荒野の果てに夕日は落ちて
小欅 サムエ
荒野の果てに夕日は落ちて
「なァ、そこの兄さん。傘も差さないで一体どうしたっていうんだ?」
雨が降り頻る中、男は橋の中腹で欄干にもたれかかっている。いつもより勢いを増している川。男は、その声に振り向きもせず、ただ川面を見つめていた。彼は、そんな男の様子が気になり声を掛けた。
「……うるさい、話しかけるな。」
男からの返答は、あまりにも不愛想だった。
「いやいや、そんなつれねェこと言うなよ。俺だってヒマでやってんじゃねェんだ、俺たちの川を、そんな顔で見られちまったら悲しいんだよ。」
彼は、未だにこちらを見ようともしない男に、さらに語り掛ける。
「何か、悪いことでもあったって顔だな。どうだ、ここは一つ、俺に話してみちゃくれねェか?話すことで気分が軽くなるってヤツだ。どうだ?」
気さくに話しかける彼に、男は観念したように、ポツリと話し始めた。
「……俺の妻がよ、浮気してたんだ。好きで仕方なかった、そんなアイツが他に男を作ってやがった。俺は許せなくなって、アイツを問い質したんだ。そんで、俺はアイツに言ったんだよ。俺とあの男、どっちが良いんだよ、ってな。それでアイツは、その男を選んで逃げてった。」
男は、一息にそう言い終えると、そのまま黙り込んだ。轟轟と流れる川の音、打ち付ける雨音、それらが男の心をざわつかせていた。
「そいつは気の毒だったな。でもよ、そんな女なんか忘れちまった方が良いんじゃねェか?まだまだお前の人生は続くんだしよ、ちっと肩の力でも抜けよ、な。」
「他人事だと思ってバカにしやがって、どいつもこいつも……。」
男は、彼の態度に腹を立てた様子だった。彼は、そんな男の様子を気にも留めない。
「だからってな、こんなところで雨に打たれてちゃあ、風邪を引くってもんだ。早いとこ、家に帰って暖かくして寝た方がいいぜ。っていうか、なんでこんなとこにいるんだよ。考え事なら他でしろって。」
「ああ?」
彼は、男が橋の欄干で何をしようとしていたのか、気づいていないようだった。そんな愚かなヤツを相手にしていたのか、そう思うと、虚しい気持ちでいっぱいになった。
「……分かったよ、もう死ぬ気も起きねえ。まったく、神様は俺を生かして何がしたいんだかな。」
男はそう言うと、橋の欄干から体を離した。男の服に溜まった水滴が、ボタボタとコンクリートを打つ。
「神様?神様ってェのは、何だ?」
彼は男に尋ねた。こいつ、神様も知らないのか。男はほとほと呆れたように、空を見上げた。雨粒が男の目に侵入を試みる。それを、男の瞼が阻止する。
「神様ってのはな……なんていうかな、そう、生きる意味を与えてくれる、そういう存在だな。なんでも知っていて、俺たちを導く、そんな存在だよ。知らねえのか?」
男の話を聞き、彼は高らかに笑った。辺りに彼の笑い声が響く。
「ははっ、そりゃいい。どこ行ったらメシが食えるとか、そういうのを教えてくれるってことかよ。人間はそんな変なもんを信じてるのか、こんなスゲェもん作ったりしてんのに、訳分かんねェな。」
彼は、足で橋をペタペタと鳴らした。男は、彼の存在にようやく気付いた。しかし、彼はまた話を続けた。
「俺たちは、そんなもんに縋ることもなく、ただ毎日をひたすら生きている。メシもロクに食えねェ日もあるし、襲われることもあるんだ。しんどいけどよ、それでも結構、楽しいもんだぜ。」
そう言うと、彼は翼をはためかせた。周囲に水滴が飛び散る。
「……それで死んでも、お前は文句を言わないのか。」
男は、彼の正体を知ってもなお尋ねた。彼は、全く考える様子もなく、ただ一言を発した。
「それが、“生きる”ってことだろ。」
そのまま、彼は翼を広げて飛んでいった。後には、呆然と彼の姿を見送る男の姿だけが残った。
雨はいつの間にか止み、空からは光が差し込んでいた。
荒野の果てに夕日は落ちて 小欅 サムエ @kokeyaki-samue
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