第10部 最終決戦①


 口ほどにもない、というのが率直な感想だった。


 極東帝国の《イザナギ》を撃墜した《エンタープライズ》――レミィ・サザーランドは、マリアナ近辺を旋回しながら余裕の笑みを浮かべていた。最強だとかなんとか言われていた《イザナギ》を瞬殺できた私はやはり優秀なのだ。どうだ、見たか。レミィは養父や軍の関係者たちの態度を思い出して高笑う。散々見下してきた人たちを見返したことが嬉しくて、上機嫌だった。


『お前なんて所詮はクローン』。周りの大人達は挙ってそう言った。初めて聞いた時はそれが信じられなくて、養父や兄代わりだった博士にも問い詰めたが答えは変わらなかった。


 それだけでもショックで悲しかったのに、追い打ちをかけるように人格を否定された。お前はオリジナルの代理でここにいる。オリジナルはそんな性格じゃなかった。オリジナルはもっと優秀だ……。事ある毎にオリジナルを持ち出して比較し、非難されるのは、多感な少女にとって苦痛でしかなかった。


 兄代わりだった博士との時間も極東との国交悪化に伴って消滅した。それ以来、五年も会っていない。私をひとりの人間として見てくれる人はもういないのだと思うと辛かったが、その悔しさをバネにしてここまで生き延びた。改造手術にも耐えた。全ては周りを見返すため。オリジナルなんかよりも私の方が優秀なのだと、何としてでも主張したかった。



「……」



 レミィはじっと、海の北方を見据えた。ここから真っ直ぐ進めば、極東列島が見えるはずだ。そのどこかにオリジナルがいる。まだ一度も会ったことがないけれど、憎らしくて仕方がないそれを消せば、私がオリジナルになれるのではないか。そう思うといてもたってもいられなくなり、レミィは下されていた撤退命令を無視して北上していった。



          ※



「島風煉の修復は僕が引き受けよう。岐山イヅル、君は次の出撃準備に取り掛かってくれ。これで終わりではないよ。きっと本土目指して突っ込んでくるはずだ。あの子は少々性格に難があってね」



 意識を失くした煉を奪うように抱き抱え、担架に載せ替える宮下をイヅルは呆然と見ていた。まるで知人の話をするかのような彼に小首を傾げたが、そういえば『あれは僕が作った』と言っていたなと思い出して納得した。



「……《エンタープライズ》は攻撃的な子なのか」


「攻撃的、というよりも自信家と言ったほうがいいかもね。高い身体能力は朝潮アヤと同じだが、あれは彼女のように酷く弾圧されたことがない。そのせいで大人しくて素直なオリジナルと違って、自意識が強くてやや高飛車。島風煉が『違う』と言ったのも、きっとそのせいだ」



 それと自分がクローンだと知って以来、少しグレたと付け足して、宮下はバラけた箇所も淡々と載せ替えていく。あとは任せたと手で合図し、手当が済んだ鈴世と入れ替わりで整備室へと消えていった。


 それを見送りながら考え事を始めたイヅルを物陰から見たアヤの心は、既に決まっていた。いつも通りに自室に軟禁されていたけれど、こんな有事にひとりだけなにもしないわけにはいかなかった。私は兵器。ただ戦うためだけに在る。昔からそうだった。人間だった時も、私の用途は戦争だけだった。


 ついさっきまで煉が安置されていた回収ゲートの待機台には、赤黒い汚れがべったりと残っている。ぐちゃぐちゃになった兄代わりの幼馴染みを目の当たりにして感じたのは、《エンタープライズ》への敵意だ。ギラついた赤い目で出撃ゲートがある方を見詰めて、アヤは呟いた。「次は私の番」。


 物陰に隠れた影が小さく頷き、ふらふらと離れていくのを、秋月紫燕と陽炎廉也は見逃さなかった。その時に見た、何の迷いも恐れもない目。――皆、思っていることは同じか。紫燕も廉也も、強い決意を宿した目に共感を覚えていた。


 いま自分の置かれている状況を考えて、アヤはきっと誰にも言わずに出るつもりなのだろう。幸いにも基地全体が雑然としているせいで、彼女の行動に誰も気づいていない。


 不良品と断定されて飼い殺されようとも高い能力は健在なようで、むかし散々仕込まれたらしい密偵の技能をフルに活用して移動を続ける。足取りはたどたどしいくせに何度か見失い掛けて厄介だった。それに痺れを切らしてアヤを捕まえた廉也の足取りもまたたどたどしく、紫燕は彼がそこそこ深手を負っていることに今頃気付いた。



