たぶん

最近元気じゃない。


10年くらい前から色んなことに対してもう無理だと言っていたんだけど、体がようやくその意味を理解してくれたようで、私はやっとレールから外れて休む権利を獲得した。つい最近の話だよ。ようやく休めという診断書が出た。長かったなぁ。


年齢がバレちゃうけど、10年前私はちょうど中学生だった。今まで何度も立ち止まる機会はあったのに、変なプライドとか身の回りのごたごたのせいで休めてなかったんだよね。だからはじめて自分ではない外から『休んでいいよ』と言われてちょっと安心した。そこまで言われないと休めないんだよ。馬鹿だなあ。


それで、なんというか、こういう立ち止まる時ってもっと悲惨なのかなと思ってたんだけど、案外落ち着いている。最高の気分と最悪の気分が常に一緒にいて、自分の中でお茶をしながらこれから自分をどう捌いていくか楽しそうに会話している。彼らもようやく休みがもらえて嬉しいんだろうね。よかった。


でも私を取り巻く環境はなんだか凄く寂しい。美味しいカフェラテが少しずつ冷えていくみたいな寂しさだ。それに『急に休めなんて言われても困りますよ』と、常に意識が焦っている。焦りの外で眠るのに手こずっている。


そう、最近すごく鈍いんだよね。感覚やら何やら色んなものが。だから寂しいんだと思う。自分の外側が静かになって、優しいものを受け入れるのに時間が掛かっている。だから文にするとちょっと臭い喜びとか、そういう些細な感情がものすごくうらやましい。


多分空に虹がかかっているとかそんなもの。

花が咲いてるとか、空が不思議な色だとか、子どものくりくりした目とか、良い音楽とか、そんなもの。それを綺麗だなと思う。そんな感情。綺麗という言葉を美しい結晶みたいに飲み込めるのだって素晴らしい。綺麗綺麗と簡単に言うけど、本当に綺麗っていうのは多分思っていない。感情の落ちた先が浅いんだよ。だから羨ましい。綺麗って、もし食べられるならどんな味がするのだろう。氷みたいな味がしたら嬉しいな。そんな事考えられるなら元気な証拠だ。


焦っているとそういう物がどんどん自分の外側に滑り落ちていく。傘みたいだ。一応物書きとして存在したいのに。『丁寧な暮らし』とか、真面目に生きている人達に小馬鹿にされそうな概念こそ、物書きには大事だと思うのに。


まあそれで、結局のところ私は元気になりたい。公園にただ溜めてあるだけの砂を見て想像から形を植え込めるくらいまで戻りたい。

それから最近は時間がない。時間はどこに行ってしまったのだろう。いつもここにあるのに。


この世には何億の人間がいるのに寂しいってどういうことなのだろう。


なんだかおかしい。

それが最近の気持ち。気持ちが数分おきにころころ入れ替わるから、今これを書いている私はあと数分で死んでしまう。気持ちがこれを書かせているからこういう表現を使ってもきっと差し支えない。一体1日で何個墓標が必要なんだよ。


それに心配なのは、やっぱりほったらかしにして逃げ出してきた現実のこと。仕事とか。みんなには今は何も考えないようにしようとか言われているけど、そんなの無理だよ。難しい。今はどうしようもないからそういうものは仮想敵にして距離をとっている。でもあんまり保たないだろうな。


戻りたくないなあ。ずっと壊れていたい。


元気になりたいとか言いつつ、それがきっと10年前から思っていた本音だろう。多分。

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