第16話 集落会議
――どうして、こんなことになっちゃったんだろ……。
ここは横田家、いわゆる大屋敷。その大広間の床の間を背にして、あたしは呆然と突っ立っている。そして目の前には、思い思いに雑多に座る集落の人たち。あたしの場違い感がさらに際立つ。
あたしの緊張感は頂点に達していた。なにしろここにいるのは集落全員、総勢三十名。その中には当然、祖母や耕作、耕作の祖父といった見慣れた顔もある。
集落民総出の集会とあって、氏神様も微笑ましい表情でみんなを見守っている。
「さぁ、始めちゃって。頑張って、里花さん」
ニッコリと優しい笑顔で、最前列から声を掛ける由加里。軽く首を傾げて可愛く見せても、あたしには悪魔の微笑みにしか見えない。
そしてその隣には、満足そうにうなずくミドリおばあちゃんの姿。
二度三度と大きく深呼吸をしたあたしは隣で見守る氏神様にうなずくと、今日の集会の趣旨の説明を始めた。
「きょ、今日はお忙しい中お集りいただき、まこちょにありがとうございましゅ」
さっそく噛んだ。声も上ずってるし、もう帰りたい……。
由加里に『おばあちゃんが村おこしのことを奥日多江の人に伝えて欲しがってる』と、呼び出されてみればこのありさま。
きっと、興味を持ってくれた二、三人ぐらいが相手だと思ってたのに、来てみれば集落全員なんて……。こんなの、完全に仕組まれた罠だ。
でもこの先みんなに理解を求めるなら、一回でまとめてやってしまった方が楽だ。
あたしは気を取り直して、説明を続ける。
「実はあたしはこの奥日多江を、もっと活気のある場所にしたいと思ってます。人口の減少に歯止めをかけて、若い人たちにも移り住んでもらえるように、奥日多江の魅力をアピールするつもりです」
恥ずかしさで顔を火照らせながら、まずは決意表明。
ポケットからカンニングペーパーを取り出して、次の段取りに進もうとすると、参加者から軽い野次が飛ぶ。
「あるだかねぇ? ここに魅力なんて」
「こんな不便なとこに住もうなんていう変わりもんは、耕作とあんたぐらいだべ」
身も蓋もない野次に、笑いの起こる会場。
シーンと静まり返るよりは、これぐらいの方がやりやすいかもしれない。
「今回、村役場に勤める横田由加里さんから、インターネットで奥日多江を紹介してくれる場を提供してもらいました。そこでいくつか村おこし案を考えてみたので、ご覧ください」
由加里に目で合図を送る。
すっくと立ちあがった由加里は、マジックで案を箇条書きにした模造紙を広げると、あたしの横でそれを掲げた。
まるで小学校の夏休みの研究発表。あの時は、幽霊の研究なんて発表して笑われたっけ……。
あたしはさっそく順番に、箇条書きにした案を指差しながら説明を始めた。
「まず温泉。先日連れて行ってもらったんですけど、眺めも最高の露天風呂だと思いました。これを観光に使わない手はないなと。問題は宿泊施設ですけど、空き家をロッジとして貸し出してはどうかと考えてます」
あたしが温泉の説明をすると、さっそく野次が飛ぶ。
野次を飛ばしているのは先日一緒に温泉に行ったものの、混浴できずに悔しがった男たちだ。
「里花ちゃんが一緒に入ってくれたら、集客間違いなしだべよ」
「おーおー、また一緒に温泉いくべ、里花ちゃんよ」
この程度の野次を、いちいち取り合っていたらキリがない。
スルーして次の案に移ろうとしたら、耕作が反応した。
「今の世の中、そういうのはセクハラっつって訴えられるだよ。じいさんたち」
「なんだ? 耕作。おめえは里花ちゃんのピチピチの身体さ、見たくねえんだか? 不健康だべよ、いい若い男がよ」
「俺はそういうこと言ってんじゃねえだよ。野次ってねえで、里花ちゃんの話を聞いてやれってことだよ」
「なーんだ、やっぱり耕作も見てえんでねえだか」
あたしを気遣ったつもりかもしれないけれど、野次以上に時間をロスしていることに耕作は気づいてない。
そして言い争いも激化の一途。取っ組み合いの喧嘩でも始めそうな勢い。
そこへ悪気はないんだろうけど、氏神様までもが余計な一言を挟む。
『君の身体はあんなに綺麗なんだから、みんなの興味を惹くのも仕方ないさ』
「もう、やめてよ! 恥ずかしいじゃないの! ……あ」
先日、お風呂を覗かれた時のことが頭に浮かんで、思わず氏神様に向かって叫んでしまったあたし。その言葉は思った以上に大きくて、大広間の時間が止まってしまったかのように、空気が凍りつく。
けれどもそれは、言い争いを鎮めるには充分すぎるほどの効果を発揮した。
「悪かっただ、里花ちゃん」
「すまねえ」
「い、いえ、わかってくれればいいです……」
頭を掻きながら座り直す、野次を飛ばした男たちと耕作。頭は冷えたらしい。
あたしは安堵のため息をつきつつ、次の案の発表へと移る。
