第6部 悪路を辿る


 アヤが倒れ、整備室に隔離されたまま一ヶ月近くが経とうとしている。イヅルと大記が中心になって今後の対策を打ちつつ再調整をしているそうだが、その進捗状況は良好とはいえず難航していた。


 難航するのは当然というか、この問題をクリアするのは不可能に等しかった。要となるのはやはり彼ら二人だが、大記は記憶に不安があるし、イヅルはそもそも開発に携わってすらいない。宮下がこれに付き合ってくれるとは到底思えないので、これから原因究明やサンプル作製、試運転などの全てを行わなければならなかった。そうなると、絶望的に時間が足りない。


 それに彼女は、他の兵器たちよりもずっと《駄目になってしまった奴ら》の方に近い。例の電波発信装置を、上手く定着させることができなかったのだ。体に馴染めなかったそれを脳は異物と認知しているらしかったが、これが大きな問題だった。


 彼らの主電源は、所謂「生物電池」だ。心臓の鼓動や筋肉の運動エネルギー、酵素分解の活動エネルギーを電気エネルギーに変換して起動しているのだけれど、それは発信装置で強化していることが前提だ。しかしその装置が定着しきれていないアヤは、通常起動では電気信号の強度が生身の人間と大差ない。だから『異常起動』させられているのだ、彼女は。


 急ごしらえの特別な装置で無理やり信号強度を上げられている彼女の負担は、他の機体よりも遥かに大きい。そのぶん劣化も速いので、SA-00型兵器の十号機、通称《アマテラス》としての生涯が始まった時から、他の機体よりも遥かに寿命が短いと決まっていたのだ。



『朝潮アヤはなぜ、不良品にも関わらず駆使されているのか』。


 大記は心の中でそう思ったけれど、問いかけなくても答えは解っていた。全く動かない粗悪品ではなかったから使われた。ただそれだけだ。どんなに性能に問題があろうと使えるものは使うし、少しでも動くなら、不良品でも完成品の枠にぶち込む。歩留まりが最低最悪である以上、完璧なんて求めていられないのだ。


 こうなってしまった原因をイヅルと話し合った結果、やっぱり作業が粗雑だからではないか、ということになった。製造期間の短さも視野に入れて考えたのだけれど、同じ条件で実施された、アヤの予備である紫燕にはそんな兆候は見られない。個体差があるから仕方がないとはいえ、その完成度の差はあまりに大きすぎた。


 紫燕には、原因究明のために「比較したいから一度体を開かせてくれ」と最低なお願いをした。それを快く受け入れてくれた彼には感謝してもしきれない。そして申し訳無さも計り知れなかった。切り開いて確認しても、その解決策は終ぞ見つからなかったのだ。


 大記は煙草に火をつけ、計画の記録資料を読んでいた。自分が関与し始めたのは三号機製造の終盤頃で、それ以前のことは知らない。この資料によれば、初号機の煉と二号機の涼平は提示した企画書通りに施術しているようだ。


 だがそれでは宮下の思う能力は引き出せなかったようで、以降は幾度となく改良を行っていた。決して改「良」ではないのだけど、それなりに性能もよくなっているし歩留まりも僅かながらに向上しているらしいから問題はないのかもしれない。


 いや、問題は大ありか。慌てて考えを改めた大記は、煙草の火を揉み消して両手で顔を覆った。人命を預かるくせして、計画も管理も杜撰すぎるということは、随分と前からよく分かっているじゃないか……。たしかに改良で性能と歩留まりは向上した。だがそのぶん劣化が早い。本当はアヤのような不良品は十機近くあったのだけれど、どれも移送の間に駄目になった。


「問題ない」と思ってしまった自分に絶望したが、今はそれどころではないだろうと自身を奮い立たせてみた。もっとしっかりしなければ。煉にばかり負担をかけてはいけない。彼はいちばん人間に近いぶん、ここの現状を客観的に見られてしまう。初号機の責任感からかまとめ役を買って出てくれているが、この異様な雰囲気を醸すこの空間で、正気を保ち続けるのはかなりの重労働だろうと思う。




