第8部 束の間の沈黙②
※
長閑な公園の遊歩道を、白露清代は歩く。こちらは悠悠閑閑としているつもりだったが、景色は足早に過ぎ去っていく。またも早足で進んでしまったか。そう思っては歩く速度を落としているのだけれど、気がつけばまた早足になってしまっている。この長年の癖は、いつも改善したいと思っているのになかなか変えられずにいた。
この早足と、目つきの悪さと愛想のなさのせいで怖がられることが多く、第一印象は最悪だった。女子校だったからか『危うい雰囲気が素敵』だと沢山の可愛い女の子たちから言い寄られることもあったが、上級生たちに目をつけられて喧嘩をふっかけられることも少なくなかった。
前者は正直満更でもなかったが、後者は本当に面倒でしょうがなかった。お前、ナメてんのか? とか身に覚えのないことを言われては、そんなつもりありません! なんてしおらしくしていたこともあったけれど、基本的に売られた喧嘩は買うような気の強い女の子だったから、最終的には女番長の座に居着いていたような気がしないでもない。いや、私も随分とやんちゃをしたものだ。
今思えば、看護師になれたことはまさに奇跡としか言いようがない。大抵の同僚や先輩、後輩のように可愛げがあるわけでも親切丁寧なわけでもないのに、国民女子の過半数が憧れるこの職に就いた。
本当はアヤや奈津子のように軍人になりたかったのだけれど、両親に猛反対されて断念せざるを得なかった。学生時代に散々親不孝なことをやらかしていたから、両親の悲しそうな顔をこれ以上見たくなかった、というのもある。
まあ結局、看護師と言っても私のレベルでは、実技試験のみでなれる従軍看護師が精々だったけれど。民間医療の看護師になるには、実技と筆記に加え、愛想と器量の良さも問われるのだ。
不謹慎といわれるかもしれないが、清代は兵器となった今のほうが楽しかった。別に戦争は好きではないけど、空気を読みつつ作り笑いを浮かべて他人の世話をするよりもずっとましだという思いがあった。
正直、私は戦力としては別段なんの役にも立っていないだろう。戦闘経験なんて勿論ないし、頭も良くないから戦略がどうこう言われてもよくわからない。他の人達が苦しめられている……『兵器化』とかいう症状はまだ現れていないと言われているが、清代自身はそうではないと思っていた。
以前よりも記憶力が悪くなったというか、考えることが少なくなったというか、思いつきで行動することが格段に多くなった。もともと他の人と比べれば奔放に動いていたけれど、さすがにこれは異常だ。異常だと思っていても特に危機感を感じないあたり、人間性は徐々に薄れて脳も壊れていっているのだろう。
でも、戦績が上がるならそれでもいいか。淡々と自己分析した清代は、ひとり微笑みながら歩き続けた。自然と上がる口角をそのままに、緩やかなスロープの上からの景色を眺める。まだまだ物理的な被害は本土に及んでいないようだと鮮やかに広がる新緑で確認し、これを守るためにも頑張らねばと自身を奮い立たせた。
目を細めて眺めていた新緑の隙間から、見知った姿がちらりと見えた。あれはよく知っている。小柄で庇護欲をそそるような愛らしさを持つ一方、近寄り難いほどの賢哲さを滲ませた独特な雰囲気を持つ少女は間違いなく吹雪鈴世だ。その隣には、お世辞にも爽やかとはいえない金髪の青年が歩いている。
あの子、絡まれてる……?
