第11部 新制へ継ぐ。


 だれがいちばんわるいのか。それは必ず決めなければならない。


 戦後半年が過ぎた頃に催された国際軍事裁判では、雁ノ谷太一とその世話人たち、宮下一都、岐山イヅルら二四名の有罪判決が下された。その裁判の結果を手紙だけで受け取った橘みつきは、大きく息を吐いて鍵付きの引き出しにそれを仕舞いこんだ。


 鹿児島の対国外戦対策本部で終戦を迎えて、今月で七ヶ月目だ。敗戦の影響を受けて『実験材料になるか廃棄処分されるだろうから覚悟しておくように』と言われていたが、予告に反して何事も無く解放された。


 寧ろ優遇されていたのかもしれない。連合軍の手入れには抵抗せず、何を言われても何をされても、大人しく従おうと皆で決めていたのだが、特に手荒い扱いを受けることはなかった。


 まずSA-00型全員が健康診断を受けるよう命じられ、内蔵兵器の侵食具合と脳の汚染状況を調査された。そのどちらも軽度だったみつきは前職が看護師であったこともあり、調査の手伝いもした。英語は苦手だったけれどイヅルの通訳で事なきを得た……のだけれど、その調査結果は酷いものだった。侵食の度合いよりも脳の汚染のほうが深刻で、その一番の原因はメンテナンスの度に投与され続けた薬剤だ。疲労と苦痛を緩和させる代わりに、脳細胞を徐々に破壊し続けた結果だった。


 出撃の多かった煉や廉也の汚染が重度であるのは当然の結果だったが、特に初春涼平は重篤だった。薬剤のダメージに加えて精神的な苦痛による影響が大きく、決定打となったのは最終決戦での「留守番」だ。


 彼は連合軍総攻撃の迎撃戦に参加していない。それはただ単に条件が揃わなかっただけの話なのだけれど、それを本人は「不要になった」とみなし、以降急激に精神汚染が始まった。情緒不安定の日々が続き、それを超えてからの姿は廃人に近い。自ら動くことも声を発することも極端に少なくなってしまい、一日をぼんやりとやり過ごすのが通例となった。一見では生死の判別もつかない彼からは、以前の明朗さは欠片も垣間見えない。


 他のSA-00型が次々と赦され、条件付きの社会復帰を果たしていくなかで、涼平はサナトリウムへの入所を余儀なくされていた。そんな彼を、みつきは放っておくことができなかった。


 戦争中期から脳の汚染が始まって随分と可怪しくなっていたが、それでも空気の動きを機敏に察知して士気を上げてくれていたのは間違いなく彼だ。どんなに辛くても明るくあり続け、その明るさに何度も助けられてきた。だから今度は、私が彼を助ける番。戦闘は苦手だったけれど、人のお世話をするのは大得意なのだ。


 戦後間もなく看護職に復帰したみつきは、福岡にあるサナトリウムに勤務している。本部のあった鹿児島から涼平と二人で移り住んで、どちらかが駄目になってしまうまで一緒にいるつもりだった。幸か不幸か、識別名称と活躍度のおかげでSA-00型であるとはバレておらず、今のところは無事にやりすごせている。


 一緒にいる、といっても、ただみつきが一方的に話しかけるだけだ。今日一日の出来事とか、天気の話とか、自分の好きなこととか、涼平の好きなこととか。でもどんなに話しかけても涼平が反応することは殆どなくて、独り言を言っている気分になって寂しくなる。


 それでも話しかけるのをやめないのは、そうしていれば嘗ての《初春涼平》が帰ってくる瞬間があると知っているからだ。ほんの数分しか帰ってこないけれど、以前と変わらない表情で会話に応じてくれる彼がいる時間が、みつきは堪らなく好きだった。



「ねえ、今度薬学の勉強してみようよ。興味あるって言ってたよね?」



 同じ部屋の窓際で、凭れるように椅子に座って動かない涼平にみつきは提案する。戦争初期のころに「処方されてるこの薬ってどんな奴?」と聞かれたことがあって、彼は自分たちの体内に容赦なく投与される薬剤の正体をしきりに知りたがっていたことを思い出した。


