楽しさ
学生時代の友達と飲みに行った。
嫌いだ。
正直に言うとあまり充実した学生生活を送ってこなかったので、こういう「久しぶりに飲みに行こうよ!」みたいなノリが理解できない。
本当に親しい人とならホイホイと足を運ぶのだが、当時私を散々苦しめておいて、まだ向こうから会いたいというのは本当に理解できない。きっと無自覚なのだろう。都合の良いことしか覚えていられない人間なのだ。
それに嫌だと言いつつも、私は渋々会いに行ってしまう。私は正直者ではない。私もきっと都合の良いことしか覚えていられない人間なのだ。
こんなご時世だが案外店は賑わっていて驚いた。こういう酒の席は大概賑やかなものだろうが、私にはこの騒音がとても苦痛である。
私の耳にはちょっとした障害があって、騒音下での人の言葉がとても聞き取りづらい。だから大体表情や言葉数、流れで何を言っているのか判断している。
そんなものだから、ものすごく気を遣って会話を続ける。あたかも聞こえているように、ちゃんと会話しているように見せかけて酒を飲む。
みんなの話を聞いて、昔を思い出して。聞こえない話を聞いて、嫌だったことを思い出して。どうしてだろうか。私は一体何のためにこの場にきたんだろうね。
もちろん楽しさは感じている。が、それは私が「楽しさ」という3文字を勝手に信じ込ませた「楽しさ」であって、本当はどんな感情でできているのかわからない。酒でその不透明さを希釈して、その場をやり過ごしている。
このように呼ばれるといつも感じるのだが、みんなはこんなに心許ない「楽しさ」をベースに会話している私を、不自然に思わないのだろうか。そこが1番の疑問である。私の演技が上手いのか、みんな呆れているのか、はたまた私が本当に楽しんでいるのか。
結局どれでも構わないのだが、少なからず人を騙している自分が後ろめたい。いつもそうだ。私の中に人を騙す構図を作り上げたこの人たちが憎い。私は一体何のためにこの場にきたんだろうね。
しかしみんなと別れ、電車で彼らを見送る時にふと思うのだ。ああ、楽しかったな、と。
嘘ではない。思うというより、そんな気持ちがどこからともなく湧いてくる。一瞬だけだが。
みんなは会う度に大人になっていく。また今度呼ばれたら、私はまた迷いもせずに、みんなを騙すよう私に仕向けた人間たちをみんな、1人残らず騙して楽しさを演出するだろう。
しかしそれが私の楽しさなのだ。きっとそれこそ楽しさなのだ。この構図自体が、私もみんなも騙されているこの構成が私の楽しさであり、幸せなのだ。そんな場所に私は勝手に呼んでもらえるのだ。ああ、何て幸せものなんだ私は。
みんなは一瞬でもそんな気分になれれば幸せですか?
私はわからないけど、一体何のために、この場にきたんだろうね。
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