第8部 束の間の沈黙③
良くないこと、というのは立て続けに起こることなのだろうか。全く予想していなかったことを目の前に、煉はただ立ち尽くしていた。
「……どうしてお前が、」
「どうしてなんて。あの時からずっと探してたんだから」
薄ら笑いを浮かべて立ちはだかるのは、涼平の妹である初春
正直な話、煉は篤子が苦手だった。何を考えているのか分からないというか、自分の常識の範疇から大きくはずれているというか、とにかくどう頑張っても理解ができない未知の生物だというのが、煉の篤子に対する印象だった。煉が戦後数ヶ月のあいだ居候させてもらっていた初春家から出て行ったのも、彼女が原因だった。
涼平が連れ帰ったその日から、篤子は彼を気に入っていた。煉も煉でよく懐く篤子を妹のように可愛がっていたのだけれど、その「好き」の種類が全く異質なものだと気づくのに、大して時間はかからなかった。
人目を盗んでは煉くん、好きと妙に熱っぽい視線で見つめながら擦り寄ってくるたび、嫌悪感に似た感覚が湧いて出て、ぞわと全身が粟立った。別に篤子のことが嫌いだったわけではなく、理由も出処も分からない好意をぶつけられるのが、堪らなく気持ち悪かった。
誘うように身を寄せられるたび、馬鹿なことをするなと突き放して拒む。何度説き伏せても彼女の気は変わらず、また煉の気が変わることもなく、言い寄られては拒むの繰り返しは連日続いた。その終わりの見えない繰り返しにいい加減嫌気が差して離別したのに……どうしてお前はここにいるんだ。一気に絶望的な思いになった煉は、憚りもせず溜め息を吐いた。
「こんなとこに来るくらいなら兄貴に会いに行け。あいつなら、」
「煉くん」
嘗て嫌というほど聞かされた声色がすぐそこに聞こえ、それは煉の背筋を凍らせた。あれから十年以上が経ち、篤子も二十歳を超えた。少女から女になった篤子の艶は増して妙な色気があったが、それでも煉が揺らぐことは微塵もない。こちらを射抜く熱っぽい視線がなんだか恐ろしくなって、煉は一歩後退った。
「好き」
後退るよりも詰め寄る方が速くて、あっという間に煉の体に篤子の腕が絡む。背伸びをして耳元で囁く声は甘ったるく、その姿は健気でいじらしいとされるのだろう。傍から見れば。しかし煉にとってそれは決して良いものではなく、途端に全身がぶわと粟立ち、内部に飼った兵装の展開を察知した。兵器と化した「煉」が、《イザナギ》が、初春篤子ヲ敵と見ナしてイル――。
視界が戦闘時のそれに変わり、眼球を覆う照準器が彼女を捉える。主導権を握りたがる兵器に感覚を奪われ、スッと無音になり遠のいていく意識を、墜ちる既で捕まえて強引に引き戻した。
いや駄目だ駄目だ、こんなところで生身の人間相手に展開するなんて。そんなことをしたら、飛び出た兵装に巻き込まれて、篤子も近くにいる太一も死んでしまう。篤子が死ねば涼平が悲しむし、太一が死ぬのは俺が嫌だ。
内部の《イザナギ》を必死に宥めて抑えている間、器である煉の体は無防備だった。その苦労を知らない篤子に隙をつかれ絡め取られた煉は、もう後戻りできなくなってしまっていた。
※
どこもかしこも片付けつくした。秋月紫燕はすっかり綺麗になった自室を眺め、満足感に浸った。暇なときには大掃除に限る。整備室を隅々まで清掃した後、なんだか物足りなくて自室を掃除しはじめた。
だが元々そんなに汚れていなかったので、まだまだ物足りないといえば物足りない。他の奴らの部屋にも手を出したいと思ったけれど、流石にそれは止めておこう。知りたくないものを知ってしまう事態は避けたいものだ。
休暇を与えられても、外に家族や友人のいない紫燕はただ時間を持て余すしかなかった。廉也のようにしたいこともないし、アヤも今日は殆ど寝ているので話し相手にもならない。みつきと涼平、奈津子が近場へ出かけるのに誘われたが、いつも通り断った。ただの散策だったらそれを受けていたけれど、行き先が行き先だったから遠慮した。
彼らの出先は【神鷲記念館】とかいう、前回の大戦で人間兵器として戦った戦士らにまつわる博物館的なところらしい。奈津子の姉の遺品はそこにしかないらしく、それを確認にいくとか言っていたっけ。まあ目的がなんにせよ、嘗て敵だった奴らの遺影やら遺書やらを見に行こうだなんて少しも思えなかった。