 確かに医療関係者ではあったが薬剤師ではないみつきが正体を知るはずもなく、「分かんないね、なんだろう?」と言い合っていた日が懐かしい。今はもう必要ないかもしれないけど、少しでも二人でできることがあるなら何だってしたい。みつきは椅子の肘掛けに置かれた涼平の手を握り、寂しさを紛らわすように撫でた。



「……いいね、それ。今の俺にもできるかな」



 驚いて慌てて顔を上げた先には、あの以前と変わらない涼平がいる。目はまだ少し虚ろだけれど、大好きだった朗らかな笑顔は健在だ。



「できるよ、きっと。二人で頑張ろ?」



 やっぱりこの瞬間が好きで、嬉しくて、笑っているはずなのに涙が出る。みつきに微笑み返した涼平の手が頬を撫で、涙を拭う。その手は人のものとは思えないほどに冷たかったが、彼が生きてさえいればそんなことはどうでもいいのだ……。


 少しでも長く一緒にいられるようにするには、彼の精神状態を平穏に保つ必要がある。そのためにはやっぱり裁判の結果は暫く彼には黙っておこうと心に決めて、みつきは握り合わせた涼平の手に頬を寄せた。



          ※



 他人は口を揃えて「頭がおかしい」というが、自分はそうは思わない。そもそも可怪しい可怪しくないの基準は個人によって違うわけで、明確な線引きなんてそう簡単にできるものではない。自分は至って正常であり、物事全てを白黒はっきりさせたがるお前たちの方が異常だと宮下一都は思う。『貴方は白ですか、黒ですか』――そう問われた彼らはどう答えるのだろう。これについての実験もしてみたいな……と思いながら、宮下はひたすらに手を動かし続けた。


 下された判決を甘受した彼に残された時間は少ない。いつ執行されるかもわからない処刑の日までに、これまでの研究書類を処分しておく必要があった。残しておきたいものもあるが、この際全て処分するつもりだ。


 こんな頭のおかしい文書が残っていたって気持ち悪いだけだ……と自虐したところで、宮下はふと岐山イヅルを思い出した。拘置所から研究室までの道中、偶然鉢合わせた彼はやたら作業を手伝いたがった。それを追い払ったのは数十分前のことで、別に彼が嫌いだというわけではない。宮下は、ただ一人になりたかった。



 岐山イヅルは変わり者だ。これまで会った人間の中でダントツの変わり者だと、宮下は思っていた。


 お前にだけは言われたくないと思われるかもしれないが、これだけは譲れない。兵器の日常生活を気に掛けるのもそうだが、敵対していたはずの自分に何の警戒心もなく近寄ってきたり、散々忌避してきた開発室に危険を顧みず協力要請を入れてきたりと、イヅルは宮下の理解の範疇を超えていた。


 だがやはり嫌いだというわけではなく、寧ろ良い友人になれると確信している。彼は真っ向から反対してくることはあったが、そういえば頭ごなしに否定されたことは一度もない。まずは一旦受け入れて噛み砕き、それから賛否を決める彼だからこそ、自身に施した背徳的な人体改造についても告白できたのだろう。


 彼は変わり者だ。無条件で忌まれ畏れられ、天才だと持て囃されているくせに、その実、欠陥だらけだ。完璧に見えるくせに無防備というか世間知らずというか、とにかく付け入る隙があり過ぎて心配になるほどだった。一言で言えば「不安定」。優秀なときと劣っているときのアンバランスさは見ているだけで楽しかったが……もうそれを見ることはないだろう。



「結構楽しかったなぁ、これ。……僕だけかもしれないけど」



 決して望んで書き上げたわけではない【高天原計画】草案書類の表紙を、愛おしそうにひと撫でする。これの始まりは何時だったか――と回顧して思い当たるのは、まだ青臭い学生だった十四年前の終戦直後。焼け野原からどうにか拾い集めた器具で実験に明け暮れた十八歳のときに、『好きなように研究させてあげる』なんて甘い言葉に乗せられたのが事の始まりだった。


 それ以来はひたすら研究と新規兵器開発に縛られた人生だった。朝潮アヤの細胞からレミィを作って自身に埋め込んだ人工子宮に移し、十九の頃に出産。二十七で気の触れたマッドサイエンティストを演じて十万以上の犠牲を出した。決して褒められた人生ではないが、それでもやっぱり、宮下は自分が間違っているとは思わなかった。


