調子悪い時に書いたやつへの応援コメント
これはすごい。笑
サイケミュージックのミュージックビデオを観させられてる気分でした。
でも、お世辞ではなく嫌いじゃないです。
脈絡がないようでいてなんとなく感覚的に理解できる心情が伝わって来ました。
おしゃべり玉ねぎがカレーに繋がって切られるところはなぜだか「ふふっ」と笑ってしまいました。
そういえば僕もどっかに身体のパーツを置いてきたんだった。
作者からの返信
飛鳥休暇さん
コメントありがとうございます。
楽しんでいただけたようでよかったです!
恐らく深く考えずに書いていたと思うのですが、だからこそ伝わる機微や笑っていただけるポイントがあったとしたらとても嬉しいです。
パーツはもしかすると浴槽や鍋の中かもしれませんよ。
好きの日への応援コメント
でも今は猛スピードでやって来る電車に恐怖を感じる。すごい成長だ。
>この一文がグッと来ました。
なんだか私小説めいている、或いはエッセイのようだと思って拝読しておりましたらやはりそうでした。というかそもそもエッセイ集でした(笑)
海底散歩、いいですね。良い晴れの日の歩き方だと思いました。それならば日傘もやぶさかではないなと思いました。
最後の方に書かれていましたが、確かに瞳さんって感じの文章ではないですよね。好きで溢れている。でもいつも負の極みみたいなものを読ませていただいているので、たまにこういうのが差し込まれるのもいいなって思いました。こちらが救われます。(もちろん普段の暗い文章あってのことです)
好きという気持ちは、私の文章にするには勿体ない。
>なんだかんだでちゃんとまとめていらっしゃるなあと思いました。
作者からの返信
詩一さん
コメントありがとうございます。
電車は本当にそうですね。線路に吸い込まれる感じが無くなりました。あと電車の中にいるのも怖い時期があったのですが、今は寝れるくらいリラックスして乗れます。
俺呼びからはじめたのがトラップでしたが実はエッセイです(笑)
海日傘で海沿いを歩くと、潮の香りがして本当に海にいるみたいでおすすめですよ。
やはり瞳っぽくないですよね。私も明るい?、プラスの感情に特化したエッセイを書いてみたかったので、なんだかムズムズしましたがとてもいい機会になりました。本当に書きにくかったのでちゃんとまとめられていましたら嬉しいです!
たぶんへの応援コメント
>美味しいカフェラテが少しずつ冷えていくみたいな寂しさだ。
良いなあここ……って思ったらそのあとからもバンバン良い表現が出てきて書ききれなくなりました。
良い表現と言うのもなんだか違う……共感できると言うかしっくりくると言う方が近いかもしれません。
そばにあるはずの言葉なのに、私は一度も使ったことがない、どうして使わなかったんだろうと思えるような言葉の数々でした。
うつ病の診断が降りたのか、なんなのか。それはある意味で救いのようにも思うしレッテルのようにも思えて、その最大公約数を演算する過程の筆算的な文章のように思えました。複雑なようでいて理路整然としているところが、きっとそう思った理由です。
作者からの返信
詩一さん
コメントありがとうございます。
日常の自然な描写を拾えるのが羨ましい!というのが書きたいことのひとつだったので、今回は今できる範囲でたくさん入れてみました。嬉しいです。
うつ病ではないのですが、めまい等色々あったので休むことにしました。自分ではあまり考えていなかったんですが、そう言われると確かにこれは罪悪感とか気持ちの整理から書き始めた文章な気がします。
楽しさへの応援コメント
なんとも優しいペテン師だ。
こう、なんてーのか、人のエッセイを読むと、だいたい私はそれを自分に照らし合わせて、じゃあ自分はどうだったかななんてことを思うんで、自分の話をしちゃうんですけど、これは良いのか悪いのか、わからなくて、まあでも感じたままを話します。
私にも学生時代私を苦しめた人がいるのですが、同じく無自覚で、都合の良いことしか覚えていられない人間なんだと思います。以前誘われたことが有ります。私は会いませんでした。で、同窓会なんかもその人がいるのでいけません。行ったとしても楽しくないし、無理に楽しもうとして殺してしまうといけないと思うのです。そのとき死ぬのが私の心なのか、その人の体なのかは知りませんが。
でも瞳さんは、行くんですもんね。
その行為は自分にはできないことなので素直に素敵だなって思います。
私は私が思う水準の幸せが確約されていないとその場所へ向かうことができないのだと思います。そういう、欲張りなんだと思います。
作者からの返信
詩一@シーチさん
コメントありがとうございます。
素敵と言って頂けると嬉しいですが、コメントを読んで私も詩一さんのように欲張りになれたらな、と思いました。
何となく、もう会わなくてもいいはずなのに当時の空気を読む癖が抜けないんですよね。その人たちと会わなくてもひとりぼっちになったりするはずはないのに、会うと言う事は実は私も楽しんでいるのかな、などと考えたりします。
強迫的消費への応援コメント
『私から消費を奪わないでくれ』
これ、この言葉、良いですね。
この前——随分前にですけど、瞳さんを魔女にして文房具の川を創らせたいって言ってたんですけど、そのときに瞳の魔女のセリフとして使いたいなあと思いました。ダメですか? もしもOKなら返信にOKと書いて頂きたいです。
この虚無感には私もよく襲われますね。
だからTwitterなんかでも「私はプロになる身なので」と強がってみたりします。でも実際「自分には無理なんじゃあねえか」という気持ちがずっと去来していて、『未来になれなかったあの夜に』を聴いて号泣したりしました。ガチ号泣です。「感動した」とか「感涙した」とか「泣いた」とか実は泣いて無いけど感動を伝えるために構成した文章ではなく、年甲斐もなくボロボロと泣いて嫁に「俺はプロになれないかも知れない」と泣き喚きました。
——って、なんの話してんだ!!
