第15話 奥日多江バトルフィールド

 奥日多江にはスーパーマーケットなんてない。

 それどころかコンビニ、いや商店と呼べるものさえない。農作物には事欠かない奥日多江だけれど、野菜だけ食べているわけにもいかない。


 ――チャン、チャン、チャラッチャ~ン♪


「お待たせしましたー、ただいまより開店いたしまーす」

「おう、待ってただよ」


 そんな奥日多江の台所事情を支えているのが、昭和っぽい音楽を鳴らしながら一日に一回やってくる移動販売車。値段はちょっと高いけど、ふもとの日多江集落まで買い出しに行かずに済むので、みんなから重宝されている。

 さらに長年の付き合いらしい集落の人たちは、特に欲しいものがあれば注文しておいて、翌日に仕入れてきてもらっている。まだあたしにはそこまではできないけど、なかなか合理的なシステムだ。

 けれどすべてにおいて、良いことばかりでもない。


「そのアジは、アタシが先に手に取ったべした」

「あんたは一回戻したでねえだか。そこにあるイワシで我慢したらよかんべ」

「荷物が持ちきれなくて、ちこっと置いただけだ。おめえさんには、この間豚肉譲ってやったでねえだか。今日のこの刺身だけは絶対譲らねえだよ」


 数軒の献立がかち合うと、すぐさま始まる熾烈な食材争奪戦。

 三十人ほどしかいない集落に、そんなにたんまりと商品を持ってくるはずもないので、あっという間に品切れしてしまう。

 一番人気はお刺身。やっぱりお年寄りには、肉類よりも魚の方が好まれるらしい。

 普段は譲り合い精神の奥日多江だけれど、食べ物がかかるとみんな必死になる。


(えーっ、久しぶりにお刺身が食べたいって、おばあちゃん言ってたのに……。あっという間になくなっちゃったよ……)


 「今日はあたしが買い出しに行ってくる!」と勇んで家を出てきたものの、これじゃ祖母に顔向けができない。

 もっとも、あたしを送り出した祖母の言葉は、「どうしても欲しけりゃアタシが行くだで、里花ちゃんが自分の食べたいものを買ってきたらいいべした」。こうなる結果は最初からお見通しだったんだろう。


(仕方ないなぁ……。とりあえず頼まれてた納豆と、鮭の切り身だけでも買って帰ろうかな。あ、あと昆布の佃煮も頼まれてたっけ……)


 あれこれと迷っていると、じっとあたしを見つめる老婆がいる。

 狭い集落だから顔も見覚えはあるんだけど……誰だっけ。

 名前を尋ねるのも失礼かと思って躊躇していると、あたしより先に老婆の方から話しかけてきた。


「生垣さんとこのお孫さんだか? 今日はちっとばっかし張り切って買っただで、荷物さ運ぶの手伝ってくれねえだか?」


 老婆の足元を見ると、ポリ袋に大きなペットボトルが三本。さらに肉と思われるパックがたくさんと、さっき争奪戦を繰り広げていたアジのお刺身が別なポリ袋に詰め込まれていた。

