第6話 松浦隆信のオヤジ

 前回のランゲルハンス島とは、漫画家の いしいひさいち先生がよく使用していたネタで登場する島流しの定番先です。今回調べてみたら実在の島ではなく「膵臓の内部に島の形状で散在する内分泌を営む細胞群」で驚きました。

 今回はちょっとシリアスです。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「飲み過ぎた…」

 隆信は二日酔いで痛む頭を抱えていた。


 あれから隆信は二重の意味で目が覚めて、あわててイエズス会会員になりそうな奴に声をかけた。

 たいして信心深くなく、いい加減そうな奴らである。ところが

「キリシタンの会員?遠慮しとくわ」

「ウチは仏教会員ですけん。これ以上カード増やすと邪魔じゃけん勘弁してつかあさい」

「怪しい勧誘には乗るなとママにいわれとりますけん、遠慮しときます」

 返ってきたのは冷たい言葉だった。

 全員顔面をぶん殴って無理矢理、お試し会員にさせたのはいいが、これでは日が暮れてしまう。

 隆信は後悔した。


 酒の席なので調子の良いことを言ってしまったが、考えてみたら宗教というのは飲み慣れた酒とかなじみの野球チームのようなものである。

 命をかけて働く組員にとって、命を預けるためのジンクスとかゲン担ぎのようなものであり、それをかえさせるというのは並大抵のことではない。

 キ○ンビール派をアサ○派に変えさせようとしたり、巨人ファンを阪神ファンに宗旨替えさせるようなものでる。


 つまりは不可能と言ってもいい。


 どげんすべえ…


 もはや何語かわからない言葉が浮かぶほど、隆信は混乱していた。

 こんなのはぼったくりバーで0が二つ多い勘定を見せられた時以来である。

 あちらの場合はバー自体を若い衆と叩きつぶして踏み倒したが、今回はそうはいかない。

 ヤクザは信義が大事である。忘八者のなにももたないろくでなしが取引できるのは『約束は守る』という最低限の信頼があるからだ。

 嘘つき野郎は村八分から魚の餌コースというシンプルなルールがあるからこそ休戦協定という寝ぼけた約束も成り立つのである。

 その大事な信義を、こともあろうに自分が破ろうとしている。


 やっぱ、酒はあかんなぁ。と115回目の禁酒を近いながら隆信は苦悩していた。そんなときである。


「頭ぁ、困っておるようじゃのう」

 まるで地響きのような声が聞こえる。

「お、オヤジィ」

 そういって振り向いた先には、顔中傷だらけの、渋い壮年の男が立っていた。

 男の名は籠手田安昌(こてだやすまさ)という。

 度島(たくしま)と生島(いきしま)の領主で隆信にとってオヤジと呼べる唯一の存在だ。

 隆信の父は隆信が若い頃に死亡しているので本当のオヤジではない。

 だが、彼は幼い隆信を追放して別の組から親分を迎え入れようとした中でたった一人隆信を守ってくれた大人だった。

 幼い頃の記憶がよみがえる。




  天文10年(1541年)。

 松浦隆信の父、松浦興信は突然病で死亡した。隆信が数えで13歳の時の事である。

 急に死んだ若い父。弔問に訪れる親戚たち。

 幼い隆信は、葬式も終わり酒を交えながら親戚たちがこれからの松浦組について勝手な事を言い出したのを27歳になった今でも覚えている。

 平戸は15を超える小さな組の寄り合い所帯だ。乗っ取れるなら親戚でも乗っ取ろうとする人間は少なくない。

 右隣に座った叔父などは

「隆信!」と一括してビビらそうとしてから急に笑顔になり「隆信はまだ若いからなぁ!おじさんが組をみてやろうか!?」と言った。

 脅してから急に優しくする。他人を支配する際の常とう手段である。

 冗談めかしてはいるが、下非た欲望で鼻息が荒くなっているのがわかる。

 左隣では「いえいえ、おたくは自分の組で手いっぱいやろう。その点うちはシノギが順調やから人手もまわせるけん。頼るならウチの方がいいぞ。隆信」と親しくも無い伯父が、なれなれしく頭をわしゃわしゃとなでまわしてきた。

