第2章 月にむらくも、里花に風
第7話 先が思いやられる
朝の起床は午前六時。だけど祖母からすれば、それでも遅いという。寝ぼけまなこのあたしに用意されていた朝食は、母の料理と同じような味がした。
その後、三時間ほど農作業の手伝いをしたら、もう身体がパンパンに。
しかも、土の中からミミズが顔を出しただけで、腰を抜かす始末。やれやれ、こんな調子で本当にやっていけるんだか……。
「里花ちゃん、お疲れさん。これから役場さ行くんだべ? 今日はこれで充分だで、行って来たらいいべした」
「ありがとう、おばあちゃん。ちっとも役に立てなくてごめんね」
村役場へ行くために、手伝いは早めに切り上げさせてもらった。けれどもその理由は、祖母には告げていない。
村おこしの相談をしに行くためだなんて、とてもじゃないけど言い出せない。
(やると決めたからには、最短距離を突き進むだけ。氏神様も手伝ってくれるって言ってたしね。頑張らなきゃ……)
あたしのことは、もう集落中の誰もが知っている。それなら慌てて挨拶に回る必要もないかと、そちらは後回し。
シャワーで農作業の泥を落として身を清めると、安全祈願を兼ねて神社へ向かう。と言いながら、実のところは氏神様に元気をもらいたいだけだ。
神社に着いたあたしは氏神様にご登場を願うと、これから村役場へ相談しに行くことを報告する。すると氏神様は不安そうな表情を浮かべた。
『一人で大丈夫かい?』
「大丈夫、大丈夫。村役場はふもとの日多江集落らしいけど、バスで一本らしいし。それに氏神様は、この集落を離れられないんでしょ?」
『まぁ、そうなんだけど……』
「平気、平気。昨夜遅くまでかけて、たーんまりと企画も考えておいたからね。それじゃ、行ってきまーす」
『気を付けて行くんだよ』
元気をもらうはずだった氏神様を逆になだめたあたしは、その足で村役場に向けて出発する。
ふもとの日多江集落とここ奥日多江集落はかつては別々の村だったけれど、合併して日多江村として一つになった経緯があるらしい。
そして日多江集落は人口も五千人ぐらいいるらしいから、ちょっとぐらいはショッピングも楽しめるんじゃないかと密かに期待している。
バスに乗るために、まずはバス停へ。その足取りにも自然と力が入る。
けれどもバス停に辿り着くと、カラカラカラと間の抜けた音が聞こえてきそうなほどに、あたしの意気込みは激しく空回りした。
(なに? この空行ばっかりの時刻表は……。そういえば、「アタシゃバスにゃ乗らねえから、いつ来るかわかんねえだな」っておばあちゃんも言ってたっけ……)
バスは、朝七時と夕方五時の一日二便だけ。
ありがちな田舎の現実に、あたしは出鼻をくじかれた。
思わず蹴り上げる、錆だらけのバス停の支柱。けれど、バス停をふらつかせただけの腹いせにしては、つま先の痛みは高すぎる代償だった。
「くぅ……。もう! 教えてくれたっていいじゃない! (って……。いくら神様でも、バスの時刻まで把握しちゃいられないか……)」
つま先を押さえてうずくまるあたしの横に、ブレーキのきしんだ音を立てて一台の白い軽トラックが止まった。
その助手席の窓から見下ろしていたのは、昨日の挨拶回り中に出会った青年。彼は心配そうな表情で、あたしに声を掛けてきた。
「家に帰るんだか? まさか、もう奥日多江が嫌になっちまっただか?」
奥日多江に来てまだ三日目。そこまで根性なしに見えたのかと、あたしは少し苛立つ。しかも、昨日出会った時の良くない印象も残っていたせいか、ついつい口調に敵対心が滲み出てしまう。
「ちょっと村役場に行くだけですよ。追い出したいんですか? あたしを」
「いやいやいや、とんでもない。俺は歓迎してるって、嘘じゃない。それより、役場に行くなら乗ってくだか?」
「…………」
ジンジンするつま先の痛みをこらえて、立ち上がるあたし。
軽トラックの座席を覗き込むと、乗っているのは運転席から身体を伸ばして、助手席の窓にその身を預ける彼一人きり。それを見て、ついついあたしは身構える。
「信用できねえなら、無理にとは言わねえさ。けど夕方のバスに乗っても、役場は閉まっちまうだぞ」
せっかく気合を入れて出てきたのに、また出直しとなると気が削がれてしまう。
それに、今日のバス代は祖母に借りたものの、今のあたしは無一文。一刻も早くふもとの集落で貯金を下ろして、ささやかな安心感を得たいところ。
気乗りはしないけれど、あたしは彼の申し出を仕方なく受けることにした……。
「役場には何しに?」
「大した用じゃないですよ」
「こんな田舎に何しに来たんだ? ここいらは、なーんもないだろうに」
「いいじゃないですか、あたしは好きですよ、ここ」
彼の運転する軽トラックの車内は、空気がどんよりと重い。
原因があたしにあるのは明らか。警戒心のせいか、ついつい口調が反抗的になっているからだ。けれども彼は気にも留めない様子で、また違う話題を持ち掛ける。
「そういや、まだ名乗ってなかったな。俺は舘花(たちばな) 耕作(こうさく)だ、耕作って呼んでくれ」
「ちょっと、どうして下の名前で呼ばなくちゃいけないんですか」
「だってよ、あの狭い集落に舘花って苗字は四軒もあんだぞ? 名前でねえと、誰のことだかわかんねえのよ」
一瞬勘違いしたものの、聞いてみれば納得の理由。
今後も顔を合わせるだろう耕作とこれ以上ギスギスしても良くないと思い、呼び方を受け入れることにした。
「わかりました、耕作さんですね。あたしは津羽来(つばき) 里花(りか)って言います」
「おう、よろしくな、里花ちゃん」
「…………」
耕作の馴れ馴れしい呼び方に、つい表情が険しくなるあたし。
運転しながらもその視線に気づいたのか、耕作はこちらを見て表情を強張らせた。
「あ、ああ、ちょっと馴れ馴れしかっただな。津羽来さんね、お手柔らかによろしくたのんます」
「いえ、こちらこそ……。なんか、ごめんなさい」
曲がりくねった山あいの道を二十分ほど走ると、勾配は徐々に緩やかに。そして間もなく、ふもとの日多江集落が視界に飛び込んできた。
さらに車を走らせること五分、学校の校舎のような木造の建物に到着。
耕作はそこへ軽トラックを横付けすると、ドアのロックを解除した。
「お待たせ、ここが村役場だ。一人で大丈夫だか? なんなら付いて行こうか?」
「大丈夫です。ありがとうございました」
「村に帰るバス停はそこだから。乗り遅れないように気を付けんだぞ」
心配そうな耕作に頭を下げて、軽トラックを見送る。
いよいよ村おこしの第一歩。気合を入れるために、あたしは両頬を軽く自分ではたいた。
(――氏神様の目は届いてないけど、あたし絶対頑張ってみせるからね!)
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