第12話 神様からのご褒美

 農作業を手伝い始めてそろそろ二週間。生活習慣はすっかり農家のそれに。

 しゃべらないし動きもしないけれど、相手は生き物だから基本的にお休みなんてない。その上素人のあたしは、覚えることだって山のようにあるのだからなおさら。

 けれどもそれじゃ、村役場から請け負った陳情処理が全然こなせない。

 あたしは祖母にわがままを言って、陳情処理の時間を作るため週に二、三度、午後だけお休みをもらうことにした。


『手伝ってあげられなくてごめんよ』


 午前中の収穫を済ませて、今日は午後からドブさらいの陳情処理。場所は集落のみんなが大屋敷と呼ぶ、奥日多江で一番大きな家の前。

 氏神様も気掛かりなのか、今日は付きっ切りであたしの隣で見守っている。

 さっきから何度も申し訳なさそうに謝っているけれど、氏神様にドブさらいなんてさせたらきっとバチが当たる。

 もちろんスコップを持てない氏神様には、手伝わせようもないのだけれど……。


「気にしないで、氏神様。あたしが自分でやるって決めたことなんだから」


 祖母の畑仕事を手伝うようになったせいか、力が付き始めた気がする。あんまり筋肉モリモリになっても困るけれど、ダイエットになるならそれも悪くない。

 とはいえ服装には無頓着になってしまったし、農作業でいつも泥まみれ。当然女子力は急降下中。その上今日は、この鼻の曲がりそうな臭い。ここでの暮らしは毎日が3Kだ。


『うーん、でもなぁ……』


 未だに気にしているのか、浮かない表情の氏神様。

 それでもあたしは早く作業を済ませてしまおうと、ドブさらいに没頭する。


(あーしんどい。せめて、このドブさらいが報われればいいんだけどな……)


 ちょうど、そんなことを考えた矢先だった。


 ――ワンワンワン。


 柴犬が元気に吠えながら、構って欲しそうにあたしの足元にまとわりつく。

 その首から延びるリードを辿ってみると、そこには息を弾ませる老人の姿。飼い犬の散歩中みたいだけれど、これじゃどっちが散歩させられているのか怪しい。


「おや、生垣さんとこのお孫さんだか? ドブさらいなんて、感心だべした」

「初めまして、津羽来里花って言います。このお宅のドブが詰まって困ってるって聞いたんで、今日はそのお掃除に来たんです」

「おお、この集落にゃ若いもんが少ねえだで、そいつはありがてえな」

「何か困ったことがあったら言ってくださいね。あたしでよければ手伝いますから」

「おー、おー、そいつは頼もしいだな。そんときゃ、よろしく頼むだよ」


 軽く挨拶を済ませて、手を振って村人を見送る。

 挨拶回りの日とは全然違う、好意的な村人の反応にあたしは嬉しさがこみ上げた。

 思わずニンマリと緩んでしまうあたしの口元。ふと気づくと、すぐ隣で一部始終を見届けていた氏神様も、同じような表情を浮かべていた。


「まさか今のって、氏神様の仕業?」

『頑張ってる君への、ささやかなご褒美さ』

「ありがとう。一刻も早く集落の人たちと仲良くしたいから、とっても助かる」


 陳情処理の副産物。

 村の役に立てた上に、広がる交友関係で一挙両得。さらに、ささやかながら謝礼金ももらえるなんて言うことなし。


(ちょっと打算的で後ろめたいけど……。まあ、悪いことしてるわけじゃないし、これぐらいの下心があってもいいよね)


