第10部 最終決戦②


          ※



 今までにない衝撃と痛みを感じながら、レミィは降下を続けていた。接近に気付けなかった《ツクヨミ》に左の手足を削ぎ取られ、更に無駄撃ちしすぎて力尽きてしまったために、一定の高度を保てずにいる。《アマテラス》にばかり固執したことが原因なのだろうが、そうだと分かっていても気持ちを抑えることが出来なかった。


 もう終わりかも。ぼんやり思いながら見た空の中には、抱き合っているように見える二機がいる。《アマテラス》は少し抵抗しているようだし、決して甘い雰囲気ではないことくらいは年若いレミィにも分かる。それでも抱きしめて貰えることが羨ましくて、またも止め処なく涙が溢れ出るのだった。


 どうして。どうして私ばっかり。レミィはクローンであることを抜きにしても、自分の境遇に不満があった。特殊な産まれ方をしたせいか体が弱く、貴重な人間のクローンだからと常に誰かに監視され、学校へ行く以外は検査や治療の繰り返しで窮屈さを感じていた。


 自分を取り巻く大人たちに分刻みで時間を管理され、殆ど遊べない幼少期だった。放課後に誘い合わせて遊びに行く同年代の子たちが羨ましい。あの輪の中に入りたかったけれど、レミィにはそれができなかった。どうして私だけ。幾ら恨んだって、体質も環境も変わってくれない。


 昔はまだ良かった。新制極東帝国が建立して、カメリアと極東の国交関係が悪化する前は、兄代わりであり主担当者でもあった博士がいてくれたから楽しかった。自分を他の子と同じように扱ってくれるのは、義家族以外では彼だけだ。


 退屈な検査中もよく話し相手をしてくれたし、よく頭も撫でてくれた。物心ついた頃から一緒にいた彼が大好きだったのに、さよならも言わず急にいなくなってしまった。悲しかった。寂しかった。自分と『オリジナル』を比較したがる博士が新しい担当になって苦しかった。それ以来辛く当たられることが多くなり、常に孤独を感じる日々が始まった。


 どうして私を捨てたの。そう彼を恨んだ時期もあったが、それでも心から嫌いになることはできなかった。



「……私も、あの人に抱きしめて欲しかったなぁ……」



 降下しながら抱きあう二人を見上げて、レミィは目を閉じて博士を思い出した。兵器に改造されて以来、過去の記憶はだいぶ薄れてしまったが彼のことだけは忘れなかった。


 細身で不健康そうな顔つきで、ばさばさの髪を整えようともしない、お洒落とは無縁の男だった。何を考えているのかわからないし、思考もだいぶブッ飛んでいたが、なんだかんだで面倒見の良い優しい人だ。指示されたことを上手くやると、ニヤと笑って骨ばった手で頭を撫でてくれる。その瞬間が、レミィは堪らなく好きだった。


 今は敵だけど、やっぱり好き。「もう一度会いたい」と願っても、それはもう叶わないのだろう。すっと目を開いた先に、こちらに突っ込んでくる《アマテラス》と《ツクヨミ》を見た。


 軍事訓練中に散々見てきた戦士の目をしており、確実に仕留めるつもりなのだと簡単に予測できる。もう抵抗するだけの力が残っていないレミィは、ただそれを受け止めるしかなかった。


 目の前の《エンタープライズ》は、もうどこにでもいるような少女でしかなかった。一般人を虐殺するような気分だ。アヤの心にまた少しの躊躇いが生まれたが、進撃を中断させるには至らなかった。


 この子は私が墜とさなければならない。煉の仇討ちはもう関係なくて、それが義務だと感じていた。自分自身ももう限界が近いらしくて、注意力が散漫になっているような感覚だ。降下しているのに浮遊しているようで、倒れた直前の感覚によく似ている。また意識が途絶えてしまう前に、早く片を付けなければ。アヤは少し、焦っていた。


 眼前に迫った《エンタープライズ》は穏やかに泣いていて、落ちるはずの涙は空に向かって伸びていく。その表情はとても寂しそうで、他人事なのに他人事のように思えなかった。再び生き残らせてやりたいという気持ちが芽生えて、それを自分の手で早急に摘み取る。