「……!」



 肩を掴まれたアヤは、反射的に素早く体を捻った。まだだ。私はまだ、誰かに捕まる訳にはいかない。アヤは背後の誰かを仕留めるつもりで、喉頭隆起を衝いてやろうと首元に手を伸ばした。興奮で散瞳した赤い目は、驚いた琥珀色の目を捉える。それが旧知の陽炎廉也だと気付くのに時間はかからず、喉頭隆起に力一杯押し込もうとした親指をピタリと止めた。



「……陽炎、」


「大丈夫、彼は君を止めるつもりはないよ。たぶん、だけど」



 見逃してくれと請う直前に、廉也の首に添えた手を柔らかく握られて止められた。いつもと変わらない柔和な声にアヤは大人しく手を下ろして、見上げた二人の顔を、探るように交互に見た。


 優しく見守るように細められたアーモンド形の目と、真っ直ぐ一点だけを見据える澄んだ切れ長の目。そのどちらからも敵意や疑念は感じられず、また声を潜めているあたり、行動を邪魔する意志はないのだろうと判断したアヤは、一歩下がって小さく息を吐いた。


 漸くおとなしくなったアヤを見届けた廉也は、横目で隣の紫燕を見た。それは彼も同じだったらしく、視線をかち合わせる羽目になってしまった。もう二年近くも共同生活を送っているのに、まともに目を見るのは初めてかもしれない。


 顔を突き合わせるたびに啀み合っては、煉や清代に散々「同族嫌悪だ」と誂われて更に対立する。だからもうこいつとはとことん反りが合わないのだと思い込んでいたが、案外そうではないのかもしれない。


 これから取ろうとしている行動も、考えていることも紫燕と一致しているらしいと分かった廉也は、少しも隠すことなく盛大に溜息を吐いた。こんな奴と気が合うなんて最悪だ。



「……分かってるんだろうな、お前」


「言われなくても。心配には及ばないよ、海戦型の君は大人しく留守番でもしといてくれ」


「秋月も、来るの?」


「まあね。九号機と十号機は一蓮托生だし?」



 いつも通りの嫌味に眉間に皺を寄せて睨む廉也を無視して、紫燕は少し驚いたようなアヤを見る。彼女の意向は汲むつもりだが、ひとりで行かせるつもりは毛ほどもなかった。いくら優秀だとはいえ、もう数ヶ月ものブランクがあるアヤが単独出撃したところで大した成果が上げられるとは思えない。だったら、自分も共に出てサポートしてやらねば。紫燕はそう思っていた。


 さっきの機敏な動きを見て、彼女はもう大丈夫だと思った。が、それと同時に不安も募る。今までゆっくりしか動けなかったのに、急にこんなに動けるようになるなんて、またどこかが壊れてしまっているのではないか。そればかりが心配だったが  そんなことは彼女にとってどうでもいいことなのだろう。


 もともと自分よりも他人を優先する性格なようだし、今は煉の仇討ちで頭がいっぱいのようだ。目の前の二人よりも出撃に気を取られているらしく、立ちはだかる彼らの間を縫って前進しようとする。しかしそれは、廉也が阻んだ。



「朝潮、そっち行っても出られない。九、十号機専用の出撃ゲートはまだ閉鎖されてる。こっち使え」



 肩を掴んだままの手を滑らせて腕を掴み、アヤを八号機専用のゲートに誘導した。海戦型仕様で直接海に繋がっているけれど、新型の彼らはある程度なら海にも潜れると聞いたし、まあなんとかなるだろう。



「さっき戻ったばっかで、また出るかも知れなかったからまだ開放されてる。今なら行けるぞ」



 急ぎ気味に二人をゲート内に引きずり込み、周囲を見渡して扉を締めて内側から施錠する。ここにいることはいずれバレるだろうが、この二人が出るまで持ちこたえてくれればいい。今のアヤと同じ気持ちな分、誰かに邪魔されるわけにはいかなかった。業務命令違反だといわれても、それで軍法会議に掛けられても、一向に構わない。


 脛辺りまでの深さがある培養液の水槽に向かいながら、簡単な打ち合わせをする二人の背中をひとり見る。やはりそこには、自分には入り込めない空気があった。それは自分が海戦型だからか、北方の少数民族だからか、それとも――。



