第八節:大鬼の将と赤い男

 

 今日も今日とて、グルーガン要塞には陰鬱で湿った空気が流れていた。

 この古びた要塞に、妙に湿気が多い理由は幾つかあった。

 その一つとして、この要塞が存在する泥蛇山が活火山である事が上げられる。

 地の底で渦巻く火山活動は、その近くを走る水脈を温める。

 そうして大地を走る無数の亀裂を通じて、そこかしこに熱いお湯や蒸気が噴き出す。

 結果として、要塞含めた山全体が常にジメっとした空気に覆われ続ける。

 それを自然現象と諦めて受け入れるには、大鬼という種の心は大らかな構造をしていなかった。

 故にこの要塞を拠点とする大鬼達の多くは、環境の悪さに常に苛立っている。

 そしてそれは、立場の上下による例外もない。

 

 「……それで? 此度は一体どういった御用向きかな?」

 

 要塞の奥、山の一部を掘り抜いて作った一室。

 要塞を支配する大鬼の将、アルガドは己の不機嫌さを隠そうともしなかった。

 大鬼という呼び名が示す通り、彼らは基本人間よりも遥かに大柄だ。

 しかしそれを差し引いても、アルガドの体躯は異様なほどに大きかった。

 通常の大鬼と比べても、更に二回りほど盛り上がった巨体。

 身に纏う特別に誂えた板金の鎧は、内側から押し上げる筋肉の圧力に常に軋んでいる。

 明らかに、生物的に異常とすら言えるほど発達したアルガドの肉体。

 その源は言うまでもなく、彼が傍らに置く無骨な大剣であった。

 今も魔力は起動しており、錆の浮いた刃からは不気味なオーラが揺らめく。

 アルガド自身の怒気と、魔剣が放つ異様な空気に、並の者ならそれだけで恐怖に跪く。

 片田舎とはいえ、要塞一つを任されるアルガドは《帝国》でも有数の力を持つ《魔剣持ち》だ。

 けれど、その魔剣の将と相対しているのもまた、尋常な者ではなかった。

 

 「どういった御用向きか――まさかそんな事を、わざわざ確認の為に口にせねばならぬのかな?」

 

 その人物は、一見するなら洒脱な貴族風の優男といった風貌だった。

 壁も床も大して整えられていない、ゴツゴツとした洞窟の一室には実に不釣り合いだ。

 仕立ての良い礼服スーツも、首元に巻いた上等そうな赤いタイも。

 指に幾つも嵌めた黄金の指輪も、宝石を幾つも飾ったそれ以外の装飾も。

 何もかもが、このグルーガン要塞の雰囲気には合わない。

 いや、いっそ完全に隔絶しているとも言っていい。

 火山活動で湿り気を帯びた空気は、綺麗に整えた赤い髪を僅かに乱す事もない。

 漂う砂埃に、笑みを張り付けた相貌は少しも歪む事はない。

 微かに漂う硫黄の臭いを感じ、アルガドは不快そうに眉間を寄せた。

 

 「我がグルーガン要塞は、今も役目を果たしている。一体何が御不満だと?」

 「不満? いやいや不満など決して」

 

 笑う。赤い男の笑みは、何処か牙を見せる獣のそれに似ている。

 

 「将軍とその配下の将兵らが、日夜どれほど《帝国》の為に粉骨砕身なさっているか。

  勿論、それは私を含めて多くの者が理解しているところです」

 「ならば……」

 「しかし」

 

 反論は許さぬとばかりに、男はアルガドの言葉を遮る。

 嘲りと侮りを隠そうともしない、粘りつくような厭らしい声で。

 

 「やはり怠慢、と言う他ありません。この要塞と貴方に求められている役割は?」

 「……大陸西部へ向けての、《帝国》の本格的な侵攻。その前段階としての橋頭保作りだ」

 「その通り。いやはや、それすら理解出来ぬ頭だったらどうしようかと思いましたが」

 

 心底馬鹿にし切った物言いに、アルガドの筋肉がギチリと鳴いた。

 出来るなら今すぐ叩き切ってしまいたいが、それは二つの意味で叶わない。

 《帝国》における地位で、目の前で嘲る男はアルガドよりも明確に上位にある。

 下位にある者は、上位に立つ者には絶対服従。それが《帝国》の秩序だ。

 そしてもう一つ、これこそが最もどうしようもない理由で。

 つまるところこの赤い男は、魔剣を持つアルガドよりも強いのだ。

 故に屈辱に歯噛みしながらも、アルガドはただ黙する他ない。

 