 思考のブレが酷い。彼女を生かすか殺すかを、短時間の内にぐるぐる考えだす自分の脳が煩わしい。必ず墜とす。今度こそ迷わず。それこそが私の存在意義であり、それ以外をする必要もない……。アヤは唇を噛み締めて、強く自分に言い聞かせた。


 どういう経緯で造られたクローンなのかは知らないが、彼女だって戦士だし兵器だ。こうなることも承知の上で戦場にいるのだろうから、遠慮する必要なんてないのだ。アヤは確実に仕留められる至近距離まで詰め寄って、機銃の発射口を向けた。



「……ドクター……カズト……」



《エンタープライズ》の囁き声を確りと聞きながら下した発射命令で、撃ちだされた弾丸は彼女の脳と心臓をしっかりと貫いた。兄代わりの博士――宮下一都への淡い恋心を抱いて、僅か十二歳のレミィ・サザーランドは、沖縄近辺の空に爆散した。



          ※



 無視され続けても紫燕に繋ぎ続けた通信装置から、耳を劈く爆発音が響いた。施設中に爆音を響かせ、けたたましく鳴る不快なノイズ音が数秒続いた後、通信装置はすっかり押し黙ってしまった。



『岐山さん、強力な電磁波で通信装置がイカレました! 電波反応、確認できません!』



 焦燥を前面に押し出した慶咲清貴の声も気に留めず、ゲートに籠城し続ける陽炎廉也も沈黙を決め込んでいた。生きて帰って来いと送り出して、彼らも首を横には振らなかった。だからきっと、生きて返ってくるはずだ。廉也はそれを信じて疑わなかった。


 じっと、海水の張られた出入口を見続ける。その水面は穏やかなもので、未だに彼らが帰ってくる気配はない。いい加減に意識が朦朧としてきて、がくりと落ちかけてはその衝撃で起きの繰り返しだった。


 未だに扉の外でメンテナンスを受けろと騒がれているが、二人が帰ってくるまでここを離れるつもりはない。ぼやけた意識をどうにかしようと一度大きく深呼吸した。吐いた息は脇腹の大穴からも漏れだすような感じがある。



「俺もそろそろ……か」



 膝を抱えて座り込み、もう一度出入口を見ると、穏やかだった水面が波打ち波紋が広がっているのを見た。途端に意識が鮮明になり、廉也は機敏にそこに詰め寄る。覗きこもうとした海水が大きく波打ち、飛沫を上げて異物を吐き出した。白く煌めく飛沫の中に見えた暗い茶色を掴みあげ、それに続いて見えた紫陽花色も半ば強引に引きよせる。しっかりと両腕に抱え込んだのは……確かに待ちわびていた二人だった。



          ※



「岐山さん……!」



 確認作業を急ぐ司令室に雪崩れ込んできた虫襖色を、イヅルは正面に受け止めた。切迫して禍々しささえ感じる室内の雰囲気に反して、イヅルの胸に額を押し付けたまま息を切らす廉也の口元は笑んでいる。



「どうした陽炎……!」



 彼の様子から、良い報せがあるのだと直感したイヅルは廉也の肩を抱いて揺すり、同じく笑んで続く言葉を促す。



「八号機出撃ゲート。直ぐに行ってくれ。……朝潮と秋月だ。あいつら、生きて帰ってきた……!」



 肩に回されたイヅルの腕をほどきながら、廉也は息を切らしながらもしっかりと言う。俯けられた顔が持ち上げられたとき、そこにあったのは満面の笑みだった。こんなに笑ったのはいつぶりだろう。もしかしたら初めてかもしれない。止め処なく湧いて出てくる歓喜の気持ちも、兵器化の影響なのだろうか。廉也は嬉しく思いながらも、ぼんやりとそう考えていた。