金髪の彼に自分と同じ臭いを感じ取った清代は、そう思って身を乗り出し凝視した。私の可愛い妹分に手を出すのはどこのどいつだ、なんていう親心に似た気持ちからの行為だったが、どうやらそれは思い違いだったらしい。彼らは楽しそうに談笑していて、とても仲が良いように見える。
「おや? おやおや……?」
さっきまでの獣のような目から一変して、にやにやと楽しそうに彼らを見下ろす。そういえば前に待機室で、『大切な友人』がいるとかなんとか言っていたっけ。そして「それは友達ではなく彼氏なのでは」と茶化して困らせたような記憶もある。聞いた特徴も大体一致しているし、彼がきっと、以前聞いた研修生時代の友達なのだろう。
※
吹雪鈴世は気も弱く大人しい非力な少女だが、頭の回転は恐ろしく早かった。
極東軍の情報局に勤める父の頼みでハッキングを行うことも度々あったが、その評価は上々で、僅か十五歳にして国家専属の諜報員として勧誘されるほどだ。父はそれを喜んで「是非どうだ」と薦めてきたが……戦争事業に従事するつもりが全くなかった鈴世はそれを断った。
特に目立つことのない、普通の女の子でいたい。いつもそう思っていたけれど、持って生まれた才と運命は、決してそうさせてくれなかった。軍事訓練生のときも、SA-00型のひとつとなった今も。
「わざわざありがとう、埼玉から来てくれたんでしょ?」
「まあな。結構距離あるよな、埼玉から鹿児島って」
思い通りにいかない世知辛い人生の中にも良いことはあるようで、鈴世はこの平穏な一時を楽しんでいた。二年ぶりに会う軍事訓練生時代の同期が遊びに来ていて、そのことに喜びを感じながら施設近辺にある公園を歩く。一番仲の良い友人の櫻井賢夸は、長閑な公園なんて凡そ似合わない風貌をしていたが、根は優しい、いい奴だった。
とはいえ第一印象は最悪で、本当にもう怖くて仕方なかった。金髪だし厳ついピアスは沢山ついてるし未成年のくせに喫煙者だし、よほどの重要性がない限り関わりあいになりたくない存在だった。彼に限らずこの時にできた友人の殆どがそうで、一生付き合うことのない人種だと思っていたから、今このように仲良くなっていることに心底驚いている。
でも当時は驚きよりも絶望の方が大きく、手違いなのか仕組まれたのかは鈴世には分からないが、陸軍歩兵科に配属されたと通知された時点で人生詰んだと思ったほどだ。陸軍歩兵科は、極東軍内で最も凶暴で粗野と言われている科だった。どうしてこんなことになったのだろう。私が希望していたのは通信科だったのに。
仲良くなったのは、研修中に助けられたのがきっかけだった。ある一人の青年に絡まれたのが事の発端で、荒くれ者揃いの中の物腰柔らかな存在に気を許してしまったのがいけなかった。『よかったら演習、一緒に組まない?』と申し出てくれた彼に、鈴世が安心して心を開きかけた途端に本性を表しだした男は狂っていた。
妙に接近してくるし、散瞳しているし、何か腐敗臭がするし……とにかくまともではなくて、彼の醸し出す雰囲気から「殺されるかも」と直感した。まだ承諾する前のことだったし大丈夫だろう、とその場でお断りしたのだが、彼はそれをすんなりと受け入れてくれなかった。
『ねえ、どうしてそんな事言うの。どうして僕と一緒はいや? ねえ、ねえ、ねえ、ねえ』
あまりの恐ろしさに逃げ出したけれど、無表情に呟きながら纏わりつくように迫ってくる彼を振り切ることはできなかった。悲鳴を上げる鈴世をしっかりと捕まえて、腕を腰に回して逃げられないようにした後、頸に手を掛けて締め上げる。
そういえばこの歩兵科は、訓練中の『事故』が一番多い兵科だったっけ。鈴世はニタニタ笑う、物腰柔らかなはずだった男をぼやける視界に捉えながら、訓練履歴の中に見た殉職者数の圧倒的な多さを思い出した。