「……初めて悔しいと思ったよ、自分が海戦型なこと」



 何かを言いたげにこちらを見た紫燕に、廉也は無表情に呟いた。仇討ちをしたい、という気持ちはよく分かる。分かるが完全な状態ではなく、勝てるかどうかもよく分からない戦闘には出て欲しくないというのも正直なところだった。


 この二人は……いや、二人だけに限らずSA-00型全ては、廉也にとって『興味があるもの』であり『守るべき同士』だった。それを表に出さないのは、そう思われることなんて望まれていないと思っていたからだ。


 純正の極東人が揃ったSA-00型の面々が、劣等人種の最たるもの、くらいに言われていたウタリに仲間意識を持たれるなんて迷惑極まりない話だ。こちらがどれだけ思おうが、相手も同じ気持ちでなければ意味がない。


 そうして不用意に近づき、極東人に殺されてしまった同胞がいたことを思い出した廉也は、ぐっと唇を噛み締めた。どうして人種で優劣を決めるんだろう。こんなものがなければ、俺だってもう一歩くらいは彼らに近づけたのかもしれないのに。



「こっちのことは暫く任せる。君だってエース級なんだし、しっかり彼らをまとめなよ」


「俺が上に立つ権限なんてない。極東人じゃねえんだから」



 さっと視線を逸らして、どうしようもない血統に苛立ちながらコードを漁った廉也は、卑屈になって吐き捨てた。それを聞いたアヤは、これまでの彼の行動全てに納得がいった気がした。決して人が嫌いなわけではないのに人を避け、人の上に立てるだけの器があるのにそれをしない。面倒臭がりなのかとも思ったが、八年間見てきた働きぶりからは、そんな気配も感じられなかった。


 常に一歩引いているような感じで、何を遠慮する必要があるのだろうと、よく隣にいてくれた彼に思ったものだ。極東人にしては色が白いと思っていたが、そうか極東人ではなかったか。ではどんな人種なのだろう。帰ってきたら、聞いてみようかな。答えてくれるかは分からないけれど。



「別にそんなの、どうだっていいだろう。ここじゃ人種とかそんなの、入り混じりすぎて区切れない」



 この極東帝国は【極東人至上主義】を謳っているくせに、国防の要であるSA-00型の四割は『劣等人種』だった。前回の大戦から今回の大戦までの間、捕虜として隔離され一般社会から断絶されていた紫燕には、彼らがどんな仕打ちを受けてきたのかを知らない。だから「何を今更」と思うわけで、紫燕はそれを隠しもせずに、ため息混じりに言い放つ。それを聞いても、廉也は用具箱を漁るのをやめず一切こちらを向かなかった。



「……お前は一体何をしてるんだ、さっきから」


「これ。まだ必要だろ、お前ら」



 不味ったかと思った紫燕が、何をしているのかと問いかけ話を逸らしたところで廉也は漸く振り返る。その彼の手には太めのコードが握られている。無表情のまま突き出されたプラグは、兵器展開時に差し込むものだ。


「お前らはまだ必要」ということは、彼にはもう必要ないのだろうか。あれは展開するのに必要なのに……と思ったところで、少し前に聞いた煉の言葉を思い出した。《ちょっと不味いかもな。待機室で展開しようとしていたし》。



「……それなしでも展開できるのか、お前」


「まあな。しようと思えば今直ぐにでもできる。その液も必要ない」



 そう言いながら、廉也は腕の皮膚をひび割れさせて血液の結晶質を顕現させた。今となっては、この状態が一番楽だ。無理に抑えこむ必要がないからなのだが、長時間この状態でいると、体がばきばきになって却って動きづらくなるという欠点もある。


 言葉のとおりに軽度の展開を披露した廉也に面食らう二人に「何度も繰り返せばできるようになる」と告げ、電源盤に刺したコードを持って彼らに近づく。俺はお前らの倍以上出撃してんだと付け足したところで、ゲート内に据え付けられたスピーカーが鳴った。



『整備室より八号機出撃ゲート。陽炎、お前いまそこにいるのか?』


「八号機出撃ゲートより整備室。いるけどなんだ」



 スピーカー越しの声は大記のもので、何だってお前……と溜め息混じりに呟いていた。やや遠目から「陽炎廉也、君は脇腹に大穴を開けてるだろう」と張られた声は聞き慣れない。だからきっと、あの宮下とかいう博士なのだろうと思った廉也は少しムッとした。あいつめ、告げ口しやがって。



『……ということだから今直ぐ整備室に来い。今そっちに整備員を向かわせ、』



 大記が言い終わる前に、廉也はスピーカーを壊した。ひび割れたままの手で掴み、ぐっと力を込めれば簡単に砕けて落ちる。俺ももう、殆ど兵器だな……と自分の手を見下して嗤った。