 「まぁ確かに、この辺りはまだ《帝国》の持つ影響力も弱く、要塞の戦力も限られているのは分かりますがね」

 「それを分かっていて、わざわざ嫌味だけを言いに来られたのか?」

 「時に働く荷馬に鞭を入れる事も必要でしょう? 勿論、それだけではありませんが」

 

 見る。赤い男の持つ瞳、金色に輝くそれがアルガドを捉える。

 

 「そう、少ない将兵らはよく働いておられるようですが、貴方はどうでしょうか?」

 「……何が言いたい?」

 「《帝国》の戦士にその人ありと謳われた、“豪腕の”アルガド。

  貴方が率先して前線に立ったならば、この辺り一帯の制圧など容易ではないのですか?」

 「…………」

 

 問われる言葉に返されるのは、ただ沈黙のみ。

 それを最初から分かっていたのか、赤い男はいっそ愉快そうに笑って。

 

 「まぁ、私が今回派遣されてきたのも、目的はあくまで前線拠点の視察ですからねぇ。

  別にいきなり咎めようとは思っていませんから、そこは安心してください」

 「……この一帯の制圧が遅れているのは、第一に要塞戦力の不足が理由だ。

  拠点を守るのにも戦力はいる。全ての戦力で闇雲に打って出るわけにはいかんだけだ」

 「では、一先ずそういうことにしておきましょう」

 

 今さらのような言い訳の言葉を、赤い男はあっさりと受け入れた。

 弱味を握られた事を自覚しながらも、アルガドは何も言えない。

 その上からもう一つ釘を刺すように、赤い男はもう一つの事実を指摘した。

 

 「そういえば小耳に挟みましたが、近頃その数少ない人員が更に減らされているとか?」

 「略奪などの活動上、敵勢力とぶつかり兵力が損耗するのは致し方ない事だ」

 「それは当然その通りでしょうが」

 

 頷く。けれど嘲る言葉は忘れずに。

 

 「仕方ない仕方ないばかりで、何の対策も講じぬでは、それこそ将器を疑われますよ?」

 「ッ……!!」

 

 せせら笑う声だけを残し、赤い男はくるりと背を向けた。

 それはまったく無防備な動作で、まるで刺して来いとでも言わんばかりだ。

 けれど出来ぬと知っているから、歯噛みするばかりの大鬼の将を、赤い男は嘲笑う。

 一頻り己の嗜虐心を満足させると、赤い男の姿は通路の闇へと消える。

 心なしか足取りが軽やかなのは、特別に用意された「客室」に戻るのが楽しみだからだろう。

 

 「糞ったれがッ!!」

 

 その背が見えなくなった瞬間、アルガドは爆発するように吼え猛った。

 最低限取り繕っていた外面もかなぐり捨てて、口汚く罵る。

 あの忌々しい監督官殿にも聞こえているだろうが、無様を哂いこそすれ咎める気はあるまい。

 その事がアルガドの神経をますます逆撫でしたが。

 

 「畜生、畜生、ふざけるなよ畜生めッ! 何が理解しているだ白々しい!!

  俺が此処まで来るのに、どれだけの事をしたかも知らぬ癖に抜け抜けと……!!」

  

 叫ぶ。吠える。声だけでは済まない。

 発作的に魔剣《古の巨人オールドジャイアント》を手に取り、これを振り抜いた。

 鳴動。部屋の壁は分厚い刃で激しく砕かれ、その衝撃が山そのものを僅かに揺らしたのだ。

 これを二度三度と繰り返したなら、それこそ要塞そのものが崩落しかねない。

 ギリギリと、魔剣の柄を握り締める。

 仮に近くに部下がいたなら、勢いで二、三人は八つ裂きにしていた事だろう。

 それでも収まる事はないだろう炎は、今やアルガドの頭の中身と完全に入れ替わっていた。

 苛立つ。如何にすればこの憤怒を鎮められるというのか。

 

 「強欲な蜥蜴モドキが……!」

 