 これは確かに、腰の曲がりかけた老婆にはきつそうな大荷物。あたしは快く引き受けることにした。


「じゃあ、行きましょうか。おばあちゃん」

「生垣さんは幸せ者だべな。こんな優しいお孫さんと一緒に暮らせるなんてな。それにひきかえ……」


 ため息交じりに老婆がつぶやいた愚痴。聞いてあげた方が親切なのか、立ち入らない方が親切なのか……。

 決めかねたあたしは「あたしなんて、別に優しくないですよ」と、謙遜という形でお茶を濁した。



 老婆の家に到着すると、表札には【舘花】の二文字。以前耕作が言っていた、四軒ある舘花の内の一つらしい。

 門柱を抜けて玄関へと差し掛かった時、その戸がガラガラガラと勢い良く開く。

 開けたのは四十代ぐらいの、集落では初めて見る男の人。その男は不機嫌そうに顔を歪ませて、車のキーを指でクルクルと回していた。


「太一、どうした? もう帰っちまうだか?」


 慌てた様子の老婆。雰囲気から察すると、この家の息子みたいだ。

 そして老婆の質問に息子は舌打ちをすると、面倒臭そうに答えた。


「話になんねえよ。俺はもう所帯を持って街で暮らしてんだ。やっと女房を説得して同居してやるって言ってんのに、二言目には家を継げって。もう帰る!」


 息子は言葉を吐き捨てると、そそくさと車に乗り込んでそのまま走り去る。あっという間の出来事だった。


「はぁ……。晩飯の材料が無駄になっちまっただな……。せっかく息子の大好物も手に入っただに」


 気まずい現場に立ち会ってしまったものの、この場に荷物を置いて帰るわけにもいかない。とりあえずあたしは、荷物を運び終えるために台所へと向かう。

 そして引き続き、食材を冷蔵庫へしまう作業も手伝う流れ。すべて片付くと老婆がお茶を淹れてくれたので、あたしは居間でそれをいただくことにした。


「オラは文治だ、舘花(たちばな) 文治(ぶんじ)。おめえさんは、あれだろ……えーっと、なんだ、えー……」

「津羽来里花です。生垣サツキの孫です」

「そう、そう、それだ」

「舘花っていうと、耕作さんのご親戚の方ですか?」

「ああ、遠縁だけどもな。あんた、あれだべ? 耕作のアレだべ?」

「なんですか、アレって。耕作さんとはなにもありませんよ!」


 アレっていったい……。だけど噂の出所なんて想像がつく。

 それよりも、あんな剣幕で息子が飛び出すぐらいだから気難しいのかと思えば、思った以上に気さくな父親という感じ。何があったのか気になったあたしは、おせっかいだと思いつつも経緯を尋ねてみることにした。


「さっき、息子さんが飛び出していかれたみたいでしたけど……」

「ありゃー、見られてただか。こりゃ、お恥ずかしい。だども、奥日多江じゃ良くある話だべよ。先祖代々受け継いできた土地を、息子に継いでもらえねえってやつだ」


 隠し立てするでもなく、文治は軽いノリで話し始める。

 話によれば奥日多江が嫌で家を飛び出した息子は、すでに日多江の方で所帯を持って暮らしているらしい。

 今日はそっちで同居しないかと息子が訪ねてきたものの、逆に文治が家を継いで欲しいと対立したことで、あんな喧嘩別れになったということだ。

 まるでどこかで見たような話に、あたしは親近感を抱かずにいられなかった。


「ご先祖様に申し訳が立たねえけんど、奥日多江じゃもうやっていけねえだな。やっぱりここさ捨てて、息子夫婦の家に厄介になるしかねえかもな」

「奥日多江から出て行くってことですか?」

「仕方ねえだよ。ここにゃ何にもねえ」


 村おこしをしようとしている矢先の文治の転出話。氏子を一人でも増やそうと思っているのに、このままでは逆に減ってしまう。

 あたしは慌てて文治を引き留める。


「あたしが奥日多江を変えてみせますから。住みやすいところにしてみせますから。だから出て行くなんて言わないで、もうちょっとだけ待ってもらえませんか?」

「あんたが色々と奥日多江のために頑張ってるのは噂に聞いてるけどもよ、ほんとに上手くいくだかね? 村おこしなんてよ」

「絶対に成功させてみせますから! だから文治さん、奥日多江を出るなんて言わないで。きっと残って良かったって思わせてあげますから」


 あたしがあまりにも威圧的に迫ったせいか、「わかった、わかった」と文治は逃げるように身を引いた。

 それを見て、あたしは少し熱くなり過ぎたと今さらながらに照れ臭くなる。

 隣でクスクスと微笑む老婆。彼女は席を立つと、台所からアジのお刺身のパックをポリ袋に入れてあたしに手渡した。


「息子の好物だったけんど、いらなくなっちまったからこれやるだよ。サツキさんと一緒に食ってくれねえだか?」


 ――あたしは思わぬ戦利品を手に入れた……。

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