第2話「高揚」

 加賀谷翔太カガヤショウタは朝から憂鬱ゆううつだった。

 ようやく昼休みになるなり、窒息寸前の状態から解放されたばかりだ。


「さあ、翔太君。お昼にしましょう」


 屋上へと通じるドアを開け放ち、逆光の中で少女が振り返る。

 今日も御統四季音ミスマルシキネの美貌は、なによりもまぶしい。

 だが、連れ出された翔太には、よどんだ気持ちが重く沈殿していた。それが満ち満ちて、朝のニュースを思い出してしまう。食欲なんぞないが、四季音の誘いは断れなかった。

 なぜならもう、二人はだから。


「な、なあ、四季音さん……やっぱ俺、考えたんだけどよ」

「翔太君のお弁当も作ってきたんですよ? いつも、購買部でパンを買ってますよね?」

「えっ? あ、いや、そうだけど。……なんで知ってんの」

「クラス委員長ですから」


 屋上のベンチに座って、四季音はポンポンと隣を叩く。

 渋々座ると、彼女のスマホを見せられた。

 画面には今、一丁の拳銃が写っている。

 どうやらWikipediaウィキペディアらしく、事細かに詳細が書かれていた。


「えーっと、なになに? ……あ、ひょっとしてこれ」


 ――ベレッタM93R。

 それがあの拳銃の名前だと、すぐにわかった。


「ね、翔太君。この子、ベレッタさんっていうんですって」

「だな……って、おああああっ! ばっ、馬鹿! 出すな、持ち出すな! しまえ!」


 顔をあげると、そこには……四季音の笑顔があった。

 彼女の手に、今しがた詳細を知ったベレッタM93Rがある。

 四季音はそれを両手で構えて、無邪気に片目をつぶっていた。

 優等生の美少女委員長と、拳銃。

 セーラー服を着た彼女が、一瞬だけ異世界の人間に見えた。


「ごめんなさい。隠す場所が思いつかなかったので、持ち歩くのが一番安全かなと」

「どっ、どこがだ! いいから、人が来る前にしまえ!」

「そう、ですね……取り上げられたら困りますし」

「そういう問題じゃないっ!」


 四季音は悪びれずに笑って、小さく舌を出す。

 かわいい。

 やばい、なにこれ。

 なんで俺、こんなことになってんの?

 四季音はクルクルと拳銃を回して、その場で一回転。

 スカートの中、太腿ふとももに吊り下げられたガンベルトにベレッタをしまった。

 少しだけ、ぱんつが見えた。


「ガンベルトはすぐにネットで買いました。これなら見つかりません」

「あ、ああ……それよりお前、あの……あ、いや……御褒美ごほうび、だな」


 にこやかに微笑む四季音のぱんつは、まだ見えていた。

 丸見えだった。

 彼女がしまったと思っているガンベルトのベレッタに、スカートが挟まっているのだ。それを指摘しようとも思ったが、無邪気な笑顔を前に黙る。

 ぱんつは今日は、汚れなき純白だ。


「私、ドキドキしてます……昨日は朝方まで寝付けなくて、寝不足なんです」

「お、おう」

「さっきのも練習したんですよ? YouTubeユーチューブでやり方を検索して……もう一回みたいですか? みたいですよね?」


 本当に四季音は楽しそうにはしゃいでいる。

 真っ白なぱんつが嫌に眩しい。


「翔太君。私いま、凄くドキドキしてるんです。平凡な日常の中で、なんでもない平凡な女の子だった私……でも、ベレッタさんがそれを変えてくれたんです」

「平凡、ねえ……俺らから見りゃ、四季音さんはパーフェクトな優等生だよ」

「そうなんですか?」

「そうなんですよ」


 クスリと笑って、四季音は翔太を見詰めてくる。

 その瞳が、あどけない可憐な表情の中で蠱惑的こわくてきに輝いた。

 それは翔太が初めて見る、悪い女の毒だった。


「私はですね、翔太君……いま、いけないことをしてるんです。そうやって、自分を変えてくれたベレッタさんは……翔太君の言う通り、御褒美ですよね!」

「いや、それは……あっ! そ、そうだ、それより、あの」

「そうだ! 翔太君、今日の放課後は暇ですか?」

「え? あ、ああ、暇だけど」

「じゃあ、私と一緒に過ごしましょう。実は、とってもいい場所を見つけておいたんです。二人きりで、ね?」


 逆らえない。

 逆らえる筈もない。

 だから、やっぱり翔太は言いそびれた。

 それに、もう四季音は知っている気がした。

 今朝、例の自動販売機の前で一人の男が重傷で発見された。今は意識不明で、病院の集中治療室だ。

 既にもう、犯罪の渦中に翔太はいた。


「翔太君にも撃たせてあげますね。二人で撃ってみましょう」

「……やっぱ、撃つんだ。それ。あとその、スカートが」

「ふふ、勿論。今朝のニュースは私も見ました。でも、私は……ようやく訪れた非日常を、このままでは手放せません。飢えて乾いた日常の突破口が、ほら……今ここに」


 そう言って四季音は、つぼみほころぶような表情で微笑む。

 それは背徳が入り交じる危険な笑みで、今までで一番美しかった。


「あら? まあ……スカートがめくれていました。翔太君、見ましたか?」

「そりゃもう」

「ふふ、いけない人……ですね」

「どっちがだよ」

「ちょっと、嬉しいですね! 私たち、これは共犯者ですよね!」

「なっ、なに興奮してんだよ。それより隠せ、ぱんつと銃を隠せ!」


 挟まったスカートを直して、四季音はようやくベンチに戻ってくる。そして、翔太の隣で二人分のお弁当を開き出した。


「ようやく私、ドキドキを手にしました。嬉しいんです」

「犯罪でもか? 身の危険は感じない?」

「感じてます……それがスリル、そしてサスペンスとなって私を……こんなの始めてです。何が起こるかわからない、予定も見積もりもない人生。それが今だけでも、嬉しい。しかも翔太君みたいな共犯者まで」


 翔太はなにも言えなかった。

 いったい、四季音はどんな人生を送ってきたのだろう? その内容は全校生徒が知っているが、それは上辺うわべだけでしかない。彼女が送ってきた人生の上に、積み重なった結果でしかないのだ。

 だが、一つだけはっきりしている。

 四季音は今までが不満で、拳銃を拾ってからのこれからに希望を見出している。

 しかしそれは、全てを危うい中へと放り込んでしまう、危険な魅力に満ちていた。

 魅力と認めざるを得ない程度には、翔太もき込まれているのだった。

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