第6章 神社を尽くして天命を待つ

第29話 神様に守られた地

 台風発生と聞いても、あたしはあまり気にも留めていなかった。

 けれども、徐々に天気予報がその詳細を告げるようになると、じわりじわりと不安が膨らみ始める。


 ――日本列島縦断コース。


 進路予想によれば、奥日多江だってそのコース上に位置している。

 これから収穫を迎える野菜もいっぱいあるのに、台風が直撃してしまったらどうなるんだろう。

 台風のせいで農作物が深刻な被害を受けたニュースは何度も見たことがあるけれど、やっぱりそれは他人事でしかなかった。当事者となった今回、悪い想像ばかりが膨らんだお陰で今朝は睡眠不足だ。


「なるようにしかなんねえ。神様にお祈りするしかねえだな」


 朝食を食べながら祖母に相談してみたけれど、返ってきたのはそんな言葉だけ。楽観的というか、達観的というか……。

 でも、あたしにはどうすることもできないのも確か。ここは祖母の言葉通り氏神様に相談してみようと、あたしは雨合羽を着込んで農作業前に日多江神社に向った。



『僕にはどうすることもできないよ』

「台風にだって神様はいるんじゃないの? 話し合いとかできないの?」

『話し合いで避けてもらえたら、どこの氏神も苦労はないよ。誰だって氏子は可愛いもの』


 返ってきた答えは残念な結果。けれど言われてみれば当然の話。

 でもこのままでは、せっかく手塩に掛けた農作物に被害が出るのは確実。そう思うと食い下がらずにもいられない。


「だったらなにか、大いなる力で集落を覆いつくすとかできない?」

『何の本を読んだのか知らないけど無茶言わないでよ。それにね、人間にとっては災難でしかない台風や地震も、広い視野で見ればやむを得ない調整なんだよ。大地のバランスを取るためのね』

「神様でも自然には逆らえないってことか……」


 少しばかり当てにしていた氏神様にも見放された気分。あたしが勝手に期待しただけなんだから、氏神様にとっては迷惑な話だ。

 不満げに「うー……」と唸りながら、氏神様を見つめていると背後から声がした。


「お参りだか? 里花ちゃん」

「ひゃっ!」


 また氏神様とのやり取りを、耕作に目撃されてしまった。どうしてこうもタイミングの悪い場面で出くわすのか。久しぶりのストーカー疑惑。

 何をしていたのか追及されると面倒なので、あたしは先に耕作に話題を持ち掛けることにした。


「耕作さん、台風くるみたいだけどどうしたらいいの? 作物がめちゃくちゃになっちゃったらやだな」


 けれども、耕作の表情に深刻さは感じられない。

 しかも返ってきた言葉は、祖母以上に楽観的なものだった。


「日多江にゃ、台風は来ねえだよ」

「来ねえだよ……って。来るって天気予報で言ってるじゃない」

「なんたってここは神様に守られた地だからな。過去三十年ほどさかのぼっても、台風が直撃したのはたったの二、三回なんだぁよ」

「え? 氏神様すごい……」


 耕作の言葉を聞いて、あたしは尊敬のまなざしを氏神様に向ける。

 するとものすごい勢いで首を横に振る氏神様。耕作の言葉を全力で否定した。


「なーんてな。本当は高い山が西と南にあるお陰で、台風が避けて通るらしいだよ。まあそれでも百パーセントってわけじゃないだども……」


『へぇ。それで昔からここは、滅多に台風が来なかったのか……』


 耕作のすぐ隣で興味深く耳を傾ける氏神様。

 当の本人がこんなことを言っているぐらいだから、やっぱり氏神様が台風を遠ざけていたわけではなさそうだ。


「でも絶対じゃないなら備えないと」

「確かに、大雨には備えておいた方がいいだな。里花ちゃんは排水路の詰まりを確認するように、みんなに伝えてくれ。俺は念のため土嚢袋を確保しておくだから」

「風には備えなくていいの?」

「支柱の補強と、収穫できる実は少し早めでも摘んじまうことだな。まあ俺なんかより年寄りの方が経験も豊富だから、ばあさまの言う通りにすれば間違いねえだよ」


 結局あたしの取り越し苦労だったのだろう。

 考えてみれば祖母だって、ここで長年農業を続けている。そんな祖母が天気予報を軽く見ているはずがない。昨日今日農業を手伝い始めたようなあたしが、口を挟むこと自体おこがましかった。

 耕作はあたしにアドバイスを伝えると、賽銭を投げ込み柏手を打つ。

 これが耕作がここへ来た目的だったらしい。彼のストーカー疑惑はあっさりと払拭された。


(もちろん、本気で疑ってたわけじゃないけどね……)


「後は被害が出ないように、こうやって神様に祈るしかねえだな」

「そっか。耕作さん、それを祈願に来たのね。じゃあ、あたしも……」


(せっかくここまで育てた農作物が、無事台風を乗り切れますように……)


 あたしは目の前の氏神様に向かって手を合わせる。

 すると耕作は何を思ったか、照れくさそうに素っ頓狂な声を上げた。


「ちょっと、ちょっと里花ちゃん。祈られても、俺にはどうにもできねえだよ」

「あ……」


 あたしはそこにいる氏神様に向かって祈ったつもりだったけれど、姿の見えない耕作からすれば自分に向けて手を合わせたように見えたのだろう。

 慌てて本殿に向き直って手を合わせ直す。


『さっきも言ったけど、僕にだってどうすることもできないんだからね?』

「そんなこと言いながら、きっとなんとかしてくれちゃうんでしょ? 期待してるからね、あたしは」


 氏神様の言葉はきっと本音なのだろう。

 でもそんな弱気な氏神様にあたしは、半分冗談半分本気で祈りを捧げた。


「で、できるだけのことはやってみるだけど……。あんまし過大な期待は抱かねえでくれな。じゃ、じゃあ、俺は行くだで」


 なぜか顔を赤らめ、意味不明な言葉を残して足早に去っていく耕作。

 なんでそんなことを……と思ったけれど、すぐにその理由に思い当たった。


(――ひょっとして今のも声に出てた? あたし……)

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