『大記。お前はどうして被験体に志願したんだ』



 新しい煙草に火をつけようとしてやめた大記は、少し前の煉を思い出していた。「この計画についてお前が知っていること全てを話せ」と言われたついでに聞かれたことだ。「徴兵が基本なんだから志願理由もなにもないだろう」というごまかしはやはり通用しない。彼は左右で色の違う切れ長の目を決して逸らさず、じっと回答を待つ。それに根気負けしたのは自分自身で、「この計画を終わらせるため」と短く答えた。


 開発が始まって、今年で二年目になる。犠牲になった青少年は十万を超え、今もまだ増え続けている。自分が被験体になったのは去年のことで、その去年は、計画参加を強要された年でもあった。こんな無謀で非人道的な計画に加担したくなかったし、もともと忠誠心も薄かったから、勅命だろうがなんだろうが断る準備もできていた。


 それでも加担せざるを得なかったのは、百合恵を盾に取られたからだった。「お前の義妹の命が惜しいなら協力しろ」と脅してきたのは、開発室ではなく極東軍の統帥機関だった。当時勤務していた軍事兵器製造部門の工場までわざわざ彼女を連れてきて押し入ってきた彼らは、総じて武装していた。


 穢い、と心の底から思った。再三にわたる要請を尽く拒否した結果なのだろうが、これは酷いと歯噛みした。ただただ嫌だと我儘を貫いたわけではなく、なぜいやなのか、なぜ協力できないかをしっかりと説明したはずだ。そしてその理由をきいて、大人しく引き下がってくれたのはお前たちだっただろう……。


 今や唯一の親族となった彼女の命と、自分の意志のどちらかを選べと言われたって、そんなの答えは初めから決っているようなものだ。拘束され、蟀谷こめかみに銃口を押し当てられた百合恵を目の前にして、大記は二つ返事を余儀なくされた。百合恵は「私のことは気にしないで。自分の意志を貫いて」と言っていたが、そんなことできるわけがなかった。


 そうして計画に加担することになって、歩留まりを向上させるための製造方法を確立させることを命じられた。だから、絶対に成功するはずのない出鱈目な設計図を描いた。勿論、実験サンプルは自分自身。実験失敗の末に駄目になって死ねば、技術者は一人減る。


 研究員も被験体として定期的に徴収した結果に知識も技術も停滞気味になり、実際のところ宮下ひとりで回していたような開発室に打撃を与えられるのは確かだった。そうすれば計画は頓挫して、兵器開発の中止か見直しになると大記は信じていた。しかし上手く事が運ぶはずもなく、大記の計画は失敗に終わる。施術後はもう二度と目を覚ますことなんてないはずだったのに、大記が見たのは白い部屋と宮下のにやけ面だった。



『君ならなにか仕掛けてくるだろうと思ってたけど、その通りだったね。図面をチェックしておいてよかったよ。君、死ぬつもりだったね?』



 散々渋ってた君が大人しく協力してくれるはずがないと、背もたれを前にして座った回転椅子を左右に回しながら宮下は言う。



『だから手直しをしておいた。岐山氏が残した図面の一部と君が新しく描いたものの一部。それに僕の理論を組み合わせたら君が完成した。おめでとう、今日から君はSA-00型の五号機だ!』



 生気を感じない真っ黒い目をしたまま、彼はケタケタと笑う。こちらを見下してのことなのか、それとも心から嬉しく思っているのか。それは大記にはわからないことだ。まあ、こいつが何を考えているのかは知らないし知りたくもないのだけれど。


 彼が何を思っているかはともかくとして、生き残ってしまった絶望を感じる大記を尻目に、ニヤニヤと楽しげに笑う宮下が憎らしかった。彼が動く度にギッ、ギッと鳴る椅子の音に対する不快感も相まって、思い切りぶん殴りたい衝動に駆られる。だが体は思うように動かない。体から伸びる無数の管を見て思い出した。そうだ俺は、人体を兵器化する施術を受けたばかりだった……。


 椅子から飛び移るような形で大記が横たわる寝台に乗った宮下は、微かに動いただけの大記の腕を押さえつける。細身で不健康そうな容姿とは相反して、機敏で力強い。傍から見れば押し倒したかのように見える体勢で大記に覆い被さった彼は、顔をずいと近づけて耳元で囁いた。