血気盛んな奴らが多く配属されがちな兵科だ、きっと今の自分みたいに死んでしまった人も数人いるに違いない……。そう思ったところで息苦しさから解放され、支えを失くした鈴世は地面に崩れ落ちた。横たわったまま見たのは、物腰柔らかだった男を殴り飛ばす金髪の男。研修生の中で一番苦手だと思っていた櫻井賢夸だった。
殴り飛ばしたあとに『吹雪鈴世は俺のもんだ!』と叫ばれて以来、彼を中心としたグループに組み込まれることになった。華奢だし気弱だしで信頼なんてされるはずもなく、ただ「櫻井がそう言うなら仕方がない」といった雰囲気は否めなかった。
怖いしこんなところからさっさと立ち去りたい、と言う気持ちはあったけれど、どういうわけだか助けてくれた賢夸が信頼し、気にかけてくれているというのなら少しでも貢献しなければという思いもあった。自分にできることはなにか……と考えたときに思いつくものは情報戦で、とにかく情報を集めて有利な形勢を整えることに努めたのだった。そうしているうちに認めて貰えて、最終的には賢夸同様にグループの中心になっていたらしいが、それは鈴世の与り知らぬところだった。
この軍事訓練、というか配属された歩兵科で一年を過ごすのは嫌で嫌で仕方なかったけれど、終わってしまえばいい経験だったと思う。これがなければ今以上に引っ込み思案で、それこそ何もできない子になっていたと思うのだ。それに、予想外の友人もできた。第一印象は最悪だったけれど、今は違う。無法者に見えるが根はいい奴で、素直で嘘も殆どつかないから手放しに信頼できる。好きだ。
鈴世は進学したが、他の友人たちはそのまま軍人になった。研修を終えてから二年は過ぎていて、それぞれ別の道を歩むことになったがその関係が変わることはなかった。鈴世がSA-00型の一人だと知るやいなや、連絡を入れてきたのは彼らだった。
すげぇなお前! 大丈夫だったか? お前は生き残れたんだな。電話口で一斉に喋る彼らを思い出すたび、胸のあたりが暖かくなる。一昨日に電話がかかってきたときも、休みが取れそうだと言えば急遽休暇を取ってこの鹿屋に会いに来ようとしてくれた。
この状況で上手く休暇を取ることは容易ではなく、賢夸の他に特に仲の良かった
「しっかし鈴世、大出世だな。ビビリな小娘が救国の英雄なんてよ。最前線に立って敵蹴散らしてるとか」
「そんな風に言われてるの? SA-00型って。……っていうか、賢夸一言多い」
「でもまあ向いてんのかね。お前、結構いい性格してんじゃん。腹黒いっつか」
「もうっ!」
ビビリな小娘なんて余計なお世話だ、という鈴世を半ば無視するように、賢夸は冗談半分に彼女の悪口を言う。肩を叩かれながら取り敢えず笑っていたけれど、それは本心ではない。
櫻井賢夸は解せなかった。なぜ吹雪鈴世が「人間」としてではなく「兵器」として、最前線に立って戦わなければならないのか。賢夸はそれが解せなかったし、情けなくもあった。
彼女が他人に心を開くのに人の倍以上かかることも、そうなるまでに極限まで気を張っていることも、体があまり丈夫でないことも知っている。本来なら守られるべき立場にあるか弱い女の子が、自らを犠牲にして戦場へ発つ。そう思うとどうしようもない程の情けなさに苛まれた。それと同時に、改造される過程で体を切り開かれる様を想像しては抑えがたい怒りが湧く。好き勝手しやがって。吹雪鈴世は、あいつは――。
「賢夸、人間っぽくなったよね」
彼の発する禍々しさを察知して、鈴世は急いで言葉を紡ぐ。だからといって適当に言ったわけではない。事実、賢夸は以前よりも人間に近づいていた。いや、彼は最初から人間なのだけれど、以前はよく獰猛な肉食獣そのものの目をしていた。だが研修を終えて軍人になって、その殺伐とした雰囲気が少し薄まったような気がするのだ。
「ん、俺もそう思う」
