第9部 熾烈②


          ※



 人造人間だろうが誰かのクローンだろうが俺には全く関係ない。その人本人でなければなんとも思わないし、本人であってもこちらに害を及ぼすなら容赦はしない。暖かいレイテ島近辺の沖に漂いながら、陽炎廉也はそう思っていた。


 岐山イヅルは、ゲルマニアに在籍する三機が誰かに似ていると言っていた。だが廉也はそのどれも知らなかった。北の僻地で暮らしていればまあ当然のことで、内地の事情を知り始めたのは、海軍省のスカウトに応じて以降だ。


 スカウトに応じたのは、これで少しでも差別が緩和されるならと思ったからだ。国の勝利に貢献したいとかいう殊勝な気持ちは別になくて、ただこの国が新しくなってから差別が激化したのだから、ウタリでも役に立つのだと証明できさえすれば何か変わるかも知れないと思ったのだ。


 そうして正統評価されるようになれば、民族間の内部抗争も減って海も平和になると廉也は信じていた。しかし内地の軍隊に入隊すると決めた廉也を一族は許さず、地下の奥深くに幽閉しそうな勢いで猛烈に反対した。お前が出て行ったら、誰が頭首を務めるのだ。大人たちは、挙ってそう言っていた。


 男児がほとんど生まれない女系の一族だったから、廉也はウタリにとって貴重な存在だった。別に女が頭首でもいいだろうと言っても、伝統だからだの精霊様のご意思に反するわけにはいかないだので聞き入れない。


 ウタリは昔から精霊信仰の篤い民族だったし、廉也自身も精霊の意志に反すると言われれば何も言えなくなってしまう。でも、いくら精霊の意志だとしても、集落に縛り付けられてしまう頭首の座に収まるわけにもいかなかった。


 状況を変えたいなら行動を起こすことも大事だ。普段ほとんど開かない口を開いて廉也がどれだけ熱弁しても、平行線をたどる押し問答が続くばかりだった。その融通の効かなさが頭にきて、自分の意志をゴリ推して半ば無理やり集落を出てきた。それを快く受け入れてくれたのは実姉のサロルンユクだけで、「決めたのなら、必ずやり遂げなさい」と、彼女だけは笑って送り出してくれた。


 戦争が終わったら、俺はまたここに帰ってくる。姉にそう告げて出てきたものの、それはもう叶わない。外見上の違いがないにしろ、すでにこの体は人間ではない。精霊から賜った体を勝手に改変した罪は重いし、それに自分以外のウタリは全員死んでしまった。廉也にはもう、帰る場所がなかった。


 どうしてこんなことになったのだろう。金属に覆われた異物でしかない自分を取り巻いて泳ぐ、魚や海獣たちを見ながら廉也は思った。今はこんなにも穏やかだけれど、もうじきここも戦場になる。そうすればここに住む海洋生物たちは居場所を失ってしまうではないか。


 そう思うと心苦しく、同時に激しく苛ついた。今みたいな穏やかな海が好きなのに、それを殺伐とした空間に変えなければならない。違う。こんなことがしたくて軍人になったんじゃない。理想と現実の矛盾に苛立って歯噛みし、ゆらりと眼前に現れた《サイドリッツ》をぎらりと睨んだ。


 この苛立ちは、お前にぶつけて発散してやる。《沖の狼レプンホロケウ》――陽炎廉也は大きく息を吸い込む気持ちで、深く深く、海の底へと潜っていった。



 海中に沢山の気泡が生まれ、岩肌や珊瑚などをがりがりと削っていく。熱波で海水の温度も上昇して、生態系が崩れていくのが目に見えて分かった。そろそろあれと対峙して二時間近く経つのだけれど、海中の破壊が進むばかりで戦局には変化がない。廉也は焦りと苛立ちと、不甲斐なさを感じていた。



《サイドリッツ》の戦術や「読み」は、かなり大雑把というか粗さが目立つ。しかしそれを補えるほどの機動力を持ち合わせているらしく、しかけた攻撃のほとんどが躱されてしまった。特に大したダメージを与えられているような印象はなく、外殻が若干凹んでいる位だった。


 発射速度に自信のあった酸素魚雷までも躱されてしまい、標的に当たらなかったそれは岩肌を削る。出来る限りしたくないと思っている海中の破壊を、結果的に自分がしているのだと感じるたびに罪の意識が湧いて出た。


 違う。違う違うちがう違うチガウ違う。俺が求めていたのはこれじゃない。


 求めた結果とは真逆のものばかりが弾き出されていて、何一つ上手くいかない現実に腹が立つ。俺は理想が高いのだろうか。いやそんなはずない。だってそうだ、今までの俺はいつも「目標が低い」と言われ続けてきたのだ……。それを考慮して導かれる解は「力量不足」一択で、自覚した途端に悔しさと苛立ちが膨張していくのを廉也は感じていた。