『貴重な人材。君を死なすなんて馬鹿なことはしないよ』



 煉からの問に全てを思い出した大記は、天井を見上げて溜息を吐いた。俺は選択を大きく間違ってしまったらしい。宮下が一筋縄ではいかない男だと知っていた筈だし、そもそもどうして死んでしまおうと考えたのだろう。死んで無責任なことをするよりも、技師としてしっかり務めたほうが良かったのではないか。施術の粗雑さが明白になった今になって、大記はそう思った。


 冷静さに欠いていたあの頃の自分を恥じて、それと同時に判明した事実に酷くショックを受けていた。正直なところ被験体になった理由もその経緯も、聞かれるまですっかり忘れていた。あれから一年近く経っているとはいえ、常に気にかけていた重要なことをそうそう忘れるはずがない。それなのに……俺は……。


 感情の制御困難に加え、こんな記憶障害まで症状として顕在しているなんて。そういえば今までにも煉やイヅルと話が噛み合わない事があったことを思い出した大記は、組んでいた手に額を押し付けて項垂れた。


 これが兵器化というものか。自分が自分でなくなっていく感覚が堪らなく恐ろしくて、大記は人知れず慄いた。



          ※



 徐々に、徐々に、進路は捻じ曲がっていく。開戦から約一年、新型兵器投入から約半年が経とうとしていたが、戦局は一向に良くなる気配を見せなかった。ここ最近競り負けて帰還してくることが多くなり、形勢も不利、整備もなかなか追いつかない切迫した状態が続いていた。アヤの不具合で士気が落ちたというのも原因の一つだが、一番の原因は、圧倒的な人手不足によるものだった。


 新型兵器SA-00型は、圧倒的に数が少ない。世界を相手に戦争をしているにも関わらず十機しかなく、十号機竣工以来の成功例はない。一時的に成功したかのように見えたものもあったが、例に漏れず試運転や移送中に駄目になってしまった。


 半年の間に毎日のように出撃しているために疲労も半端なものではない。事情を知らないものには「兵器が疲労なんて」と思われるだろうが、如何せん彼らは、その体の半分近くが人間のままだ。その疲労と苦痛を麻痺させるための投薬も行われたが、感情の制御困難という副作用の顕在化が、新たな問題として浮上している。自らの意志で動き、判断する。その機能を実装するために生身の人間を素材としたことが招いた、SA-00型の致命的な欠点だった。


 待機室の中はいつもと変わりなく見えるけれど、確実に空気は悪くなっている。吹雪鈴世はそれをいつも払拭してくれる人物を横目で見たけれど、今にも誰かを殺してしまいそうなくらいに殺気立っていた。


 それは二号機《ワダツミ》の初春涼平なのだが、ここのところ安定した勝利を勝ち取れていないのが原因だろうと思う。今のところ敗けなしとはいえギリギリの辛勝。それが彼の心から余裕を削り取っている事実は、誰が見ても明らかだった。


 張り詰めてピリピリした雰囲気を感じながら、鈴世は小さく溜息を吐いた。こんな空気になりはじめたのは、負け始めた三ヶ月前くらいからだ。初めに屈辱の敗退を喫したのは、三号機《ニニギ》の橘みつきと四号機《コヤネ》の白露清代の陸戦型組だった。彼女らは少し前まで民間だったし、国民必修の軍事訓練も衛生科を受講しているから戦闘経験はない。入隊したばかりの新人兵士を単独で戦場に放り出しているようなもので、極東帝国の戦闘記録を集めて作った戦闘プログラムを搭載しているとは言っても、ひどく無謀な方針だと鈴世は思っていた。


 無謀を無謀と思っていないのか、それとも無謀を推してでもやらなければならないのか。どちらにせよ愚かなことだと思った鈴世の心に、不快感が湧いて出る。苛つく気持ちを落ち着けようと深呼吸してみたけれど、余り効果はなくもどかしかった。


 ここにきてから、苛々することが多くなった気がする。以前はそれほど大きな感情のブレもなく、人の目が怖いこともあって大人しく平穏に過ごしていた。なのに今はほぼ毎日のように苛々してしまってとても疲れる。これが前に聞いた「兵器化」の症状なのかと思ったが、多分違うだろう。環境のせいだ。