 裁判で下された判決は甘受したが、その全てを受け入れたわけではない。《駄目になってしまったやつら》を含めたSA-00型に詫び、責任を取るつもりはあったがそのやり方には納得していなかった。


 死ぬのは大いに結構だが、見せしめにされるのは死んでも御免だ。それは『自分は間違っていた』と宣言することと同意で、それだけはどうしても避けたかった。ここで【間違い】が定義付けされてしまったら、以降、その事柄は弾圧され続けて自由に追求できなくなってしまう。先の見えない可能性が、本当は画期的で有用かもしれない知識が、潰えて永久に閉ざされてしまう。そんなの駄目だ。



「――許せ、岐山イヅル」



 数時間前に、良い友人になれそうだと笑んでくれたイヅルを思い出すと気が引けたが、それでも自分の意地と信念を貫き通すにはやらなければならない。それにどのみち、結末は変わらないのだから何ら問題はないだろう。


 都合のいいように解釈して決めつけた宮下は、無意識に力を込めた手に潰された草案書類を無造作にデスクに置く。ひとつ大きく息を吐いて真っ直ぐ前を向き、揺るがない決意とトラロープを持って、宮下一都はひとり、研究室の奥へと入り込んでいった。



          ※



 やはりあの重苦しい雰囲気は好きではない。岐山イヅルは鹿屋にある対国外戦対策本部の一室に座り込みながら、先日の空気の重さと、十四年前に経験した法廷の狂気を綯い交ぜにして思い出し、嫌な気分になって溜め息を吐いた。


 終戦から七ヶ月がたった今、再び連合軍の手が入った極東帝国は自主性を失っていた。この手入れを連合側に提示したのは、現皇帝の雁ノ谷太一だった。新制極東国を君主制の軍事国家に変えた父を信仰している者たちは未だ全国各地にいる。その残党が新たな戦争組織を創りあげてしまわないように監視して欲しい。そう申し出たそうだ。


 以前のように分割統治されていないのも、太一の人柄によるものだと聞いた。降伏宣言からの真摯な謝罪と、戦争を終わらせるためならなんだってするという真剣さと誠実さが連合軍の首脳たちに伝わった結果だとも聞いている。


 正直なところ、なんの役にも立たないただの飾り人形だという印象があっただけにその驚きもひとしおだった。煉曰く本当にただの傀儡だったが、つい最近になってそれを脱却したそうだ。


 太一の功績を加味すると、いよいよ納得のいかない裁判であった。本当にやる意味があるのかと問いたくなるような茶番劇で、各人の罪と裁きが釣り合っていないとイヅルは思っていた。


 特に太一と宮下の罪は重かった。太一は諸外国との敵対行為を命令・許可したとして戦争法規違反を、宮下は多くの民間人を人体実験によって殺害したとして人道に対する罪を宣告され、共に死刑判決を言い渡された。


 イヅルも開発関係者として宮下同様の刑を準備されていたが、新規兵器開発に最後まで反対していたこと、開発期間に極東帝国内にいなかったことが証明され、禁錮刑五年と大幅に減刑されている。これにも正直納得いってない。禁固五年なんて軽すぎだ。確かに反対はしたけれど新型兵器開発の初期設計図を書いたのは間違いなく自分自身で、あれさえなければ大勢の青少年を実験の犠牲にすることもなかったのだ。宮下同様の判決を下してくれればよかったのに。そう思いながら脳裏に浮かんだのは、被告人席で見た宮下の横顔だった。


 ひどく清々しく、達観したような顔。かつて嫌というほど見てきた特攻隊員たちを彷彿とさせる雰囲気から、近いうちに死んでしまうのではないかと予感していた。そしてその嫌な予感は的中して、ほんの数十分前に宮下一都の訃報を聞いたばかりだった。死刑執行を待たずに自殺したのだそうだ。遺書も何も残さず、研究室のドアノブにトラロープを掛けて首を括っていたのだと大記に聞いた。


 その報せを受ける前日、イヅルは様子を伺いに行った拘置所から出所する彼に会っていた。研究所の片付けをすることになったのだと笑う彼は何処にでもいそうな青年で、出会った頃の狂気じみた笑顔は鳴りを潜めていた。


