第14話 絆は巡る

 日は進んでも、村おこしはなかなか進まない。

 今夜も布団を敷きながら、一日の終わりに目下の最大の課題を頭に思い浮かべる。


 ――それは宿泊施設。


 温泉という、村おこしの目玉は見つかった。

 けれどもこんな山奥じゃ、日帰り旅行なんてとても無理。

 元々が観光地じゃないこの周辺、ふもとの日多江集落にも観光客向けのホテルや旅館はない。もしもあったとしても、良さを知ってもらいたいのはこの奥日多江。この地に滞在してもらわないと意味がない。


 あたしは農作業の合間に、氏神様に付き添ってもらって空き家を物色してみた。

 文化財扱いされても良さそうな茅葺き屋根の家々。せっかく奥日多江に泊まってもらうなら、そんな風情も味わってもらいたい。

 けれども大人数をさばけるような間取りの家はなかった。それに家具も寝具もないから、一から揃えるとなると修繕費も含めて相当な金額になるに違いない。


(民宿をやるとしたら、料理だって出さなきゃダメだよね……)


 ただの料理なら祖母にでも……いや、頑張ればあたしにだって作れる。

 けれど、観光客をもてなすとなると話は別。あたしや祖母の素人料理では、お客様に満足してもらえるわけがない。

 問題山積み、前途多難。

 それでも、コテージやロッジ感覚で宿泊してもらえそうな建物ならいくつかある。ひとまず傷みの少ない十軒ほどはピックアップしておいた。


(あとは所有者に使わせてもらえないか、交渉してみないとなぁ……)


 敷き終わった布団に潜り込んで、ぼんやりと天井を見上げる。

 常夜灯に照らされた天井の木目を眺めながら、あたしは空き家を物色中に氏神様と交わした会話を思い出した。


『――家って人が住まなくなると、一気に傷むって言うよね?』

『長く大切に使われている家には家神が宿って住む人を御力で守るけど、空き家になると隠れてしまってその力が及ばなくなるからね』

『そういえば、おばあちゃんの家にもいるの? 家神様って』

『いるよ。君には見えてないみたいだけどね――』


 長く使った物には付喪神が宿るとか、日本には八百万の神々がいるとか、あたしも聞いたことがある。目に見えないものを信じるのは難しいけれど、氏神様が見えてしまった以上、信じないわけにもいかない。


(見えないだけでその辺にいるのかなぁ、家神様……)