ぐしゃりと乱雑に鈴世の髪を撫でながら、どこか遠くを見たまま彼は答える。その答えに安心したのかどうかはしらないが、ほっとした様子を見せる彼女を賢夸は横目で一瞥した。
きっとこいつは知らない。俺が人間らしくなった一番の原因はお前だって。一目見たときからこの子を守らなければという思いがあって、それを起点に変わったのに当の本人は少しも気づかない。まあ、それも当然といえば当然か。彼女、いろいろと必死だったし。
嘗ては猛犬と呼ばれた自分はこんなに人間らしくなってきたというのに、彼女は人間から遠くかけ離れたものになってしまった。それでも……他の誰が兵器扱いしようが、俺だけは態度を変えてやらないつもりだ。でも、こんなにも気にされないのはちょっと腹が立つ。そう思いだすと居ても立ってもいられなくなり、賢夸は鈴世を覗きこむようにして口を開いた。
「……そういや俺、あのときお前助けてやったけど。何の見返りもないなんてどういうことなんだろうなあ?」
「え、ああ、そうだったね」
一瞬何のことか解らずに、鈴世は頭をフル回転させて考えてみた。――あの時? ああ、あの殺されかけたときのことか。真っ先に飛んできたのは彼だし、それがなければ絞め殺されていただろう。確かに礼も言っていない気がする。
今後も会う機会は少ないだろうし、だったら今のうちに見返りの希望を聞いておこう。そう思って彼の方を向くと、その顔は思った以上に近くにあり、鈴世は驚いた。
「その見返り、お前でいいよ」
驚きで思考を鈍らせているうちに、肩に回されていた手に顎を捉まれ上を向かされる。そのまま視界に入る光を遮られたのだけれど、鈴世がその意味を理解したのは数十秒後のことだった。
※
「お前、よくここまで来れたな……」
いま目の前にいる人物を見下ろして、島風煉は呆れ半分、喜び半分で笑う。河川敷に膝を抱えて座り、はにかんでこちらを見上げるのは何処にでもいそうな好青年だった。
「ああ。本当はここにいるべきじゃないんだけどね。君に一度でも会っておきたくて」
君には帝都に出向く時間なんて作れないだろうから、僕が我儘を言うことにしたんだ。隣に腰を下ろす煉の挙動を見ながら柔い声で言うこの男は、雁ノ谷太一という、この極東帝国を統べる若き皇帝だった。
本来なら許されることではないが、煉と太一は友人の関係にあった。始まりは二年前の、SA-00型初号機製造実験から三ヶ月後のことだった。
製造実験開始から覚醒までの間の記憶は一切なく、目覚めて直ぐに見たのは白い天井で、次いで繋がれた無数の管を見た。至る所に巻かれた白い包帯には血液と体液が滲んでいて、いつか見た重傷患者のようだった。そこにあの日の深田恭二の姿を重ねた煉は、強烈な息苦しさと目頭の熱さを感じていた。
分割統治が始まる以前の戦後間もなく、血統からくる身分格差から解放されて自由になったそばから、自分の目の前で自ら命を絶った深田恭二。炸裂した手榴弾によって全身を焦がし、肢体を千切られた尊敬する大好きな先輩も、今の自分に近い姿をしていた。それを思い出してしまった煉は、その時に感じた恐怖と絶望と、そして今の自分の情けなさに責め立てられた。
強く生き抜き、もう戦争なんて起こらないように努力すると誓ったくせして、民族差別の数々を一身に受け続けた結果、早々にグレて挫けた俺の情けなさたるや。勝手に立てた誓いとはいえ、争いをなくすどころか中心に立って煽るような真似をしていたなんて、あの人達にあわせる顔がない。
こんなことなら、成功せずに死んでしまえばよかった。長年蓄積してきた鬱憤が破裂したような思いで、両手で顔を鷲掴むように覆って叫んだけれど声はでない。声帯の振動は共鳴せず、掠れたような息の音が吐出されるだけだった。
腕に繋がれた管を強引に引き抜こうとした不自由な手に誰かの手が重なって、初めて他人の存在に気づく。誰だ、こいつは。あのときにいた、黒髪の気狂いじみたやつか? そう思い、興奮して散瞳した目を見開いたまま見上げた先にいたのは、予想から大幅に逸れた人物だった。