 早く行け、という意味を込めて体を押し返す廉也を抱きしめたあと、イヅルは彼を連れて八号機出撃ゲートへと向かって走り出した。



          ※



 完全に開放された八号機出撃ゲートは、簡易整備室と化していた。秋月紫燕は出入口付近で仰向けに寝転がり、天井を見上げて室内の音を聞く。器具や人の声が少し煩い、いつもの整備室のような音だ。


 今の紫燕はそこそこの重傷を負っていて、《エンタープライズ》爆散の煽りで熱風と破片を全身に受けた外装は、衝撃でへこんだり熱でひしゃげたりしてだいぶ傷んでしまっていた。本体である紫燕自身も、至るところが焼けたり抉れたりでずたずただった。それを廉也は、なんの遠慮もなく力一杯引っ張りあげたのだ。もう少し丁寧に扱ってくれと文句を言いたかったが、声を出すのが億劫でやめた。


 同じゲートの隅の方で大人しく修理され、すでに寝入っている廉也をぼんやり横目で見た紫燕は、朦朧とした意識でその目線を再び天井に向けた。床に投げ出した腕には何の重さも感じられず、少し寂しい思いをしている。


 この腕に抱いて連れ帰り、暫く腕枕の要領で隣に寝かせていたアヤとは早々に引き離された。とっさに庇った甲斐あって殆ど無事だったものの、あの日と同じように動かなくなってしまった。


 故障で電源が落ちてしまったのか力尽きて眠ってしまったのか、《エンタープライズ》を撃ち落として以来、アヤは目を覚まさなかった。今はきっと、整備室の最奥にあるあの水槽にいるのだろう。全てを大記に任せ、またあのときのように回復してくれることを祈るしかない紫燕は、小さく息を吐いて目を閉じた。



「あれだけの熱波を浴びて生き延びているとは。素晴らしい性能だな」



 頭上から聞こえた声に目を開くと、目を細めて笑う宮下一都の顔があった。その目は思いの外優しく、聞いていた彼の像とはかけ離れている。目的のためなら手段を選ばない、思考がだいぶブッ飛んだ狂人だと聞いていたのに、その面影は微塵も見当たらない。不思議な雰囲気ではあったけれど、狂気じみた何かは一切感じられなかった。



「……《エンタープライズ》は、」



 紫燕の髪をぐしゃりと撫でながら、君はどういう仕組なんだろうと思案し続けていた宮下は、力なく呟くように喋る彼の声に耳を傾けていた。



「……《エンタープライズ》は、最後に貴方の名前を口にしていた……あれの開発にも、関わっているのか……?」



 目線だけをこちらに向けて言葉を続ける紫燕からは、若干の敵意が見て取れた。彼の世界は朝潮アヤを中心に回っているそうだから、きっと彼女を二度目の故障に追いやった《エンタープライズ》を憎らしく思っているのだろう。そもそもそれを作った奴も憎いらしくて、返答次第ではただでは置かないと言いたげな目をしていた。



「《エンタープライズ》を開発したのは僕ではないよ。SA-00型の開発に忙しかったからね。でも、その本体のレミィ・サザーランドは僕が作った」



 朝潮アヤの体細胞を採取した理由は、軍令部の偉い人に聞いてくれ。僕は知らないと付け足した宮下は、なおも紫燕を撫で続ける。彼も彼でその答えに満足したのか、穏やかな表情に切り替えて一息ついていた。


 懐かしい名前を口にした宮下は、レミィのことを少し思い出していた。そういえば、あの子は自分によく懐いてた。よく言うことを聞く良い子で、物事を教えれば教えただけ吸収するのが面白くて、よく専門的な話題を振っていたような気もする。


 産まれたときからよく知っている、娘と言っても過言ではない子が最期に自分の名前を呼んでくれるとは。それも意外と嬉しいものだなと思い、心地よさそうに微睡みはじめた紫燕を見下ろしながらスッと目を細めて微笑んだ。



