第9部 熾烈①


 連合国が協力し合い、各国の新型兵器を持ち寄って極東帝国を叩く。今回はそういう単純な作戦なのだろうと、太平洋を見下ろしながら飛ぶ吹雪鈴世は思った。


 ブリタニアの《ドレッドノート》撃墜を命じられたのは、六号機《オモイカネ》の吹雪鈴世と七号機《ウズメ》の綾波奈津子だった。あれが島風煉に酷似していることから、付き合いが比較的短い自分たちが充てられたのだろう。それには納得しているものの、不安は常に付き纏った。果たして、煉に酷似した相手に太刀打ちできるのか。それが一番の問題だった。


《ドレッドノート》は島風煉に酷似している。本体の容姿と兵装がほぼ同じで、その体を構成する遺伝子自体も似せられているらしいと聞いた。多少の劣化があるとしても、現在ではSA-00型最強と謳われている初号機《イザナギ》同等の戦力であることも懸念される。出撃の準備をしながら、岐山イヅルはそう言っていた。


 実のところ、訓練の手合わせでさえ煉に勝てる者は少なかった。アヤとはよく接戦になっているのを見たけれど、それ以外はほぼ瞬殺だった。というのも、この二人は他と比べて圧倒的に多い実戦経験がある。


 煉は裏社会で暗躍、アヤは訓練所に閉じ込められ、四六時中ひたすらに過酷な戦闘訓練を。これでは差がついてしまうのは当然のことだった。自分たちが学校に行き、惰性的に学問を修めている間にも、彼らは実戦を重ねていたのだから。


 演習や訓練で圧倒的な強さを見せつけていた彼らを思い出し、鈴世は絶望的な気持ちになった。それに加えて、同時に出撃した奈津子はこの作戦に乗り気ではない。煉に似た相手と戦えだなんてと、出撃前にイヅルに食って掛かっていたのを思い出した。



 奈津子は優等生だが秀逸ではない。それが鈴世の、彼女に対する印象だった。真面目すぎるというか情に厚いというか感情に流されやすいというか……人としてはとてもいいことなのかもしれないが、それを作戦に持ち込まれるとなかなかに困る。《ドレッドノート》の撃破は一人では難しいけれど、二人ならなんとかなる――と思っていたのに、その相方がこんな調子では不安も募る。


 それを振りきるために今回の作戦を復習してみたけれど、思い浮かぶのは奈津子との連携失敗というマイナスの結果だった。果たして、一度も勝てたことのない煉に酷似した、《ドレッドノート》に勝つことはできるのか。戦争のためだけに造られたらしいあれだって、かなりの戦闘訓練を積んでいるはずだ……。



『似てはいても、同等であるはずがない』



 悲観的な思考が渦巻き始めた鈴世の脳裏に、ついさっき聞いたばかりの声が蘇った。それは緊張感に包まれた司令室にふらっと現れた、宮下一都の声だった。《ドレッドノート》について「似ている」や「同等の可能性」を多用して説明するイヅルに反発するかのように発せられた言葉で、その声色は不服そうに感じられた。


 その他にも、色が違うとか質感が違うとか、そもそもクローンの細胞はオリジナルより劣るのだとか、そういう細かいことを言っていたっけ。あと、自分ならもっと上手く作れるってぼやいていた気がする。


 その色や質感や出来栄えについてはよく分からないけれど、それはまあ置いておいて、確かにそうだと思い直した。見た目や行動パターンが類似していたとしても、彼と共有してきた時間や苦楽まで複製できるとは思えない。煉は煉、《ドレッドノート》は《ドレッドノート》。彼らを区別し、割り切れる自信はある。鈴世は大きく深呼吸して隣の奈津子を横目で見た後、眼前に迫る《ドレッドノート》を見据えた。



 程なくして《ドレッドノート》の姿を確認し、その瞬間に戦闘は開始した。容赦なく機銃掃射してくる《ドレッドノート》の弾丸を躱すのがやっとで、ものの二分程度で形勢不利になってしまった。なんて情けない、それでもお前はSA-00型なのか。奈津子は自分自身で叱咤して、あまりの不甲斐なさに奥歯を噛み締めた。


