第3章 待てば海路の日多江あり

第13話 いかがわしいお誘い

 午前中は祖母の農作業の手伝い、これは欠かせない日課。

 手伝い始めた頃に比べれば身体は慣れたけど、相変わらず虫は気持ち悪いしいつも泥だらけ。

 お風呂にはちゃんと入っているのに、身体の奥底まで土のにおいが染み込んでしまった気もする。


 今日も一仕事片づけたところで、あぜ道に腰掛けて祖母と一緒にお弁当を頬張る。

 すると村の男たちが――といっても年寄りばかりだけど――ニヤニヤしながら近づいてきて、妙に甘ったるい声をあたしに掛けた。


「ちぃっとばっかり奥に行ったとこに良い場所があるんだどもよ、里花ちゃんも一緒に行かねえだか?」

「良い場所? 何があるんですか?」

「そいつは行ってみてのお楽しみってやつだ。まあ、いいから来なせえ」


 あたしも随分と村に馴染んできたとは思うけれど、こんなに熱心なお誘いは初めてのこと。これは裏がありそうな予感がする……。

 いったい、何を企んでいるのやら。

 あたしが不信感満載の視線を男たちに向けると、年寄りたちと一緒にいた耕作が突然一人だけ反対し始めた。


「いや、やっぱりダメだ! 里花ちゃんを誘うのは良くねえ」

「何を言うだか、この裏切者。だったらおらたちだけで行くだで、おめえは残ったらいいべした」

「いや、それは……」


 突如始まった仲間割れ。一体何をしているのやら。

 男たちの話はわけがわからないので、祖母にコッソリと尋ねてみた。


「……奥に一体何があるの? おばあちゃん……」

「……温泉だぁよ。ただお湯が湧いてるだけの、天然の露天風呂だけんどな……」


(なるほど、このお誘いはスケベ心満載の、エロ親父たちの悪だくみなわけか。でも温泉かぁ、興味あるなぁ……)


 言い争いを続ける男たちを尻目に、温泉に興味を持ったあたしは祖母も誘ってみることにした。

 午後の農作業をサボって、あたしだけが遊びに行くわけにはいかない。


「おばあちゃんも一緒に行こうよ。植え付けも一段落ついたって言ってたじゃない」

「確かに、とり急いでやらねばなんねえ仕事もねえだし、久々に行くだかね」


 無事、祖母の勧誘も成功。これで心置きなく温泉へ行ける。

 あたしは未だ言い争いを続ける男たちに、ニッコリ微笑みながら誘いを快諾した。


「温泉があるんですって? おばあちゃんも一緒に行くけど、いいですよね?」

「本当だか? なら善は急げだ。とっとと行くべ」


 あたしの返事に歓声を上げる男たち。みんなもう還暦を過ぎているだろうに、このはしゃぎよう。男はいくつになっても子供だっていうけど、その通りかもしれない。

 けれど耕作だけは、不機嫌そうに言葉を吐き捨てた。


「おめえ、本当に行くんだか? 俺は止めただからな、一応……」



 男たちのうちの一人がワゴン車を出して、山道を登り始める。

 舗装されていない山道は、時折タイヤを滑らせて背筋を凍らせた。もちろんガードレールなんてない。転がり落ちたら一巻の終わり。


(こんなことなら、氏神様にお参りしてから来るんだった……)


 ジェットコースター以上のスリルを味わうこと二十分、山の中腹の少し開けた場所で車が止まった。


「さあ着いたべ。里花ちゃんも、さぁ、さぁ」


 促されるままに車から降りると、すぐさま鼻につく硫黄の臭い。これは効能も期待できそうな気がする。

 そして歩くこと数分、湯気の立ち上る温泉が姿を現した。


「さぁ、入るべ、入るべ」

「畑仕事の後はこれに限るだな」


 適当に服を脱ぎ散らかし、温泉へと入っていく男たち。そして祖母は男たちとは別の湯に、一人静かに浸かる。

 あたしはといえば男たちから目を逸らしながら、周囲の風景をスマホのカメラで撮影してまわる。温泉は五、六人で浸かれそうなものが全部で三つ。手を差し入れてみると、少し熱めでとっても気持ち良さそう。


「里花ちゃーん、一緒に入るだよー」

「また今度ねー」


 不満そうな男たちを適当にあしらって、あたしは取材を続ける。

 遠くに見える山並、澄んだ青空、最高の露天風呂。きっと秋には木々の紅葉も手伝って、絶景が見渡せるに違いない。

 こんな絵葉書になりそうな風景をいつでも味わえるなんて、奥日多江は最高だよ。

 あたしは感動のあまり、思わず独り言が漏れる。


「これは使える。これなら観光客も呼べるかも……」

「そっか、村おこしのネタ探しに来ただか。心配して損しただよ」


 独り言のつもりだったのに、耕作が隣で返事をしたのでびっくりする。

 まさかこのあたしが、あのエロ親父たちと混浴を楽しむとでも思ったわけ?


