第6話 村人Bから始めよう

 ――さぁ村おこしだ!


 なんて気合を入れたところで、一人でどうこうできる話じゃない。

 村おこしの賛同者を募るために、一軒一軒家を訪ねてのあいさつ回り。まずはあたし自身が、奥日多江の住人として受け入れてもらえないと話にならない。


 取り出したのは祖母に書いてもらった地図。「どうしても挨拶回りすんなら、長老さんからがいいべした。狭い集落じゃ、そったらことに結構こだわるでな」と、丁寧に順路まで書いてくれた。


(粗相して、村八分にされたりしないよね……)


 ただの挨拶回りだっていうのに、緊張感が走る。

 祖母の言葉のせいだろうか。もしくは、どこかで聞いた『村社会は閉鎖的』なんていう、先入観のせいかもしれない。


(ダメダメ、こんなところで躓いてたら、今日中に全部の家なんて回れないって)


 全員に挨拶なんて無謀なようだけれど、この集落は総勢十五世帯で三十人ぐらい。

 自宅のマンションで、全室にあいさつ回りするよりも少ない。

 とりあえず気を取り直して、祖母が長老と呼ぶ最年長者の家を目指す……。



 道は単純。信号もなければ、交差点と呼ぶほどの大層な十字路もない。だけどひたすらに遠い。

 祖母の地図ではすぐ近くのように書いてあるのに、見上げれば遥か彼方。これじゃ詐欺だ。


(おばあちゃん……。これは、縮尺も書いてもらうべきだったなぁ……)


 先行きに不安になりつつも、なんとか目的の家に到着。

 けれども今度は、玄関にインターホンが見当たらない。

 しかも戸は昔ながらの引き戸。ノックもしにくいので、外から声を掛けてみる。


「ごめんくださーい」


 家はシーンと静まり返ったまま。

 目一杯に声を張り上げて、あたしは再度懸命に呼び掛ける。


「ごめんくださーい!!」


(留守かぁ……)


 仕方なくあたしは順路に従って、隣の家へと向かった。隣といっても百メートルは優にある。

 そしてこの家も、再三の呼びかけに無反応。またしても留守なんだろうか?

 途中の畑にも人影はなかったし、一体どこへ出かけているんだろう。祖母には、この時間ならいるはずと言われて来たのに……。


「――あんた、そんなとこで何してんだ?」


 ガックリと肩を落としていたあたしに、突然背後から掛かった男性の声。やましいことをしているわけでもないのに、思わず背筋が伸びる。

 驚きでドキドキしている胸を押さえながら振り返ると、そこに立っていたのはあたしよりも少し年上に見える青年。見た目だけで言えば氏神様と同い年ぐらいだけど、もっさりとしたその風貌は似ても似つかなかった。

 とりあえずあたしは青年に不審がられないように、正直に質問に答える。


「ご挨拶に来たんですけど、お留守みたいで……」

「え? あ、あの……。ひょっとして、生垣(いけがき)さんとこの里花ちゃん?」


 返ってきた青年の言葉に、あたしは耳を疑う。

 生垣は祖母の苗字、つまり母の旧姓。さらに、ズバリと言い当てられた下の名前。

 あたしはこの人を知らないのに、向こうはあたしのことを知っている。それだけであたしの警戒心は、一気に最大限に高まった。


「えっと……。どうして、あたしのことを知ってるんです?」

「あ、ああ。そりゃあ、ね……。狭い集落だからな」


 逸らされる視線、言い訳がましい口調。この人は何か隠し事をしている、そんな気にさせる態度だ。

 そしてその青年の肩越しには、追い打ちをかけるように信じ難い光景が。それはさっき訪ねた隣家から、家人がスタスタと外出する姿だった。

 ついさっき、あれだけ声を掛けても返事がなかったというのに……。


(え、居留守だったの? あたしが訪ねたのは迷惑だったとか? ううん、そんなことないよね、きっとトイレに入ってたとか、手が離せなかったとかだよね……)


 集落の人たちの釈然としない行動に、良くない考えが頭をよぎる。

 受け入れられないかもしれないという不安感から一歩進んで、迷惑に思われているかもしれないという疎外感へ。

 目の前の青年の挙動不審ぶりも、あたしの心境変化に拍車をかける。

 そんな弱気になっているあたしに、青年が心配そうな顔で声を掛けてきた。


「どした、大丈夫だか? この家に用があるなら、じい様を呼んで来てやるだか? 今の時間なら、呑気にテレビでも見てるはずだから」

「い、いえ、結構です。また改めて挨拶に来ますんで」


 玄関の引き戸に手を掛ける青年の申し出を、あたしはぶっきらぼうな言葉で断った。そしてそのまま、軽く一礼してすぐさま立ち去る。

 彼の言葉はきっと親切心だったんだろう。だけどあたしは、その気持ちに甘えるわけにはいかなかった。


(この家だって、何度も呼びかけたんだよ? もしもすんなり家の人が出てきちゃったら、それこそ居留守だったってことになっちゃうじゃない……)



