第四十七節:遭遇

 

 「おーい、大丈夫かい? いい加減起きておくれよ」

 

 遠く響く声に応じて、意識はゆっくりと浮上する。

 その距離が近くなるにつれて、視界が少しずつ明るさを取り戻す。

 目を開く。頭がグラグラと揺れるのは、恐らく「転移酔い」のせいだろう。

 細かい条件は分からないが、空間を転移した際に時折起こる身体異常。

 痛むこめかみを抑えつつ、クロエは何とか身を起こした。

 

 「痛っ……」

 「気分悪そうだねぇ、治療した方がいいかい?」

 「ルージュ……」

 

 傍にしゃがんで覗き込んでいるのは、見慣れた女司祭だった。

 手にした骰子に明かりを灯しつつ、ルージュは大きく息を吐いて。

 

 「ま、お互い運が良かったね。いきなり知らない場所に飛ばされて焦ったけど。

  直ぐ近くにアンタが寝転んでたからね」

 「……この場にいるのは、私達だけ?」

 「の、ようだねぇ。他の三人は、少なくとも此処にはいないね」

 

 言葉を交わしつつ、クロエは改めて視線を巡らせる。

 僅かな光に照らされた暗闇を、その目はぼんやりとだが見通す。

 飾り気のない石室。扉の無い出入口が一つだけ、黒々とした闇を覗かせている。

 漂う墓土の臭いに顔を顰めながら、クロエはその場に立ち上がった。

 

 「無理しなさんなよ」

 「この状況じゃ、そうも言ってられないわ」

 「ま、それはそうかもしれないけどね」

 

 ルージュも頷きながら、クロエの傍に並び立つ。

 カチャリと、その手の中で神の化身である骰子が小さく鳴った。

 

 「さて、こっからどうするかだね。そもそも此処は何処なんだい?」

 「……多分、あの塔の中だとは思うわ。それ以外に、飛ばされる場所なんて思いつかないもの」

 「そうは言うけど、あの状況で何で塔の中に飛ばされてんだい? あたしら」

 「それは分からないけど……」

 

 不明だ。何もかもが不明。

 恐るべき魔剣の猛攻に晒されたかと思えば、いつの間にやら敵の本拠地に招かれていた。

 本当に意味が分からないし、結果的に戦力を分断されてしまった。

 後衛ルージュの傍に、前衛自分がいた事は本当に幸運だったと、クロエは改めて思う。

 此処が本当にあの塔の中だとしたら、内部にどんな怪物や不死者がいるのか分かったものではない。

 自身の魔剣、《宵闇の王》をその手に構えながら、クロエは注意深く辺りを観察する。

 罠の専門家であるビッケがいない今、鈍いなりにも警戒は怠れない。

 

 「……とりあえず、動きましょう。此処に留まって、事態が好転するとは思えないし」

 「それは同意見だねぇ。早いとこ、他の連中も探さないとね」

 

 そう言いながら、クロエとルージュは頷き合う。

 暗闇でも視覚に影響のないクロエが、ルージュを庇う形で一歩だけ前に出る。

 

 「何が起こるか分からないから、私の傍を離れないで頂戴」

 「ええ、そりゃもう頼りにしてますとも」

 

 ぴったりと――では邪魔になるので、ルージュは可能な限りクロエの傍に引っ付く。

 近くに大柄な気配がない事に、少しばかり心細さを感じつつも。

 それを表に出す事は無く、クロエは石室から外に出る。

 部屋の出入口からそっと顔を覗かせれば、長く伸びた通路が目に入る。

 怪しいものは見当たらない。ただ闇と静寂に満ちた石造りの廊下だけが、視界の外まで続いている。

 本当に、不気味なまでに静かだ。

 

 「……これは、どういう類の罠だと思う?」

 「正直、何とも言えないね。あの外でのデカブツは、魔剣で薙ぎ払う為の足止めだったのは間違いないけど」

 

 ゆっくりと通路を進みながら、抑えた声で二人は言葉を交わす。

 話している間も、クロエは視線を忙しなく動かしている。

 何もない平坦な通路は、逆にそこかしこに「何かがある」と錯覚させて来た。

 神経を削り気味なクロエに対し、ルージュは軽くその肩を叩いて。

 

 「あんまカリカリしてると、直ぐにバテちまうよ。ただでさえ転移酔いが残ってるだろう?」

 「……そうね。ごめんなさい」

 「や、別に謝るこっちゃないけどね。あたしもクロエがいなきゃ今頃ガクブルもんさ」

 