 正直に言うと、ここにいる大人たちはあまり好きではない。この対国外戦対策本部は、開発室とかいう組織からは物理的に隔離されているとはいえ、やはり切っても切れない関係にある。そのために開発室関係者がちょこちょこ出入りしていたのだけれど……この関係者たちが、特に好きになれなかった。


 保身のために何があろうと規則を破りたがらない融通の効かなさ。学歴主義だかなんだか知らないが、格下と見るや否や蔑みだす浅ましさ。国民よりも自分の地位が大事……会話の節々から見えるその心が、鈴世は堪らなく嫌なのだ。


 特に許せないのが、敗退を経験したSA-00型に対する態度だ。以前に大記からも聞いていたが、彼女らは予備品扱いで、ここでは『保険組』と呼ばれているそうだ。敗退した際に「だから端から期待なんてしていないのだ」と嘲笑われた時には、今までに感じたことがないくらいの怒りを感じた。


 その衝動で展開してしまいそうな兵装を抑えることもしなかったが、近くに居合わせた廉也に無言で制止されて踏みとどまった。瞳だけを動かしてこちらを見下ろした琥珀色の目は、「あんな奴のために体力を使うのは無駄」だと言っていた。彼は好きだ。無駄に飾り立てないし全員に平等だし、何より正直で嘘をつかない。まあ、正直すぎて問題になることも多々あるようだけれど。



「……いつまで続くんだろ、これ」



 小さく呟きながら考えてみたけれど、解は一向に出ない。苛立ちは一気に寂しさへと変化していて、感情の振れ幅の大きさを感じていた。こんなに寂しいときには、あの頃のことを思い出す。義務付けられた軍事訓練で、手違いで陸軍歩兵訓練を受講させられたときのことだ。


 始めは怖くて仕方なくて、なぜ専門外のことをしなければならないのだと腐っていた。とはいえ専門分野も好きでやっているわけではなく、人よりもちょっと物覚えが良くて頭の回転が早いからって、父に無理強いされていたことだった。


 否応なしに開花してしまったクラッキングの才を駆使して、世界中の軍事情報をかき集めさせられたことは今でも忘れられないでいる。個人情報を盗む感覚も、見てはいけないものを見てしまう感覚も好きではなかった。


 腐ってはいたけれど、歩兵科の訓練を受けたことは今となってはいい思い出だ。特に、そこで出会った友人たちの存在は大きかった。彼らに会わなければ、今よりももっと内向的で怖がりで、今みたいな集団生活なんてできなかっただろう。粗野で横暴な怖い男たちだったけれど、根は優しくていいやつばかりだった。


 ただちょっと不器用で単細胞なところもあったが、鈴世はそこが好きだった。


 賢夸けんご畝傍うねびちからも、みんな元気でやってるのかしら。


 特に仲の良かった人たちを思い出して、彼らの身を案じた。あの人達は、歩兵科訓練からそのまま極東陸軍に入隊した。半年前から新型兵器主流の戦争になったけれど、直接戦線に立って駆けずり回る戦争も存在している。生身のまま戦地に立つのは非常に危険だ。生きていればいいのだけれど……と思ったところで、「彼らなら大丈夫か」という結論に至った。


 無駄に頑丈だったし、櫻井さくらい賢夸に至っては「お前を置いて死んだりしない」と言っていた。約束を破るような男ではないから、きっとそういうことなのだろう。安心した途端に眠くなって、鈴世はソファの上で膝を抱えて蹲ったまま微睡んだ。



          ※



『極東帝國最強の兵器』と言われているのは、SA-00型の海戦型だ。その海戦型である二号機《ワダツミ》の初春涼平は、その枠に加わっていることに誇りを持っていた。だが、そろそろ限界が近かった。


 自分は一年以上前に製造された旧式だし、なにより海の知識に乏しいという決定的な弱点があった。そもそも海中での行動に馴染みもなくて、それをカバーするために必死に猛勉強した。それで培った海戦術の知識と技能を最大限に発揮して、なんとか多くの潜水艦を沈めてここまで来た。だが今はギリギリの辛勝で帰還することが多くなり、体の一部が欠損してしまうことも一度や二度のことではない。