 自分の力量不足は重々承知しているつもりだが、こうして力の差を突きつけられると悲しくなる。が、今は落ち込んでいる場合ではない。鈴世の準備が終わるまで、盾くらいにはならなければ。半ば無理やり自身を奮い立たせて、奈津子は《ドレッドノート》を睨みつけた。



『何なのよ、こいつ……!』



 苛立った奈津子は吐き捨てるように唸る。目の前のそれは煉のようだが煉ではなくて、それと同時に煉ではないが煉のような気もしてくる。なんだか、わけがわからなくなってきた。


 一度、記録係として煉の出撃に同行したことがあるが、この《ドレッドノート》の行動は彼そのものだと思った。もとの身体能力が高いせいか動きも素早く、兵装に至ってはえげつないほどの威力がある。かすっただけで表面を抉られ、痛みはないものの脳髄を揺さぶられるような強い衝撃を感じた。痛みがない……というのは厄介なもので、人体でいう右手指にあたる右翼の機銃を削ぎ取られてしまっていることに、今しがた気がついた。一体これは何時から失くなってしまったのだろう。奈津子にはそれさえも分からなかった。


 果敢に立ち向かう奈津子が弾幕を張っている最中、鈴世は二機よりも上空で《ドレッドノート》の動きを読み取っていた。


《ドレッドノート》らバイオロイドは、脳が未完成な可能性が高い。

 よって自ら考え、動くことの程度が低く別途プログラミングされている可能性がある。


 出撃前に宮下一都から聞いた、これらの言葉の正否を確かめるためだ。今見る限りでは動きはややぎこちなく、どこか機械的だ。行動もワンパターンで、「考えた行動」というより「決められた行動」と言ったほうがしっくり来た。


 宮下氏の予想通りか。これは人間相手というよりも、従来通り機械相手と考えた方が良さそうだ。鈴世はその方向で策を練ろうと考えたが、駄目だ、「従来通り」で考えてはいけない。なんせあれは、これまでの戦闘機よりも幾分早いし破壊力も大きいのだ。


 そう考えたところで《ドレッドノート》のミサイル発射管が、ぎぎぎ、がちんと嫌な音をさせて鈴世に向いた。いつでも発射可能だと言わんばかりに、十二門全てが開き灰色の弾頭を覗かせている。その事実を受け止めたと同時に《ドレッドノート》の藍色の目を見てしまい、鈴世は息を詰まらせた。


 ひどく冷たいというか、何を考えているのか分からない、寧ろ何も考えていないのかもしれないその目の奥には何もない。この目は前に何度か見たことがある。理不尽な要求を叩きつけられたときの煉もよくこの目をしていて……そんなときは決まって、その要求を快諾するのだ……。


 私は、本当にこれを撃ち落とせるのか。


 一時的に感情を絞め殺した煉と、機械と決め込んだ《ドレッドノート》を完全に重ね合せてしまった鈴世は、自分に狙いを定めるそれを目の前に何もできないでいた。敵だったとしても、もしかしたら話せば分かってくれるのではないか。あの人だって、粗野で横暴なこともあるけど面倒見の良い気さくな人だったじゃない……いや違う、あれは違う島風さんじゃない。ただ見た目を似せてあるだけだし、あの人の目は藍色じゃなくて空色だし。似てはいても同等ではない。頭では解っているはずなのに、次々と湧き出る否定と肯定が絡み合って結論が出せない。


 割り切れる自信だってあったはずなのに、実際はなにも割り切れていないじゃない。負けじと八門のミサイル発射管を向けたけれど、発射命令を躊躇っていた。ただ脳で考えればいいだけなのに。『撃つ』と思うだけでミサイルは《ドレッドノート》へ向かっていくのに、どうしてそれができないの。


 自分の甘さと愚かさに悔い恥じながら、発射管の奥にエンジン点火を意味する強い光を見た。自分と《ドレッドノート》の速度と火力は比べるまでもなく、今撃ったところで攻撃は届かず完全に手遅れだ。