 クックと笑いながら、ルージュも時折視線を揺らしている。

 不意打ちや奇襲の警戒は普段は男衆の仕事であった為、どうしたって神経を使う。

 

 「……で、さっきの話の続きだけど、これが罠かどうかって事だけども。まぁ、やっぱ分かんないね」

 「罠じゃないなら、どういう意図があると思う?」

 「さてねぇ。案外、あたしら相手に遊んでるのかもしれないよ?」

 

 遊んでいる、と。

 余り予想していなかった言葉に、クロエは少し困惑して。

 

 「遊んでる……って、その、魔王がって事?」

 「多人数を纏めて、しかもこっちの認識外から転移呪文でフッ飛ばすような相手。

  もし魔王ご本人以外にもいるんだったら、尻尾巻いて逃げ出したいところだねぇ」

 

 そう言って、ルージュは大袈裟に肩を竦めて見せる。

 

 「まぁ完全にあたしの印象での話になるけど、その魔王様とやら、絶対遊び気分だと思うねぇ」

 「……その根拠は?」

 「殆ど勘ではあるね。けど、考えてもみなって。

  相手が本当に伝説の魔王で、伝説通りに「死者の夜明け」を狙ってるんだったら、流石に色々手緩過ぎるだろ?」

 「まぁ……そう言われれば、そうかもしれないわね」

 

 ルージュの言葉に、クロエは小さく唸りながらも頷く。

 無数に溢れる不死者の群れに、恐るべき魔剣を携えた死の騎士達。

 どれもこれも恐るべき脅威であったし、黒騎士などは「手に負えない」と無視してきた程だ。

 けれど、確かに。

 かつて大陸を恐怖に陥れた伝説の魔王が仕掛けた事と考えると、「手緩い」という評価は妥当かもしれない。

 少なくとも赤い騎士と蒼褪めた騎士に関しては、自分達でも何とか解決出来たのだから。

 

 「もし本気で人間世界を侵攻しようってンなら、そもそも最初の時点でおかしいのさ。

  あんな『魔王が復活した』って大々的に知らせるメッセージ、普通送るわけがないでしょ」

 「……言われてみればそうよね」

 

 最初に、アディリアンの街で目にした魔王の詩文。

 その内容を思い出しながら、クロエは頷く。

 思えば、この一連の騒動は最初から《死の大渦》が仕掛けた悪ふざけなのか。

 ルージュは小さく笑うが、それは決して愉快げな表情ではない。

 むしろ不快さを笑みに変えて言葉を続ける。

 

 「果たしてどっからどこまでが、塔の玉座でふんぞり返ってる魔王様の予定通りなのやら。

  今こうしてあたしらが話しているのも、どっからか聞いているのかも」

 「……此処があの塔の中なら、それこそ魔王の腹の中と考えて良いでしょうね」

 「わざわざ転移で懐に招いておいて、そのまま放置とか。悪ふざけでなきゃ何だって話だねぇ」

 

 そう言っている間も、二人は足を止めない。

 捻じれ、曲がりくねった通路をゆっくりと進み続ける。

 気配はない。何処までも不気味に、静かに。

 まるで此処が巨大な生き物の腸の中ではないかと、クロエは錯覚しそうになる。

 

 「……ガルは、大丈夫でしょうけど」

 「そうだねぇ。死の騎士とか、それこそ魔王本人と出くわしてなきゃ大丈夫でしょ。旦那なら」

 「不吉な事は言わないで頂戴……」

 

 仮にそんな状況になったとしても、あの蛮族は退く事無く立ち向かうだろう。

 それが容易に想像できる為、クロエは少し不安げに言葉を返す。

 逆にルージュは、そんな暗い感情を軽く笑い飛ばして。

 

 「大丈夫だって、旦那なら死なない限り死にゃしないからさ」

 「それは当然でしょう……?」

 「殺したって死にそうにない、って言った方が良かったかい? 何にせよ、心配するだけ損ってもんさ」

 「……まぁ、それについては信頼しているけれど」

 

 むしろ自分などよりも、ガルの方がよっぽど大丈夫ではあるだろう。

 その点について、クロエの抱く信頼に一点の曇りもなかった。

 そうなると、心配になってくるのは。

 

 「ビッケと、クウェル。あの二人こそ、大丈夫かしらね……」

 「……ま、ビッケの方は大丈夫じゃないかね?」

 

 何やら含みのある物言いに、クロエは緩く首を傾げる。

 ルージュは水袋を取り出し、けれどそれに口を付けることはせず手の中で軽く揺らして。

 

 「気付いてたかどうか知らないけど、ビッケはクウェルに対して結構注意は向けてたんだよ」

 「……どういうこと?」

 「ちょっとね、都合が良すぎたからね。あの子の存在自体が」

 

 旅の途中、色恋云々をネタに弄っていた人間の発言とは思えない。

 驚きを隠せないクロエに、ルージュは苦笑いを見せる。

 

 「あんまり露骨に疑っても、相手が不信に思うかもしれないだろ?