 初めて欠損してしまった時は……本当に怖かった。その事実より何より、戦闘後の『メンテナンス』で失くなったはずの体の一部が元通りになっていたことの方が、涼平にとって耐え難い恐怖だった。感じていた強烈な痛みも吹き飛ぶほどで、本当に人間ではなくなってしまったのだと、強制的に再確認させられた思いだった。


 それが原因で気落ちして、戦績は格段に悪くなった。今のところ敗退はないし任務は完遂しているが、それで満足してはいけない。新型兵器SA-00型は、完全勝利を収める上等品でなければならないのだ。


 自分にはできないことを、難なくこなしている奴がいる。待機室の大きな窓の前に座り込み、呑気に日向ぼっこなんてしているあいつのことだ。あの陽炎廉也は、海に出れば敗け知らずの優秀な兵器だった。


 八号機《スサノオ》である彼は、涼平と相反して海の知識が豊富だった。それこそ海とともに育ったくらいの感覚だそうで、潮の流れや波の高さの僅かな変化にも柔軟に対応しているのをこの目で見たことがある。その戦いぶりは「海の中に入り込む」というより「海そのものに溶け込む」と言った方が合っていて、海の状態を完全に掌握しているように見える様から、廉也は『海の支配者』だと言われていた。


 あまり表には出さないようにしているが、涼平は廉也が少し苦手だった。それが嫉妬に由来していることくらいは解っている。初めての欠損を経験する以前は、苦手意識なんて少しも感じていなかったからだ。


 快勝できなくなって藻掻いている間にも、彼は涼しい顔して快勝に快勝を重ねてきた。「やるなあ、お前!」と友好的に讃えても、管理者に「期待しているぞ」と褒められても、相変わらず無愛想な顔で面倒そうに生返事を返すだけだ。それを見る度、涼平の胸はむかついていた。


 あいつは俺が欲しいものを全て持っているくせして、それを邪険に扱いやがる。それが気に入らなくて、どうにかして廉也に勝ってやろうと努力したこともあった。しかし何をしても敵わず、その差は開いてくばかり。勝ち目は皆無に等しかった。


 味方同士で争ったって無意味だと思われるだろうが、涼平にとってはそうではない。今まで一番になったことがない彼は数えきれないほど劣等感を抱えていて、「要らない」と思われることが堪らなく恐ろしかった。


 なんとか秀でている部分を見つけて見せつけて、利用価値はまだまだあるのだと知らせなければならないのに。なのに俺ときたら、意気消沈、成績低下、焦燥、成績低下、焦燥、戦意高揚、大破、意気消沈と、僅かなプラスと膨大なマイナスを繰り返す悪循環に嵌って脱却できずにいる。


 あまりに情けなくて悔しくて泣いてしまいたかったけれど、泣き方を忘れてしまってそれができない。こうして人間らしさを削っているのなら、この感情も一緒に削ってくれればよかったのに。どうして中途半端に人間の部分を残したんだと、涼平は計画の方針に酷い絶望と憎悪を感じていた。


 絶望や憎悪を感じながら伏せていた顔を上げて、涼平は周囲を見る。思い思いに過ごす彼らを睨むように見渡して、兵器たちの『区分け』について考えていた。


 ここにいる兵器たちにはランク付けがされてあって、それによって期待度が変わってくるのだと涼平は予測している。SからCまであるとすれば、自分が親友だと思っている島風煉――初号機《イザナギ》と、優秀な後輩の廉也は間違いなくSランク。最高傑作の兵士だと謳われていたアヤもそうだろう。鈴世だって、この前の会議に呼ばれていたから特別な位地にいるに違いない。


 九号機《ツクヨミ》の紫燕も最新型でよく使われていて、敗けもないし無様も晒さない。きっと彼はAランクだ。みつき、清代、奈津子の女の子たちは自分よりもぞんざいに扱われているから、きっとCランク。だとすれば自分は……Bランクか。