仕方なく自室を出ると、いつも通りの適度な騒がしさを感じた。午前中は静まり返っていたのになぜ。そう思って身を乗り出して外を見ると、既に数人が帰ってきている。まだ日も落ちないうちに帰ってくるとは、することがないのは皆同じなのだろうか。つまらない奴らばかりだな……。自分のことは棚に上げて、紫燕はぼんやりと窓の外を見る。
悪態を内心でついた直後、ずぶ濡れになって歩く廉也を視界の端に捉えた。やっぱり潜っていたか。それしか能がないのかお前は。落ちる水滴を廊下に残しながら闊歩し、苛立った様子で荒々しく頬のナンバーを隠すフィルムを剥ぎ取る廉也の挙動を見届けながら呟く。それを敏感に察知したのか偶然なのかは知らないが、不快そうに見上げる琥珀色の目に睨まれてしまった。こんなに距離があるのに、こちらの気配と様子を感じ取るとは。一体どれだけ目と勘がいいんだ、この野生児め。
しかしまあこの距離なら手も出せないだろうと、ニヤリと見下すように笑む。眉間に皺を寄せる廉也を見ていると、休業中であるはずの館内放送のスピーカーが鳴いた。
《秋月紫燕。第一会議室へ、至急》
聞こえたのは確かにイヅルの声で、それはまた、切迫したような印象だった。こんな日に一体何があったのだろう。スピーカーを見上げて首を傾げた紫燕は、指示に従って急いで会議室へ向かった。
※
明かりを点けても薄暗い気がする会議室で、三人の男が対峙していた。前と同じように見張り役を頼まれた紫燕は、何かと倣ってくる白練と共に入り口に立っている。ここにいるのはイヅルと大記と、あとは誰だか知らない、薄気味悪い白衣の男だ。
きっとあれが、前に彼らが言っていた宮下一都なのだろう。そこまで探った所で、あとは警備に徹そうと思考を遮断した。さっきから宮下がニヤニヤとこちらを見ているが、俺はそんなの知らない。兵器になった影響か、目を閉じたって鮮明に状況を把握してしまうようになったけれど、そんなものは気のせいだ。今日ばかりはきっとそうだ……と自身に言い聞かせて、紫燕は無視を決め込んだ。
一方の宮下は、何の問題もなく動いている成功作を目の前にして歓喜していた。この数年の間に十体の成功作を送り出したが、実際に稼働しているところを見たことがない。自分は手段と仕組みを考えるだけで製造には従事しないし、そもそも次から次へ新たな計画を練らねばならず、完成品を見届ける余裕もなかった。
ここのところ失敗続きで、開発は停滞している。一旦は成功したように見えても三日程度の寿命しかない事が多く、十号機以来使い物になるものはできなかった。その原因はよく解っている。峯風大記の不在だ。かなり器用で繊細で丁寧なあれがいなくなった所為で、施術がだいぶ乱雑になってしまったのが致命的だった。
それを証明するかのように、彼が施術した三号機と四号機の性能は秀逸だった。あの二機には、SA-00型について回る『兵器化』の症状をあまり見ていないという報告を受けており、必須メンテナンスの度合いからもかなり状態は良好だということが見受けられた。まあ、残念なことに素材の質が悪いせいで戦績は思わしくないと聞いているが。
新規兵器開発計画――通称【高天原計画】は、中枢神経を構成する脊髄に細工するため、かなり精密な作業が必要になる。そのため手先の器用さを最優先にして技師を集めろと指示をしたのに、連れて来られたのは名声を最優先にした有名技師ばかりだった。
饒舌で頭でっかちで、飽く迄もメディア向きだというのが宮下の印象で、正直に言うと殆ど役には立たなかった。役に立ったのは彼らが勝手に連れてきた助手たちで、宮下が望むまでには至らないがそこそこ器用だった。彼らの頑張りもあって大記不在後も兵器製造に成功したのだが、そもそも反対派だった助手たちが開発室に居着いてくれるはずもない。ひとり、またひとりと去っていった結果が現在で、宮下も計画の終焉を予知していた。
だがそれは、宮下にとってはどうでもいいことだった。寧ろ望んでいたのかもしれない。彼にとっての【高天原計画】は、二号機完成の時点で終わっていた。歩留まりの低下が技量不足だと解りきっているのに、技術を磨くわけでもなくただ歩留まりを向上させる構成や技法を考えろと命じるばかり。研究や実験を自由にさせてくれるからと従ってきたが、そろそろ無能な軍令部に嫌気が差してきた頃だ。宮下は開発協力の要請を二つ返事で受理したが、別に極東軍のためではない。戦争用の兵器とかそんなものはどうでもよくて、宮下はただ、バイオロイドを作りたかった。
