強迫的消費
「だから何?」
よく聞く言葉だ。
書くだけ無駄、何が面白いの?金にならない…
昨年物書き仲間が殺された。もちろん比喩だが、そんな言葉に殺された。その人にとって創作的人生は堪らなく面倒で面白味のないものになってしまった。
消費の話をしよう。これは私が愛してやまない概念だから、またいつか書くときがくるだろうけど。
私が虚無で虚無でどうしようもない時、出会った特効薬がこの「消費」である。これは私の好きな歌から抜き取ったものなのだが、非常にいい薬だ。自分がどうしようもなく空っぽになった時は、何かを消費すればいいのだ。
ご飯を消費する。お金を消費する。思考を消費する。時間を消費する。体力を消費する。知識を消費する。人間を消費する。
なんでもよかった。それはありふれた物でも、気持ちでも、場所でも。とにかく消費するのだ。
人は虚無である時、大概意味がない行動は取ろうとしない。「そんなことして何になるの?」という問いに苦しめられるのが虚無だろうから。だから強迫的に意味を置く。それが私にとっての消費である。
私はこの概念が大好きだから、もはや生きることとは消費することではないかとすら考える。
闇雲に消費しているうちに、自分が虚無だったことを忘れる。消費するという行動自体で頭の中を塗り潰す。その瞬間を、私は愛している。救いなのだ。その時だけは幸せ。思考の全てが乗っ取られた状態。私の大好きな時間だ。しかしまた我に返るから、私は消費を続ける。
では、そんな私が先ほどの問いをもう一度考えたい。
私たちが書く言葉は無駄だろうか?
ここには小説家になりたいと言う人もたくさんいるだろうが、夢を叶えれば幸せだろうか。その先に何があるのだろうか。
少なくとも私は、今これを書くことで頭の中を塗りつぶしている。
文字を読むことで生き長らえ、今これを読んでいるあなたの人生を、この駄文がほんの少しだけでも消費したという事実が私を救っている。
書かなきゃ死ぬ、創らなければ死ぬ、というのはまさしくこの「消費」という概念から来ていると思う。私にとって一番心地の良い消費は何かを作る事なのだ。
だから消費しよう。私から消費を奪わないでくれ。何もかも無駄だと言わないでくれ。私を殺さないで。
本当は怖いのだ。面白みを創出する虚しさ。忙しさや生活や世間体が私たちを殺す。怖い。怖いんだよ。だから、できるだけ馬鹿でいよう。誰よりも馬鹿でいよう。手当たり次第にぬりつぶそう。こんな駄文でごめんなさい。あなたの時間を食ってごめんなさい。
いや、それが目的なんだけどね。
このくだらない文章。
それだけでも数時間くらいは、私は幸せ。
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