 私も、皆のように兵器化が進行していればよかったのに。他の人たちが情動の暴走と鈍化を自覚し申告していく中、自分は痛覚の喪失以外になにも認められなかった。大人たちはそれを「いいことだ」というけれど、こうして躊躇いが生じる以上、決していいことではないと鈴世は思う。大きな変化を感じるたび、以前と同様にいちいち感情を揺さぶられる鈴世は、兵器化の停滞が心から憎らしかった。


 その様子を《ドレッドノート》の下で見ていた奈津子は、単純に「これはまずい」と思った。このままでは鈴世が大破どころか完全に破壊されて回収不可能になってしまう……コマ送りで流れていく《ドレッドノート》の挙動を見送りながら、奈津子は朦朧とし始めた意識でぼんやり思った。


 景色がゆっくり流れて見えるのは、もうそろそろ終わりが近いということなのだろうか。いや、そんなこと今はどうだっていい。はやくあいつを仕留めなければ、永遠に鈴世を失うことになる。ほとんどの兵装を削ぎ取られてバランスの取りづらくなった体を持ち直して、現場を見上げた。


 幸か不幸か、あれは完全に鈴世に集中していてこちらを気にしていない。奈津子は今持ちうる全ての力を開放して、《ドレッドノート》へと突っ込んでいった。自棄になったわけでも、錯乱したわけでもない。ただ単にこれが今の自分にできる最良のことだと判断したからだ。


 私は未熟者な上に凡才だ。すぐに感情的になってしまうし、戦闘の才能だってない。そんなもんだから、折角SA-00型の一員として生き残っても『予備品』としてしか扱われず、期待されもしない。悔しかった。自分だって元軍人で戦闘経験もあるのに、民間人の混ざるSA-00型の中でも成績順位は下から数えたほうが早かった。


 特に脅威に感じていたのがこの吹雪鈴世で、未経験者だったのに、航空戦術を数回教えただけであっという間に上位に食い込んだ。みつきや清代が「奈津子は教えるのが上手いから、戦闘員より教職のほうが向いてるのかもしれないね」と言ってくれたが、それを受け入れることはできなかった。


 他の職になんて興味はない。私は戦う必要がある。戦って強くなって、誰かを守ることができるようになれば、姉のような大切な人を亡くさずに済む。奈津子はそう信じていて、戦闘員という職に固執していた。「才能がない」と言われる度、オペレーターや教官への転向を薦められる度、ヒスを起こして猛反発していたのはそのせいかもしれない。


 鈴世のことを恨み妬んだこともあったけれど、あの人見知りな子が漸く懐いてくれた瞬間とか、一生懸命に航空戦術を学ぼうとする姿勢とか、聡いけれどちょっと天然ボケなとこがあるとか、そんなことを思い出してしまって心底嫌いにはなれなかった。私にとって可愛い妹分なのだ、あの子は。


 結局あのときもヒスを起こしてしまって、みつきと清代に大変な迷惑を掛けてしまった。いい加減に謝りたいけれど、それはもうできないかもしれない。余裕があれば、鈴世に伝言しよう……。そう考えている間にも、《ドレッドノート》との距離は縮まっていく。あと少し。あと少しすれば、あいつ諸共弾けて消える……。


 その距離が五メートルを切ったとき、今までにない衝撃が体を貫き、耳を劈く爆音が響いた。衝撃と爆風に煽られてあっという間に失速して、ぐるんと回った世界の中に奈津子が見たものは、遠ざかっていく空と筋状に伸びる赤黒い液体だった。視界の真ん中に見える逆光を受けた《ドレッドノート》のミサイル発射管は、全てこちらを向き白煙を上らせている。鈴世が浴びるはずだった砲弾の雨を浴びたのだと理解するのに、大して時間はかからなかった。


《ドレッドノート》の視線はこちらを向いていて、今度は鈴世のことを気にしていないように見えた。同時に複数の相手とは戦えないのだろうか。そういえば、あの見慣れないにやけ面の学者は、「脳が未発達の可能性がある」とかなんとか言っていたっけ。


 まあそれはともかくとして、これでもう鈴世は大丈夫だろう。今のうちにあの子がミサイルを撃てば、《ドレッドノート》は私同様になる。さあ、今度こそ躊躇わずに行け。内地の平穏は、お前の一撃に懸かっている……。所々バラけて感覚のなくなった体を落下させていった奈津子の意識は、海面に叩きつけられる前に落ちて消えた。