「作ったっていうのは、本体の子の方だったんだな」


「そうだよ。信じられないなら開発室に問い合わせてくれ。《エンタープライズ》の開発時期と、歩留まり向上会議に明け暮れていた日々は丸被っている」



 口を挟んできたのは廉也の処置をしていたイヅルだ。それを初めて聞いたとき、《エンタープライズ》を造ったのだと思っていた。でも……そうか。彼の専攻は生物工学で、機械的なことは本来彼の得意とする分野ではない。


 まあその辺りを考慮しなくても、別に疑うつもりはなかった。この基地に乗り込んでからの宮下の印象は驚くほど良く、敵対する気は微塵もない。



「……残念だったな、大事に造った子を失うことになるなんて」


「まあ確かに少し残念ではあるね、それなりに良い子だったし。あまり深くは考えなかったけど、死ぬほど痛い思いをして産んだ子が、十年程度で死んでしまうのは割りとキツいものだね」



 キツいという割には飄々としている宮下の横顔をみたイヅルは、もう何がなんだか分からなくなった。死ぬほど痛い思いをして産んだ子? それは開発の苦労のことを言っているのか、出産の痛みのことを言っているのか。そう思いながら凝視した横顔から、後者であることを察知したイヅルは再び混乱した。果たして、出産は男にもできることだったか……。



「……宮下お前男だったよな」


「人工子宮だよ。人間のクローンを造るなんて酔狂な実験に付き合ってくれる女性はなかなかいないから、僕が産むことにしたんだ」



 試しに埋め込んでみたら案外上手くいったんだ。次はこっちの研究しようかな、なんて事も無げに言い放つ宮下を呆然と見て、紫燕から離れて整備室へと向かった彼の後ろ姿を見送った。


 偶発的とはいえ衝撃的な話を聞き出して以来、落ち込んでいた気持ちがフラットになりつつあるのを感じている。熱くなっていた脳内がすっと冷えたような感覚で、今のうちにとイヅルは今後のことを考えていた。


 今回はなんとかやり過ごせたが、いつ追撃があるかもわからない。それまでに体勢を立てなおして、迎え撃つ準備をしておかなければ。寝入った廉也と紫燕を見下して頷き、後を大記と整備員たちに任せたイヅルは司令室へと歩き出す。何があっても、彼らに生きて終戦を迎えさせたい。果たすべき責任を思い出したイヅルは、もう何もかもを終わりにしようと思った。



          ※



《エンタープライズ》撃墜後、暫くの間は平穏だった。しかし今から数日前に、中立と思われていたルーシが、極東本島に《アウローラ》という新型人間兵器を投入したことから状況は一変した。十号機完成から製造が停止しているSA-00型との性能の差は歴然だった。


 その力は圧倒的で、こちらの応援も間に合わず帝都東京は破壊の限りを尽くされた。これが新極連大戦初の本土攻撃となり、この一度だけで多大な犠牲を出してしまった。今や主戦力のひとりとなった清代と、比較的無事な紫燕と鈴世の迎撃で《アウローラ》撤退までに持ち込んだが、またいつ襲撃されるのかわからず民衆は不安な日々を送っているのだろう。道行く人の曇り顔を見ながら、煉はそう思った。


 事変以来の東京を歩き、その変わり様に内心ショックを受けていた。綺麗に整備されていたはずの街は瓦礫の山になっていて、焼き払われて煤けていた。前回の大戦後の光景によく似ていて、煉は半ば呆然としていた。


 瓦礫の山を進むうちに見えたのは巨大な窪地だ。抉れてしまった地面は広範囲にわたって何も失くなってしまっている。そこは地下軍需工場があった場所で、製造されていた新型爆弾が《アウローラ》の砲撃で爆発し、その煽りを受けて誘爆し続けた結果がこれだった。


 数日前までは本土に大きな被害が見られなかっただけに煉のショックは大きかった。この光景を生み出さないために、俺たちSA-00型がいたというのに。結局なにもできなかったのかと思うと情けなくて仕方なく、罪悪感が胸を締め付けた。


 大記と宮下の二人体制で、バラバラになった体の修復はなんとかできた。だがこうして歩くのが精一杯で、戦闘に関しては全く使い物にならなかった。再起不能と言われるほどの大破から修復できただけでも御の字で、完全復活は望めないと思えと予め宣言されている。本当ならこの東京にも自分一人で来るつもりだったけれど、それは全員に反対された。