 彼が言うには、あの顔をつくるのは疲れるのだそうだ。研究所までの道のりを同行させて貰って、各分野の突っ込んだ話を好き勝手にして。楽しかった。専門用語だらけで何を言っているのかは互いに分からなかったろうが、それでも嫌な顔ひとつされないことが、途中で頭ごなしに全否定されないことが、堪らなく楽しかった。


 そうして「案外良い友人になれそうだ」と言い合った直後の死別。大記から聞いた死亡推定時刻から考えると、自殺を決行したのは別れて僅か五時間後のことだ。そういえば彼は自分を研究室から追い出したがっていたが、その理由はこれか。もっと粘って居座り続けていたなら、この結末は避けられたのだろうか……と思案しても無駄だった。


 そんなことを考えたって死んだ人間はもとに戻らないし、やると決めたらやり通す性格みたいだから、結局はなにも変わらなかっただろう。



「……お前も死んでしまうのか……」



 自分自身は忌まれながらも生き残っているのに、周りにいる優秀で有能な人たちは次々と死んでゆく。どうして自分ではなくあの人達なんだろう……。猛烈な後ろめたさと「失う恐怖」を久方ぶりに思い出したイヅルは、首筋を掻き毟って蹲った。



          ※



「馬鹿っていうかなんていうか……やっぱり馬鹿っていうか」



 拘置所の面会室に訪れた白露清代は、強化ガラス越しの二人――雁ノ谷太一と島風煉を見て開口一番そう言った。「誰が馬鹿だ!」と吠える煉には「あんただ馬鹿」と返して、その隣で大変申し訳無さそうに萎縮する太一には、できるだけ優しく笑んでみた。


 これで面会は二度目になるが、清代を見てはにかむ太一はやはり死刑囚には見えない。それに対して煉は立派な死刑囚で、拘束衣を着せられた上に鎖で看守と繋がれている様はもう、危険がすぎる重犯罪人だった。


 その拘束衣は内部の兵装を展開してしまわないようにつけられたものなのだろうが、それしきのもので展開は防げない。そもそも実用停止して七ヶ月も経てば展開の勝手も忘れてしまうし、薬剤の投与も出撃のストレスもないため感情が乱れたはずみに展開しかけることも殆どなかった。完全に元に戻ったわけではないが感覚は人間だった頃と大差なく、今のところ日常生活に支障はない。


 連合側の総攻撃以来、岐山イヅルを中心に兵器化の進行を鈍らす研究をしてくれていたらしく、健康診断を受けたついでに処置されて、ほぼ全員が人間側に近づいた。不良品と断定されていたアヤも例外ではなく、寧ろあの発信装置から受けた影響が少なかった分この処置はよく効いたそうだ。その上幼い頃から受けてきた耐薬訓練のお陰か薬剤の影響もほぼなかったようで、『兵器として復帰するための処置』による色彩異常の他は、 今のところ何も問題はないそうだ。


 唯一の例外といえば初春涼平で、残念ながらその処置ではどうにもならないほど脳と精神の汚染が進んでいた。社会復帰の目処は立っていないが、今はみつきがついてくれている。まあ彼女がいれば問題ないか。清代はもう全てを楽観視することに決めて微笑し、ガラスの前に置かれた椅子に腰掛けた。


 やっぱり目につくのは拘束衣と鎖と煉で、そんなに警戒しなくてもいいのに……と清代は思ったが、自業自得だと気付いて撤回した。厳重に拘束されるのも無理はない。兵器がどうこうの前に、彼は裁判所で随分な狼藉を働いているのだ。やっぱり馬鹿だ、あいつは。


 少し前にあった軍事裁判で、皇帝の太一と軍事兵器開発主導者の宮下の死刑が決定した。太一と宮下博士だけの責任ではないのに、と清代はこの判決に納得いかなかったが、「多くの犠牲を出した責任を問われた結果であり、受けて当然の罰だ」と二人は深く納得していた。


 罪人扱いされている本人なのだから、太一が手錠をかけられてこのガラス一枚隔てた拘置所にいるのは分かる。だが問題はその隣の男だ。被告人に選定されたが無罪放免となった島風煉が拘置所内にいるのは、その無罪判決に異議を申し立てたからだった。