 鈴世は《ドレッドノート》越しに、全身に穴を開けながら笑って落ちていく奈津子を見た。不敵にニヤと笑った彼女に「しっかりやれ」と言われた気がして、負の感情が一気に抜け落ちていく思いになった。それと同時に左翼下の機銃から弾丸を発射し、《ドレッドノート》の肩口に穴を開ける。再び向けられた藍色の目に一瞬ぞわとしたが、歯を食いしばって耐えた。


 私は兵器だ。もう普通の女の子には戻れない。守るために戦い続けなければならないのに、そこから目を逸らしていた自覚はあった。一番年下だからか甘やかされている自覚もあって、可愛がってくれる兄や姉のような彼らに甘えているのもまた事実だった。『情報戦の要』だなんて期待されていながらも大事な局面では怯え、逃げ続けた結果が今だ。今までみたいに守ってもらう立場にいてはいけない。仲間を一人墜とされるまでそれに気付けないなんて私は馬鹿だ。


 奈津子の行為を無駄にしないためにも、内地まで進攻させないためにも……今度こそしっかりやらなければ。鈴世はひとつ息を吐いて脳内を整理し、《ドレッドノート》に冷えた目を向けた。その目をスッと細めて見下ろし、撃墜の様子をシミュレートする。


 あれが粉微塵に爆散する様までを想像してみたけれど、今度はなにも感じなかった。もう、お前がどうなろうと知ったことではない。確実に仕留めて、役目を果たして見せる。そうしなければ、奈津子に合わせる顔がない。なにより、一番気にかけ育ててくれた彼女に「勝ちました!」と笑って報告したい。それから、足を引っ張ってしまったことも謝らなきゃ……。


 奈津子に全てをぶつけたことで空になったミサイルを再充填するには、最低でも十分はかかるはずだ。奈津子が完全に落ちたことを示す水飛沫を見届けた鈴世は、丸腰になった《ドレッドノート》に向けていた発射管全てを開放して、強く発射を命令した。



          ※



もともと地上を駆け回る陸戦型だったが、時代遅れだと空戦型に改造されたのは半年ほど前のことで、それ以来、陸空両用として駆り出されるようになった。最前戦に立っていながら不意に過去を顧みた白露清代は、私ももう終わりだな、と思った。


 もう随分慣れたとはいえ、航空学だとか航空戦術だとかは本当に意味がわからず苦戦したものだ。分からなくてもまあ何とかなるだろうと決め込み、安易な気持ちで出たために非ぬ方向に飛ばされてしまった初飛行のことを不意に思い出す。


 SA-00型は自分自身が兵器であるため、航空機を操縦する必要がない。しかし実際は操縦が必要で、その違いは手回りの機械を操作するか、脳内で思い描くだけかだ。複雑な操作手順を覚える必要がないだけで、浮力とか揚力とか気流とかを考えながら動かなければならなかったのに、地上を歩く要領で前進したのがまずかった。上昇下降だとか旋回だとか以前の問題で、真っ直ぐ前進するのもままならなかった。


 その様子を見物にきた空戦型の面々の反応は様々で、アヤは大人しく傍観、紫燕は失笑、煉に至っては指をさして爆笑していた。あいつめ、許さん。


 奈津子にはみつき共々散々怒られて、多少の知識はないと駄目だと指導された。彼女の指導は仕組みまでしっかりと教えてくれて、感覚でものをいう他の三人に比べて格段にわかり易かった。


 わかり易い上に熱心で、落第しかけた残念な脳味噌にも根気よく付き合ってくれる。おかげで問題なく動き回れるようになり、こうして出撃も可能になった。奈津子には感謝している。この戦闘が終わったら、目一杯甘やかしてやろう。こうしてまた目前の戦闘に直接関係のないことを考えだした清代は、意外と余裕のある自分に驚いていた。まあ、こうして余計なことを考えているのは余裕があるわけではなくて、ただ散漫なだけなのかもしれないけれど。