 その状態でどうするつもりだと散々怒られ拘束された、半軟禁状態の日々は辛かった。あのときのアヤもこんな気持ちだったか。確かに脱走もしたくなるよな、と度々脱走未遂を繰り返していたアヤを思い出して、煉はその行動に心から賛同した。


「どうしても行くなら私が」と、みつきが同行を申し出てきたが辞退した。看護なら任せて! と意気込む彼女を連れて行くのが妥当だとも思ったが、長い道のりをふたりきりで過ごすのは涼平に申し訳ない。


「それじゃあ私が途中まで護衛しようか」と清代も申し出てきたが、主戦力のお前が抜けてどうするんだと突っぱねた。彼女は自分が東京に行く理由も知っているから頼りにはなるのだが、そんなことよりも少しでも本土を守ることが先決だ。任務に専念しろと吐き捨てたら「可愛くない奴!」と言われた。可愛くてたまるか。




「今の皇帝ってどんな人?」



 別にどこでも展開できるし、こっちのほうが各地に駆けつけやすいという理由でイヅルや大記を納得させて同行してきた清代が、いつも通りの明るい口調で喋りかける。皇帝の顔は報道で見たことはあるが、その人格がどういうものかを知る人は殆どいない。実際いるのかいないのかもよく分からない統率者というのが、一般市民の思う皇帝だった。


 清代はこの惨劇を目の当たりにしても、特に落ち込む様子はない。平気なのか?と問うと、別に何も感じないという。随分と前から情緒が鈍っており、戦闘時以外の気持ちはだいぶフラットなのだと聞いた。言わないだけでみんな同じなんだな……と改めて思い、初期の感情の昂ぶりは一体何だったんだろうな、と笑いあったのは数分前の事だった。



「すげえ普通なやつ。びっくりするぞ、普通すぎて。多分ぱっと見じゃあ皇帝って分かんねえ」


「え、そんなに?」


「そんなに。でもいい奴だ」



 実験成功で生き延びたのを喜んでくれたこと、休戦時にわざわざ東京から会いに来てくれたこと、いつだって対等に接してくれていたことを思い出て薄ら笑む。煉が殆どみせることない、心からの柔らかな表情をみて、これは珍しいと清代は思った。こいつにこんな顔をさせるなんて、皇帝はよほどいい奴なのだろう。特別な存在なんだな、と思うと羨ましく、少し妬けた。


 東京に来たのは、その皇帝を一喝するためだ。先日の空爆で死亡したとの噂も少し聞いたが、実際は復興活動に専念しているようだった。皇帝側近の権限を駆使して問い合わせたところ、その答えが返ってきた。他にやるべきことが山ほどあるのに、あの若造ときたら被災者の支援ばかりして困る。あいつは戦争を知らなすぎると、補佐役が吐き続ける暴言は聞き流した……と見せかけて細部までしっかりと覚えているし録音もした。あの取り巻きたちが太一をどう思っているのかが明確にわかった瞬間で、一刻も早く解放してやろう、という思いになった。


 だが、あいつらの言うことにも一理ある。例え傀儡だったとしても、太一には太一にしかできない仕事がある。それを全て放棄して人助けばかりするなんて馬鹿げている。さっさとその仕事を片付けてしまわないと、犠牲者は増え続けるばかりなのに。確かにそっちの仕事のほうが太一には合っているのかもしれないが、今回ばかりは話が別だ。



「清代。何があっても現場で展開なんかすんなよ? お前キレやすいけど」


「煉こそ。そんな状態で展開なんかしないでよね」



 互いに嫌味を言い合い、不敵に笑む。互いに攻撃的な性分で、展開、兵器化のきっかけが激昂か闘争心の高揚だという共通点もある。果たして、あのいけすかない取り巻き達との遣り取りに耐えられるのだろうか。


