第8話 閑話 1556年 さよなら王直さん

 王直の記述はあんまりしてないですが、一応お別れくらいは書いておこうかと思います。大分だと日本一鑑の記述が見つからないので、明の役人が1555年から色々嗅ぎまわって豊後でとっ捕まったお話とかは割愛です。

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「いやあ、王直の旦那!アンタは本当にいい人を紹介してくれたでぇ」

 酒を片手に上機嫌ではしゃぐ松浦隆信。

 その向かいに座るのは怪しげな明人、王直だった。


 王直は和冦貿易のまとめ役として平戸に土地をもらっている中国人である。

 ヤクザをやりながら商売もしているフットワークの軽い商人だった。

 優秀な密輸取締役人が現れた事で明との貿易は衰退していたのだが、南蛮船を紹介したことで隆信からの評価はあがっていた。

 この年も南蛮船貿易は好調に終わっている。 

 このまま何事もなく過ごしていれば老年までこの平戸で生きていけるだろう。だが

「あんな、隆信はん。折り入ってお話があるんや」

「ん、どうしたんや旦那?急に改まって」

「実はわて、明に一度帰ろう思いますんや」

「え?正気かいな?旦那」

 王直と言えば泣く子も黙る和冦のまとめ役。中国と日本を股に掛ける大海賊である。

 そんな彼が中国に帰れば役人たちは、喜んで彼を縛り首にするのは確定である。

「わざわざ自殺しにいくんかな?」

 大犯罪者である王直が中国に戻るというのはそれくらいヤバい橋を渡るという事である。


「あんなぁ、実は明の役人がわての事、許したるいってくれとるんや」

 隆信は酒を吹き出しそうになった。


 ありえない。


 王直の話を聞いて真っ先に思ったのはそれだった。どこの世界に人生の大半を闇業界ですごした犯罪者をあっさり許す国があるというのか。

 そう顔に出たのだろう。王直は笑いながら話を続ける。


「今、明では北方の外国の襲撃を受けててな。優秀な人材がほしい。外国との貿易で金を稼げる人間がのどから手がでるほど欲しいゆうてますんや」


「ああ、それやったら旦那ほど適任はおらんわなぁ」


 明では海禁政策と呼ばれる外国との貿易を禁止する政策がとられていた。

 そのため国内では貿易の経験者は存在せず、ルートの開拓から運営できる経験者は王直のような犯罪者以外に存在しなかったらしい。知らんけど。

 日本で言うなら、法律が変わり、麻薬や覚醒剤の販売をオーケーした場合、カタギの人間ならどこで仕入れるか分からない。という状態に近いだろうか。

 なお「俺はカタギだけど違法薬物のルートを知ってて実際に取り寄せた事がある」という自称カタギの方は、立派な犯罪者なのでカタギでは無いことを、念のため付記しておく。


「そうかぁ…、旦那は上手く行けば明の役人になるんか…」

「ああ!海外貿易の指令官ともなれば国の重役や!上司なんていらんもんは欲しくなかったけど皇帝はんが上司になるなら我慢したるいうてな」

 白髪交じりの壮年である王直は呵々と笑う。犯罪者として世の裏道を20年以上歩いてきた人間が御大尽となるかもしれないのだ。

 やくざ者である自分たちの中で、これほど景気の良い話があるだろうか。


「でも旦那、めでたい話に水を差すようで悪いんやけど…」

 そう言う隆信に、うんうんとうなずきながら王直は続ける。

「ああ、隆信はん!アンタの言いたいことはよく分かる!役人の言う事なんて半分以上は嘘っぱちや!ワシを捕らえて自分の手柄にするための餌をぶら下げられとるんやないかとわても思った!」

 チョーン!という擬音が聞こえそうなほど役者がかったそぶりで床を叩き、うつむく王直。そこから顔をあげ

「でもな!わてみたいなヤクザもんが国のためになれる機会なんて後にも先にもこれだけなんや!」

 それは生まれた環境で犯罪者とならざるを得なかった人生に翻弄され、自分の生まれを呪った人間にしかわからない憧憬なのだろう。

 太学に通う金も、科挙に合格できるような頭脳も持たなかった人間が役人になれるなんて天地がひっくり返ってもあり得ないことだ。

 そのひっくり返る出来事を役人から提示されたのだ。王直が興奮するのも無理はない。

 熱中しすぎて肩で息をして隆信にむきなおると急に肩を落とし

「それにな、わても人の子や。一度くらい故郷に帰りたいんや。錦を飾れんでもええ。子供の頃にあそんだあの明の地をもう一度踏んでおきたいんや…」

 さびしそうな声で言う。

 これが、あの頭目か?と言いたくなる位、子供のように見えるほど望郷の念にあふれた目だ。

 平戸を離れて生きたことがない隆信にとって、故郷というものがどれほどすばらしいものか分からないが、ここまで言われては反論するのは野暮だろう。

 隆信は快く王直の出世を喜び、宴会の席を設けて今までの労をねぎらった。


 1週間後、王直は部下たちと明へ向かって旅だった。

 これが今生の別れとなるか、商売相手として出生した姿となって戻ってくるのかは分からなかった。

 ただ、あの無邪気に笑う犯罪者とまたあえる日を願うだけだった。

「さよらな、王直はん」

 隆信は王直の乗った船を港から見送った。水平線に消えるまでどこまでもどこまでも…


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 あえて結末は書きません。

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