 隆信は知っている。右の叔父はこないだばくち(戦争)で負けて、有り金スって舎弟から見捨てられかけている事を。

 左の叔父は借金を抱えて二進も三進もにっちもさっちもいかない状態である事を。

 ほかにも大きな組の組長に取り入るために松浦組を売ろうとして「隆信はまだ若いから世の中の事わからんやろ。叔父さんがうまいこと組を立ち直らせたる」と酒で酔っぱらいながらいう奴もいた。

 酒で真っ赤に充血した目をギラギラさせながら、自分よりも30も年下の子供を食い物にするために、ハァハァと息をあらげて騙そうとする大人に隆信は深い嫌悪を覚えた。


 そろいもそろって屑ばかりである。


 だが、そんな屑よりも、幼い自分が当主になる方が松浦組の舎弟はいやだと思うだろう。


 自分には力も人望もない。


 それが悔しかった。

 ただ年上で徒党を組めると言うだけで、自分と父の作った組は食い荒らされ、消えてしまうのだ。

 そしてそれを自分はみていることしかできないのだ。

「おう、隆信!ワシはおまえのためを思って組をもらってよろう言うとるんじゃ!なのにわりゃ、なんじゃその態度は!」

 この世に神様などおらん。

「おう、隆信!あんな奴の言う事は聞かんでええぞ!あの組はワシが立て直したる!」

 この世に居るのは、獣以下のゴミクソだけや。

「おう隆信!おまえのオヤジの残した組はな、紙切れみたいなちんけなもんじゃ!それをわしゃあ高値で売ってやろういうとんのじゃ!礼くらいいったらどうじゃ!」

 豚でも口に出来にような事を平気でいえる。それが人間なんじゃなぁ。と隆信は思った。

 父の残した組が消えるにしても、こんな奴らのために消えるのはイヤだ。

 こいつらと差し違えて父のところにいくか。そう思った時だった。


!」


 雷でも落ちたのかと思った。

 鬼のような形相で一同を怒鳴りつけた男は隆信を抱えると言った。

「松浦組はおやっさんの作った組じゃ!おやっさんの息子が次ぐのが筋っちゅうもんじゃろうが!それを黙って聞いとったら何じゃ!ワシが継ぐだのワシが売るだの!それでもお前等ヤクザか!組の看板のついでに人間の看板もはずして、豚の看板でも付け換えとけや!この腐れ外道のドサンピンが!!!」

 呆気にとられた一同を後目に、男は隆信を抱き抱えて言った。

「若、よう我慢した。よう耐えた。オヤジの守った松浦組、若が継げるようにワシがバックアップしたる!」

 男は籠手田安昌と名乗った。


 遠い親戚で離れた島に組を構えているらしい。


 あの中で唯一「自分はおてんとさまに恥じないことをやっとる。自分は曲がったことが嫌いだ」という自信にあふれた美しい目をしている男だった。


 この日から籠手田は隆信の代わりに抗争を指示し、波多盛、波多武などの助けも借りて松浦組を存続させた。

 隆信が一人前になったら恩に着せるわけでもなく自分も息子に組をゆずり「安経やすつね!これからは頭の言うことをよぉ聞いて、しっかりつとめるんやぞ」と言ってくれたのである。


 ある意味、隆信にとってオヤジ以上にオヤジと呼べる存在だった。



 そんな安昌は隆信の話を聞いていてしばらく考えた後

「わかった!」と言った。

 そして、一緒にきた自分たちの息子と舎弟に、言った。

「おどれら兵隊は死に兵や!組長が右といったら右!左といったら左!死ねといったら笑いながら死ぬ!改宗くらいなんや!頭のメンツを潰す気か!」と怒鳴りとばした。

 こうして平戸で300人が改宗した。


 なお、籠手田が隆信を後見したのは史実だが、具体的な内容はわからない。なので好き勝手に書いたことを念のため付記しておく。

 筆者はうそつきなのである。

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