 それが少し心配だったが、まあ別にいいかと言う結論に辿り着いた。例え清代が展開してしまっても、俺が太一を庇えばいいのだ。他の取り巻きたちなんて知るか。煉は清代と並んで、瓦礫の影に見え始めた人影に向かい歩を進めた。



          ※



 何一つ残らなかった。帝居も市街地も住宅街も、まとめて全て消えてしまった。第二代皇帝の雁ノ谷太一は、ただ青いだけの空を見上げた。一切の障害物をなくした空は随分と広くて、澄み切って綺麗だった。


 それとは対照に地上は地獄で、煤けた荒野が広がるばかりだ。先日の激戦と爆発は酷いもので、自分自身はどうにか生き延びたものの、背中に人生初の大怪我を負った。熱風で焼かれた上に沢山の破片が突き刺さっての事だったが、それでもマシな方だった。衝撃で砕かれて、骨さえ残らなかった人もいる。それを思えば背中の痛みなんてどうってことない。太一は傷から滲み出る血にも構わず、瓦礫をどかして行方不明者を探していた。


 そういえば、煉はどうしただろう。ひと月前の連合国一斉攻撃で、原形を留めないほどに大破してしまったと聞いた。丁度居合わせた開発室の宮下一都によって無事修復されたと聞いたが、それ以降のことは一切わからなかった。


 その先のことは、知らないほうがいいのかもしれない。体は無事だったとしても、それ以外が無事な保証はない。休戦中に会った煉が無機質じみていたことを思い出した太一は、流れる汗を拭って小さく息を吐いた。汗が滲みて、背中が痛む……。



「よお、生きてたか」


「煉……!」



 背後から聞こえた声に、太一は何の躊躇いもなく振り返った。その動作で容赦なく衣服が傷を擦ったが、そんなことはどうでも良い。島風煉が生きている。それが判っただけで太一の心は晴れやかだった。久々に見た煉の動きはぎこちないものだったが、それでも以前のような無機質感は薄れているように感じる。


 もとの煉が戻ってきたようで嬉しかったが、彼の調子を思うと手放しに喜べない。隣に立つ女性――確か同じ【高天原】の白露清代だったか。彼女も堅い表情をしているし、状態は芳しくないのかもしれない。太一は彼に駆け寄るのを躊躇い、ゆったりと歩み寄ってくる煉を立ち尽くして見ていた。


 太一の憶測とは大きくズレて、清代の脳内は戸惑い一色だった。常に毅然と立ちふるまい、時には鼻につくほどの余裕を見せつける皇帝が、こんなところでひとり瓦礫の山を掻き分けているのは衝撃的な光景だった。


 事前に「すごく普通だけどいい奴」と聞いていたけれど、まさかこれほど民衆に混じっても違和感がないとは思わなかった。それだけではない。彼が着ている白いカッターシャツの背中は赤黒く汚れていて、それは紛れもなく、ベッタリ付着した血液だった。


 まだ乾いている様子もなく、未だにそのシミの範囲を広げていることから、彼自身の血なのだと予測する。そんな大怪我を押して作業をしているのか彼は。思っていた皇帝像とあまりにかけ離れていて、清代は困惑していた。



「お前がここまで馬鹿だと思わなかった。公務ほったらかして何してんだ」


「ちょ……煉」



 太一の頭をがしと掴んでフランクに話かける煉に気付いてはっとした清代は、思わず口を挟む。割りと仲が良くてなんでも言い合う間柄だとは聞いていたが、流石に人目のつくところでそれはまずいだろう。太一と同じく復興活動に勤しむ一般市民たちもそれを見て唖然としていたし、私の感覚は決して可笑しくないと思う。



「公務なんて。君も知ってるだろう、僕は唯の傀儡だ。代りはいくらでもいる。別に僕でなくても、」


「でも、今の皇帝は間違いなくお前だ。お前や取り巻きたちがどう思おうが、それは変わらない」



 自棄気味に嗤う太一を一蹴した煉は、珍しく苛立たしげに睨むその目を受け止めた。本当は煽りたくない。いま自分が導こうとしている結末を望んでいない人も少なからずいるわけで、よく知っている廉也もそのうちの一人だった。


