第8話 お役所仕事

「――村おこししたいんです」


 役場の受付で、思わず口走ってしまった第一声。眼鏡をかけた女性の職員も、眼をしばたたかせて言葉を詰まらせる。

 我ながら唐突過ぎたと、後悔しても後の祭り。


「えーっと……。もう少し、具体的にお願いできますか?」

「集落の過疎に歯止めをかけたいんです」

「……少々お待ちいただけますか?」


 奥へと引っ込んでしまった受付の職員。困り果てていたのが見て取れる。

 勇んで来てはみたものの、あたし自身もどう相談を持ち掛けていいのかわからない。きっと職員には、変な人が来たと思われたに違いない。

 しばらくして姿を現したのは、還暦ぐらいの年齢の小太りの男。いかにも面倒そうな表情で応対を始めた。


「オラが村長だ。村おこしとか言ってるのは、おめえだか? 話だけは聞いてやっから、こっちゃさこう」


 一方的に言い放つと、村長はそのまま奥の部屋へ入っていった。方言がよくわからなかったけれど、どうやらついて来いということらしい。

 部屋の扉には村長室の文字が。けれどその中は意外なほどに質素。休憩室と言った方が相応しいかもしれない。


「んで? おめえさんの考える村おこしってのは、なんだべは?」


 村長は、安っぽい応接セットに腰掛けてふんぞり返りながら扇子を扇ぎ始めると、さっそくあたしに質問をぶつけてきた。

 ここまでは挙動不審でしかなかったあたしだけれど、これでも昨夜一晩かけて色々と企画は考えてきたつもりだ。捻り出したアイデアを書き留めたメモをポケットから取り出しつつ、村長の問いかけに懸命に答える。


「地域を賑わせて人を集め、経済効果をもたらせること。ひいては村の人口を増やして、さらなる賑わいをもたらしたいです」


 学校の授業のような堅苦しい回答。けれども思った以上に、良いことを言えた気がする。あたしは発言ついでに、得意気な表情を村長に向けた。

 けれども村長は呆れたような表情。そしてあたしに冷ややかな目を向けた。


「はん! こんな辺鄙な村になんぞ、誰がくるもんか。オラたちゃここで生まれ育ったから暮らしちゃいるけんど、都会に生まれてたら好き好んでこんなところに住もうなんて思わねえべした」

「だから、そんな人を呼び込むために――」

「来ねえ、来ねえ」


 歯牙にもかけない村長の態度。

 メモの内容を読み上げようとしても、茶化すように口を挟んでくる。

 あまりに腹が立ったあたしは、声を大にして村長に言い返した。


「わざわざ車で三十分もかけてやって来たんだから、もう少し話を聞いてくれてもいいんじゃない?」


 ぴたりと口をつぐんだ村長。

 強く言ったのが功を奏したらしい。これでやっと話を聞いてくれると思ったのも束の間、そんなことは全然なかったんだと思い知らされた。


「おめえさん、どこさから来た?」

「え、あの……奥日多江ですけど……」

「なるほど、必死さこいて村おこし言う理由がわかったべした。けどもよ、おめえさん。あの集落は何しても、もう終わりだべ。村おこしなんか考える前に、引っ越しさ考えた方がいいべした」