「耕作さんは入らないの? 入るつもりだったから、ここまで来たんでしょ?」

「いや、俺は……別に……」

「心配しなくても覗いたりしないって。それとも、実は見られたかったり?」


 あたしはニヤニヤしながら、耕作をからかってみせる。

 すると耕作は顔を真っ赤にして、真っ向から否定した。


「お、俺はそんな変態じゃねえ! ふ、風呂さ浸かってくる」


 捨て台詞を吐き捨てて、足早に男たちの入っている温泉に向かう耕作。

 あたしは呆れつつ、首を傾げた。


(冗談なんだから、本気になることないのに……)


 拗ねてしまった耕作は放っておいて、今大事なのは温泉のこと。

 手近な岩に腰掛けて、新緑が青々と続く山々を眺めながら思案を巡らす。

 これほどの秘湯を村おこしに活用しない手はない。とはいえ問題も山積み、とてもじゃないけどこのままじゃ使えない。


(まず、辿り着くまでの山道が危なすぎ。それに脱衣所もないから、覗きや盗難の心配もあるし……。それから…………)


 ――ハッ!


 肩を揺すられて、あたしは目を覚ます。

 あれやこれやと妄想を膨らませていたら、そのまま眠ってしまったらしい。


「起きただか? そろそろ帰るだよ」


 あたしの顔を覗き込んで、心配そうに声を掛けてきたのは耕作だった。

 無防備にも寝顔を見られてしまった。顔が紅潮していくのが自分でもわかる。


(まさか、よだれとか垂らしてなかったよね。ああ、なんていう不覚……)


 今さら後悔しても始まらない。軽くため息をつきながら立ち上がったあたしは、お尻の汚れを手で払うと、ワゴン車に向かい始めた耕作の後について歩く。

 写真は充分すぎるほどスマホに収めた。村おこしへの活用法は帰ってからの宿題。

 そしてふと思い立ったあたしは、耕作の背中越しに誘いの言葉を掛けた。


「耕作さん。ちょっと頼みがあるから、夕食を済ませたら家に来てくれないかな?」




 日が落ちてしまえば、奥日多江は闇の中。

 所々に薄暗い街灯はあるものの、用もなく出歩く気なんて起こらない不気味さ。

 そして山道にはそんな街灯すらも全然ない。昼間訪れた温泉は、今や完全な漆黒の闇に包まれていた。


「里花ちゃん、怖くねえんだか? 正直言うと俺でも怖えぞ、この暗闇は」

「怖いに決まってるじゃない! それより、ちゃんと前見て。道間違えないでね」


 あたしは耕作の背中を掴んで、案内されるがままについていく。

 二人がそれぞれに持つ懐中電灯がなければ、自分の足元すらもどうなっているかわからないほどの闇。耕作が道を間違えたら、二人揃って遭難確定だ。


「おう、着いただよ。温泉に落っこちて溺れんなよ」

「大丈夫。それよりも、こっち見ちゃダメよ。いい? 絶対振り返らないでね」

「こんな真っ暗闇じゃ、目を凝らしたってなーんも見えねえって。それにしても、こんな真っ暗闇の中で温泉に浸かりに来るなんて、都会もんは考えることがわかんねえだな」


 星明りのほんのわずかな光の中、あたしはいそいそと服を脱ぎ始める。

 昼間ここへ来た時、本当はすっごく温泉に浸かりたかった。だけど男たちの前で裸になるのは、それ以上に恥ずかしすぎて無理だった。

 今は耕作から懐中電灯を取り上げたから、振り返られても真っ暗で見えないはず。

 でも、襲い掛かられたら……いや、縁起でもないことは考えないでおこう。


 服をすべて脱ぎ去ったあたしは、念願の温泉にゆっくりと浸かる。

 少し熱めのお湯が、皮膚から染み込んでいくように身体の内側を温めると、あたし自身が湯煎されているかのようにとろけていく。目を閉じると、まさに夢心地。

 そして、わざわざ夜にここへ来たもう一つの目的を果たすために、頭上を見上げてゆっくりと目を開く。


 ――それはまるで、天体写真の中に入り込んでしまったかのよう……。


「わーっ! すっごい星空。こんな星空を見上げながら温泉に浸かるなんて、一生に一度あるかないかレベルの体験だわー」

「そうだか? こんな星空、いつでも見られるだよ」


 耕作はそう言うけれど、こんな星空は小学校の時に行ったプラネタリウム以来。満天の星空っていうのは、まさしくこれのことだろう。

 あたしはますます、奥日多江の大自然の虜になっていくのを感じた。

 降ってきそうな星たちを見続けていると、今度は吸い込まれそうな感覚に陥る。一糸纏わぬ姿のせいか、その解放感に大自然と一体になった気がした。


「ううん、あたしは感動した。泣けちゃうぐらい感動した。だから、みんなにも知ってほしい。奥日多江っていうとっても良い場所があって、そこに行くとこんな凄いものが見られるんだよって……」


 目が暗闇に慣れると、星明りのおかげで人影ぐらいはわかってくる。

 どうやら耕作もこの星空を見上げているようで、「そんなもんだかね……」と独り言を漏らした。耕作にとっては灯台下暗しなのだろう。

 あたしはと言えば、奥日多江の大自然が与えてくれた感動のおかげで、村おこしへの意気込みがいやが上にも高まる。その衝動に突き動かされて、あたしはザブンとしぶきをあげて立ち上がると、たぎり始めた熱い想いを星空に向けて吐き出した。


「――あたし、絶対村おこし成功させる! そして一人でも多くの人に、この感動を味わってもらうんだ!」

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