 あいつらが来る前にやらなければ。慌ただしくなった扉の向こうの気配を感じとった廉也は、スピーカーに踵を返して培養液の中で待つ二人に近寄った。がんがんと扉を叩く音がうるさい。早く、早くやるんだ。頭の片隅に残った「行かせたくない」気持ちが行動を邪魔する前に、先手を打って出撃の準備をする。これが今の廉也にできる、最善のことだった。


 俺は生粋の海戦型だ。翼を持たないから空には出られない。これ以上のことをしてやれなくて申し訳ない……。共に戦い守ることができないことを胸中で謝罪しながら、廉也は真っ直ぐに視線を合わせてきたアヤと紫燕を両腕に抱き込んだ。



「生きて帰れよ、絶対にだ」



 もう二度と帰ってこないかも知れないという恐怖心を無理やり飲み込んで、頭ひとつ分くらい背の低いアヤと紫燕の耳元で呟く。二人からの返事は待たず、廉也はその首筋に、ぐっとプラグを差し込んだ。



          ※



 海から出たのは勿論初めてだったし、こうして何の障害物もない空に出るのも久しぶりだった。朝潮アヤは懐かしい青を全面に見て、口元を緩めた。少し不安はあったけれど、怖くはなかった。ゲートで廉也が待っているし、隣には紫燕もいる。


 目の前に見えた影は、歪な日の輪のように見えた。海面に写っている自分の影によく似ていて、きっとあれが《エンタープライズ》なのだろうと思った。敵意も殺意も持って近づいてくるそれは、小さいころの自分を見ているようで変な感じだ。


 それでも全くの別人だと認識しているのは、その表情のせいだろう。強気で不遜な態度で自信たっぷりに笑む彼女が、アヤは少し羨ましかった。だが、あれが煉をグチャグチャにしたというのなら羨望を感じている場合ではない。自分のクローンだと聞いてから自分と戦うイメージでやろうと思っていたが駄目みたいだ。


 さて、どう戦っていこう。眉間に皺を寄せて嫌悪感を露わにする紫燕を横目に、今出しうる最大速度で、アヤは《エンタープライズ》に詰め寄った。



          ※



 自分に似た影を、レミィ・サザーランドは眼前に捉えていた。初めて見るオリジナルは色が可笑しい。目も髪も斑で醜く、やはり自分のほうが優れているのだとレミィはそれを鼻で笑う。


 戦績だって大したことなくて、最近では不良品だって、戦場に出ること自体がなくなっていた。でもそうやって見劣っているくせに、それの隣には誰かがいた。出来損ないのくせに、沢山の人に動けないことを気の毒がられていたし悔やまれていた。


 それが堪らなく憎らしかった。私はぞんざいに扱われていてひとりぼっちなのに、あいつは大事にしてもらえる上に誰かがいてくれる。可笑しい、こんなの間違ってる。優れているなら優れている分、劣っているなら劣っている分、それ相応の報いを受けるべきなのに。


 どうして私ばっかり。完全に逆転している理想と現実を受け入れることを拒否したレミィは、全速力で向かってくるオリジナルを――《アマテラス》を睨みつけて、同じく全速力で突っ込んでいった。



          ※



「アヤ……!」



 止めたかったけれど遅かった。伸ばした手が届くことはなく、虚しく空を掴むだけに終わってしまった。ひとり取り残されたまま浮遊した紫燕は、これまでの不調が信じられないくらいの速さで駆けだしたアヤの初速度を思い出す。


 あれは、違う。調子が戻ったとかでなくて、もっと別な……。そう思ったところで、嫌な予感が一気に湧き上がった紫燕は一度伏せた目を急いで開いた。すでに遠く離れたところで交戦している二機の動きは、彼から見て異常なものだった。


 異常、といっても悪いものではない。素早く効率的な動きは、兵器としてはそれはもう素晴らしいものだ。が、それは彼女が「完成品だったら」の話だ。


 アヤは電波発信装置が定着しなかった分、生身の人間に近い。それを補うために、急拵えの別の装置で異常起動させられている。その別な装置で引き出す能力も、体が壊れてしまわない程度に抑えられているはずだった。なのに今は、どう見てもその限界を超えている。