 この家にも、あたしと祖母を見守ってくれている神様がいると思えば、より一層の愛着が沸くというもの。明日からお掃除は、もっと丁寧にしないと……。

 そんなことを考えていたら、部屋の襖が開いて廊下の明かりがあたしを照らした。

 そして祖母から、突然の伝言をことづかる。


「そういや明日、里花ちゃんにぜひ来てほしいって、横田の婆さんが言ってただよ」

「横田さんて、大屋敷のミドリおばあちゃん? なんの用だって?」

「さぁ、そこまでは聞かねかったな。まあ明日、行ってみればわかるべした」


 こういうアバウトさが田舎ならでは。

 大屋敷のミドリおばあちゃんといえば、先日のドブさらいの一件で親しくなって以来ずっとご無沙汰している。突然のお呼ばれなんて一体何事だろう。

 実家にいた頃のあたしなら、用件が気になってすぐにでも電話をかけていたはず。でも今じゃあたしも、すっかり村の空気に染まってしまったのかもしれない。


「そだねー。急ぎだったら向こうから来てるよね。おやすみ、おばあちゃん」




 立派な門構えの大屋敷前。表札には綺麗な筆跡で【横田】と書いてある。

 時間は特に言われてなかったので、午前中の農作業が終わったところで訪問。大体どの家も生活のリズムが似たり寄ったりなので、こんな調子でも万事うまくいく。


「何も考えずに来ちゃったけど、何の用だろ」

『知りたい? 教えてあげようか?』


 今日は大ごとになるかもしれないと、付いてきてもらった氏神様がソワソワし始めた。ネタバレをしたくてウズウズしているらしい。

 けれど先がわかっている人生なんて、やっぱりつまらない。

 「遠慮しておきます」と丁重にお断りすると、氏神様は残念そうな顔を浮かべた。


 開いている門をくぐり、しばらく歩いて玄関へ。

 鍵のかかっていない引き戸を我が家のように開いて、大声で呼びかける。

 この土地のしきたりにあたしも随分と慣れたみたいだ。


「津羽来でーす。呼ばれたみたいなんで来ましたよー。ミドリおばあちゃーん、いますかー?」


 一瞬の静寂。

 そして遠くからトントントンと軽快なテンポで少しずつ近づいてくるのは、老婆らしからぬ足音だった。

 返ってきた声も、この家の主のミドリおばあちゃんではなくて若い女性の声。


「はーい、いらっしゃーい」


 応対に出た女性は、どこか見覚えのある顔。

 でも村の人なら、一通り顔を合わせているからわかるはず。じゃあいつ見かけたのかといえば、そんなに遠い記憶でもない……。

 思い出そうと必死に記憶を辿っていると、女性の方から声がかかった。


「やっぱり覚えてないかな。私は二回、あなたのことを見てるんだけどな」

「あ! ひょっとして……」


 二回と聞いて思い当たった。

 一回目は記憶がない。でも二回目なら覚えている。

 村役場の帰りがけ、わざわざ見送りに出て来てくれた人。あの時の言葉に、どれだけあたしが励まされたことか……。


「思い出してくれた? あれっきり、村役場に来ないから気になってたのよ。村おこしは諦めちゃったのかなって」


 痛いところを突かれてしまった。

 二日続けて村役場に威勢良く乗り込んでそれっきり。きっと今頃は村長を筆頭に、あたしのことを嘲笑っているに違いない。


「村おこし、やる気は充分なんですけどね。農作業と陳情処理で手一杯なのと、どうしていいのか見当もつかなくて……」


 彼女には励ましの言葉までもらったのに、ちっとも進展していない。そんな気まずさをごまかすために、言い訳の言葉を並べることにあたしは終始する。

 けれども彼女から返ってきたのは、あたしを責め立てる言葉ではなかった。


「ええ、おばあちゃんから聞いたよ。奥日多江のために、いつも頑張ってくれてるって。それで私に協力できることがあればと思って、今日は来てもらったわけ」

「おばあちゃん?」

「そ。ここがあたしのおばあちゃんの家。あたしは由加里、横田(よこた) 由加里(ゆかり)。立ち話もなんだから、とりあえず上がってちょうだいな」


 予期せぬ巡り合わせ。思わず隣の氏神様に目が向いてしまう。

 そして彼は、嬉しそうに笑顔を浮かべながら、あたしに囁き掛けた。


『君の行いがもたらした巡り合わせだよ。良い行いには良い縁が訪れるものさ』

「……神様みたいなこと言っちゃって……」


 あたしの声に反応して、由加里が振り返る。

 氏神様宛の言葉だったけれど、普通の人から見れば独り言。しかも含み笑いまで浮かべていたら、薄気味悪い人と思われかねない。

 あたしは慌てて取り繕いながら、由加里に案内されるままに付き従った。


 大広間に通されると、そこにはミドリおばあちゃんの姿。今はこの大屋敷に一人で住んでいる。

 向かいにあたしが座り、由加里はミドリおばあちゃんの隣へ。

 由加里が急須でお茶を淹れながら、会話が静かに始まった。


「あたしのおばあちゃんの横田ミドリです。って、紹介するまでもなかったかな?」

「よく来なすったね。生垣さんとこの里花ちゃん」

「ええ、母は嫁いで苗字が変わったんで、あたしの苗字は津羽来ですけど」

「津羽来 里花さんかぁ。いい名前だねぇ」


 再確認のような紹介が終わって、お茶をひとすすりした由加里。

 姿勢を正して正座に座り直すと、さっそく本題に入った。


「実は私、村役場では広報が担当で、日多江村のウェブサイトなんかも作ってるの。結構自由に任されてるから、奥日多江のコーナーも作っちゃおうかなって」

「うわー、すごい! いいですね、それ!」

「それでね、その記事を里花さんに書いて欲しいんだなー」

「うわー、きつい……。無理ですね、それ……」


 感動が一転、動揺に変わる。

 ネットでブログを読んだりすることはあっても、書いたことなんて一度もない。作文は苦手だし、日記だってつけたことがない。

 そんなあたしに記事を書いてくれなんて、無謀もいいところだ。


「大丈夫だってば。メールで文章を書いて、載せたい写真を添付してくれれば、あとはこっちでうまいことやるから」


 文章執筆に抵抗はあるものの、これは願ってもない申し出。乗らない手はない。

 とはいえ勝手なことをあたしの独断で始めたら、村人たちから反感を買うことは想像に難しくない。


「せっかくのお話ですけど、あたしが勝手に村の紹介をするわけにはいかないです」

「おばあちゃんはこの集落じゃ顔が利くから、任せておけば万事オッケーだよ。心配いらないって」


 心強い言葉とともに、由加里はニッコリと微笑む。

 それでもあたしの胸の内には不安しか湧いてこない。

 けれどもそんなあたしを元気づけるように、さらに村の顔役のミドリおばあちゃんから頼もしい言葉がかかった。


「――心配するこたぁねえべした。みんなにはちゃーんと、伝えておいてやるだで」

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