 緊張感に欠けている……と思われるだろうが、ミクロネシア近辺の空に漂う異様な緊張感はしっかりと察知していた。いつもとどこか空気が違う。より張り詰めて感じるのは、イヅルたちから聞いた前情報のせいだろうか。それとも、自分たちと似たものが目の前にいるからか。ゲルマニアの国章が刻まれた《シャルンホルスト》を眼前に見据えて、清代は唇を舐めた。この緊張感は、存外嫌いではない。


 なぜSA-00型の中でも期待値の低い私達が、敵国最新鋭に充てられたのか……という疑問はある。きっと理由は簡単で、ただの消去法だと清代は思っていた。アヤも紫燕もまだ完全復帰していないし、煉は《エンタープライズ》に充てられる予定だ。廉也と涼平は海戦専用型だし、大記は劣勢に傾いて以来、修復作業に専念するため戦闘には出ないことになっている。


 そうして残ったのは、期待度の低い――涼平の言葉を借りれば「予備品」ばかりだった。きっと負け戦だと決め込まれているのだろうが、だからといって卑屈になるつもりは清代には一切なかった。「予備品」には「予備品」なりのプライドがある。誰にどう言われようが、いつだって勝つつもりだ。


 脳が目標を認識した途端、箍が外れたかのように闘争心が跳ね上がった。膨大な破壊衝動が脳内を占めて、まるで別人になってしまったみたいだ。こういうときは自分の意識はどこかへ行ってしまうから、戦闘中は記憶がない。ここ最近はずっとそうで、今だってもう「白露清代」の濃度はかなり薄い。いくら苛烈な戦闘になろうとも、最後に良心は残しておく必要があると清代は思っている。


 その良心とは、共に出撃している橘みつきだ。彼女は稼働当初から「極めて戦闘向きではない」と診断され、それ以来補給や記録としての出撃が多い。実際に身を削って戦うことが極端に少ないせいか、本当にまだ『兵器化』が殆どないのだ。


 きっと私は、これから破壊の限りを尽くすだろう。だから《シャルンホルスト》以外に害を加えるような事態になり次第、私を撃墜してくれとお願いしている。無責任だとは分かっていたが、自我が失くなってしまう以上、そうするしかなかった。


 あとは任せたぞ、みつき。そう思いながら彼女を横目で見た清代は、薄れて消えかけたはずの意識が再構築されるのを感じていた。跳ね上がった闘争心をかき消されてしまうほどの気がかりができてしまった。みつきは清代の後方で進行を止め、浮遊したまま動かなかった。



 橘みつきは、どうしてもこの場から動けなかった。もう少しでも前進してしまえば《シャルンホルスト》の射程圏内に入ってしまい、そうすれば戦わなければならない。だけど、私にはそれができない。一瞬だけあれの本体をみてしまったのだけれど、あれは間違いなく彼だった。



「……和兄……」



 呆然とした表情のまま、みつきは呟く。和兄もとい石田和樹のことはよく知っている。馴染みがあるとかないとかそんな次元の話ではない。彼は戦後間もなく亡くなってしまった、従姉妹の最愛の人だった。


 前回の大戦を鹿児島で経験したみつきは、空襲で家も家族も失い、親戚一家に引き取られることになった。戦争の影響で窮困して、子供一人を余分に育てる余裕なんてなかっただろうに、今塚いまづか家は快くみつきを受け入れてくれた。


 今塚家は軍指定の旅館を営んでおり、戦争で旅行どころではなくなっても多忙だった。主にみつきの世話をしてくれたのは一人娘の敬見たかみで、学校帰りによく遊んでくれたり、家事を教えてくれたりしたものだ。みつきにとっての敬見とは、姉であり母のような存在だった。


 そんな彼女の恋人に初めて会った日を、今でも良く覚えている。桜が満開の暖かい春の日だった。軍人だったために毎日会うわけにもいかなかったが、週に一度だけ、訓練終わりに旅館近くの川沿いで逢瀬を重ねていたようだ。幼いながらにも「自分がいたら邪魔になる」という意識はあって、できるだけ近づかないようにと姿を消すように努めていたっけ。


 立場的にも不自由が多いのだし、本当なら少し我慢して二人きりになる時間をつくってあげるべきだったのだが、「そんなに気にしなくてもいい」と言われてからはあっさりそれをやめた。幼い子供だったせいか寂しさに勝てず、二人の好意に甘えたのだ。