「……本格的に壊れた」



 立ち入ることのできない激しい攻防を傍観しながら、紫燕は呟いた。


 あのままでは、勝っても負けても無事では済まないことは目に見えていた。装置が壊れたのか、煉の仇討ちに燃えすぎて脳が壊れたのか。どちらにせよ酷い後遺症は免れず、最悪死に至るのだろうということは、開体調査の結果と整備手伝いを続けるうちに知れたことだった。


 別に《エンタープライズ》がどうなっても構わないが、ここで黙ってアヤを散らすなんて、そんなのは嫌だ。近づこうと加速を始めたところで、耳元に備え付けられた通信装置が鳴った。



『紫燕、アヤ! お前たちどういうつもりだ、退け!』



 ハウリングするほどに叫ぶイヅルの声が耳を劈き、紫燕は眉間に皺を寄せた。命令違反だ、自殺行為だと文句を言う彼がどんな顔をしているのか、想像に易い。


 この義兄妹は、容姿こそ全く似ていないが性格はよく似ていた。無表情で感情が薄いと思われがちだがそうではなく、長く付き合っていけば、何を言わずとも顔を見ただけで感情がよく分かる人たちだった。


 邪魔された苛立ちがあったものの、それを思い出した紫燕は軽く笑んだ。通信装置の向こうはかなり喧しく、人の声が雑然としていて気持ち悪い。この勝手な出撃は相当な騒ぎになっているようで、人間兵器が謀反を起こしただなんだと喚き散らす声も聞こえてきた。


 謀反を起こしたつもりはないのだけれど、その理由を告げたところで理解してもらえるのだろうか。いや、それはないなと決め込んだ紫燕は、小さく溜息を吐いた。



「もう無駄ですよ、岐山さん」


『……どういうことだ』


「貴方にももう解ってるはずだ。彼女は壊れた」



 それ以来、イヅルの声がピタリと止まった。息を詰まらせて絶句しているのだろうイヅルの背後から、「陽炎がゲートに籠城したまま出てきません、なんとかして下さい…!」と泣きそうな声で言う整備員の訴えを聞いた。――あいつ、あんな状態で待ってくれているのか。欠損はしていないものの、腹部に大穴を開けていたというのに。


 今度は紫燕が息を詰まらせる番で、驚くと同時に胸が熱くなった。目があっただけで敵意をぶつけるような嫌なやつだったのに、こんなときにだけ健気に待ち続ける気の良いところを見せるんじゃない。少し泣きそうになりながら、やっぱりあいつは嫌なやつだと洟をすする。――分かってるんだろうな、お前。そう言っていた廉也の声を思い出した紫燕は、息を吐き出しながら困ったように笑んだ。



「……解ってるよ、廉也」



 再び通信を無視することに決めて、紫燕は対峙している二機へ向かって進行を始めた。アヤは必ず俺が守る。だからこんなところで立ち止まっている場合ではないし、退いていいはずもない。命令違反だろうが何だろうが構わない。罰則でも処分でも好きにするがいい。


 思い出した廉也の声と、雑音の中に聞こえた「好きにさせてやりなよ」という宮下の声に背を押されて、九号機《ツクヨミ》秋月紫燕は、全速力で激戦地へと駆けだした。



          ※

 


 朝潮アヤは、思いのほか冷静だった。目の前で敵意を剥き出しにし、鬼の形相で喰いついてくる《エンタープライズ》の攻撃を機敏に躱しながら、懐かしさとも新鮮さともつかない不思議な感覚に苛まれていた。


 姿形は幼いときの自分によく似ているのに、その雰囲気はまるで違う。目の前の彼女は、とても表情豊かで生き生きとしているようにアヤには見えた。一方の自分は、過去にそんな顔をした記憶がない。


 嫌だと思うことはあったけれど楽しいと思えることはなかったし、負の感情に至っては少しでも滲ませようものなら酷い折檻が待ち受けていた。生意気だの士気が下がるだので痛い思いをさせられるたび、劣等人種だから仕方がないと耐えていた日々が懐かしい。苦痛を回避するために感情表現を封じたのが祟ったか、以来表情筋は硬くなってしまったようでよく無表情だと言われている。確認はしていない。鏡を見るのは嫌いなのだ。


 それはまあともかく、彼女が表に出している感情は憤怒や憎悪というあまり良いものではないが、自在にそれを出せるということは、きっと自由に生きてこれた証明なのだろう。そう思うと、アヤは少し嬉しくなった。


 攻撃が上手くいかず苛立っているレミィは、口元を緩めて微かに笑う《アマテラス》を見て更に怒りを肥大化させた。お前は何を笑っているのだ。何も可笑しいことなんかないだろう……!