『皇……帝……?』
声がでないために囁くように言ったのだが、違う、これは皇帝ではなく中身の本体だ。心から心配そうにこちらを覗き込み、「そんなことをしたら傷が広がってしまうよ」と柔い声で言う。あの気取った表情を崩さず、毅然とした態度で頂点に立つあいつと同一人物とは思えなくて、その戸惑いに鬱憤をかき消された思
いだった。
『……無理を押してここにいさせてもらっているのに、こうして対面してしまうと……何を話していいのか分からなくなるな』
人好きのする優しい顔で苦笑して言う彼は、もう本当に、何処にでもいそうな青年だった。
いいのかお前は。こんな劣等人種相手に素を曝け出して。どうせ直に死ぬ奴と思っているのか、それとも劣等人種など取るに足らんと思っているのか……。警戒しながらぐるぐると考えていたのだけれど、やめた。一生懸命に言葉を探して唸っている皇帝、もとい雁ノ谷太一の無防備さをみて、なんだか馬鹿馬鹿しくなったのだ。
『お前は、どうしてこんな所に来た?』
煉が問うと、太一は唸るのをやめて顔を上げ、探るような煉の目を真っ直ぐに見た。
『……あの時の、本当の理由を答えるために』
本当は、ただ単純に煉の様子が心配だったというのもあるし少しお願いしたいこともある。だけど疲弊しきった様子の今の彼には、ごちゃごちゃといろんなことを言うよりも一番重要なことのみを伝えたほうがいいと思った。一番重要なことは、あのとき彼が求めた「雁ノ谷太一はなぜ人間兵器開発を決定したのか」という問の解だ。太一はそう思っていた。
『いいのかよ、そんなこと言って』
『大丈夫さ、人払いしているから僕と君以外いない。まあ、君を怒らせる自信はあるけれど』
太一の目が陰るのを見た煉は胸騒ぎがしたが、黙って見届けることにした。その答えがなんであれ、人間兵器開発が決行されることも自分が従わなければならなかったことも、きっと初めから決まっていたのだろう。だったら受け止めてやるさ。その解が「周囲に流されるままに決めた」という、最低なものだったとしても。
『簡潔に言うと、理由はない。ないんだ』
暗い目をしたまま嗤った太一は、本当にもう、死んでしまいたい気持ちになった。そう、理由はない。だって僕は、前日までこれが人間兵器の開発実験だと知らなかったのだから……。
国家最高権力者の皇帝であるはずの太一には、この【高天原計画】が人間兵器開発だと直前まで知らされなかった。彼が開発を承諾しないと予測してのことで、それを阻止するべく、飽くまでも有人の新型兵器開発だと説明していたのだった。
その試験に従事する人物を決めてくれと候補者の資料を渡されたときも、オペレーターの選出を目的としていたはずだった。だから、件の事変でも実績があり、身体能力も頭脳もなかなか優秀だと聞いていた島風煉をと名指ししたのだ。つまり、こうして彼が素材として使用されてしまったのは間違いなく自分の責任。済まなかった。謝って済む問題では無いけれど、自分が余りに無知で無能な傀儡であるばかりに、君を巻き込んでしまった。君の気が済むなら、ここで僕を殺してくれて構わない……。
俯いて両手で顔を覆い、肩を小刻みに震わせて懺悔する太一を、煉はまるで他人ごとのように見ていた。最低といえば最低の解答だったのだけれど、怒りも失望の念も沸かなかった。
別に何も考えていなかったわけではなくて、考えた上で騙され、利用されている。必死に善き統率者になろうとした努力の結果を蹂躙されてもなお、側近たちに猜疑心を向けるでもなく、自分が悪かった、力不足だったと藻掻く……。彼の傀儡ぶりは想像の斜め上をいっており、その滑稽さと惨めさを想像した煉はいたたまれない気持ちになった。