 煉は『側近でありながら皇帝の暴挙を阻止しなかった』と、太一同様の罪で裁かれる予定だった。しかし後に『皇帝に命じられて人体実験の被験体となった被害者』だと無罪を言い渡された。――が、それは皇帝の世話人たちが許さなかった。


 国防隊に入隊する以前の煉の素行がどれだけ悪かったかを法廷で喚き、自分は悪くない、悪いのはあいつだなんて罪を擦り付け合う。血走った目で必死に責任転嫁をする中年男共の姿は、無様過ぎて笑えなかった。


 見かねた太一が「やめないか」と諌めるよりも、煉の手が出るほうが早かった。肉を撃つ鈍い音と人の倒れる音がした直後、ざわついていた室内が一気にしんと静まり返る。誰もが呆然として言葉をなくしている――いや、宮下は声を上げて笑っていたが――なか、その渦中にいる島風煉はニヤと不敵に笑んでいた。



『このおっさんたちの言うとおり、俺は素行が悪い。その上俺は型の古い旧式だから、攻撃的な部分の制御が難しくなった!』



 殴り飛ばした男を床に転がしたまま、煉は大げさに腕を広げて熱弁する。その様があまりに彼らしくなくて、太一もイヅルも戸惑っていた。その一方で、強制的に傍聴させられていたSA-00型たちは「また彼の悪い癖がでた」と思っていた。


 二年程度の共同生活の中で、ああして大げさな態度をとるのは自分自身を犠牲にする前触れなのだと知った。初号機としての責任感と意識が強く、SA-00型の戦績を糾弾される度に、今みたいに自分一人に矛先が向くよう工作することもままあることだった。


 怒鳴るか呼びつける以外はあまり大声出さないくせに、そんな時は決まって声を張って芝居じみた口調で喋るのだ。彼はなにをするつもりなのだろう。どうせろくでもないことなんだろうな、と思っていたことは見事的中してしまったのだった。



『放免して野放しにして、その後暴走したら……きっと多くの犠牲が出る。その前に裁いといたほうがいいと思わねえか』



 そう訴えて保留にさせ、その三日後に文書で有罪判決を下されて今日に至る。やはり彼は馬鹿だと思って、別に自ら死刑を受けに行くことはないだろうと言うと、煉は「これ以上生きているわけにはいかない」というのだ。「太一ひとりに責任を押し付けたくない」とも言っていたが、いくら清代が追求しても答えてはくれなかったのでその真意は分からない。



「……でもまあいっか」


「? 何がだよ」


「別に?」



 真意はわからなくても、本人がそれでいいならいいのだろう。本当は今日も少し追求してやろうと思っていたのだけれど、死刑目前とは思えない朗らかさにどうでも良くなってしまった。


 ははは、と清代が声を出して笑うと、朗らかながらにやや硬かった二人の表情も緩む。目の前で笑って話し合う彼らを微笑ましく思う気持ちは、もう友情を通り越して親心に近いのかもしれない。この二人も、親友というよりも兄弟みたいだし。



「最期、見届けるからね」



 椅子から立ち上がり、面会室から退室する間際に清代は言う。太一と煉は公開処刑になるそうだから、その日は立ち会うと決めていた。ひとり取り残される寂しさから、一度目の面会で「私もそっちに行こうかな」と言ったら二人に死ぬほど怒られた。あの時は太一でさえ怖かったな……と思い出して懐かしむと、また少し寂しくなる。こうして直接話せるのは今日が最後だろう。そう思った途端に涙腺の決壊と横隔膜の痙攣を予感して、清代は逃げるように背を向けた。


 清代、有り難う。

 二人の重なった声を背後に聞いたが、清代は振り返らなかった。



          ※



 時間の経過とは早いもので、裁判から三ヶ月後の今日は戦犯の処刑日だった。自らで早々に処刑を決行した宮下博士以外の、有罪判決を受けた者全員の公開処刑を行うそうだ。そしてそれとほぼ同時刻に、新しい国防組織の幹部に任命された朝潮アヤと陽炎廉也の演説もある。