 けれどその罵声だけは、感情任せで叫ぶ事はなく。

 僅かな理性の下で、独り言のように小さく口の中で転がした。

 毒づき続けるアルガドの思考は、憤怒によって濁ったままで歪に回る。

 これまではどうにか上手くやってきていた。

 この地は偉大なる《帝国》から見れば、西の端の片田舎。

 間抜けな猿しか住んでいないような西部諸国、その鼻の先にこの要塞は造られた。

 如何に《帝国》が強大無比な軍事国家であろうと、現状は一度に多くの戦線を抱えすぎている。

 版図拡大の勢いは鈍麻し、その動きは遅々としたものになっていた。

 故に田舎に過ぎない西部の優先度は低く、このグルーガン要塞も本国との繋がりは希薄だった。

 将としてこの地に来たアルガドは、これ幸いにと望むままに振る舞って見せた。

 どの道、皆が注目するのは列強と接している北や南であり、西に向けられている目は少ない。

 ならば好きにしたところで、一体誰が咎めようか。

 殺して奪い、またそれを繰り返す。何度でも何度でも。

 《帝国》の紋章たる黒薔薇が謳うように、全てを不毛にしたりはしない。

 さながら畑の作物を収穫するように、継続的に続けられる略奪行為。

 容易く全てを根こそぎにしてしまっては、次からそれは奪えなくなる。

 それでは此方が困るのだ。

 

 「……そうだ、奪う事は必要だが、それも奪う相手があっての事。

  不毛の地からは何も奪えんのが道理だ」

 

 呟いて、アルガドは己の魔剣を強く握る。

 魔剣の力を得るには、捧げるべき対価が必要だ。

 アルガドの魔剣《古の巨人》。

 それが求める対価とは、人の富。

 金や銀の財宝を含め、それが「富」と認識できる物なら全てが対価となる。

 故に奪う。奪い続ける。何度でも何度でも。

 対価の支払いが出来なくなってしまったら、折角この身に宿った力の全てを失ってしまう。

 それだけは決して認められなかった。

 

 「そうだ、奪う物が失せては困る。 少しずつでも構わん。奪い続けて、無くなったなら次を奪う」

 

 繰り返す。繰り返す。

 何度でも。何度でも。

 底無しの胃袋を持つ巨人の剣に、対価の富を喰わせ続ける。

 かつては勇猛であった大鬼の戦士は、今や自らの魔剣に奉仕する奴隷となっていた。

 無論、本人はそんなことは気付いてすらいないが。

 

 「そうだ、俺は奪い続けねばならんというのに、奴の言う通りに一帯を薙ぎ払ったらどうなる?

  後は本国の連中が無遠慮に横槍を入れて、残った全てを奪っていくに決まっている!」

 

 まさにあの赤い男の態度そのものではないか!

 アルガドは低く唸りながら、忌々しげに吐き捨てた。

 とはいえ、幾ら呪いの言葉を垂れ流したとしても状況が変わるわけではない。

 目下の課題は、あの目障りな監督官殿をどうするかだ。

 力ずくでの排除が不可能な以上、どうしたって方法は限られている。

 

 「多少の宝を、賄賂として差し出すのはこの際致し方ない。足りなくなればまた奪えば良いのだ」

 

 身勝手な感情を頭の中で弾きながら、大鬼の将は醜い表情を更に歪ませる。

 向こうの欲求を、金銀財宝を渡す事である程度満足させるのは難しくはないだろう。

 一度見せた弱味につけ込み、継続的に要求されるのも目に見えてはいるが、これも必要経費と考えた。

 後は何か、言い訳が立つ程度の成果さえあればいい。

 そうすれば自分の利益も考えて、あの監督官殿が本国に良く取り計らってくれるだろう。

 そこでふと脳裏を過ったのは、先ほど嫌味として突かれたばかりの話だった。

 近頃、何者かが配下の大鬼達を、少なくない数屠っていると。

 

 「……何処の誰かは知らんが、丁度良い生贄にはなるか」

 

 《帝国》に歯向かう愚か者の首を晒し、この要塞が揺るがぬ力の在り処だと示す。

 正体はまだ不明ではあるが、何人もの大鬼の精鋭を仕留めている相手である事は間違いない。

 名を売るようになり、身の程を弁えなくなった冒険者辺りかとアルガドは考えたが。

 その屍を晒し、首を揃えて賄賂と一緒に献上したならば、あの欲深い監督官殿も文句はないだろう。

 

 「どうせならば、何か良き財を抱えていれば良いのだがな」

 

 そうなれば、我が剣の腹も少しは満たされる。

 不快な要塞の空気の中で、アルガドは初めて声に出して笑った。

 それは己の欲に溺れ果て、魔剣の走狗に堕ち切ってしまった者の、酷く醜い笑い声だった。


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