第22話 観光客第1号

 温泉周辺の整備も急ピッチ。といっても予算はない。

 できることといえば、道路の拡張と脱衣所の設置。もちろん完全に人力。

 道は山側をみんなで削って広げただけだし、脱衣所だって掘っ立て小屋レベル。それでもちゃんと鍵はかかるから、最低限の環境は整ったと言える。


「どうだ、里花ちゃん。良い出来だべ? 早速、試しに着替えてみてくれねえだか」

「あたしが一番乗りしちゃっていいんですか? ほとんど見てただけだったのに」

「いいから、いいから。里花ちゃんに一番に使ってもらえたら、作ったオラたちも本望だで」


 出来立てホヤホヤの脱衣所に入り、あたしは鍵を閉めてみる。

 中の棚にも一つ一つ扉がついていて、南京錠が下がっていた。もちろん悪意を持ってすれば壊せてしまうだろうけど、一応のセキュリティはあると言える。

 広さも思った以上。二人なら優に、三人ぐらいまでなら並んで着替えられそう。

 早速あたしは上着のボタンに指をかけ、上から一つずつ……外すわけがない。


 内部をひとしきり眺めたあたしは、鍵を開けて表に顔を出す。

 するとそこには爺さんたちが、鼻の下を伸ばして雁首を並べていた。


(やっぱり……。こんなことだろうと思った……)


 あたしの服装が入る前と何一つ変わっていなくて、肩を落とす爺さんたち。

 それでも態度が悪化するわけでも、付き合いが悪くなるわけでもないのだから、基本的に良い人たちだ。ちょっとスケベ心がきつめなだけで……。



 大屋敷は見事に民宿へと大変身を遂げた。役場にも届け出済み。

 基準を満たすために改修や清掃が必要になってしまったけれど、「この屋敷もちょうど傷んでたから」と嫌な顔一つせずに、ミドリおばあちゃんがその資金も出してくれた。


『大屋敷の家神様も喜んでるよ。傷んでたところを直してもらえたって』

「おばあちゃんの家も傷んでるところはないか、今度家神様に尋ねてみようかな。そのときは氏神様、通訳お願いね」

『そうだねぇ。あの家も随分と傷んでるからねぇ』


 改修も済んで受け入れ態勢も万全、となれば次に必要なのは宣伝。

 広告費を掛けずに宣伝となればインターネットの出番。自称拡散女王の由加里が、民宿のためにウェブサイトを立ち上げた。


 副業禁止の公務員である由加里は匿名、無給でご奉仕。もっとも自分の祖母のためになるからと、鼻歌交じりで楽しそうに作業していた。

 サイトは予約申し込みもできる優れもの。伝統と格式のある旅館に感じられる作りは、誇大広告で訴えられるんじゃないかと心配になるほど。確かに屋敷の歴史については、胸を張っていいレベルだけれども……。


(結局、役場の手続きから宣伝まで、全部由加里さんにやってもらっちゃった。お掃除じゃバケツひっくり返しちゃったし、またあたし何もやってないよ……)



 民宿をオープンしてから二週間後、ついに念願の宿泊客が。その記念すべき一組目は、秘湯探索が趣味という老夫婦だった。

 あたしもこの先忙しくなれば手伝うことになりそうなので、今日は見習いとして参加中。宿泊業の経験者はいないものの、接客業としてはベテランの北園夫妻から心得を学ぶ。


 そして実際に営業を始めると、問題点にも気付かされる。それは送迎回数の多さ。

 日多江の駅や露天風呂への送迎、急に必要になったものの買い出し、その度に耕作の兄嫁が自分の車を出して対応する。これは何か対策を考えないといけない。

 今も夕食前に露天風呂を希望された宿泊客を乗せて、耕作の兄嫁が戻ってきた。


「すみません、あたしも運転できればいいんですけど……」

「気にしない、気にしない。でも、忙しくなる前に車出せるように少し練習しとこうか、里花ちゃんも」

「はい……すみません」


(教習所でもあたし、運転下手すぎだっただからなー。それに免許取って以来、ハンドル握ってないし……)