 国防組織、といっても自警団のようなものらしく、戦後の混乱に乗じて悪事を働くものを取り締まる組織なのだと言っていた。あの口下手共が揃って拘置所にきて、「演説なんかしたくない」と駄々をこねていたのを思い出した煉は、なにもない空間に向かってひとり笑う。「初回の演説は大事だからしっかりやりなさい」と、くそ真面目な太一の演説講習が始まった時にも大声あげて笑ったっけ。


 面会室で突然始まった講習に看守も厳重注意してきたが、これは今後の極東にとって大事なことだからと太一も譲らなかった。愚直にすぎる性分もここまでくればいっそ清々しく、アヤは勿論、あの廉也でさえも大人しく受講していた。呆れているのは二人に同行してきた秋月紫燕くらいで、少し異様な講義を二人で見学したのも記憶に新しい。



 それぞれの独房から連れだされ、控室のような所で待機を命じられた太一と煉は、壁越しに廉也の声を聞いていた。今日は青空の下で処してくれるらしい。例の演説会場と公開処刑場は案外近いようで、鮮明ではないにしろ、その声はよく聞こえていた。


 さすがは元族長候補といったところか、あれだけ嫌がっていたくせしてその口上も内容もしっかりしている。本人は「人の上に立つような人格ではない」と言って聞かなかったが、そんなことはないと煉は思う。


 涼平のように一人ひとりに細かく気を配るわけではなかったが、周りもよく見るし、やるべきこともしっかりこなす。奇抜な頭の色を差し引いてもその存在感は大きく、人を引っ張れるだけのエネルギーもあった。彼が中心になって回る組織も見てみたかったな……と思いながら、感情のままに煉は笑う。


 その横顔を真摯な表情で見ていたのは雁ノ谷太一で、彼の呑気な様を見て「不謹慎ではないか」と思っていた。そうでないにしても、緊張感がなさすぎる。



「良かったのか?」


「何が」


「こんなことになって。皆も反対しただろう」



 太一の問いに『まあな』と簡潔に答えた煉は、あまり深く考えていないように感じられた。裁判直後に異議申し立ての理由を厳しく問い質したがその答えにも納得できず、拘置所で過ごした時間はまあ楽しかったが、この結果には未だに釈然としていない。これまでの言動から彼が自身を軽視しているような気がして仕方なく、太一は珍しく苛立っていた。



「まあ大体は事後報告だったから、反対されるとかそういうのもなかったんだけどな。事前に言ったのはアヤと紫燕と廉也。……本当はアヤだけに言うつもりだったんだが、最近あいつら、本当良く一緒にいるからな。で、あいつらは賛成してくれたよ。それはあんたが決めることだし、好きにしたらいいって」


「では、君の大切な人は」



 そう言った途端に煉の眼光が鋭くなり、まるで蛇に睨まれたような感覚だった。だがここで退いてはいけないと、太一も負けじと睨み返す。なんだか喧嘩してるみたいだと思った太一は、気分が落ち込んでいくのを、表情を崩さないまま感じていた。最後の最後に何をしているんだろう、僕は……。苛立った勢いで取った行動に後悔しても、この険悪な空気は変わってくれなかった。


 一方の煉はというと、別に睨んでいるわけではなく真剣に考え込んでいた。太一がなぜ苛立っているのかも分からなかったし、何より問の内容がよく分からない。  


 大切な人? なんだそれ。直感で恋人のことかと思ったが、生憎と煉にそれはいない。清代のことを間違えているのか? 考えれば考えるほどわからなくなり、煉は怪訝な目で首を傾げた。



「だからその、君にも大事な人がいるんじゃないのか? あの時の……河川敷に居」


「違う」



 しどろもどろな太一が言い終わる前に手早く遮り、それに続く言葉も許さなかった。彼が言っているのは、きっと初春篤子のことだろう。あの光景を見られていたのかと思うと屈辱的な気分になったが、それ以上に「大事な人」だと思われたことへの不快感のほうが大きかった。


 彼女を敵と見なして内部で暴れる《イザナギ》を必死に抑えている間に、こっちの意志も苦労も無視して勝手にキセイジジツを作った篤子のことは許し難い。できるだけあいつのことは思い出したくなかったのに思い出させやがって。煉は太一に苛立ってしまったが、これはいけないと気を持ち直した。