 何かに耐えるように歯噛みした彼の集中力は低下している。散漫だった意識をスッと集約させたのは、脇腹あたりに感知した強い衝撃だった。それが原因で発生した胴体部の亀裂から、廉也の内部に海水が浸入する不快さを感じている。畜生、あいつめやりやがったな。水が動く気配がする方をギッと睨むと、大量の気泡の合間に見えた銀色の異物――ゲルマニアの国章が刻まれた《サイドリッツ》は、スイと軽々と、廉也の目の前を横切って行く。まるで、葛藤してもだもだする彼をあざ笑うかのように。


 それを見た廉也は、意図的に箍を外した。


 苛立つ気持ちが跳ね上がって、自分の中の攻撃性が全面に押し出される。自分のことなのに自分じゃないみたいで、イッカクのような外装の頭部から超音波を発生させて海水を震わせる自分を、第三者の視点で俯瞰しているような気分だった。


 多くの戦闘を重ねる間に、気付いた事があった。それは兵器化の仕方と度合いに関することだ。昂った感情を無理やり押し込めて、耐えて耐えて耐えた末に限界を超えた場合、エネルギー切れで動作停止するまで自我は失われてしまう。


 だが、決壊する前に耐えるのをやめれば話は別だ。自我を保ったまま攻撃性を跳ね上げることができるのだと最近気付いた。ただ、制御するという発想は失くなって破壊の限りを尽くすから、結果に変化はない。違いは、「陽炎廉也」を保っていられるかどうかだ。


 自我と記憶は、残しておく必要があった。自分を中心にプラズマを発生させ、激しく海を沸騰させるのを他人事のように傍観している。半径約五キロの海域を一瞬のうちに沸騰させて水蒸気爆発を起こし、遥か上方の海面に大きな飛沫を上げた。


 逃げ場もなにもなく、ただ理不尽なまでの攻撃をもろに喰らった《サイドリッツ》は、無駄に綺麗な気泡と共にほろほろと崩壊していく。水圧に押されてビリビリするのをやり過ごしながら見た《サイドリッツ》の本体は金髪の女で、どことなく奈津子に似ていたような気がする。よくわからないが、これが「吾妻榛名」なのだろう。


 榛名の姿のまま消えた《サイドリッツ》に倣って、兵装を仕舞いこんで八号機スサノオから「陽炎廉也」へと変化する。灼けるような熱さと大量の気泡の不快さを感じながら見渡した海は地獄だった。海底を削って大きな穴を開け、無残な姿になった海洋生物たちがそこに沈んでいく。


 その様をしっり観察して、壊れかけた脳に刻みこんだ。自分が作り上げたこの惨状を、しっかり見ておく必要がある。だからこそ、自我と意識を《スサノオ》に支配されるわけにはいかなかった。


 今はこれでいい。海中環境の破壊を気にするよりも、戦争で勝つことを優先させなければならない。こんな横暴、きっと水の神も魚たちの霊も許してくださらないだろう。それでも……信頼する指導者のために、愛すべき仲間のために、ただ任務を遂行するだけだ。廉也は勝利を喜ぶでもなく、硬い表情のまま錦江湾へと引き返した。



          ※



《エンタープライズ》がアヤのクローンだと言う話は、イヅルと大記から聞いた。でも、だからといってどうということはない。アヤはアヤで、《エンタープライズ》は《エンタープライズ》だ。姿かたちが似ていようが全くの別物。彼らは親近者と戦う抵抗感を懸念しているのだろうが、見た目に惑わされず撃墜できる自信が煉にはあった。


 親しかった相手本人だろうが敵であれば討つ。今日の友は明日の敵。手放しで人を信頼できるほど、手緩い世界で生きていないのだ。



 そろそろマリアナ海溝の近くに差し掛かるというところで、向こうから黒い影が迫ってくるのが見えた。それを《エンタープライズ》だと判断した煉は、照準器の膜が張った目でそれを見据えて狙いを定めようとした。


 しかしその黒い影は、一瞬の間に姿を消す。何事かと眉間に皺を寄せる僅かな間に、急に視界が暗くなった。何かに覆いかぶさられている感じだ。警戒して意識を張り詰めさせて見た海面には、見慣れた影が落とされている。少々歪で一部分が欠けた大きな日の輪。それは、特徴的な《アマテラス》の外殻形状だった。


 否応なしに感じさせられる威圧感に全身がぶわと粟立ち、死を覚悟するほどの熱烈な悪寒を感じていた。状況確認などする余地もない。あいつよりも速く一撃かまなさければ。視線だけを上方に持ち上げて、持ちうる兵装全てを《エンタープライズ》に向けようとした次の瞬間、複数の大きな衝撃が煉の体を貫いた。


 落ちながらぐるりと反転して見上げた空に、出会った頃の朝潮アヤによく似た姿を見た。勝ち気に笑むその表情は見慣れなくて、やはり《エンタープライズ》とアヤは全くの別物だと思った。



          ※



「一号機《イザナギ》大破! 既に回収は終了しておりますので、至急修復願います!」


「今は手一杯なんです! もう少し待」


「待てるわけないだろう! 見ろ、一刻を争う惨状だ、今すぐ修復しなければ手遅れになる……!」


「お前たち、少し落ち着け。慌てたところで状況が好転する訳でもないんだぞ」



 慌しく駆け回る足音と共に、絶叫に近い回収員の声が響き渡る。生身の人間なら即死レベルの破損を真っ先に目の当たりにする回収員と、修復しようにも人手の足りない整備員との諍いは今に始まったことではない。


