第28話 お出かけは正装で
「――来週の月曜、付き合ってもらいたいところがあるだで、午後を空けといて欲しいだよ」
農作業中のあたしのところへやってきた白い軽トラック。
運転席から顔を出した耕作から飛び出した言葉は、突然すぎるお誘い。
意表を突かれたあたしは、誰から見てもわかるほどに動揺した。
「え、えーっと。そんなこと突然言われても、あたしだって困るよ」
「いや……だから、突然にならないように今のうちに声かけたんだ。それとも他に用事でもあるだか?」
収穫祭も終わってしまった今、収穫作業はあるものの猫の手も借りたいほどの忙しさはうちにはない。
そしてそんなことはきっと耕作もお見通しだろう。なにしろ集落全体の作付けを管理しているのは、彼の祖父なのだから。
結局上手い言い逃れも思いつかないあたしは、耕作の誘いを受けることにした。
「そりゃ、特にないけど……。で? 一体あたしをどこに連れて行ってくれるの? 行き先によっては、実家から服も送ってもらわないと――」
「ああ、普段着でいいだよ。なんなら、その野良着でもかまわねえし」
「ちょっと、せっかくのチャンスにそれはあんまりじゃないの」
「チャンス? 確かにそうかもしれねえだな。俺もビシッと決めてみるだか。それなら来週の月曜日、昼飯食ったら家に迎えに行くだで用意しといてくれな」
「あ、ちょっと。行っちゃったし……」
そしていよいよ当日。
午前中の収穫作業はうっかりミスの連発。熟していない実を収穫したり、転んで収穫物をぶちまけてしまったり……。
意識しているつもりはなくても、やっぱりあんな誘われ方をしたらドキドキしてしまう。そんなあたしを見かねたのか、祖母も作業を早めに切り上げてくれた。
家に戻ってさっそくお風呂。身体を洗っても洗っても、土のにおいが染みついている気がして少し凹む。それは耕作も同じなんだから気にする必要はないとわかっていても、やっぱりいい匂いを漂わせたかった。
「里花ちゃーん、昼飯できただよー」
「ごめーん、おばあちゃん。食べてる暇ないかもー」
袖を通すのは、向こうでも滅多に着なかったちょっと気合の入った服。実家からわざわざ今日に合わせて送ってもらった。
恥ずかしさに何度か脱ぎかけるものの、その度に「今日着なくていつ着るの」と自分に言い聞かせる。背中のチャックがきつい。
髪型は、化粧は、香水は、アクセサリーは……。昨夜の内に全部決めておいたはずなのに、やっぱり鏡を見るとおかしく感じてくる。
(ああ、でも今さらやり直してる時間はないし……)
あたしが迷っていると外からクラクションの音。耕作が来てしまったらしい。
外の様子をコッソリとうかがうと、車に寄り掛かって待っているのはスーツ姿の耕作。初めて見る彼の正装。
そして乗ってきた車も、いつもの白い軽トラックではなくて黒のライトバン。
あたしは思わず、顔の前で両こぶしを握り締めた。
(やった! わかってるじゃない、耕作さん。軽トラックだったらどうしようかと思ったよ、ほんと……)
あたしは慌ててバッグを引っ掴んで玄関へ。履くのはこれまた実家から送ってもらった、少しヒールの高めの靴。
祖母の「気を付けて行ってくるだよ」の声に送られて、玄関の引き戸を開ける。
「耕作さん、お待たせー!」
「…………」
「なあ、里花ちゃん。何をそんなに膨れてんだ?」
黒のライトバンを運転しながら、耕作は助手席のあたしに声を掛ける。
あたしは不機嫌が表に出ていると知りつつも、「別に。膨れてなんていません」ととぼけてみせた。
後部座席には、いびきをかく耕作の祖父。彼だけは相変わらずの野良着だ。
「そんなはずねえべよ。絶対、怒ってるだろ?」
「怒ってないですぅ。ちゃんと行き先を聞かなかった、あたしが悪いんですぅ」
今日の行き先は村役場。なんでも、奥日多江に農業研究施設を建設する計画が持ち上がったと、村長に呼びだされたらしい。なんでまた、突然に……。
その疑問は、村役場に到着するなり解決した。
出迎えたのはインターンシップに参加中の研究員の二人。彼らの話によれば提出した論文が目に留まり、奥日多江が建設候補地に加えられたとのこと。
「そんな素晴らしい研究施設が、奥日多江に出来れば村の誇りですだよ。日多江村としても全面協力をお約束しますだ」
あたしが村おこしの企画を持ち込んだ時には、相手をしてくれなかった村長。今日は打って変わっての低姿勢。
一瞬カチンときたけれど、鼻を明かしてやったと思えば気も晴れるというもの。あたしは、見下すような視線を村長に向けてやった。
「論文には、舘花さんの農法について触れられていましてね。なんでも山間部の狭い土地で、味わい深い野菜を作っておられるとか」