 なんてことないつもりだったのだけれど、迫る死刑執行に気を張っていたのかもしれない。こんな時に喧嘩別れなんて洒落にならない。この先もう二度と会えないのだから、円滑な関係を保ったままでいたかった。「余計なことを言ってしまった」としょげる太一の背を、謝罪の意を込めて撫でる。煉は意識を掌に集中させて、その背中の温かさと心音を、終わりの近い脳内に刻み込んだ。



 執行員に促されるまま、拘束具をつけたままの二人は鉄の扉の前に立つ。開け放された先にあったのは澄んだ綺麗な青空で、鮮明に聞こえだしたアヤの演説がよく映える。あいつの演説を聞きつつ死ぬことになるのか……と思うと感慨深く、漸く彼女も表舞台に立てるようになったかと思うと嬉しかった。


 目隠しをされる前にと隣の太一を見ると、彼もこちらを見ており未だに釈然としていないような顔をしていた。彼は煉を『被害者』だと思っているから、ともに処刑されることに納得出来ないのだろう。でも、それは違う。俺は太一の相談に乗って、彼が決断する手伝いをしていたのだ。だから相談していた太一が有罪で、相談されていた自分が無罪なのはおかしいと煉は思っている。


 それを太一に言わないのは、「やっぱり君を巻き込んでしまったのか」と自分を責めることが目に見えていたからだ。本当、バカ真面目も大概にして欲しい。



「……これで全部、終わるといいな」


「そうだな……この見せしめで、今後愚かなことをする者が出なくなればいいのだけど」



 その話は終わらない内に引き離されて、太一とは随分と遠く離れてしまった。でも、これでよかったのかもしれない。釈然としない表情を崩させて、最期は穏やかな雰囲気で話せてよかった。


 定位置に立たされて目隠しをされて、本当にもう処刑間近なのだと煉は感じていた。だがやはり恐怖心はなくて不思議な感じだ。兵器化の煽りを受けてなくなってしまったからか、この瞬間を待ち望んでいたからか。きっとそのどちらもだな、と結論づけた煉は、視覚を遮断されたせいでよりはっきりと聞こえるアヤの声を聞いていた。


 アヤはどのようにして治安を守るかを主として話しており、その中には『劣等人種』の扱いについても話していた。講習を受けた甲斐あってか、口下手な割にはちゃんと演説できているようだがやはりややぐだぐだ感が拭えない。


 そこは紫燕や鈴世に助けられているらしく、時折言葉に詰まってはフォローが入る。その様子もマイクが拾っているのか、見ていなくてもその風景が浮かぶようだ。とても国家規模の式典で行う演説とは思えない粗末さだったが、不思議と頼りなさは感じなかった。


 煉がそう思うのは、粗末ながらに支えあって生き延びた、二年間の実績があるからだろうか。その時間を共有していない一般市民たちも同じ気持ちならいいのだが……と心配しながら、目隠しの向こう側で、銃殺用の銃口がこちらに向くのを感じていた。


 それも意に介さず、煉は「心配の必要はないか」と直前の気持ちを撤回する。俺の役目は終わった。処刑開始の合図を聞きながら、彼らの未来を思い浮かべて煉は柔らかく笑んだ。


 そうだ。お前たちは変わらずあの関係を保ち続けて、助けあって生きていくといい。後のことは全部、お前たちに任せたぞ――  



《今度は、必ず、護りきります》



 直接脳内に響いたのではないかというほど鮮明なアヤの声を聞いたのを最後に、島風煉の意識は永遠に途絶えた。彼が聞けなかった歓声は想像を超える大音量で、処刑の銃声をかき消してしまうほどだった。


 何度も敗北を喫してきたけれど、その度蘇生し続けて来た実績が極東にはある。それに今は【高天原】が救国の英雄たちが中心になって護ってくれている。最高の守護神たちがいるのだから、きっともう大丈夫だろう……。敗れてもなお覇気を失わず、活気づいた国土全体の雰囲気に、その頃はまだ、誰もがそう思っていた。

 


 

         【完】

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オーバードライヴ 志槻 黎 @kuro_shiduki

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