 細かい違いを探しだしては自分が最下位でないことを確認して、ささやかな安心感を得る。なんて面倒くさくて嫌な奴なんだろう、俺は。自分に嫌気がさして、涼平はもう一度顔を伏せた。留守番中は考え事をするだけの余裕ができてしまって辛い。俺も早く出撃させてくれ。ぐっと握り合わせた手を微かに震わせ、涼平は強く願った。



『硫黄島沖上空で《イザナギ》率いる極東航空隊が敵機十五機を撃墜、全滅。極東軍の被害、戦闘機八機のうち二機損失、《イザナギ》に異常はありません』



 敵を全滅させたというのに、歓喜の声を上げるものはもういなかった。いつもなら『煉の奴、またやりましたね!』と明るく振る舞う涼平も、今は沈み込んでいて反応がない。慶咲も慶咲で、その戦果報告の声も酷く事務的なものになっていた。


 好奇心で首を突っ込んだ結果に聞いてしまった、新型兵器開発の突っ込んだ話や悲惨な事情が脳裏に焼き付いて離れない。以来、彼らにどう接していいかわからなくなり、今みたいに事務的になってしまうことが多々あった。――こんなことではいけない。以前より兵器化が進んでいるとはいえ、彼らはまだ殆ど人間だ。戦果を讃えたり労ったりしてやらねば、士気だって落ちてしまう……。


 俺も、もっとしっかりしなければ。ここ数日の態度は、全てを犠牲にして戦ってくれている彼らに失礼だった。自身を叱責して、今後態度を改めようと決意した慶咲は、通信用のヘッドセットを外して一息ついた。



 未だに嫌な静寂の続く待機室から、人目を盗んで静かに抜け出す。重苦しい空気から解放された陽炎廉也は、ひとり大きく溜息を吐いた。アヤが不良品だと公表されてから、状況は大きく変わった気がする。


 大記は技師に復帰してしまって出撃は殆どないし、紫燕もアヤの早期復活のための被験体になっているらしく出撃回数が格段に減った。その穴を埋めているのは煉で、それを鈴世が可能な限りサポートしている、といった感じだ。その結果バカみたいな出撃数になり出ずっぱりで、SA-00型のまとめ役不在の日々が続いている。それ以来誰もが不安に駆られているというか、余所余所しくなったというか、そんな印象を廉也は抱いていた。


 ここのところ全体的な戦績が低迷しているらしいが、そんなの当たり前だ。こんなにも内部でのまとまりがないんだから、勝ちなんて取りに行けるはずがない。その上戦意喪失気味とくれば絶望的だった。待機室の中の空気を思い出した廉也は、ひとり敗戦を確信していた。


 敗けたら、全てが振り出しに戻る。件の事変で取り戻したはずの自由も民族性とやらも何もなかったことになって、今度こそ絶対に逃れられない本格的な分割統治が始まるだろう。そうなれば極東人は消滅することになる……。


 最悪の事態を想像した廉也は、悔しさに軽く歯噛みした。別に国家の存続だとか血族の保存だとかに興味はないが、敗者の烙印を押される屈辱だけは避けたかった。


 このままじゃ駄目だ。だったら、誰か気づいたやつが音頭を取ってまとめなおす必要がある。その理屈でいけば俺がやるか? と思ったところで、やめた。人の上に立つような人柄じゃないし、それができない理由がまた別にある。まあそれは、聞かれたって言うつもりはないことだけれど。


 いつまでもこんなところに居座っても仕方がないと、廉也はようやくドアの前から離れて歩き出した。一歩、また一歩と踏み出す度、抑えていた苛立ちが募る。気に入らない。たったこれだけのことで意気消沈したおすことも気に入らなかったが、アヤが死んでしまったかのような態度を取られることが何より気に入らなかった。


 あいつは死んでいないのに。ここの誰よりも人間らしい体のまま少し寝ているだけなのに。なのに「あいつはもう駄目だから、その分頑張らなければ」だなんて思っていて、弔い合戦でもしようかという気持ちが見え透いている。それで空回って戦績悪くしてたら意味なんかないのに。廉也は不機嫌さを隠そうともせず、眉間に皺を寄せたまま早足で廊下を歩く。辿り着いたのは自室ではなく、大嫌いな整備室だった。