「形は不揃いでも味と安全性に特化した野菜は、産地ブランドとして需要が高いですからね。似たような土地で農業を営む人々への活路にならないかと考えています」
会議室と呼ぶにはこじんまりとした小部屋で、小難しい説明を始めた二人。もらった名刺には難しい肩書が書き連ねられている。
出席者は村長、助役とその二人。奥日多江からはあたし、耕作、耕作の祖父、そして研究員の二人組。研究施設の趣旨なんて説明されても、あたしには場違い感が半端ない。
そんな眠くなりそうな話の連続に少し飽きてきた。ふと隣を見ると、耕作も作り笑いが引きつっている。けれどもそのさらに隣に座る耕作の祖父だけは、目を輝かせながら二人の話に口を挟んでいた。
「それで、いつ建設が始まるだ?」
「まだ候補地の一つにあがっただけですので、ほとんど白紙です。ただ、地盤や地質の調査といったものは、追々実施させていただくかもしれません」
「もし仮に今回の話が実現するとしても、完成に至るのは少なくとも五、六年先でしょうね」
ずっと先の話で、まだ未定。奥日多江の将来も安泰かと思っていたけど、そんなに甘くはないらしい。
けれども、闇に飲み込まれつつあった奥日多江に灯った明かり。絶対に絶やさないように、もっと明るい希望の光に変えようと、あたしは心に誓った。
奥日多江への帰り道。行きと同様に耕作が運転をして、あたしは助手席。そして後部座席では耕作の祖父が、またしても高いびき。
「おじいちゃん、よく寝るね」
「さっきのじじいはここ何年も見たことねえぐらい、本当に張り切ってただからな」
「確かにすごい熱弁だったから、きっと疲れちゃったんだね。意味が全然わかんなかったけど」
相変わらずじじいと呼びながらも、祖父が大好きな様子の耕作。
耕作は車の運転を続けながら祖父の昔話を始めた。
「じじいも昔な、里花ちゃんみてえに村に賑わいを取り戻そうって、そりゃもう頑張ってたらしいんだ」
「おばあちゃんに聞いたよ、その話」
「じじいは農業で村おこしを考えたんだけんど、結果的に失敗に終わっただよ……」
話しながら耕作の表情が曇る。
これ以上聞いたら悪い気もしたけれど、興味が湧いたあたしはさらに問いかけた。
「どうして? あんなに美味しいお野菜だって作れてるじゃない。何がいけなかったっていうの?」
「一回は成功したんだ。なんでも新聞や雑誌にも取り上げられて、それこそテレビでも野菜がうめえってな」
「それがどうして失敗に終わったわけ?」
「じじいのやり方をかじっただけの奴が、村の外でいくら同じことをしても上手くいかなかったらしくてな。じじいのやり方は嘘っぱちだって、悪い噂を広めたらしい。違法な農薬を蒔いてるだの、怪しげな薬を使ってるだの、嘘八百をな」
「ひどい話……」
耕作の祖父の村おこしが成功していたなら、限界集落と化していたはずがない。
祖母の話を聞いた時も上手くいかなかったんだろうとは予想していたけど、こんな理不尽な事情があったなんて。
あたしがその話に同情していると、後部座席からしゃがれた声が聞こえてきた。
「ありゃぁオレが悪かっただよ。あんなつまんねえ噂を弾き返せなかっただからな」
「おじいちゃん、起きてたの?」
「オレの農法が上手くいくと、面白くねえ奴らもいるんだべは。近代農法に欠かせねぇ工作機械やら、化学肥料作ってる会社だのな」
これが大人の事情っていうやつなのか。
祖母の作る美味しい野菜を味わって、どうしてみんなこうやって作らないんだろうかと疑問に思ってた。だけどこんな経緯があったなんて……。
重くなってしまった車内の空気をなんとかしようと思っても、あたしには掛ける言葉が見つからない。それは耕作も感じていたのか、すぐに彼が口を開いた。
「でもよ。今回こうして認めてもらえたでねえか。じじいのやってきたことが間違ってなかったっていう証だろ」
「ふん、余計な話さしやがって、耕作がぁ。でもな嬢ちゃん、オレの夢は今でも変わってねえだよ。美味い野菜さ作って、奥日多江を豊かにする。オレも同じ過ちは犯さねえ。またチャンスさ作ってくれてありがとう、恩に着るだよ」
「珍しいこともあるべした。じじいが他人に感謝するなんて、この世の終わりだな」
耕作の祖父の言葉を聞いて、あたしの頭の中に次のスローガンが浮かんだ。
【美味しい野菜でみんなを笑顔に】。家に戻ったら由加里に連絡して、ウェブサイトにこのフレーズを加えてもらおう。
カーラジオを流しながら、帰りの車内で盛り上がる三人。今後の奥日多江について、お互いに夢を語り合う……。
「――天気予報です。本日、太平洋南海上にて、台風十五号が発生しました……」
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