 集落名を告げた途端に、さらに言葉に棘を増した村長の言葉。

 合併して一つの村になったと聞いていたのに、すでに見捨てられている現実をあたしは感じ取った。


「でも、やってみないとわからないじゃないですか。いくつか案も考えたんです。だから話だけでも――」

「無駄だ、無駄。オラもやることあっから、お嬢ちゃんの相手ばっかしてらんねえだよ。さぁ、帰った、帰った」


 話も聞いてもらえず、村長室から追い出されたあたし。

 手のひらのメモが、握りこぶしの中でしわくちゃになる。

 農業体験ツアー、オリエンテーリング大会、星空観賞会、ゆるキャラ……。メモに書き留めた、ありきたりかもしれないけど必死に考えた案たち。

 発表する機会も与えられなかった悔しさに、ついつい目が潤む。


「失礼しました……」


 一礼して村役場を去ろうとするあたしに、追い打ちの言葉が刺さる。

 「奥日多江じゃなぁ」「どうもならねえだよ、あそこだけは」と、聞こえよがしな職員の声の大きさ。さらには、嘲笑さえ聞こえてくる始末。

 あたしは打ちひしがれて外へ出ると、そこには白い軽トラックが止まっていた。


「早かっただな。乗ってくか?」


 どうして未だに耕作がいるのか不思議に思ったものの、わざわざ尋ねる気にもなれずに、あたしはただ小さくうなずく。

 そのまま黙って助手席に乗り込むと、シートベルトを締めながら耕作が声をかけてきた。


「元気ねぇみてぇだけど、なんかあっただか?」

「奥日多江って、なんか嫌われてます?」

「日多江と奥日多江にゃ、合併の時からの因縁があるだからなぁ」

「そうなんだ……」


 走り出した軽トラック。

 ぼんやりと頬杖を突きながら窓の外を眺めるあたしに、耕作は腫れ物に触る様子で声を掛けてくる。


「どした? なーんか言われただか?」

「村長が、ちっとも話を聞いてくれませんでした」

「ははーん、村長なー。村長選挙で票を集めることしか、あいつは考えてねえだからなぁ。奥日多江の三十票そこそこなんて、興味がねえんだろな」


 その後も、必死に話題を提供してくれる耕作。

 きっと彼なりの気遣いなんだろうけど、今のあたしには適当に相槌を打つぐらいしかできない。


「生垣さんの家まで送ればいいだか?」

「できれば、神社で降ろしてもらってもいいですか」

「神社って、日多江様だか?」

「ええ……」


 沈んだ気持ちのまま祖母と顔を合わせたら、心配をかけてしまうに違いない。

 あたしは気持ちを落ち着かせるために、家に帰る前に神社に寄り道をすることにした。そんなあたしの相手をさせられる氏神様は、気の毒でしかないけれど……。



「さあ、着いた。ついでだから、俺もお参りしていくだかな。本日二度目だども」


 そう言って、勇ましい様子で参道を突き進む耕作。あたしも後ろをついて歩く。

 本殿が近づいて目に入ったのは、賽銭箱の奥の階段に腰掛けている氏神様。触れられないことはわかっていながらも、あたしはそのすぐ隣に並んで腰を下ろした。


 耕作は賽銭を投げ込んで、そのまま手を合わせる。

 あたしは階段に腰掛けたまま、その姿をぼんやりと眺める。


(何をお祈りしてるんですかね? この人……)

『興味あるのかい? でも、他人のお願い事を話すわけにはいかないな。君だって自分の願い事は、他人に知られたくないだろ?』


 言われてみればあたしだって、素性を知らなかったとはいえ氏神様に恋したことをバラされたら、間違いなく立ち直れないレベルの恥ずかしさだ。


(そういえば、今日の晩ご飯は何かな……)


 村役場のことは極力思い出さないように……。

 少しでも前を向いて歩けるように……。

 今日の出来事を胸の奥底に沈めて、立ち直るために無関係なことを考える。すると氏神様は何を思ったのか、あたしが一番触れて欲しくない言葉を掛けてきた。


『村役場では、辛い思いをしてきたみたいだね』


 村役場で浴びせられた辛辣な言葉が、脳裏によみがえる。

 せっかく抑え込んでいた感情が再び去来して、極まった思いに両方の目から涙がこぼれ落ちた。


(なんでそんなこと言うの……氏神様……)


 膝を抱えて負の感情に押し潰されそうになるあたしに、氏神様は続けて励ましの声を掛ける。


『でもね、きっと君の熱意は伝わってるよ、少しずつ少しずつ周囲の人に。だから、君の今日の行動は無駄じゃない。大丈夫、自信を持って明日からも頑張って……。そして今日はありがとう、僕のために』


 最後に掛けられた氏神様の感謝の言葉に、あたしの気持ちは一気に晴れる。


 ――報われた。


 そのたった一つの事実だけで、さっきまでのマイナスだったあたしの気持ちは一転、そのままプラスの気持ちへと逆転した。

 そして心配をかけた氏神様に感謝を込めて、立ち直ったあたしをアピールしてみせる。


「そうだね……。あたし明日も行ってみる、役場に。明日がダメでも、諦めずにできることをやってみるよ」


 あのまま胸の内にしまい込んでいたら、今日のあたしの一日は無駄でしかなかった。きっと氏神様はこうなることを見越して、村役場での出来事を思い出させるような言葉を掛けたんだろう。

 ひどい氏神様。あたしの気持ちを弄ぶかのように振る舞う。

 単純なあたし。こんなにチョロいなんて、あたし自身も思ってもみなかった。

 散々流した涙も、今では嬉し涙だったんじゃないかと思えてくる。

 そして、ぐしゃぐしゃになってしまった顔を上げると、そこには心配そうにこちらを見つめる耕作の姿があった。


(忘れてた……。耕作さん、まだ居たんだった……)


 泣き腫らしたあたしと目が合うと、おっかなびっくりと耕作が声を掛けてくる。


「大丈夫だか? り……いや津羽来さん」

「あ、ああ……。心配させちゃって、ごめんなさい。でももう大丈夫、ちょっと泣いたらスッキリしたから」

「いやぁ、ちょっとって感じじゃ――」

「ちょっとって言ったら、ちょっとなの! 今日はありがとうございました。それじゃ、失礼します!」


 耕作へのお礼の言葉もそこそこに、慌てて逃げ帰るあたし。

 あまりにも恥ずかしくて、そうするしか選択肢はなかった。


「――もう、氏神様のいじわる……」

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