 自発的にここに来るのは初めてだ。そう思いながら、ドアに手をかけて開放する。そういえばこのドアに触れるのも初めてだ。定期メンテナンスが大嫌いな廉也は、動けなくなる直前まで手入れを拒む。抵抗力が弱まった隙に煉や他の整備員たちによって強制的に運びこまれるのは、ここではよく見られる風景になった。


『風呂を嫌がる野良猫みたいだ』と笑われたが、そんなこと知るか。定期メンテナンスの束縛感と、全身を弄り倒される不快感は大嫌いだ。できることならあまり受けたくない。感情の制御が難しくなっても、だ。


 幸か不幸か、今ここには誰も居ない。整備員たちは煉を迎え入れるために挙って回収ゲートへ行ったし、近頃ここに駐在している紫燕も、呼び出されたのか姿は見えなかった。安堵に胸を撫で下ろして、油と薬品の混じった臭いのする部屋をひたすら進む。目指すのは、最奥にあるメンテ用の浴槽。そこには特殊な培養液に浸され、全身数十箇所にコードを差し込まれた朝潮アヤがいる。


 液中に横たわる彼女は、一ヶ月前とは違う色をしていた。紫陽花色だった髪の一部は脱色して白くなっていたし、硝子細工を思わせる綺麗な真紅の瞳も、片方が鳶色に変わっていた。前に少し聞いたのだが、状態を改善させるために投薬治療を行ったらしい。そのときに投与された薬剤の量は思いの外多く、色素に異常をきたしてしまったそうだ。


 廉也の腰辺りくらいの高さがある浴槽の縁に肘をついて、廉也は浴槽を見下ろした。ほんのり赤みがかった液体の中に浮く彼女には傷ひとつない。目を閉じて呼吸するだけのアヤは寝ているように見え、その寝顔は安らかで人形のように愛らしかった……と思うのは、やはり自分に何かしらのフィルターが掛かっているせいなのか。


 まあそれはともかくとして、彼女の姿を見るなり暖かい気持ちになり、無表情を決め込んでいた顔の筋肉も自然と綻んだ。先程まで感じていた苛立ちが、すべて吹き飛んだ思いだった。このままずっと、ここにいてくれたらいいのに。そうすれば彼女が傷つくことはない。廉也は上半身だけを俯せるようにして、縁に置いた腕に頬を寄せた。さっきよりもずっと近い位置にいるアヤを見詰めて苦笑し、指先を培養液に浸す。



「でもそんなこと、お前は望まないんだろうなあ……」



 今までのことを考えれば、戦争をしている以上は何もせずに大人しくなんてしてくれないだろう。いつ死んだっていいとすら思っていて、どれだけ傷だらけになろうが先陣を切って突っ込んでいくのが朝潮アヤという女だった。


 知り合って八年目になるが、彼女が自分を大事にしたことなんて一度もなかった。長いこと「劣等人種だ」と教えこまれたせいでもあるのだろうが、組織の重要な局面に立てば、すべて自己犠牲で解決しようと――――自己犠牲?


 そう考えたところで、廉也ははっとした。自己犠牲、というわけではないかもしれないが、アヤがSA-00型最初の殉職者にされる可能性は大いにあった。このまま劣勢が続いて、新しい兵器が必要になったときのことを考えてみる。


 開発が活性化して、更なる最新型が完成したなら。SA-00型とは全く異なる新型兵器の開発が成功したなら。そしてそれまでにアヤが復帰できなければ……。どの路を辿っても結果は同じだった。


 今行われている再調整が中断されて、いよいよ使い物にならなくなって廃棄される。何度シミュレートしても結果が変わらなかったのは、八年の軍人生活の中で、使い物にならない新人をあっさり棄てていく様を目の当たりにしてきたからだろう。


 そんなことさせてたまるか。勝たなければ。何としてでも勝って時間を稼いで、アヤの廃棄を防ぐ必要がある。廉也は決意を新たにした鋭い眼光で、じっと前を見据えた。培養液に浸した指先を、更に深くまで侵入させてアヤの頬に触れる。その肌の滑らかさを指先に感じながら目を閉じて、廉也はひとり、戦局を覆す方法を探った。



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