 回収ゲートで立ち往生を喰らったまま続く怒鳴り合いはイヅルの介入で止んだが、今すぐ修復しなければならないのは確かだった。全身に穴が空き、四肢も胴体も隈なく破壊されている。辛うじて無事と言えるのは頭部と胸部の一部で、それ以外はほぼ原型を留めていなかった。


 SA-00型に欠かせない脳と心臓が残ったのは、島風煉の能力によるものか執念か、《エンタープライズ》の慈悲か。幸か不幸か一命を取り留めた煉の惨たらしい姿を見た紫燕は、ただただ彼が人間でなくて良かったと思った。不謹慎といわれようが、心の底から、本当に、そう思った。



「……聞こえるか、島風。少しでも意識があるなら、何でもいい、反応してくれ」



イヅルは慎重に煉を抱き起こして、支えるように抱きとめながら問いかけた。彼の体は血なのか機械油なのかもよく分からない液体でべったりだった。その上やはり強い衝撃の所為で一部はぐずぐずになっており、その部分に触れてしまうたび、意識が飛んでしまいそうになるほどの恐怖と不安が込み上げた。少しでも間違えば、ぼろぼろと崩れてしまいそうだった。


 イヅルが息を詰まらせながら煉を抱きかかえているうちに、慌ただしく駆ける足音がした。それはたった今帰還した陽炎廉也のもので、帰るなり聞いた煉の状態を案じて、ずぶ濡れのまま駆けつけたようだ。


 抉れた脇腹と右足の腿もそのままで、追いついた整備員たちに捕まって手当を促されたが、廉也はそれに応じない。硬い表情で煉を見下ろし、息を呑んでいた。


 僅かに意識を残していた煉は、この状況を傍観していた。すでに自分が自分ではないような感覚というか、別の世界から俯瞰しているような感覚だ。背中に心地よい暖かさを感じながら、安堵する紫燕と硬い表情の廉也を正面に見る。


 この二人の感情はおよそ真逆で、そこが少し面白いと思った。だが今はそうして楽しんでいられる場合ではない。イヅルの呼びかけに少しでも応えなければと思うのだが、体は思うように動いてくれなかった。


 それだけではなく、聞こえていたざわめきの音量も落ちてきて、視界も少しずつ暗くなっていく。「兵器化」の感覚に似ているが違う。別の何かと入れ替わるのではなくて、どちらかといえばブラックアウトに似た感覚だ。


 今落ちてしまえば、もう二度と目覚めることはないかもしれない。そうなる前に、少しでもなにか残さなければ。そう思って口を動かしてみるけれど、掠れた吐息が漏れるばかりで声帯は振動してくれない。



「! 島風……!」



 煉の行動に気付いたイヅルは、嬉々として彼の顔を覗きこんだ。薄く開いた目に生気はなかったが、こちらに何か伝えようとしていることが見て取れた。生きている。確かに生きていて、「島風煉」としての意識もある。ただそれが嬉しかった。


 心底安心したようなイヅルの顔と、その彼の肩を叩いて何やら囁いている宮下の遣り取りを見た煉は、交戦後のことを考える。俺が撃墜された後、誰が《エンタープライズ》に充てられた? まだ誰も行っていないのなら、こんなところで俺に構っていないで次の手を打つべきだ。でも、誰が行くんだ? 今動ける空戦型は全て出払っているし、紫燕もだいぶ復帰できているが本調子ではないはずだ。


《ドレッドノート》も《サイドリッツ》も撃墜したと、遠征中に通信で聞いた。《シャルンホルスト》とは現在も交戦中だそうだが、箍の外れた清代が相手なら、無傷で返すようなことはないだろう。あいつは戦士としては優秀だった。扱いづらい陸戦型のときは大した成果も挙げられず燻っていたが、空戦型に改良されてからは目に見張る飛躍ぶりだった。


 まあ、あいつがいれば大丈夫か……。そういえば、俺は何を考えていたんだっけ。何かを言おうとしていた気もするが、ぼんやりしていて思い出せない。朦朧として思考もままならなくなった煉は、小さく息を吐いて目を閉じた。


 まあいいか、取り敢えずぱっと浮かんだことでも言っておけ。暗闇に引き摺り込まれるように意識が遠退いて、現世から断絶されるような気分になった。それでも恐怖や安堵はない。他人事みたいだ。


 完全に意識が消える直前に思い出したのは、落ちながら見た生意気な小娘の姿だった。勝ち気ににやと笑うあいつは、アヤとおなじ顔と色をしているくせに態度はまるで似ていなかった。大人しくて素直なアヤを穢された気分になって胸糞悪い。



「……あれはアヤとは違う」



久々に込み上げた感情を懐かしく思いながら衝いて出た言葉を最後に、島風煉は意識を手放した。

 


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