  そういうのは基本ビッケに任せて、こっちは自然に反応引き出せるよう振る舞ってただけさね」

 「……其処まで考えて、あんな話をしてたの?」

 「趣味が入ってたのは否定しないけどねぇ?」

 

 クックと喉で笑うルージュに、クロエは唖然としてしまう。

 本当に、心の底からただの馬鹿話だと信じて疑っていなかった。

 実際、半分以上は馬鹿話でしかなかったのだが、ルージュは知恵者のように笑って。

 

 「旦那も何か気にはしてた様子だけど、大っぴらに話せる事じゃないしねぇ。

  結局、殆ど怪しい動きも見せなかったからあたしの方は大して気にはしてなかったけど」

 「……結局、クウェルの事をどう考えてるの?」

 「さて、それは当人に聞かなきゃ何とも分からない話だけどね」

 

 復活した魔王と、その事実を知らせる謎めいた布告文。

 異変を探りに行った先で出会った、かつて魔王を退治した英雄の子孫。

 都合の良い、何とも都合の良い話だ。

 まるで誰かが書いた筋書きシナリオのように、無駄が無く都合が良い。

 特にクウェル自身が此方の知りたい事を知っているのが、何とも都合の良い話だ。

 神々の導きだとか、奇跡の出会いだとか、そう考えるのも容易いが。

 

 「……ま、クウェルはあたしらに対して不利益な行動は取ってないからね。

  そういう意味じゃ、本当に微妙な話ではあるよ。気にし過ぎってオチも十分あり得る」

 「……ビッケは、どう考えていたのかしら」

 

 少なくともクロエの目には、あの二人の仲が悪いようには見えなかった。

 何かしらの共感や通じるものが、その間にはあったように感じられる。

 全て騙し合う者同士の演技で、見ている側の錯覚に過ぎなかった――その可能性も、大いにあり得るが。

 

 「……確かめた方が、良いのよね」

 「さて、別に土壇場で背中を刺しに来ようが、旦那とビッケが防いだろうしねぇ」

 「そういう心配ではないのだけれど……」

 

 正直、自分でもどうしたいのかクロエは言語化が難しかった。

 今ルージュに言われるまで、彼女の事を疑いもしていなかったのだから。

 真実の在り処は何処なのか。

 この暗闇の中では何も分からないままで――。

 

 「っ……」

 「……今の、気のせいじゃあないね?」

 

 思考を中断したのは、微かに響いてきた振動。

 最初は小さく、けれど途切れる事無くハッキリと塔全体を揺らす衝撃。

 距離は、決して遠くはない。

 

 「……どう思うね、これ?」

 「嫌な予感がするわ」

 

 先ほどまでは感じられなかった、明白な異変。

 それが意味するものとは。

 

 「少し、急ぎましょう」

 

 騒ぐ胸を、意識しないままにぎゅっと抑えて。

 クロエは駆け出し、ルージュは遅れぬようにその後を走る。

 暗闇に潜む危険など、もう然したる問題ではなかった。

 

 

 

 ――その場所が何処であるかなど、彼にとっては些細な事だった。

 薄暗い闇の向こう。

 対峙する相手をその眼で捉えながら、ゆっくり呼吸を整える。

 

 「母なる蛇に感謝しよう」

 

 呟き、ガルは手にした大金棒をゆるりと構えた。

 それに応じるように、向かい合う敵手も自らの得物を掲げる。

 闇の中――燦然と輝く光を宿す、その魔剣を。

 

 「お前と出くわしたのが、先ず俺であった事をな」

 

 恐るべき魔剣、《勝利の王冠》。

 それを構える白騎士を正面から見据えながら、ガルは笑った。

 先ほどまでは一方的に攻撃を仕掛けて来た相手。

 それを漸く己の武器の間合いに捉えた事を、心底歓喜しながら。

 無茶や無謀などという単語は微塵も考える事無く。

 

 「イアッ!!」

 

 戦いの声を叫びながら、躊躇なく死線の内側へと踏み込んだ。

 

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