それは帝都中央大学で生物工学を専攻に学び、クローン技術の研究を続けていくうちに芽生えた欲求だったのだと宮下は思っている。機械ではなく、人と同じ仕組の人造人間。だけどクローンのように全く同じ遺伝子を持った個体をつくりたいわけではなくて、錬金術のホムンクルスのような人工生命体を作るのが、彼の夢だった。周囲の人間に馬鹿にされたり「狂っている」と貶されてもその想いは揺らがなかった。
この計画も、本当はクローン人間を作ることから始めたかった。細胞の培養段階で手入れをして、戦士向きの遺伝子を作り上げる。それを母体に移植して産ませて……と考えていたのだけれど、それでは時間も手間もかかりすぎるし倫理的に問題があると退けられてしまった。その代わりにと開発室から提示されたものが彼らの図面だ。
やたらと推された案は、その図面を参考に人体を改造し、兵器を造るというものだった。製作者の意図と開発室の意図は大きく異なるが、共通しているのは「人体を改造して強化する」ということだ。これは自分の専攻とは少し違っていたが興味は持てた。だから乗った。これも自分が望んだ人造人間製造の範疇か……と妥協した結果に進められたのが、この【高天原計画】だった。
こっちの方がバイオロイドよりも倫理的に問題があると宮下は思う。推す理由は何かと尋ねたところ、なんと「素材に困らず大量生産が可能だから」との返答があった。全く、価値観の相違とは恐ろしいものだ。
ある人物が吐き捨てたこの言葉は、会議中の宣言通りに宮下のものとして扱われている。その時点で非情な気狂いを演じる準備をしていたし、今まで律儀に遂行してきたが、そろそろ飽きたし疲れてしまった。ここは楽だ。それを取り繕わなくても、文句を言う人間はひとりもいない。
以前のような、狂気の沙汰の笑みはない。妙に清々しい顔つきで対面する男は確かに宮下一都なのに、イヅルはどうしても本人とは思えなかった。一体、彼に何があったというのだろう。できるだけ関わりたくないと思っていたはずの宮下が気がかりで仕方なく、イヅルは気を揉んでいた。
宮下がここに来たのは今日の昼過ぎで、なんの予告もないことだった。イヅルが彼に敵国の新型兵器について尋ねようとした直前で来訪し、開口一番「SA-00型が見たい」と言ってきた。
それを聞いたイヅルは警戒するのも忘れ、戸惑いながらもその要求を飲んで施設内へ案内した。生憎休暇をだしており、「呼べるのは大記の他に九号機の秋月しかいない」と言ったが「それでもいい」というから、こうして彼を呼び出したのだ。ただ素直に事情を説明したところで紫燕も動いてくれないだろうから、警備を頼むと伝えてある。
イヅルが宮下への警戒を忘れたのは、突然のことに驚いたというのも勿論ある。だがそれは一番の原因ではない。ひどく清々しく、達観したような彼の顔が、かつて嫌というほど見てきた特攻隊員たちのそれによく似ていたからだった。
「宮下。ここに敵国の新型兵器の資料がある。これについて、お前の意見が聞きたい」
イヅルは百合恵から提出された資料を差し出して、宮下に問うた。情報によると人造人間らしい、と言うより先に資料を手にとった宮下は、ものすごい勢いでそれを捲っていく。そこに書かれていたものは全て、宮下が望んでいたものだった。
「バイオロイドだね、これ。生体の人造人間」
これはきっと、作ったクローンの遺伝子をモデルの人間と類似するよう組み替えたのだろう。全く別人の体細胞から作ったものだから、似てはいるが決して同じものではない。それが顕著に分かるのが、ブリタニアの《ドレッドノート》だ。顔立ちや背格好は再現出来ていても、島風煉の特徴的なオッドアイの色合いを全く再現出来ていない。駄目だこんなの。こんな失敗作を世に出すとは、ブリタニアの研究者たちはなにをしているのだ。せっかくの機会なのに、中途半端なことしやがって。僕ならもっとちゃんとできるのに。宮下は、悔しさに歯噛みした。
「生身の人間に近いけど、こいつらの表情を見る限りじゃあ、感情らしいものはなさそうだ。まあ、人間の脳味噌をつくるのはかなり難しいからねぇ」
