見た。それを唯一実現し得る、《死の大渦》の力に魅せられた。

 伝説を紐解き、伝承を読み漁り、苦難の末にようやく此処まで辿り着いた。

 多くを騙した。多くを殺し多くを奪った。

 最早如何なる神々であっても、この罪に塗れた身を赦す事など永劫ないだろう。

 残る道は魔王、《死の大渦》たるカリュブディスの庇護を願う事のみ。

 その為にも、やらねばならない。

 

 「……此処だ」

 

 曲がりくねった通路の先。

 辿り着いたのは、分厚い石の扉。

 物理的な鍵は付いておらず、魔術によって封が為されている。

 外側と内側からの二重封印。強固ではあるが、司教にとって障害にはならない。

 口の中で小さく呪を唱えれば、指先から小さな光が瞬く。

 カチャリ、と。

 実際に鍵が外れたような金属音が響き、扉に刻まれた魔力が消失する。

 それを確認して、司教は慎重に扉を押し開いた。

 其処は広い石室だった。

 真ん中に大きめな石棺が置かれている以外は、調度品や飾りの類は一切存在しない。

 墓土の空気だけが漂うその空間に、司教は躊躇なく足を踏み入れる。

 

 「私が行動で示せば、陛下も御考えを変えられるかもしれん」

 

 それは希望的観測に過ぎた考え方ではあった。

 しかし、今の状況を「追い詰められている」と考える司教には、それこそ正しい答えで。

 不気味な魔力が揺らめく石棺へと、ゆっくりと近付いていく。

 

 「最後の魔剣……陛下はまだ、これを騎士として差し向けるつもりはないようだが……」

 

 其処に如何なる深淵な御考えがあるのか――とは、今は考えない。

 単に出し惜しみをしているだけと、正鵠を射ていた司教は、これを目覚めさせる為に石室にやって来たのだ。

 それがどのような力を持つ魔剣であるのか、司教は知っている。

 知っているからこそ、危険を承知で此処まで来た。

 最後の魔剣、最後の騎士。

 これが動き出せば、生者の抵抗の多くが無へと帰る。

 

 「我が小さな裏切りを赦し給え、大いなるカリュブディスよ。

  しかしこれこそが、我らの望む《死者の夜明け》の為の一歩なのです」

 

 血の通わぬ指先が、石棺の蓋に触れる。

 やはりと言うべきか、其処にも封印が施されていた。

 これも強力ではあったが、扉に掛かっていた術式と大きな差はない。

 ならば解除も容易いと、司教は意識を集中させた。

 呪文を囁きながら、重い蓋を押す。

 

 「解き放たれよ、勝利をもたらす者……!」

 

 大いなる野望、偉大なる理想の成就。

 己の欲求の為ならば、全ての行動が是であると。

 そう高らかに歌うように、司教は石棺の封を解き放った。

 そして。

 

 『小さいか、大きいか』

 

 声。それが誰のモノであるのか、司教は理解出来なかった。

 ただ衝撃が喉元を襲い、そのまま身体が宙に浮く。

 

 「がっ……!?」

 『そう考える事こそ、器の矮小さの表れだ』

 

 喉を締め上げられるが、死体である司教はもう呼吸を必要とはしない。

 故に、単純に首を圧迫されている苦痛に悶えながら、司教は視線を何とか定めた。

 蓋が完全に開け放たれた石棺。

 其処から伸びるが、司教の首を掴んでいた。

 決して小柄というわけではないその身体を、まるで棒切れか何かのように軽々と持ち上げる。

 ――あり得ない。

 ――何故、既にコレが目覚めているのか。

 司教は驚愕に震え、目の前の事実を何とか否定しようとした。

 けれどそれは言葉として発する事も出来ず、死んでいる頭の中で無意味に渦を描くだけ。

 

 『――裏切りは、裏切りだ。それ以上でも、以下でもない』

 

 白い、甲冑の騎士。

 石棺から起き上がったソレは、かなりの巨体だった。

 恐らくは常人の倍近い。その体格に見合うだけの力で、司教の首を締め上げる。

 

 「ぁっ、が……っ!?」

 『お前の言葉に意味はない。ただ、《死の大渦》の言葉だけをお前に伝えよう』

 

 脱しようにも、力では到底敵わない。

 呪文を唱えようにも、硬い指は喉をキッチリ押し潰している。

 そもそも、仮に万全だとしても司教に抵抗する術など存在しなかっただろう。

 白い騎士が、もう片方の手に持つ大剣。

 その強大無比な魔剣の力の前では、如何なる抗いも無意味だと。

 他ならぬ司教自身が良く理解していた。

 青白い顔を絶望に染める司教に対し、騎士は一切の慈悲も込めずに言葉を続ける。

 

 『お前に命じるのは、最初に与えた一言だけだ』

 

 ――死ね。

 冷たい、永久氷獄よりも凍てついた魔王の声が聞こえるようだ。

 一閃。己の愚かさを悔いる暇すら与えられず。

 魔剣の切っ先が触れると同時に、司教の意識は永遠にこの世から消滅した。

 

 『大人しくしていれば、カリュブディス様もお目溢し下さっただろうに』

 

 ぼたりと、石の床に肉の塊が落ちる。

 それは腰から上が消し飛んだ、司教だった物の残骸だった。

 ただの肉塊にはもう興味がないと言わんばかりに、白騎士はこれに目もくれない。

 自ら石棺から出ると、何処か遠くへと視線を向ける。

 

 『……間もなくか』

 

 小さく呟く。それが何を意味するのか。

 白騎士は、自分の言葉に自分だけで納得し、ゆっくりと剣を持ち上げた。

 魔王カリュブディスに捧げられた、四本の魔剣。

 その最後の一振りにして、最強の魔力を持つ《勝利の王冠ケテル・ミトロン》。

 王より借り受けたその刃を手に、白き騎士は歩き出す。

 

 『王の赦しは既に得ている。ならば一時、興じさせて貰おうか』

 

 白き騎士は笑う。勝利そのものたる剣を携えて。

 その眼は、未だ遠い――けれど、確実に近づきつつある者達を、確かに捉えていた。

 

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