 もう《アマテラス》をぐちゃぐちゃに壊してしまいたいのに、さっきから一切の砲撃が命中しない。自分よりも機敏に動き、ひらりと躱すしなやかな動作は、まるで自分を嘲笑っているかのようだった。


 私は何も可笑しくない。劣ってもいない。勉強だって運動だって人よりもできるのに、どうしてみんな私を馬鹿にするの。ただ、産まれ方が人と違うだけなのに。


 そう思うと悔しさで涙が滲み、それに伴って更に砲撃の精度が落ちた。こんなことじゃいけないのに、それでも堰を切ったように涙が溢れ出る。昂った感情に呑まれ心を乱し、判断力も集中力にも欠いている状態だったが、もう自分では制御できなかった。躍起になって《アマテラス》を打ち続けるレミィは、隙だらけだった。


 その隙を見逃さなかったアヤは、銃口と発射管全てを《エンタープライズ》に向けた。これは大事な兄貴分の煉を無残な姿にした許してはならない敵だ。仇を討つためにも、彼以上の犠牲を出さないためにも、調子がいい今のうちに撃墜しておく必要がある。そう思う一方で、この子には生き延びて欲しいという思いが湧き出ていることもまた、事実だった。


 自分に姿形がよく似たこの子に、自分には無縁だった平穏無事な世界で、思うままに自由に生きていて欲しいと思う私は甘いのだろうか。……そうだ私は甘いのだと自答したアヤは、泣きながらも砲撃の手を止めない《エンタープライズ》を、目を細めて見た。


 私は兵器だ。彼女も兵器だ。その事実は誰がどうしても覆せず、覆せない以上はどんな理由があろうと戦わなければならない。それこそが私達の存在意義であり、それ以外をする必要もない。それを考えた途端に、アヤに芽生えかけていた慈悲が弾けて消えた。ただ《エンタープライズ》を撃ち落とすことだけを考えて、脳内で砲撃命令を下す――。



「ぁ……ッ!」


「……?」



 砲撃準備が終わらないうちに、自分のものでも《エンタープライズ》のものでもない砲撃音を聞いた。それとほぼ同時に、視界から彼女がいなくなる。代わりに見えたのは三日月状の銀塊が横切る様だ。九号機《ツクヨミ》が、秋月紫燕が旋回しながら《エンタープライズ》を狙撃したのだということに、思考能力が低下しつつあるアヤは終ぞ気付けなかった。


 何が起こったのか理解できないままに体を後ろに引かれ、無意識に後ろの誰かを仕留めようとした脳が反射的に体を撚る。しかし兵器を展開した体では上手くできず、それにさえ気付けないアヤは、なおも藻掻いてその誰かへの反撃を試みる。



「アヤ……!」


「……秋月?」



《エンタープライズ》に向けるはずだった発射管を向けたところで聞こえた声は、聞き慣れたものだった。それが秋月紫燕のものだと理解したと同時に、湧き上がって不明瞭になっていた脳内がすっきりと冴え渡る。


 アヤは後ろから抱きかかえるように拘束されながら、紫燕の砲撃を喰らって負傷し、下方で悶える《エンタープライズ》を見ていた。大体の状況は把握した。けれど、どうして拘束されているのかが分からない。あのまま最大出力で撃っていれば、今頃けりがついていたのかもしれないのに。



「アヤ、少し聞いて。君は急に、自由に動けるようになったね。それが何故だか、解る?」



 耳元に聞こえた問に、アヤは首を横に振った。言われるまで「今日は調子がいい」くらいの認識しかなかったのだから理由なんて分かるはずもない。そういえば煉の仇討ちを決める以前は、歩くこともままならなかったんだっけ。そんな私が、よくもまああの子と互角に渡り合えたものだ。



「それは、今の君に制御装置がないからだ。後付の装置か脳のどちらかが壊れたんだ。今ならまだなんとかなるかもしれない。後は俺がやるから、君はここで待っ」


「駄目」



 待機を命じた紫燕を遮って強く言ったアヤは、緩まった腕をすり抜ける。



「あれは、私が墜とさなきゃいけない」



 振り返ったアヤの目もまた強く、堅い意志が読み取れた。それはこの共同生活の中で何度も見たもので、何があろうが必ずやり遂げるのだと決め込んだときは、決まって今と同じ目をしていた。それを思い出した紫燕は、下方でゆるやかに墜落していく《エンタープライズ》に向かって急降下したアヤを追った。




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