 胸の内で開き直り、再びドブさらいに精を出す。

 するとそこへ通りかかる、白い軽トラック。いくら狭い集落の中といっても、さすがに鉢合わせしすぎだろう。


「おう、里花ちゃん。調子はどうだ?」

「毎日、毎日、暇なんですか?」

「失礼なこと言うだな。暇なわけあるか、これから午後の農作業だよ」


 そう言いながらも車を降りて、ドブさらいの出来栄えを確認する耕作。これが暇じゃなくてなんだっていうのか。

 まるで小舅のような振る舞いに冷ややかな目を向けると、耕作は不満そうな口を開いた。


「役場で引き受けた仕事だか? あいつらの仕事なんだから、あいつらにやらせたらいいでねえだか」

「でもそんなこと言ってたら、いつまでたってもこのドブは詰まったままでしょ?」

「そうは言ってもよ……」


 言い争う声を聞きつけたのか、大屋敷から老婆が出てきて話に加わる。

 かなり高齢に見える老婆は、嬉しそうな表情であたしに頭を下げた。


「ドブさらいは、さすがに年寄りにはきつくてねぇ。役場に相談したんだけども、なしのつぶてだっただよ。ほんとに助かったべした」


 その言葉を盾に、あたしは耕作に勝ち誇ってみせる。


「ほらね? 責任を押し付け合っても、ドブの詰まりは流れないのよ。このおばあちゃんの言葉が、あたしの行動の正しさの証明よ」

「へー、へー。わかりましただーよ」


 いい加減作業に戻って、早いところドブ掃除を終わらせてしまいたい。

 まずは邪魔でしかない耕作を追い払おうと、あたしは遠まわしにほのめかす。


「そんなことより、いつまでもサボってていいの? 農作業あるんじゃないの?」

「今日は大した作業じゃねえだから、急がなくても大丈夫だ」


 暇じゃないと言ってたはずなのに、今度は大屋敷の老婆と世間話を始めた耕作。

 ちっとも意図を汲み取ってくれない耕作に少し苛立ったあたしは、きつめの口調でストレートに意思表示することにした。


「暇なら手伝ってよ。そしてこれが終わったら、村道に張り出してる枝の剪定もお願いできないかな? あたしじゃどうにもできなくて」

「よっし、里花ちゃんの頼みじゃ仕方がねえだな。一肌脱ぐとすっか」


(即答であたしを手伝えるなんて、やっぱり暇にしてたんじゃないの……)


 気合充分で腕まくりを始めた耕作。

 けれどドブさらいに取り掛かろうとした耕作に、背後からしゃがれた怒鳴り声が飛んできた。


「コルァッ! 耕作っ!」

「ひっ、じじいっ」

「おめえ、いつまで経っても迎えさ来ねえで、こったらとこで油さ売ってただか!」


 耕作は固く目を閉じて身をすくめる。どうやら『これから農作業』と言っていたのは嘘じゃなかったらしい。

 耕作の慌てふためく様子に、思わずあたしは噴き出す。

 色黒の小柄な老人は、ポンポンと威勢のいい言葉を次々と耕作に投げつける。この雰囲気から察すると、耕作が車の中で話していた祖父っていうのが彼なのだろう。


「今、行くところだっただよ。おとなしく待ってろって言ったろ」

「まったく、目さ離したらおなごとちちくり合いやがって。誰だ、この娘っ子は」

「生垣さんとこの、お孫さんだよ」

「なにぃ、生垣のババアんとこの孫だと? 色気づきやがって、交際なんか認めねえだからな!」


 初めのうちは微笑ましく会話を聞いていたけれど、徐々に燃え上がり始めた言い争いの火種。その火の粉は無関係のあたしにまで。

 しかも交際なんて言葉が出てきたら、さすがに聞き流してはいられない。耕作の祖父とは初対面にもかかわらず、あたしはきっぱりと抗議した。


「ちょっと、ちょっと、いきなり失礼なこと言わないでもらえます? あたし、交際なんてしてませんから!」

「かぁーっ。その気の強ええとこなんか、生垣のババアそっくりだべした。ほれ、畑さ行くぞ、耕作」


 耕作の祖父はあっという間に軽トラックの助手席に乗り込むと、耕作に車を出すように急き立てる。

 立場をなくした耕作は、居心地悪そうに頭を掻きながら運転席に乗り込んだ。


「すまねえ。剪定はまた今度手伝うから、今日のところはもう行くだよ」

「はい、はい。当てになんてしてないから、気が向いたらどうぞ」

「耕作、おめえ尻に敷かれてるでねえだか! 男なら、ガツンと言わねばならんぞ」


 キッパリ否定したはずなのに、未だに続く誤解。

 耕作の祖父は何を言っても聞く耳を持たないタイプに見えるけれど、ここはやっぱり否定しないわけにはいかない。


「敷いてませんから!」

「ふん!」


 耕作の祖父はそっぽを向き、耕作は気まずそうな作り笑いを浮かべながら軽トラックは走り去る。

 呆れ顔でそれを見送ると、ドッと疲れが押し寄せてきた。たまらずあたしは、大きなため息とともに肩を落とす。

 するとその肩を、ポンと叩く優しい手。


「ドブさらいさ終わったらお茶淹れるだで、上がっていきなせえ」


 振り返ると、そこには老婆の温かい笑顔。

 あたしはやっと今日、奥日多江の住人として認められたような気がした。

 嬉しくなったあたしは、思わず氏神様へと振り返る。すると氏神様も、粋な言葉であたしをねぎらってくれた。


『――良かったね、里花ちゃん。改めて、奥日多江にようこそ』

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