キリシタンがくる

第4話 十字架 平戸に立つ (日6P119)

 今回は多分に筆者の妄想を含みます。

 本作はクッソ読みにくいフロイス日本史の流れを追うためのエンタメ小説です。史実と実在の団体からまっすぐ目をそむけてご覧ください。

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「組長はん、キリシタンの為の墓地を作らしてもらえへんでしょうか?」

 と宣教師から要望が出たのは時代が飛んだ1555年の9月前の事だった。


 当時500人の信徒がいたと記録される平戸には欧州人の司祭バルタザール=ガーゴ師、フェルナンデス修道士に、日本人のキリシタンで仏教の布教手法に詳しい、多武峰から来たパウロがいた。(日6P118)


「まあ、坊主のセールストークは嘘がぎょうさんありますねん。そこを突けば顧客なんていくらでも引きはがせますわ」とエネルギッシュにパウロは語る。

 

 彼らに豊後、山口ではなく平戸の布教を進めたのも彼だろう。知らんけど。

 おそらくパウロは

「ところで、旦那さんがた。京都では布教は難しいし、ここは一つ安定した拠点をもちまへんか?」と持ちかけたに違いない。


 なぜなら当時のイエズス会は、教会を建てては戦乱で燃えるか、仏教徒から壊されるかを繰り返していたからだ。

 山口では1551年に大内義隆から布教を許され、学院を建てるための土地を貰っていた(日6P64)

 ところが、反乱で大内義隆は死亡し「殿が死んだのは、バテレンの奴らのせいでっせー」と吹聴し排斥された。(日6P69)


 大事なシェアを奪われそうだった僧侶は今までも「バテレンは人肉を食う。バテレンの教会に行ったら生きて帰れへんで!」とミミズバーガーみたいな噂話を広めたり『犬の死体や、人間の腕を教会に投げ込む』という現代人からすればどん引きな嫌がらせをしていたが、ここに至って「不幸を連れてきた外国人は殺せ!」とストレートな嫌がらせに出てきたからである(日6P69)

 日本の僧侶は嫌がらせも堂に入ったものである。

 この時はバテレンたちはかわいそうに見える。


 あくまで『この時は』だが。


 この後、山口では大友宗麟の弟で大内義隆の姉を母に持つ大内八郎晴英が跡を継いでいたが、1554年に実質的な支配者である陶晴方が厳島の戦いで毛利元就と戦って敗死している。


「もう、山口はあきまへん。あそこは危険です」


 とパウロは言う。

 毛利組は大内組と尼子組という中国地方を牛耳る2代ヤクザの鉄砲玉として長年行ったり来たりしていたが、これを機に独立している。

 とれるとこからはケツの毛でも容赦なくむしりとるのがヤクザである。

 大内家と山口は毛利組に蹂躙されるのは明白だ。

「やったら、豊後の大友組の方がええんとちゃいますか?」

 後の大友宗麟が当主となる大友組は豊後、肥後、筑後を支配する広域指定暴力団である。肥前の有馬や大村も今の親分を見限り、大友組にしっぽを振っているという。

 九州で一番勢力の強いヤクザである。

「ああ、あそこは去年、町中で反乱起こしたあかんたれがおるから止めた方がええですやんか」

 パウロからそういわれてガーゴは「あー」と自分の頭をたたいた。

 1553年和歴の閏1月に一万田、服部、宗像の3人が組長を殺そうと企んでるのがバレて、ケジメを付けさせられる事件があったのだ(日6P96)

 ガーゴもフェルナンデスも、この事件に遭遇しており「豊後は危険なところやなぁ」と実感したものである。

 この時教会は無事だったが、謀反人の家族が逃げ込んできたり、府内の町に火がつけられ家屋300軒が焼けたのを目の当たりにしているので「いくら組が大きくても安全でないところは拠点にしたらあかんなぁ」とも思ったものだ。

 ついでに言えば豊後では翌年、小原宗維の反乱が起こる予定だ。


「やったら、薩摩はどないだす?」

 フェルナンデスがいう。

「あそこは仏教のシマやさかい、むりでっしゃろ」

 他にも宮崎は当主が仏教にはまり金箔寺という金閣寺のパクリまで作っている。さらに海商人と呼ばれる海千山千の奴らがいて南蛮貿易の利益はそこまで重視されてないようだ。

 となると徒歩では行き来が難しく、外国船の停泊地にぴったりな田舎町。戦争で戦う相手も少なく、平和な平戸に拠点を構えるのが安全だろう。

 人が多くて金の匂いのする場所に店を構えるのが商売の鉄則だが、戦争というリスクがある場所を拠点にするのはだめだ。

 いくら景気が良くても、チャイニーズリスクと呼ばれる不安材料があるところを拠点にしたらどうなるかは現代人の我々のほうが詳しいだろう。

 仮に支店がつぶれても避難できる辺境として、平戸は最高の場所だった。

 

 こうして日本の主要なイエズス会員は平戸に集まることになった。

「しかし、拠点とするからには、ここにも我々のシンボルがほしいですなぁ」

 黄金の懐中時計をなでながら司祭は言う。

 いざというときに換金するための道具なので日頃の手入れは欠かせない。

「でも、山口や京都で設置した十字架は焼かれてしもたやないですか」

 緑茶をすすりながら修道士がたしなめる。

「だったら、お墓を作る土地が欲しいと言えばええんやないですか?ほら、日本人って葬儀を非常に重視しますけん(日6P119)、わてらの墓が欲しい言うたら融通してくれるんやないやろか?」

「そうやな、あそこの組長。貿易でようさん儲かっとるみたいやし、ワシ等が頼めば土地の一つくらいくれはるやろ」

 こうした経緯から平戸に十字架が立つことになったのだろう。たぶん。


「あ?土地が欲しい。かまへんで」

 怪しい商人言葉を使うのは松浦組組長、隆信だった。

 彼の周りには銭が山のごとく詰まれており、近畿からの珍しい品物が溢れていた。港の使用料と貿易品の利ザヤ、豊後や堺の商人が落とした金で成り金となったのが良く分かる。

 南蛮貿易の恩恵は土地一つ動かすのに十分だったらしい。


 こうして、平戸の地に一本の十字架が建てられた。

「イエズス会、平戸支店。誕生や!」

 信徒の一人が興奮して叫ぶ。

「ここが、我々の魂の故郷。贖罪の拠点となるのですね」

 と司祭は感慨深く言った。


 9月の十字架賞賛の祝日。

 この記念すべき日を選んで建てられた十字架はいつまで立っていたのかわからない。

 ただ、この一本を契機にイエズス会員のシェア争いが始まることを隆信たちは知る由もなかったのである。

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