そして、模造紙に書いてある【農業体験ツアー】の文字を指差しながら、あたしが説明を再開して間もなくだった……。
「これは、土いじりをしたことのないような人たちに、農作業の一部に触れてもらって、興味を持ってもらおうという――」
「なにが農業体験ツアーだ。農業を観光気分でかじったとこで、何がわかるっていうだ。農業を甘く見んな!」
説明を遮って野次を飛ばしてきたのは耕作の祖父。いや、野次というよりは完全に反対意見だ。
よほど企画内容が気にらなかったとみえる。けれどあたしも、言われっぱなしじゃ納得がいかない。
「そりゃあ、本気で定住する覚悟の人に来てもらえれば嬉しいですよ。でもまずは、試しに農作業に触れてもらって――」
「お試しとか気に入らねえだな。そんな気構えで、いい野菜が作れるはずがねえべした。全部投げ打つ覚悟をした奴にしか、オレは大事な土をいじらせたくねえだよ」
気難しそうな耕作の祖父はやっぱり苦手だ。
とはいえ、この集落民の少なさ。できることなら村おこしは、全員に納得してもらって進めたい。ここはひとまず引いて、あたしは次の案に移ることにした。
「わかりました。この案はもうちょっと考え直してみることにしますね。じゃあ次にオリエンテーリング大会の誘致を――」
「そのオリエンテーリング大会の誘致ってなんだべ。大々的に村おこし説明会でもするつもりだか?」
またしても説明に割って入る耕作の祖父。
この絡みっぷりは、さっきの件でよほど機嫌を損ねてしまったに違いない。
「じじい、それはオリエンテーションだ。オリエンテーリングってのは、地図とコンパスを頼りに、チェックポイントを回る競技のことだ」
耕作が的確に突っ込んでも、参加者たちはチンプンカンプンらしい。
きっと誰一人として、オリエンテーションもオリエンテーリングもわかってないのだろう。
なんだか荒れてきた説明会。逃げ出したい気分になってきたあたしに、突然目の前の参加者から質問の声が飛んできた。
「それにしてもよ。なんでよそもんのあんたが、この集落のためにそったらことしようと思ったんだか?」
最初の動機は不純だった。それは氏神様に消えてもらいたくなかったから。
もちろんそれが今でも一番だけど、他にもあたしには胸を張って言えるだけの理由がある。
「ここで生活しているうちに、あたしはこの奥日多江が大好きになりました。だからもっと多くの人に、ここの良さを知ってもらいたくなっちゃったんです」
あたしがそう答えると、質問者も「嬉しいでねえだか」と呟いてその表情を明るくした。
そしてパラパラと、まばらに聞こえ始める拍手。横を見ると、氏神様までもが一緒になって拍手をしていた。
「里花ちゃんが、奥日多江のために色々してくれてることはわかってるだよ」
「オラたちもできることは協力するだで、好きにやったらいいべした」
『ほらね、君の努力はちゃんと伝わってるんだよ、みんなに』
次々かかる、みんなからの協力的な言葉。
氏神様までもが一緒になって嬉しい言葉をあたしにかけるので、あたしの目にはじんわりと涙が浮かんだ。
「ふん。オラはちょこっと遊びに来ただけの、都会もんの言うことなんぞ信用できねえだな」
けれども全員が全員、賛同してくれているわけではないらしい。いい雰囲気だったところに、耕作の祖父が水を差す。
カチンときたあたしは、ついつい感情的になって言葉を返した。
「あたしはここで暮らしていくつもりですよ、ずっと」
「今のは里花ちゃんに失礼だろ。謝れ、じじい」
そんなあたしに加勢するように、耕作も祖父を責め立てた。
けれども周囲の人たちは、穏やかな表情で耕作の肩に手を掛ける。
「心配ねえだよ、耕作。耕助はあんなこと言ってるけんども、心の中じゃ応援してんだってばよ」
「この間だって、あの娘っ子は気が強ええけんど、見所があるって言ってただよ」
「ああ、言ってた、言ってた。あれぐれえしっかりした嫁さもらったら、耕作も真面目に仕事さするに違げえねえってな」
どうやら耕作の祖父のことは、付き合いの長い集落の人たちの方がわかっているらしい。果たしてそれが本当なのか、あたしにはまだ信じられないけれど。
でも勝手に耕作とカップリングするのだけは、いい加減やめてもらいたい。
「な、なにを言うだか。こったら都会もんに、村おこしなんぞできるはずがねえ」
声をさらに大きくして、必死にみんなの言葉を否定し始めた耕作の祖父。
けれども周囲の人たちはまた始まったとばかりに、ニヤニヤとその様子を眺める。
やがて顔を真っ赤にした耕作の祖父は、捨て台詞を残して部屋から出て行った。
「――奥日多江を有名にしたらそれで成功だとは、思わねえこったな」
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