 民宿の問題は、そのままあたし自身の問題へ。

 奥日多江で暮らしていくには、車無しでは不便なのも確か。今までは避けていたけれど、これは克服する必要がありそうだ。

 そんな頭を抱えるあたしの前を、宿泊客の老夫婦が感想を言い合いながら通り過ぎていく。


「見事なまでに何もない露天風呂でしたね」

「ああ、あそこまで未開の地っていうのも、なかなか無いねぇ」


 耳にした露天風呂の感想にあたしは肩を落とす。そして同時に、わざわざ足を運んでくれたのに失望させてしまったと、宿泊客への申し訳なさで一杯になった。

 宿泊客の言う通り、慌てて作った脱衣所以外に何もない露天風呂。屋根もないから雨が降れば雨ざらし。シャワーもなければドライヤーもない。

 あたしにできることは、謝ることぐらいしかなかった。


「すみません、全然設備が行き届いてなくて」

「そういう意味で言ったんじゃないんですよ。まさに秘湯って感じで、とっても良い露天風呂でした。眺めも最高でしたしね」

「ええ、あんな素敵な露天風呂に私たちが客として初めて浸かれたなんて、感無量ですよね。あなた」

「ああ、また来ような」


 あたしが感動したあの景色を見て、この人たちも喜んでくれた。その事実がただただ嬉しくて、あたしの目には熱いものがこみ上げる。

 泣き出しそうなほどに嬉しい表情を隠すために、あたしはお辞儀をしながらお礼の言葉を述べた。


「喜んでいただけたならあたしも満足です。ぜひ何度でもお越しください」

「そう言えば、地図にもホームページにも書いてなかったんですけど、あの温泉はなんて名前なんです?」

「あ、えーと……奥日多江温泉?」


 その場しのぎで答えてしまったけれど大丈夫かな……?



 次の出番はいよいよ北園夫妻。夕食のために、その料理の腕を遺憾なく発揮する。

 直接手伝いたいところだけど、きっとかえって足手まとい。サポート役の北園夫人のそのまたサポートとして、あたしもなんとか居場所を作る。要するに雑用だ。


「里花ちゃん、ちょっと一緒に来てもらっていいかしら?」


 北園夫人に頼まれてニワトリ小屋へ付き添う。

 夫人はニワトリを追い立て、手際よくヒョイっと卵を拾ってカゴへ。そしてそのカゴをあたしに手渡す。


「厨房にいる主人にこれを先に届けてもらえるかしら。私は活きのいいところを、一羽締めてから行くから」

「……わ、わかりましたぁ……ごゆっくりぃ」


 あたしは消え入りそうな震え声で返事をすると、すぐさま背を向けてそそくさとニワトリ小屋を後にする。

 締めるということはニワトリの頭を撥ね落とすということ。そんな現場になんて、お小遣いをもらえるとしても立ち会いたくはない。

 すると後ろの方から夫人の叫ぶ声が聞こえてきた。


「里花ちゃーん! お願い、そのニワトリ捕まえて!」


 やれやれ、締めようとしたニワトリに逃げられたらしい。

 仕方ないなと振り返ったあたしは、次の瞬間腰を抜かしてへたり込んだ。


「あた、あた、あたま……頭がないよ。いや、いや、やめて、こっちこないでー!」


 こちらに向かってすごい勢いで駆けてくる、頭のないニワトリ。

 ホラー映画から抜け出したようなその光景は、生涯消えることのない記憶としてあたしの脳裏に焼き付けられた。

 ニワトリは首を撥ね落としてもしばらく生きているという話は聞いたことがあったけれど、実際に目の当たりにしてしまうなんて……。


「首落とした後に、こんなに暴れられたのは初めてだわー。ちょっと、大丈夫? 里花ちゃん。ねえ、里花ちゃんてば……」


 夫人の声とともに気が遠くなっていくあたし。

 周囲には放り投げたカゴと割れた卵が散乱していた……。



「……大丈夫? 里花ちゃん」

「すみません、あたしのせいで仕事を増やしちゃって……」


 配膳や布団の上げ下ろしは耕作の兄嫁の仕事。慣れた手つきは主婦ならでは。

 しかし今日は宿泊客用の布団以外に、気分が悪くなったあたしの分まで敷かせることになってしまった。


(あたしってば役に立つどころか、足を引っ張ってばっかりじゃない……)




 奥日多江初の観光客は、料理と露天風呂にご満悦の様子で帰途に就く。

 役立たずのあたしにできることといえば、精一杯のお礼の挨拶ぐらい。


「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております!」

「とってもいい旅行になりました。ありがとうございます」

「お友達にも教えてあげなくちゃですね。景色もいいし、お料理もおいしいって」


 送り出すあたしたちに見せてくれた、お客さんの満足そうな表情と感想。あたしはそれを見て、思わず胸がいっぱいになる。

 けれども宿泊客の最後の一言で、村おこしで大事なものの一つをすっかり忘れていたことに気付かされた。


「――お土産を買って帰りたいんですけど、どこにありますかね?」

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