 別の結末のために四苦八苦してきた彼の努力を否定するのは心苦しい。だが、極東人全滅という最悪の事態を避けるためには、もうこの手段しか残っていなかった。



「これ以上の犠牲者、出したくないだろ」


「当たり前だろう……! でも僕に何ができる? 何の力もない愚帝に戦争を終わらせるなんて、」



 胸ぐらをつかみ合うのを清代に制止されながら、太一はひとつの答えに行き当たった。自分にしかできない戦争を終わらせる方法なんて、ひとつしか思い当たらない。



「降伏宣言……」



 ぼやっと譫言のように呟いた太一を見て、煉は小さく笑う。彼の心境は複雑だった。こうして太一を誘導するのは操っているのと同じで、嫌っていた取り巻きたちと同じことをしているのだと思うと底知れない罪悪感が湧いて出た。それでも、完全に軍事よりも人命救助に目が行ってしまっている彼は、こうでもしないとその答えに行き着かなかっただろう。



「……二度目の敗戦か……」



 俯いて言う太一の表情は見えなかったが、落ち込んでいるのが目に見えて分かる。「決してお前のせいではない」と声をかけるべきか迷っている間に持ち上げられた顔は、思いのほか凛としていた。



「そのほうが良いな、きっと。国のためにも、お前たちのためにも」



 毅然とした態度で微笑み、煉と清代の顔を見る。滲んだ涙で少し見えづらくなってしまったけれど、やはり彼らは人間だった。彼らだけではない。他の【高天原】たちも、被験体となったまま生きて帰ってこれなかった大勢も、みんな同じ人間だった。


 人間が兵器として扱われることや無差別に命を奪われていくことを嫌だと思っていたはずなのに、どうせ何もできないのだと何もしないでおよそ二年の月日をやり過ごした。やはり僕は馬鹿な愚帝なのだと思う。自分にしかできないことがあることさえ、煉に言われるまで気づかなかったのだから。



「【高天原】、お前たちに告ぐ。本日を以って、極東帝國は降伏する……苦しい思いをさせてすまなかった。今まで戦ってくれて有難う」



 背中を自身の血で濡らし、煤塗れになった太一が佇む姿はどこか神々しい。最後の最後でようやく皇帝として覚醒した彼の声を神妙な面持ちで聞いた煉と清代は、踵を返して歩き出した太一の後に続く。背後に彼らの気配を感じて安心した太一は、振り返って遠慮がちに言葉を続けた。



「……と言った直後で悪いが、もう一仕事頼まれてくれないかな。他の側近たちを捩じ伏せるには、少々骨が折れそうでね……」



 雰囲気を一変して、今まで同様の人好きのする青年へと成り代わった太一を煉は笑う。一方の清代はきょとんとしていて、その雰囲気の幅の広さに少し戸惑っているようだった。



「いいぜ、俺たちの得意分野だ」



 あいつも凄いんだぜ、とこちらを指さす煉を見た清代は、有る事無い事吹き込まれることを予感して慌てて二人に駆け寄った。私よりもあんたの方がえげつないだろうが。



「それよりも手当が先。捩じ伏せるのはその後ね」



 痛みを堪える太一の傷に敢えて手を置く煉の手をはたき落として、太一の腕を取る。今日はじめて見た時から、その背中の傷が気になっていたのだ。看護師ぶりやがって、という煉の声は無視した。ぶってるんじゃない、私のそれは本業だ。幾ら言っても、この男は分かってくれない。

 

 右手に煉、左手に清代を従えた太一は心強さを感じていた。彼らが傍にいてくれたなら、どんなことでもできそうな気さえする。太一は久々に悠然とした表情をつくり、二人を従えて軍令部へと乗り込んだ。




 この日のうちに、極東帝国第二代皇帝は無条件降伏を全軍に発表。翌日には正式に宣言を受諾して、極東帝国を中心とした大戦は終結した。SA-00型開発から三年、開戦から二年目の、よく晴れた秋のことだった。




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