 恋人同士の大事な時間を奪うなんて、今となっては信じられないことだ。当時の自分を思い出しては殴ってやりたい気分になる。それは今でも変わらず、一人きりになってしまった敬見に会ってはこんな気分になるのだった。


 和樹は、良い兄だったと思う。他所の子でしかない自分ともよく遊んでくれたし、優しかった。「敬見ちゃんを幸せにしてくれるから大好き」だと告げると、彼はいつも照れくさそうに笑う。敬見とこっそり覗きに行った訓練で見た凛とした表情も好きだが、この優しげな表情も好きだ。


 寄り添う二人はいつも幸せそうで、この戦争さえ終われば二人は結ばれるものだとみつきは信じて疑わなかった。だから、和樹が死んでしまったという現実が、未だに信じられなかった。


 それ以上にもっと信じられなかったのが、死因が自殺だということだ。自殺だったということも、その理由が「穢した民族の誇りを浄化するため」だったということも、当時の基地に勤務していた涼平から聞いた。よく理解しないままに問い詰める小娘相手にも涼平は丁寧に答えてくれたが、あの理由については今も理解できないままでいる。


 自殺の先に、敬見と共に在る以上の幸福があったのか。


 それは今でも胸の内でひっかかっていて、時折思い出し、あの頃のように涼平に問うては「幸福とか幸福じゃないとかの話ではない」と言われ、またその度に小首を傾げる。一向に理解に近づけないのは、私が馬鹿だからなのか、同じ立場に立てないからなのか。もしかしたらそのどちらもなのかもしれないが、だとしても彼女の目の前で死ぬなんてあんまりじゃないか。



「どうして……どうしてここにいるの、和兄……!」



 交戦していた清代からみつきへ標的を変え、勢いを殺さず迫る《シャルンホルスト》に、彼女の叫びは届かない。まあ全くの別物だから届くはずもないのだけれど、あれと和樹を分けて考えられないみつきにはそれが分からなかった。


 問いかけても、《シャルンホルスト》の黒い目はものを言わない。あのときもそうだった。「どうして敬見ちゃんを置いていったの」と聞いても、高温で焼かれ粉々になり、陶器の壺に収まってしまった彼は何の答えも残してくれなかった。和兄は私のことが嫌いなのかな。そんなことを思いながら《シャルンホルスト》の砲撃をもろに喰らったみつきは、呆気無く海へ堕ちた。



『五号機《コヤネ》に撤退命令! 白露、至急帰還して下さい!』



 耳元から切迫した慶咲の声がしたが、清代はそれを聞かなかったことにした。すぐそこにいる《シャルンホルスト》は、みつきを墜としてすぐにぐるりと方向を変え、黒い双眸をこちらに向ける。同時に蜘蛛の足のような発射管もこちらに向けて、ニヤリと薄気味悪く笑った。


 その瞬間、かき消されたはずの闘争心が跳ね上がった。


 体の奥底がかっと熱くなって、すでに展開されているはずの兵装が、更に展開しようとしているような感じだった。ゾクゾクした。《シャルンホルスト》に戦慄しているわけではない。歓びの余りに全身が震え、清代の思考は一気に破壊衝動一色に塗り替えられた。みつきは今頃海の中。もうじき回収班が出動してくれるだろう。つまり今は……気に掛けるべき『障害物』が一切ない。


 思い切り壊せる。目一杯暴れられる。僅かに残った「白露清代」がやめておけと警告するが、それでもこの歓喜と興奮は消えず、却って邪魔をするなと自我を追い出そうとする。興奮でだらりと垂れ流れた涎を軽く拭い、《シャルンホルスト》と視線をかち合わせたところで白露清代の自我は完全に消えた。


 同じく自我を持っていないらしい《シャルンホルスト》との交戦は苛烈を極め、ミクロネシア周辺一帯は地獄と化した。砲弾の雨が降り注ぎ、島は抉れて海は沸く。容赦無い被災地拡大が喰い止められたのは、破壊の限りを尽くした双方が力尽き、墜落したあとのことだった。



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