 たった二軒の挨拶回りで、まさかこんな気持ちになるとは思わなかった。

 三軒目に向かう気力なんて、とてもじゃないけど湧いてはこない。

 トボトボとあてもなく歩いていると、村人とすれ違う。なんとか笑顔を作って、軽く挨拶の言葉を掛ける。


「こんにちは、いいお天気ですね」

「見ない顔だべな。ああ、生垣さんとこの孫だか?」


 さっきの青年が言った通り、あたしのことはとっくに集落中に知れ渡っているみたいだ。あまりいい気分ではないけれど、今後世話になる身としてあたしは丁寧にお辞儀をした。


「え、ええ、そうなんです。これから、よろしくお願いします」

「あんたも物好きだべな。でもよ、悪いことは言わねえ。この集落に住むなんて馬鹿な考えはやめて、帰った方がいいべした」


 悪意のある言葉じゃないと思いたいけれど、今日は巡り合わせが悪すぎる。

 引きつる顔。熱くなる目頭。あたしは顔を伏せたまま、小声で「失礼します」と別れを告げた。


 足の向くままにたどり着いた先は神社。

 あたしはぼんやりと参道を進んで、ため息をつきながら賽銭箱の奥にある階段に腰を下ろした。


(寄ってたかって、みんなで示し合わせたように言わなくても……)


 一つ一つの出来事は些細なこと。でもそれが積み重なると、大きな出来事に感じられてしまう。

 ましてや不慣れな土地で、しかも新しいことに挑戦しようとした矢先だったから、心理的に打ちのめされてしまったのかもしれない。


(大丈夫、大丈夫。きっとみんな誤解、すれ違い、勘違い。これは神様が与えた試練なんだ。あたしの決意がどれほどのものか、きっと試されているに違いないのよ)


 きつく目を閉じて、自分に言い聞かせる。

 悪い方へと気持ちを追い込んでしまうのが心の持ちようなら、良い方へと解釈するのも心の持ちよう。ネガティブとポジティブは紙一重。


『――僕は、君の決意を試したりはしてないよ?』


 突如聞こえた声に目を開けると、そこには氏神様。

 そういえばここには、正真正銘の神様がいたんだった。


「ああ、そういうつもりで言ったんじゃ……って言ってないよね。もう、心の声に勝手に答えないでよ」


 苦笑いをしつつ、氏神様に会えてホッとするあたし。徐々に心が安らいでいく。

 自然とここへ足が向いたのも、無意識にこの安らぎを得たかったからなのかもしれない。


『ごめんごめん。でも僕のために行動してくれた気持ちは、とっても嬉しいよ。本当にありがとう』


 氏神様の励ましの言葉から、今日のあたしの行動がお見通しなことがうかがえる。

 あたしの努力をちゃんと見てくれていた人がいるとわかっただけでも、少しは報われた気分。

 けれども結果が伴わなければ、やっぱり元気は出ない。あたしはついつい、氏神様に愚痴をこぼす。


「だけど、なんだか空回りしてばっかりで……」

『まだ始まったばかりじゃないか、元気を出しなよ。まずはもう少しだけ、自分にできることをやってみるといい。それでも上手くいかなくて、落ち込んだり困ったときにはいつでもここへおいで。僕でよければ相談に乗るから』


 弱気なあたしを励ましてくれる氏神様。

 それでも張り詰めていたあたしの心は、よほど弱っていたのだろう。まだまだ足りないと、さらに甘えてしまう。


「でも……。両親にはあんなに偉そうなこと言っちゃったのに、ここで本当に生活していけるのか不安で……」

『気持ちはわかる、でも安心して。手助けが必要なときは僕も付き合うからさ。そうは言っても僕は氏神だから、行動範囲は集落の中に限られちゃうけどね』

「本当に? 氏神様が手伝ってくれるなら百人力です」


 あたしは何でもできそうな、無敵の力を手に入れた気分になる。

 なにしろ神様が味方についたんだ、宝くじの一等当選だって夢じゃないかもしれない。そう思ったのも束の間、あたしの心を読んだらしい氏神様が否定を始めた。


『氏子の少ない今の僕は神力も乏しいから、百人分の力なんてありゃしないよ。それに、僕の得意分野は縁結びだからね。宝くじに当選させるなんて、土台無理な話さ。あんまり過大な期待は抱かないでおくれよ』

「へへ、調子に乗っちゃいました。だけど村おこしなんて言いながら、氏神様を繋ぎ止めたいだけのあたし個人のお願いに付き合わせちゃって、本当にいいのかな?」

『気にしない、気にしない。この集落が、このまま消えていくのは僕だって寂しいからね。せっかくだから、一緒に楽しませてもらうとするよ』


 あたしの心を読んでの気遣いなのか、それとも本当にただの興味なのか……。

 けれどもあたしがやろうとしていることに賛同して、協力してくれる仲間ができたのが心の底から嬉しかった。しかもそれが氏神様だなんて。


 ここにくれば、いつでも相談に乗ってくれるという。

 必要とあれば、手助けだってしてくれるという。

 不慣れな土地で、不安だったあたしにもたらされた安心感。あたしの両方の目からは、悲しみじゃない涙があふれ出した。

 そしてあたしはさらに感情を昂ぶらせて、思わず目の前の氏神様に飛びつく。


 ――スカッ。


 だけど氏神様を抱きしめるはずだった両腕は空を切り、抱えたのは自分の身体。

 さらに勢い余った身体は、氏神様をすり抜けて賽銭箱に突っ伏した。


『――大丈夫かい? 僕はこの通り、この世の物には触れられない存在だから、大した手助けはできないと思う。だから、あんまり期待しないでおくれよ?』

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