いえ、なんていうか、私も虚無感に襲われますよって話をしたかっただけなんですけどね。
誰かの行動を『無駄』とするのはよくないですよね。
だってそれを言ったら、人類が居ることが無駄だし、宇宙規模で言ったら地球の存在も無駄です。
結局人間が人間に都合よく有意義の定義を決めるなら、こっちも都合よく決めたいと思うわけです。
作者からの返信
詩一@シーチさん
コメントありがとうございます。
本当ですか!全然okですよ!楽しみです。
以前Twitterで泣いたって仰ってましたもんね。私も実は他の場面でプロになれたらいいなぁと思っている事があるんですが、パッと結果が出る人や才能ある人に会うとちょっと弱ってしまいます。
でもこういう経験こそ私の武器だ、と思って踏ん張るんですが、やっぱり結果が出るのが1番嬉しいですよね。
創作してる人に無駄ってすごく失礼な言葉ですよね。負けずに自分をしっかり持ちたいものです。
寿命への応援コメント
希死念慮ってなんだろうって検索したら
『電話相談|自殺対策|厚生労働省』
って出てきました。
検索エンジンに「ごめんごめん」って謝りました。
『しょせん人生は暇潰しだ』と、あるゲームをしていてそんなことを言うキャラクターがいました。いまでもその言葉が私の傍に居ます。
逃避と暇潰しは同一ではないけれど、どこか似ている部分があるなーと思いその言葉が思い出されました。
死に際って言うか、死ぬ地点を探している部分はあるんですよね。
だから私は受賞してしまったら死ぬんじゃねえかっていう気持ちもあったりします。これ以上幸せになることなんてないでしょうから。
この、どれだけ書いても満たされない感覚だけが私を生かしてくれているように思うのです。
そう考えると、やっぱり私も逃避なのかも知れませんね。でも逃げながらも人は、人になんらかの感動を与えられるのだなあと思うと、不思議な感覚も芽生えますよね。
そう言えば、エッセイのときの瞳さんは男っぽいなって感じます。なぜかわかりませんが。
作者からの返信
詩一@シーチさん
コメントありがとうございます。
自傷とか自殺とか検索すると、出てきちゃう仕様なんですよね。初めて出てきた時私もびっくりしました笑
確かに暇潰しと本質は同じかもしれませんね。逃避よりは暇潰しの方が言葉的に柔らかい感じがするので、心待ち的にはそっちの方がいいかもしれません。
満たされないって苦しいのに、それに生かされてるなんて皮肉ですよねぇ…
そうですか笑
確かに素では親しい友達とかも男性が多いんですよね。不思議です。
調子悪い時に書いたやつへの応援コメント
瞳さんの脳内を見た感じがしました。
きっとこんな状態なんだなって。
だから胸が締め付けられました。
否定されて、腕を切り落として、一回一回殺されて……確かに寝た方が良いなって。
ダメなときは、リセットしてくださいね。
やれなかった自分を責めないようにして。
作者からの返信
詩一さん
コメントありがとうございます。
この時は言語化できているのでそこまでしんどい時ではないかもですが、訳のわからない感じは割と正確かもしれません。シーンの切り替わり方などはリアルに感じます。
あたたかなお気遣いをありがとうございます。上手く付き合いながら生きていければと思います。