第11話 新米農家のとある一日(後編)

 午後の作業は、次に作る作物の種まき。今日はキュウリらしい。

 祖母の指示に従って、大体等間隔になるように種を蒔いていく。苗ではなくて直接種を蒔くのが、ここでのやり方だとか。


(こんな畑っぽくないところに種を蒔いて、本当に育つのかな……)


 そんな心配が頭をかすめる。

 耕しもせず、畝も作らない、荒れた畑。まるで、野原に種を蒔いている気分。それでもさっきのトマトを味わった後では、祖母を信じないわけにいかない。

 ただひたすらに土に指で穴をあけては種を蒔く、その繰り返し。またしても簡単なお仕事。

 けれども畑のこの広さは、午前中の収穫でパンパンになった足には過酷すぎる試練の場所。死にかけのカニのように重い足取りで横に進みながら、ただ黙々と種まきに徹した。



 予定していた分の種まきもなんとか終了。気付けば日も傾きかけている。

 ぐったりとあぜ道に腰を下ろしたあたしに、祖母が嬉しそうな笑顔でねぎらいの声をかけた。


「いやあ、里花ちゃんのお陰で、普段の倍ぐらい捗ったべした。ほんとありがとね」


 祖母に余計な気遣いをさせないよう強気に振舞いたいけれど、今は無理。きっとあたしの表情は生気を失っていて、家に帰るのも面倒なほどに疲れ果てているのもバレバレだろう。

 精一杯の作り笑顔で、「どういたしまして」と返すのがやっとだった。


「そうだ、里花ちゃん。帰りがけに裏山さ行って、よく乾いた枯れ枝さ一杯拾ってきてくれねえだか」

「いいけど、枯れ枝なんか拾って何するの?」

「都会じゃ味わえねえことしてやるだよ」


 家の前で祖母と別れ、あたしは重い足を引きずりながら家のすぐ裏手の山へ。

 所有者はもちろん祖母。さほど大きくはないもののキノコやタケノコ、それに山菜も豊富に取れる。

 先日も祖母が「ちょっくら採ってくるだで」と分け入って行くと、両手で抱えたザルはものの三十分ほどで山盛りに。

 もちろんあたしには無理。毒キノコの判別もできなければ、タケノコや山菜なんて見つけることすらできない。

 でも今日のお使いは枯れ枝拾い。それぐらいならきっとあたしにだってできる。


(そうは言っても、使い道が謎だよね。『よく乾いた』って言うぐらいだから、火をつけるんだろうけど……。焚き火でもするのかな?)


 家に帰り着くと、庭先で祖母が出迎える。

 さっきまであたし以上に畑仕事をこなしていたというのに、祖母は軽々と手斧を振り上げて薪を次々と割っていた。あたしは足腰がフラフラだというのに……。

 そして「おかえり」の言葉と共に、枯れ枝集めの理由が祖母の口から明かされる。


「里花ちゃんは、薪で沸かした風呂なんて入ったことねえべ?」


 思いがけない祖母の言葉に、真っ先に頭に浮かんだのはドラム缶風呂だった。

 確かに入ったことはないけれど、さすがにワイルドすぎる。それにドラム缶風呂ならきっと屋外。そんな恥ずかしいのはあたしには無理だ。


「楽しそうだけど、外でお風呂はちょっと恥ずかしいかも……」

「なーに言ってんだべした。風呂はいつものまんまだよ。でもよ、ガスでなくて薪で風呂さ沸かすと、もーっとあったまるんだべした」

「ほんと? だったら入ってみたい」


 祖母の言葉で、俄然興味が湧いてしまったあたし。そんな魅力的なことを言われたら、入ってみたくなるに決まってる。

 薪割りを終えてあたしが拾ってきた小枝を釜に突っ込むと、祖母はポケットからマッチを取り出す。そして点火すると、鼻歌交じりで徐々に太い薪を釜にくべていく。


「何か手伝えることはない? おばあちゃん」

「だったら、アタシは飯の準備してくるだで、火の番しててくれねえだか」

「わかった。見てればいいのね?」


 疲労はピークに達しているものの、薪風呂の誘惑に取り憑かれてしまったあたし。薪割りをしろと言われたら、最後の力を振り絞ってでもやっていたかもしれない。

 けれど幸い頼まれたのは火の番。祖母が起こした火を絶やさないように、時々薪を追加しながらボーっと眺める。



「里花ちゃん、もうすぐいい按配になりそうだで、火の番変わるだか」


 一時間ぐらい経っただろうか。ウトウトしかけたあたしの肩を祖母が叩く。

 これだけ燃えているんだからすぐに沸くだろうと思っていたお風呂は、予想以上に時間がかかるものらしい。


「えっと、あたしはどうすればいいの?」

「中から言ってくれたらこっちで調節してやるだで、ちょうどいい湯加減になったら、先に入ったらいいべした」

「じゃあ、先に入らせてもらうね。ありがとう、おばあちゃん」


 あたしに微調整なんてできるはずもないので、祖母の言葉に素直に甘える。

 火の番を交代して、あたしはさっそくお風呂場へ。湯船に手を浸すと気持ちぬるめのお湯加減。それでも入れないほどではないと、待ちきれなかったあたしは脱衣場で服を脱いで、すぐさま湯船に飛び込んだ。


 ――極楽の一言。


 一時間にも及ぶ、火との格闘が労われた瞬間。居眠りしちゃってたけど……。

 昨日までとは全く違う、身体の奥からポカポカと温まっていくこの感じ。手間暇かけた労力がそう感じさせるのかもしれない。


「おばあちゃん、気持ちいいよぉ。身体がとろけるぅ」

「もう湯加減はいいだか?」

「あ、でも、もうちょっと温かい方がいいかもぉ」

「そんなら、もうちっとばっかし火ぃくべとくだな」


 あたしのために、外で火加減を調整してくれている祖母。

 そんな電気やガスでは味わえない人の温かみが、より一層の温もりを演出する。

 祖母が言っていた言葉に嘘、偽りはなかった。これは一度入ったら、もうガス風呂には戻れないかもしれない。

 あたしはつま先から髪の先まで、全身で薪風呂を堪能する。


『そんなに気持ちいいかい?』

「もうダメ、癖になりそう。ずーっと、こうしていたいわぁ……」


 ふと気づいて、目の前に視線を移すと、そこには氏神様の漂う姿。

 あたしは慌ててバシャバシャと、お湯をすくって掛ける。


「ちょっと、なに? どうして、こんなとこにいるの!」

『いや、夜の見回りをしてたら、君の気持ち良さそうな声が聞こえたもんで』

「出てって、出てって、出てってよ!」


 神様からすればどうということはないんだろうけど、やっぱりあたしには耐えられない恥ずかしさ。両手で身体を隠しながら、必死に氏神様を追い出そうと試みる。

 すると今度は心配そうな声で、外から声が掛かった。


「どうしただか? 里花ちゃん。ひょっとして熱かっただか?」

「ああ、違うの、違うの、おばあちゃん……」


 オロオロと慌てるあたし。

 氏神様がお風呂場に入り込んで来たなんて言ったところで、祖母にはわけのわからない話だろう。

 その場しのぎの言葉で、あたしは必死に取り繕う。


「――目の前をいやらしい虫が飛びまわってるの。ほんと、いやよね!」

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