それでも逃げ出さない太一に自分とはまるで真逆な純粋さを見せつけられて、憎みたくても憎む気になれない。呆れると同時に眩しくて、素直に「凄えなこいつ」と思った。
そうか、こいつも犠牲者なのか。なぜ太一が皇帝になったのかを思い出し、彼も全て初めから決められていたのだと知った煉は、探り探りで寝台の横に座る太一の膝?を掴んだ。罪悪感と自己否定に責め立てられて咽ぶ彼を宥めるように撫で、彼の決断の全てを赦した。
それ以来いっそう懐かれたというか、性能試験の合間にちょくちょく呼び出されては「雁ノ谷太一」に決断の相談をされるようになった。皇帝側近だとかいうのは完全な後付で、皇帝が劣等人種に相談を持ちかけるというあり得ない行為を隠蔽するために設定づけられたものだ。開発室関係者同等の情報も、この設定を守るために与えられた。結果としてSA-00型の連中をまとめるのに役立っているけれど、そんなものは煉にとって重荷でしかなかった。
こんな重要な相談を兵器にするんじゃないと諌めたけれど、こればかりは引いてくれなかった。もともと頼られるのは嫌いじゃないし、「これは皇帝が兵器にではなく、雁ノ谷が島風に相談しているんだ」と言われれば拒むことはできなかった。なかなか俺も甘くなったものだ。
「皇帝様が、こんなとこで遊んでんじゃねえよ」
「別に僕がいなくても大丈夫だよ。君も知っての通り、僕はただの傀儡だからね。代りなんて幾らでもいる」
目の前の肝属川を遠い目で見ながら自棄気味に吐き捨てる太一を見て、煉は些か驚いた。あの純粋で清かった彼の口からそんな言葉が聞けるとは。余程疲れているのか、或いは俺が穢してしまったのか。いや、もとからあんなやつだったか……?考えれば考えるほど真実がわからなくなり、遂には考えるのをやめた。俺の頭も、もう相当おかしくなっているらしかった。
「まあ、その……僕が失脚させられる前にもう一度会っておきたかったんだ。思ったより大丈夫そう、と思ったけど……いや……、」
思ったより大丈夫そうだ、安心したからこれで帰るよと言って颯爽と立ち去りたかったのだけれど、煉がそうさせてくれなかった。たしかにぱっと見は大丈夫そうだ。不敵な態度もそのままだし、大した外傷もなければ大いに気落ちしている様子もない。だが、彼の纏う雰囲気は異常だった。目が死んでいるというか、人間の暖かみが消えたというか、無機質じみているというか……とにかく、これまでの島風煉とは異なっている。
実際のところ、今最も兵器化が進んでいるのは煉だった。一番型式が古く人間の部分が多いために目立たず、更に兵器化の症状の一つである「感情の制御困難」も無理やり抑えこんできたために気づかれることなくここまで来た。
しかし人間の部分が多いからこそ服用させられる薬剤の量も多く、アヤが倒れて以来の出撃数増加も彼の兵器化を一層助長させた。結果、横暴で反骨精神旺盛だった嘗ての煉はほとんど残っていない。それでも辛うじて正気を保ち、何の影響もなかったかのように振る舞えていたのは、彼らを傍観してまとめていかなければならないという初号機の責任感があったからだ。
誰にも気づかれないようにしてきたつもりだったが、こいつには隠しきれなかったか。明らかに動揺している太一の横顔を見て、煉はぼんやりと思った。「島風煉」として彼に会えるのは、これが最後かもしれない。自分みたいな異民族でも対等に接してくれたこと、何かと頼ってくれたこと、逸脱した無法者にこうして会いに来てくれたこと。その全てが新鮮で楽しかったと謝辞を述べようとしたが、何の言葉も浮かばずやめた。それを「性に合わなかったから」ということにして立ち上がり、乱雑に太一の頭を撫でる。今にも泣きそうな太一の顔は見ていられなくて、逃げるようにして河川敷から立ち去った。
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