「……では、この《エンタープライズ》は? こいつからは朝潮と……十号機とほぼ同じ電気信号を感知した。その理由を知りたい。電気信号は、遺伝子みたく各個人で違うんだろう?」
素材に関しては君たちのほうが優秀だよ、と言う宮下を遮って大記は問う。本当は、人造人間の話が出てきた時点で《エンタープライズ》の正体はある程度予測していた。分割統治後の極東にはカメリア領もあったから、その可能性は無きにしも非ず。だがそれを断定できるまでの証拠も痕跡もない……。
そうして否定したがっている二人をよそに、宮下は弾き出された可能性を肯定してひとり懐かしい気分になっていた。そうかそうか、よくぞここまで。資料に目を落としたまま柔らかく笑み、その顔のまま二人を見た。
「そんなの、もう君たちだって解っているだろう。クローンだよ、ゲルマニアやブリタニアとは違う、本物のクローン人間。今は十二歳だね、その朝潮は。それを素材にして、あとはウチと同じことやってるみたいだな、カメリアは」
「……十二歳」
「そう、十二歳。クローンだって人造人間だが、だからといって現在のオリジナルと全く同じ姿をしているわけじゃない。同じ遺伝子を持った個体を新たに産ませるのだから、タイムラグは必ず発生する。カメリアと極東の関係性を考えると分割統治時代に作られた可能性が一番高くて、そう考えると最大でも十四歳。そこから培養期間と母体の妊娠期間を差し引いておよそ十二歳」
涼しげな顔で、緊張感も全くない様子ですらすらと言う宮下を目の前に、イヅルも大記も絶句していた。話についていけないというのが正直なところで、未知の世界を垣間見た衝撃は大きかった。
もっと宮下と計画のすり合わせをするべきだったとイヅルは思った。勝手な憶測に過ぎないが、きっと彼は自分とよく似ているのだろう。機械設計に傾倒し、それ以外を必要としなかったのと同じように、彼もまた生体工学に傾倒し、それ以外を必要としていないような印象を受けた。会議を通さず面と向かって話せば意外に普通だし、怒られるかもしれないが、大記と設計の話をしている感覚によく似ていた。
新しい知識を詰め込みすぎてオーバーフロー気味の頭を整理しながら、イヅルは小さく息を吐いた。一度に全部は理解できないとしても、せめて要点だけは抑えておかなければ。一旦話をまとめようと宮下に向き直ったところで、ブツ、と突然スピーカーの電源が入る音がした。
『総員に緊急連絡!敵機の電気信号複数確認、極東本土に接近中!硫黄島付近に《ドレッドノート》、ミクロネシア周辺に《シャルンホルスト》、レイテ沖に《サイドリッツ》、ハワイ方面から《エンタープライズ》極東周辺、包囲されています……!』
悲鳴に近い慶咲の声が響き、全員が一斉にスピーカーを見上げた。が、宮下はその例外で、この切迫した状況でも悠然と話を続けている。戦争など、全く意に介さない様子で。
「……まあ纏めると、《エンタープライズ》はもう一人の朝潮アヤを素材にした人間兵器ということだ。この交戦で勝てば、十二歳の少女を殺すことになるね」
放送終了と同時に部屋から飛び出していった紫燕を見送った、表情を一切崩さずに言う宮下が本気なのかふざけているのかは分からない。最後の一言は余計だと思うイヅルは、いつでも司令室へ飛び出せる姿勢を整えたまま、妙にはっきり物を言う宮下の目を見る。その目は驚くほどに澄んでいて、以前のような狂気は窺えなかった。しかしその目の色はやはり解読不可能で、何を考えているのかは一切わからなかった。
「……随分と詳しいんだな、お前は」
「まあね。あれを作ったのは僕だ、懐かしいな」
椅子の上で膝を抱えて座り、楽しそうに言う宮下に、イヅルと大記は再び絶句させられる羽目になった。……が、今ははぼんやり突っ立っていられるほどの猶予はない。驚くのは後だ。未知の部分が多い新型兵器に包囲されているのだから、それを打開する作戦を練らなければ。
これからの戦闘のために司令室へ向かって駆けだしたイヅルは、最後に宮下を一瞥した。やはりその顔は出撃前の特攻隊員のそれで、イヅルは心臓を鷲掴まれるような息苦しさを感じるのだった。
駆ける廊下の窓から、日没間際の夕焼けが見える。
綺麗なはずの赤い景色は、今日に限ってひどく禍々しく感じられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます